「キヨハラくん」の肖像(四)ねじれた「KKコンビ」と少年漫画の世界
「巨人、大鵬、卵焼き」にも象徴されるように、一九九三年にJリーグが開始されるまで、日本のプロスポーツといえば野球か相撲であった。
相撲は平均的な感覚からすれば異常に肥満している力士の体型や四股名、ルール等がかなり特殊なせいか創作の題材にされるケースは限られているが、野球に関しては、梶原一騎の「巨人の星」やあだち充の「タッチ」等、漫画や小説、ドラマで扱われるスポーツの定番であり続けてきた。
実際のプロ野球チームや野球選手を扱った作品としては「巨人の星」が有名だが、私が小学校低学年だった一九八九年から一九九〇年にかけては石ノ森章太郎原作の「ミラクルジャイアンツ童夢くん」が学研の「学習」各誌で掲載されるばかりでなく、アニメでも放映されて話題を読んだ。
これは、ジャイアンツ選手を亡父に持つ男子小学生の「童夢」(ジャイアンツの根拠地である『東京ドーム』に『少年の夢』を掛けたネーミング)が読売ジャイアンツに特別に入団して活躍するストーリーだ。
阪神タイガースには同じく少年バッターの「虎雄」(読んで字の如く『タイガース』からの命名)、中日ドラゴンズ(広島カープのバージョンもある)にはアメリカ人少女の「メロディ」(『小さな恋のメロディ』からの着想か)が在籍して対決する設定になっていた。
なお、各チームの監督や成人の選手は基本的に実在の人物であった。
ただ、個人的には実在する大人の選手たちの造形よりも、「学習」に掲載された漫画で不振に悩む小学生投手の童夢に対して中学生にしか見えない虎雄が「たまには気分転換も必要だから遊びに行こう」と誘う場面や、勝気なメロディを見て「日本ではでしゃばりな女の子って嫌われるんだけどな」と童夢が内心思う描写の方が印象に残っている。
今、改めてこの作品の設定を確認すると、「主人公父子がジャイアンツの選手」「ライバル(花形満、虎雄)は金持ちの息子で阪神タイガース所属、本来は主人公と同年らしいのに二、三歳は年長に見える」といった要素は、明らかに「巨人の星」を意識したものだ(アニメの画像で確認しても、主人公の星飛雄馬・童夢が直毛・短髪なのに対して、ライバルの花形満・虎雄はやや髪が長く反り返った風に描かれている)。
しかし、「童夢くん」においては、主人公の父親は物語の開始時点で既に故人であり、少年が飽くまで自分の意思で野球に取り組み、かつ「小学生たちがプロ野球チームで活躍する」展開が独自であり、読者がプロ野球チームや選手をより身近に感じられるものになっていた。
同時に、大人たちに支えられながらジャイアンツで活躍する少年が主人公に据えられることで「ジャイアンツがヒーローで、他チームはライバル」「他球団の強豪選手はジャイアンツの引き立て役」という図式がフィクションを通して幼い読者の中に刷り込まれる危険性も孕んでいた。
そもそも、標準語の「新城童夢」に対して関西弁の「通天閣虎雄」を出した時点で、漫画として後者の道化的な役割はほぼ確定してしまう(花形満を主人公にした『巨人の星』のリメイク作品が話題になったことがあった。もし、通天閣虎雄の視点で『ミラクルジャイアンツ童夢くん』をリライトしたら、そこでは東京に対抗する関西人のプライドや敵軍となるジャイアンツの驕りを強調した作品になるのだろうか)。
中日ドラゴンズ(あるいは広島カープ)にアメリカ人少女の「メロディ」を配置したのは、日本人少年の「童夢」や「虎雄」との描き分けの必要性や少女読者を意識した結果かもしれない。
だが、ジャイアンツの「童夢」やタイガースの「虎雄」がチームの地元少年ファンを象徴するキャラクターであるのに対して、「メロディ」は明らかに助っ人外人選手のミニチュアであり、しかも、発表媒体によってこのキャラクターは中日ドラゴンズ、広島カープと所属チームも異なる。
