「キヨハラくん」の肖像(二)「ヒーロー」ONと「敵役」金田・張本

 さて、子供の好きな物の代表が「巨人・大鵬・卵焼き」と言われた高度成長期に少年時代を送った人たち、特に団塊世代にとって、「ON」こと王貞治・長嶋茂雄の両氏は「永遠のヒーロー」とでも称すべき存在だろう。


 長嶋氏を「ミスター」と呼ぶのは主にこの世代に思える。


 ちなみにこれは「ミスター・プロ野球」の省略だそうで、現役を引退しようが、指導者の立場を離れようが、彼はこの愛称を使う崇拝者たちにとって日本のプロ野球を象徴する天皇のような存在なのだと言える。


 公的な肩書きとしても、二〇〇一年には読売ジャイアンツの「終身名誉監督」の称号を与えられた。


 ウィキペディアによれば二〇一六年二月現在でも球団から「名誉監督」の称号を贈られたのは長嶋氏と野村克也氏の二人だけだそうで、野村氏は既に退任しているので、「名誉監督」しかも「終身」と頭に冠された称号を持つのは長嶋氏だけだ。


 個人的には「終身」から「終身刑」を連想するので、「終身名誉監督」なる称号は「死ぬまで『栄えある巨人軍』から逃れられない、逸脱は許さない」という呪縛じみて見える。


 一方の王氏が何故「名誉監督」に選ばれていないのかが気になるところだが、他の重要なポストには歴任していることからして、長嶋氏とは敢えて被らないように「名誉監督」だけは与えられていない感触も受ける。


 もっとはっきり言えば、長嶋氏が現役時代はもちろん指導者としても一貫して巨人軍の人間であり続けてきたのに対し、王氏は指導者としては巨人よりもむしろダイエー・ソフトバンクの監督の方を長く務めており、トータルした成績を見てもそちらの方が上の印象がある。


 この点で、王氏は長嶋氏と比べて巨人軍との間に距離があると言える。


 選手としては両氏共に巨人の永久欠番(今更説明するまでもないかもしれないが、王氏の『1』、長嶋氏の『3』)にされても、指導者としては長嶋氏だけが「名誉監督」に選ばれている点に、「他球団に携わった者は認めない」という球団側の無言のメッセージが見える気がする。


 更に言えば、そこに文字通り日本プロ野球界のガリバー球団である読売ジャイアンツの驕りというか、排他的な面が見える。


 そもそも「ON」と並び称されてはいても、王氏よりも長嶋氏の方がメディアでは愛すべき存在として重宝されてきた観がある。


「記録より記憶に残る選手」という形容は、記録の上では圧倒的に上回る王氏(二〇一五年度シーズン終了現在のホームラン記録では王氏が八六八本で不動の一位。長嶋氏は四四四本で十四位。単純比較しても王氏は長嶋氏の倍近い本数)に対して好感度の面で長嶋氏を優位に置くものだ。


「ミスター・プロ野球」という愛称も「世界記録のホームラン王」に対して「日本プロ野球の第一人者」とやはり別な面で上位に立たせる響きが感じられる。


 ストイックで実直だがやや堅く暗い印象がなくもない王氏。

 明るく飄々とした雰囲気の長嶋氏。

 後者の方が観客により好まれたというのが一般的な見解だろう。


 しかし、台湾籍で日台ハーフ、風貌もどこか純粋な日本人とは異なる王氏より生粋の日本人である長嶋氏の方を「自分たちのヒーロー」に強く推す心理が観衆の中に働いた可能性は否めまい(漫画やイラストでは、長嶋氏が角ばった顎に髭の剃り跡の目立つ顔に描かれ、王氏は濃く太い眉に厚ぼったい唇を強調して描かれるのが通例だ。これは純粋な日本人と比した南方的な風貌をデフォルメしたものだ)。


 なお、この二人と同時期に活躍した名選手には、金田正一、張本勲といった在日韓国・朝鮮系の名も挙げられる。


 だが、彼らは主として国鉄スワローズや日本ハムといった巨人以外の球団で活躍した選手であり、巨人が圧倒的なステイタスを誇っていた時代にあってはどうしてもヒール扱いされる傾向があったようだ。


 金田氏も張本氏も後に力量を認められて巨人に移籍したものの、生え抜きの「ON」とはやはり扱いが総じて違ったようで、金田氏は四百勝、張本氏は三千本安打といった輝かしい記録に言及されることは数多くあれど、巨人OBとして語られることは少ない。


 張本氏のウィキペディアを見ると、移籍した巨人時代に長嶋監督の下で王氏と共に「OH」砲と呼ばれたとの記述があるが、リアルタイムで見ていない私はそれを読んで初めて知ったほどで、「ON」と比べると圧倒的に認知度の低い感触は否めない。