そこに、東のジャイアンツ、西のタイガースに比した他球団への軽視が見える。
更に言えば、こうした主要なキャラクターは全てセ・リーグに所属する設定であり、ウィキペディアを確認しても、創作・実在を含めてパ・リーグ関係者の名前は見当たらない。
恐らくはパ・リーグのチームにライバル選手がいる設定にしても、オールスターか日本シリーズのような限定された試合でしか主人公と直接対決できないので省略されたのだろうが、これも「ジャイアンツのあるセ・リーグでなければ正統なプロ野球ではない」という無意識な蔑視の表れに思える。
「KKコンビ」は正にそんな時代に活躍したスター選手だったのである。
有名過ぎて今更書くまでもないかもしれないが、「KKコンビ」こと清原氏と桑田氏は野球の名門・PL学園高校の同級生であり、共に一年生の頃から四番バッターとエースピッチャーとして甲子園を席巻した。
そして、一九八五年、高校三年生になった二人の内、清原氏はプロ入りへの希望を公表し、読売ジャイアンツとは相思相愛と報道された。
一方、桑田氏は早稲田大学への進学希望を公言し、ドラフトでは指名回避されるものと見られていた。
ところが、ドラフト会議では、清原氏は巨人以外の六球団から一位指名され、くじ引きにより西武ライオンズが交渉権を獲得し、桑田氏は巨人から一位指名され、本人も前言撤回して入団に同意した。
清原氏としては切望していた球団と一緒にやってきた仲間の両方から裏切られた形になったのである。
当時十八歳だった彼はこの会議直後の会見で涙したばかりでなく、その後もたびたび巨人や桑田氏へのやりきれない思いを公言している。
一般からしても「正直に行動していた方は泣きを見て、不透明な言動をしていた方は巧妙に希望の球団に入った」という、「正直者は馬鹿を見る」構図を見せ付けられたような嫌な後味を残す事件となったようだ。
結果、西武ライオンズに入団した清原氏には同情的な見方が集まる一方で、読売ジャイアンツに行った桑田氏には「不公正なやり方でジャイアンツに入った選手」という汚点に加えて「共に甲子園で戦った仲間を裏切った二枚舌」という二重にネガティヴなイメージが付与されることになった。
「不公正なやり方でジャイアンツに入った選手」といえば、一九七九年入団の江川卓氏という先例が既にあり、また、桑田氏の後も、一九九〇年の元木大介氏の入団が物議を醸している。
しかし、他の二人と比しても桑田氏はダーティな印象で取り上げられてきた感がある。
一九八二年生まれの私は一九八五年のドラフト騒動自体は記憶していない。
それでも、小さい頃、ジャイアンツびいきのはずの周囲の大人たちが桑田氏に対してだけは、
「こいつは良くない奴だ」
「金欲しさに汚いことばかりやっている」
「ニヤつきやがって気色悪い」
等々、明らかに野球の成績とは無関係な所で嫌っていた様子は覚えている。
江川氏は私がテレビで見掛ける頃には既に引退していたが、本人の飄々としたキャラクターのせいもあってか、そこまで大人たちのブーイングが上がる気配ではなかった。
元木氏の入団に際しても、
「これだけ騒いだんだから、きちんとジャイアンツで活躍するといいけどね」
といった程度の反応であり、その後、野球中継で彼の姿が映ってもさほど不快感を示す空気にはならなかった。
さて、江川氏の巨人入団に際しても、それまで巨人に在籍していた小林繁氏が急遽阪神タイガースへの移籍を強いられ、別な選手の野球人生を捻じ曲げてしまう悲劇があったようだが、当事者二人は既に成人した社会人(作新学院の職員だった江川氏が二十四歳、ジャイアンツの選手だった小林氏がプロ入り七年目の二十七歳)であった。
小林氏を「悲劇のヒーロー」、江川氏を「不正入団者」として扱う人々の中にも、
「プロで数年もやってきた人ならば、ある程度球団から無情に切られる覚悟はあるはずだ」