 更に言えば、金田氏も張本氏も引退後を含めて「気性の荒さ、激しさ」を揶揄的にメディアで取り上げられる傾向が強く、実際の本人たちの言動もあるにせよ、報道する側にも「そもそもが日本人ではない」「所詮は弱小チームの出身だ」という冷笑の目線が入っているように思える(付記すると、張本氏は引退後の現在も韓国籍を貫いているが、金田氏は現役だった一九五九年に帰化している。ただ、書類の上で日本国籍になっても『金田』という姓そのものが韓国・朝鮮系に最も多い『金』姓の変形なので、名前として金田氏が在日韓国・朝鮮人だという印象は変わらない)。


 ここには日本プロ野球の盟主とも言える読売ジャイアンツの母体が読売新聞社であり、全国紙として発行部数一位を誇るばかりでなく、傘下に日本テレビなど全国的な放送網を持つ一大メディア産業グループを形成している点も大きく影響しているのだろうか。


 メディア産業が母体の球団としては他にも中日ドラゴンズや楽天イーグルス、ソフトバンクホークス、そして横浜DeNAベイスターズが挙げられる。


 だが、中日ドラゴンズの親元である中日新聞社は名前からも明らかなように地方紙であり、読売新聞社ほどの規模・影響力は持たない。


 楽天イーグルスはそもそも二〇〇四年に設立されたばかりで十二球団の中でも最も歴史の浅い球団であり、本拠地も仙台で、東京中心のメディアの視点からすれば、遠隔地、周縁地域の球団という印象は否定できない。


 これはソフトバンクホークスの拠点である福岡についても言えることだ。

 なお、ソフトバンクホークスは球団としては一九三八年に創設されたものの、南海、ダイエーと来て二〇〇五年からソフトバンクに経営上の所属先が変わっている。


「ソフトバンクホークス」という名称自体は楽天イーグルスと同様に新しく、私などは十年経った今でもこのチーム名を聞くと「ダイエーじゃなくてソフトバンクか」と軽い違和感を覚えるほどだ。


 横浜DeNAベイスターズに至っては二〇一二年からDeNA所属に変わり、それまでの「横浜ベイスターズ」から中間に横文字の社名を挟んだ名称になったわけだが、率直に言って「横浜DeNA」という略称を目にするたびに「よこはま……ディーナ? それともディー・エヌ・エー?」と迷ってしまう。


 横浜という土地自体は地理的に東京に近く、また洗練されたイメージもあるが、むしろそれ故に東京ドームのジャイアンツに比して横浜スタジアムのベイスターズは影が薄い印象を受ける。


 実際、一九五〇年のセ・リーグ創設以来、二〇一六年二月現在で現存するチームの中で、巨人はリーグ優勝最多数の四十五回、最下位は最少の一回を誇るのに対して、横浜は最下位になった回数が二十四回と最も多く、リーグ優勝回数は二回で最も少ない。


 歴史的に横浜は首都圏に集まった五チーム(読売ジャイアンツ、東京ヤクルトスワローズ、横浜DeNAベイスターズ、西武ライオンズ、千葉ロッテマリーンズ)の中では最も割を食ってしまったチームの印象だ。


 加えて、メディア産業とはいえ楽天やソフトバンク、そしてDeNAは飽くまでインターネット中心なので、テレビの影響力が強い世代にアピールする力はどうしても弱い。


 視聴者としてはテレビでプレーを目にする機会が多いチームの方に必然的に親近感を持つので、結果的に読売ジャイアンツが一番有利ということになる。


 ここで、報道する側のスタンスに目を向けると、どうしても自社持ちの球団に好意的な取り上げ方をしてしまうのは避けられないというか、必然的に「自社球団対敵チーム」という構図になるのが現実だ。


 のみならず、自社球団の主力として活躍する選手に対してはネガティヴな印象を与える報道は少しでも避けたくなるはずだ。


 その一方で、相手チームの強豪に対しては「敵役」としてどこか憎憎しいイメージが付与されやすい。


 日本以外にルーツを持つ場合でも巨人軍の主力打者だった王氏は純粋なヒーローの位置を与えられたが、他チームの主柱となった金田氏や張本氏は不良的な荒っぽさを殊更強調して取り上げられた面は否めないだろう。


 ちなみに、張本氏は選手としての輝かしい実績にも関わらず、引退後にプロ野球の監督経験は一度もない。


 また、金田氏は引退後にロッテ・オリオンズの監督を二回務め、一度は日本一に輝いたものの、チーム自体が常にBクラスの弱小球団の印象は拭えない。


 事実、巨人の監督を長嶋氏、ロッテの監督を金田氏が務めていた時期には、ロッテのコマーシャルにそれぞれの所属チームのユニフォームを着た二人が登場し、「野球は巨人」と告げる長嶋氏に対し、「ガムはロッテ」と金田氏が続ける自虐的な演出が取られていたという。


 現役を引退して指揮官になると、弱小チームを任された豪気の四百勝投手は常勝軍団を率いる「ミスター・プロ野球」に勝てないのである。


「よくこんな企画が通ったな」「二人ともよく引き受けたな」と思うような演出だが(金田氏からすれば指導者としての自分ばかりでなく指揮する選手たちまで卑下する演出だから抵抗を覚えたはずだ)、それほどまでに長嶋氏と巨人軍の存在は絶大だったのである。

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