「二人とも置かれた場所で咲けば良い」
という割り切った見方はあったはずだ。
だが、桑田氏の場合は入団で割を食わされた相手が三年間も同じ高校野球のチームで苦楽を共にした清原氏であり、しかも、二人がまだ十七歳と十八歳の少年であることがこの事件により残酷で陰惨な印象を引き起こした(なお、清原氏は一九六七年八月十八日生まれだが、桑田氏は一九六八年四月一日生まれで同学年では一番遅く生まれた計算になる)。
甲子園を席巻した「KKコンビ」に声援を送った人々の中にも桑田氏に裏切られたような感慨が広がったのではないだろうか。
というより、一年生から甲子園を騒がせたエース投手と四番バッターの名コンビが輝かしく記憶されていたからこそ、相棒に手酷い仕打ちを加えたとしか見えない桑田氏への失望や反発が強く沸き起こったのだろう。
実際、清原氏の桑田氏批判の中には「彼が早大進学を公言しておきながら巨人入りしたせいで、PLの後輩たちの早大への推薦枠が消えてしまった」というものもあるそうで、これが事実とすれば、桑田氏の行動により清原氏ばかりでなく母校の後輩たちも害を被ったことになる。
むろん、当時十七歳の高校生だった桑田氏が入団までの一連の行動を全て自分一人で策謀したと見るのは無理がある。
大金や権利の複雑に絡むプロ野球入りへの過程には、周囲の大人たちの教唆があったと考える方が自然である。
事実、清原氏や他のPLの同期たちと比べても桑田氏は経済的に苦しい家庭の出であり、四年間、東京の私立大学に通ってアマチュアを続けるよりも一刻も早くプロ入りして家計を支えることを望まれていた状況だったようで、その辺りの事情は一応、ドラフト騒動時も報道されたようだ。
桑田氏にしたところで、他に選択肢があれば、こんな風に世間からの非難の目に晒され、また、盟友から恨まれる形での巨人入団は避けたかったに違いない。
清原氏にしてもそうした桑田氏の抱えていた事情を近くで見て知っていたからこそ、完全に「悪」として断罪することもできず、割り切れない感情を引きずり続けたのかもしれない。
清原氏が後年は巨人軍に移籍して一応は「ジャイアンツの選手になる」夢は叶ったはずであるにも関わらず、引退後も桑田氏への怨念じみた感情を口にし続けたのは、十八歳で心に受けた傷がそれほどまでに深かった証左である。
更に言えば、それまで清原氏の桑田氏に寄せていた信頼が大きかったがために、その反動で執拗なまでの怨嗟に繋がったのだろう。
こうした表現が適切かは疑問だが、清原氏のジャイアンツや桑田氏に対する言動は自分を捨てた恋人への恨み言を言い続ける女を連想させる。
「桑田氏本人と直接ドラフト騒動について話し合ったことはない」
「後年ジャイアンツに入団したことに後悔はない」
としつつ、不特定多数に向けたコメントとして桑田氏やジャイアンツへの恨みや批判を発表し続ける行為は、明らかに相手の耳目に触れて何らかのレスポンスが返ってくることを期待したものである。
そうでなくとも、
「自分との過去をなかったことにするのは許さない」
「自分のために少しでも痛みを覚えて欲しい」
という非常にウエットな感情が絡んでいる印象が否定できない。
今回の逮捕を受けて改めて検索した結果、清原氏がプロ入りし引退した後もPL学園高校時代に一緒に戦った仲間と親しく交流し続けていたと思わせる記事が数多く見つかった。
桑田氏に関しても同様である。
二人のPL学園での先輩で大学時代の事故により車椅子生活を余儀なくされた清水哲氏は、清原氏と桑田氏から物質的にも精神的にも多大なサポートがあったことを公言している。
このドラフト騒動がなければ清原氏と桑田氏の一対一での関係もここまでねじれたものにはならなかったはずだ。
無関係の人間にもそんな風に思われる。
「高校時代から素行は良くなかった」との風聞はあるものの、PL学園時代の清原氏の表情からは素朴さを感じこそすれ、露骨な不良性やふてぶてしい反抗といったものは見えない。
桑田氏(一八八センチの清原氏と並ぶと一七四センチの彼は頭半分以上小さく華奢な体つきをしている)も「素直でいい子そうだな」というのが率直な感想だ。
高校時代の初々しい二人が並んで写った写真を見ると、「少なくともこの時点では偽りなく良い仲間だったのではないか」と思われるだけに痛ましくなる。
「KKコンビ」決裂の本当の責任は、不公正で強引なスカウト活動をした読売ジャイアンツという球団にこそあろう。
高校野球を含めたアマチュアの有望選手を巡るプロ野球スカウトのトラブルは、他球団にも例がないわけではない(件の『KKドラフト騒動』後も、有望選手が希望でない球団のスカウトとの面会を拒絶した結果、スカウト担当者が自殺したといった痛ましい事件が起きている)。
だが、読売ジャイアンツに関しては金に飽かせて有望なアマチュア選手を青田買いするばかりでなく、ドラフト制度そのものの間隙を突く・悪用する狡猾さが目に付く。
「KKドラフト騒動」に関しては、まだ十八歳の少年の心を踏みにじるばかりでなく、周囲の人間関係にも罅を入れ、のみならず、自球団に入れた十七歳の少年を矢面に晒し続ける状況を作った点で実に無責任かつ悪質である。
話は変わって、今回の清原氏逮捕に伴い、「リトル清原」という物真似芸人の存在を新たに知った。
主に監督になってからの長嶋氏を物真似する「プリティ長嶋」という芸人がいることは知っていたが、清原氏にも同様の存在がいたのである。
同じ「ON」または「KKコンビ」でも王氏や桑田氏の物真似専門の芸人はいない(あるいは、いてもさほど注目されない、もっと端的に言えば、他人がこの二人の言動を真似てもごく常識的なのでさほど面白くない)事実からして、長嶋氏や清原氏にはまず本人にメディア受けするタレント性があり、それが専門の物真似芸人という存在を生み出すばかりでなく、彼らを巡る報道の加熱を引き起こしたと言える。
「ミスター・長嶋」が古き良きプロ野球のアイコンだとすれば、「番長・清原」は黒さを秘めた興行たるプロ野球の象徴であったと言えよう。
先ほど清原氏に親しみを覚えると書いたが、現役時代の彼のプレーを見たことはそこまで多くない。
私にとって「清原」「桑田」あるいは「KKコンビ」という言葉からまず連想されるのは、実際の清原和博・桑田真澄両氏よりも、ギャグ漫画「かっとばせ! キヨハラくん」のとぼけた主人公「キヨハラ」と腹黒い悪友「クワタ」のイメージだ。
ネットでは清原氏の逮捕に伴ってこの漫画も再び注目され話題になった。
ウィキペディアで確認すると、漫画家の河合じゅんじ氏によるこの作品は月間コロコロコミックの一九八七年六月号から一九九四年四月号まで連載されたという。
コロコロコミックは男子小学生を対象にした漫画雑誌だが、三学年上の兄が読んでいたため、私も特に小学校の低・中学年だった一九八九年から一九九一年辺りまではこの作品をかなり熱心に読んでいたと記憶している。
漫画では「キヨハラ」「クワタ」のようにキャラクターの名前は実在の人物とは表記を変えており、チーム名も「ライアンズ」「カイアンツ」のように微妙にもじってはあったが、これが実際のプロ野球チームと選手たちをモデルにした作品であるのは子供の目にも明らかであった。
ちょうど清原氏が西武ライオンズの主力打者、桑田氏もジャイアンツのエースピッチャーの一人として活躍していた時期だ。
なお、清原氏は一九九七年にジャイアンツへ移籍しているので、一九九四年で連載終了した漫画は飽くまで西武ライオンズ時代の清原氏を主人公にしていることになる(なお、河合じゅんじ氏にはジャイアンツ時代の松井秀喜氏を主人公にした作品もあり、その中にはジャイアンツ時代の清原氏も登場するとのことだが、そちらは未見である)。
ちなみに、この作品は二〇一四年から発売されたコロコロアニキ(かつてのコロコロ読者を対象にした不定期刊の漫画雑誌)で続編が掲載され始めたものの、今回の清原氏逮捕に伴って休載された。
よく指摘されることだが、「かっとばせ! キヨハラくん」の主人公「キヨハラ」はいわゆる出っ歯でしゃくれ顎に描かれており、実物の清原氏とはあまり似ていない(本来の清原氏は八重歯が目立つだけで決して出っ歯ではなく、しかも後年は不自然に白いインプラントにしたので漫画の風貌からは余計に懸け離れてしまった)。
小学生向けの漫画の都合もあってか、キャラクターも「愛すべきおバカさん」といった雰囲気であり、後年の「番長」的な不良性はもちろん、西武時代からしばしばメディアで指摘された「お山の大将」的な傲慢さは希薄である。
せいぜい、「史上最年少の一億円プレイヤー」(一九九〇年当時)になって浮かれていたところを一億円には一歩届かなかった先輩チームメイトの渡辺久信氏や秋山幸二氏からやり込められるギャグシーンから、「実際の清原氏にもこんな風に増長して周囲の反感を買うような面があるのかもしれない」と思わせられた程度だ(今、読み返すと、やり込めている二人の先輩がそれぞれ指導者の道を歩み、舞い上がっていた側は転落してしまった事実に因果なものを覚える)。
悪友の「クワタ」も実際の桑田氏のエラの張った輪郭や三白眼を極端に誇張した感触を受ける。
キャラクターもいつもニヤニヤ笑いしている陰湿な策謀家で、活躍している相手には他チームの選手はもちろん同じチームメイトであっても嫉妬深く妨害する設定だ。
子供向けの漫画ですらこうした造形にされている点に、当時の桑田氏がメディアでいかに白眼視されていたかが窺い知れる。
同じ当時のジャイアンツのエース投手でも斎藤雅樹氏は常に朗らかな笑顔で描かれ、槇原寛己氏も人の好いキャラクターで登場するので、本来は三人の中で一番年若いはずの桑田氏の黒さがいっそう際立つ格好になっている。
子供の目にはギャグ漫画のキャラクターとしての「クワタ」は面白く読めたが、
「これはモデルにされた本人からすれば嫌だろうな」
という印象は当時としてもあった。
「キヨハラくん」を見てから実際の清原氏と桑田氏がそれぞれ話している映像を見ると、まず、漫画では標準語で話しているはずの二人には明らかな関西訛りがある点に違和感を覚えた。
更に言えば、清原氏の一人称が「俺」または「ワシ」でどうかすると粗暴にすら見える雰囲気があり、これに対して桑田氏は一貫して「僕」を使いどこか女性的(いかにも男性的な『和博』に対して『真澄』という名前も女性的)に大人しい口調で話す様子に軽く衝撃を受けた。
「高校球児」または「プロ野球選手」という言葉から一般に連想される「豪放なスポーツマン」というイメージにはそぐわないとしても、桑田氏が漫画で盛んに揶揄されるほどおかしな人には子供の目にも見えなかった。
後年、清原氏の実家はごく普通の電器屋で、桑田氏の生家は困窮していたと知っても、
「え、逆じゃないの?」
と驚いた記憶がある(桑田氏の丁寧な物腰や『早稲田大学に行こうとしていた』という断片的な情報から清原氏より裕福な育ちのように誤解していた)。
ドラフト騒動の後、「目的のためには友人を裏切り不正な手も平気で使う人間」という烙印を押された彼は世間から冷蔑の目線に晒され続けた。
若手選手だったバブル期、親族が彼の名義を勝手に使う形で不動産取引をしていたにも関わらず「投げる不動産屋」と揶揄された。
次いで、バブル崩壊後に当の親族から多額の借金を押し付けられ、本来は被害者であるにも関わらず、「投げる借金王」と冷笑された。
スポーツ選手や芸能人が親族から金銭面で食い物にされるといった類の話はよくあるし、桑田氏の金銭問題も実質はそうしたケースだったと推察される。
だが、他の選手ならば同情されるような案件でも当事者が桑田氏だと「とにかく本人が悪い」と決め付けられる向きがあった。
ちなみに、「キヨハラくん」の中でだと「クワタ」は「憎い相手(好調な他選手)に藁人形を打って呪いを掛けていたら、蝋燭の炎が燃え広がって家が全焼し、借金が出来た」設定になっている。
子供向けの漫画なのであまりリアルな事情を出すわけにはいかなかったのだろうが、これも桑田氏本人からすれば酷い話だろう。
桑田氏はその後、プロ入り十年目のベテラン投手となった一九九五年、試合中に受けた怪我により二年近いリハビリ生活を余儀なくされ、その際の真摯な取り組みと感動的な復帰により、一般の評価は多少修正された。
ジャイアンツからメジャーリーグのパイレーツを経て引退した後は、体罰反対の立場でスポーツ教育への提言をしており、むしろ現役時より好感度は上がった感もある。
それでも、ネットの彼に関する記事を覗くと、ドラフト騒動を経た入団や借金問題の件で今も冷笑的に見続ける人が少なくないと分かる。
十七歳ならば殺人犯ですらメディアでは顔や氏名は公表せず刑罰も軽減されるのに、刑事事件を起こしたわけでもなく、本人としても周囲の大人たちに言い含められて行動したと察せられる桑田氏がいつまでも槍玉に挙げられるのは気の毒に思われる。
「キヨハラくん」でもさすがにドラフト騒動そのものをネタにした描写こそないものの、「キヨハラ」と「クワタ」は高校野球の名門「LP学園」の同級生で野球部の仲間だった設定になっており、その当時から「クワタ」が「キヨハラ」を馬鹿にして妨害的な行動を取っていたエピソードが描かれている(互いにプロの選手になってからも『キヨハラ』の高校時代の赤点テストの答案を『クワタ』がばら撒いて恥をかかせるギャグ描写が出てくる。これはPL学園時代に学業成績も優秀だった桑田氏に対し、清原氏は練習の疲れで授業中は寝ていることが多かった逸話を踏まえたネタと思われる)。
読者の子供にとっては、「桑田氏は高校の頃から性悪で嫌な人だったんだな」と刷り込まれる内容である。
話は変わって、「かっとばせ! キヨハラくん」ほど一般には話題にならないが、一九八〇年代末には小学館の学年別学習雑誌に漫画家のぜんきよし氏による「やっぱりクワタくん」という桑田氏主人公の漫画も連載されていた。
私は三学年上の兄の雑誌に載っていた漫画としてこの作品を読んだ記憶があるが、そこでは小柄で人の好い風に描かれた桑田氏に対してどこか陰険な顔つきの清原氏が登場して嫌がらせをする展開になっていた。
具体的なエピソードを例に挙げると、桑田氏の下に匿名のファンから彼に似せた喋るマスコット人形が送られてきたのだが、喋らせてみると、「ボロ負けしちゃった、ファーム落ち」等と不景気な台詞ばかり口にする。
その人形は実は清原氏が嫌がらせで送りつけたもので録音した台詞の声で見破られるというオチだったようにおぼろげに記憶している。
初読した際には台詞に出てきた「ファーム」の意味が分からず、父か兄に聞いて「二軍」だと教えてもらい、プロ野球には一軍と二軍があり、テレビで中継されるのは一軍の試合で、二軍はそれより劣った地位にあることを初めて知った。
そうして初めて、「やっぱりクワタくん」の中で清原氏が桑田氏にした嫌がらせの意味が理解できたわけだが、そうなると、
「この漫画の桑田選手はのんびりしたいい人そうなのにどうして清原選手は意地悪をするんだろう」
「というより、どうして漫画だとこの二人は片方がいい人でもう片方は悪い人になるのかな」
と腑に落ちなかった覚えがある。
「KKコンビ」がねじれていった過程には彼らを取り上げるメディアの煽りも追い風になっていたのかもしれない。
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