無精

千里温男

第1話

久夫は、妻が一卵性双生児を産んだ時、ふたりの赤ん坊がまさに『瓜二つ』なのに驚いた。

大きな口をあけて泣く、その口のあけ方や大きさまでそっくりだ。

妻が授乳のために両方の乳房をあらわにしているのを見ているうちに、

どうして『瓜二つ』と言うのだろう?

『オッパイ二つ』の方がもっと似ているのになあと思ったりした。

赤ん坊たちを見ていて、ふと、妻には似ているが、自分にはほとんど似ていないことに気がついた。

女の子だから、その方が幸せかなあとも思うけれど、なんだか損をしたような気がしないでもない。

妻の名前が由里子なので、一方を由美、もう一方を里美と名付けた。

一卵性双生児を育てるのに一番たいへんだったのは、由美と里美を間違えないようにすることだった。

子どもたちが3歳になるまでは、必ずそれぞれの名前を書いた色違いの下着を着せていた。

しかし、3年も育てると、もう間違えることはないと自信を持つようになった。

だから、同じ服装と髪型をさせたりもした。

それでも念のため、子どもたちの十本の指の指紋と掌紋をとって保存している。

やがて、子どもたちが小学5年になると、同じ服装と髪型で久雄の前に並んで立って、

「どっちがどっち?」と、久夫を試すらしい変な遊びを覚えた。

久夫は

「はか」と叱り付けながらも、それぞれを指差して、

「おまえが由美、おまえが里美」と、正しく答えてやる。

すると、子どもタチは満足して、部屋を出ていくのである。

久夫はふたりを見送りながら、

『まったく…』と心の中でつぶやいて、溜息を漏らしたものだ。

その娘たちも高校生にもなると、そんな遊びには飽きてしまったらしく、久夫の前に並んで立つことはしなくなってしまった。

しかし、どういうわけか娘たちは妻によく似た姿に育ってしまった。

顔はもちろん、背格好もよく似ている。

そのうちに、3人して久夫の前に立って、

「だれがだれ?」などと迫って来るのではないだろうかと想像してしまう。

妻と娘たちは、久夫をのけものにして、3人だけで何やら話しをするようになった。

久夫が

「なに話してるの?」と割り込もうとすると、

「女だけの話です!」と怖い顔をして三重唱で答える。

久夫は仕方なく離れたソファーに腰かけて3人をぼんやり眺める。

『三人もいるのに、顔が一つしかない』と心の中でぼやく。

たそがれ時に、明かりもつけずに立ち話をしている背の高い妻と娘たちは、体が三つあるのに顔が一つしかない怪物のように思えて、ちょっと不気味である。

日曜日の午後、妻と娘たちはまた何やらお喋りをしている。

久夫は庭のデッキチェアで本を読むことにした。

ほどよい暖かさ、心地良い風…いつの間にかまどろんでいた。

そして、昔の夢を見た。

高校生の頃、よく4歳年上の由里子と郊外へピクニックに行った。 

その時の夢だった。

白い雲、緑の草原、そよ風、美しくて優しい由里子…。

ほんとうに世界はふたりのためにあるような気がしたものだ。

久夫は由里子の膝枕で眠っていた。

どれくらい経ったのか、そっと肩をゆすられた。

ぼんやり目を開けると、由里子が微笑みながら前に立っている。

膝枕だったはずなのに、前にいる。

久夫は不満に思った。

そして、由里子に甘えたい強い衝動にかられた。

由里子の手首をつかんで引き寄せた。

「キャー」という大きな悲鳴があがった。

久夫ははっと我に返った。

目の前に娘の由美がおびえたように立っている。

由美はお茶が入ったことを知らせに来て、久夫の肩をゆすったのである。

久夫は寝惚けて由美を妻と見間違えたことに気がついた。

結婚する前の妻、つまり夢に見ていた由里子と高校3年の由美は、それこそそっくりだ。

そのことを説明しようとしていると、妻と里美が駈けつけて来た。

妻の手には木刀が握られている。

何かというと木刀を持ち出したがるのは、剣道二段の妻の悪い癖だ。

「どうしたの?」と、妻が由美に訊く。

「お父さんが私を抱こうとしたの」と、由美。

「どういうつもりなの、娘を抱くなんて」と、妻が睨む。

「なに考えてるの、父親のくせに」と、里美がなじる。

 久夫は説明するのが面倒になってきた。

「うるさい! おまえが自分そっくりな子どもを産むからいけないんだ」と、妻に怒鳴り返した。

久夫の勢いに3人はひるんだ。

そこで、久夫は日ごろの不満をぶちまけた。

「大体、おまえは無精だ。おまえが無精するから、こういう間違いが起こるんだ、ばか!」

「どうして私が無精なの?」

「双子を産んだんだから、無精に決まっているじゃないか」

「どうして双子を産むと無精なの?」

「双子なら、一度の出産ですむじゃないか。別々の顔に産まなくてもいいじゃないか。

おまけに自分と同じ顔に産んだりして。せめて、自分と違う顔に産んだらいいじゃないか。3人もいるのに、顔がひとつしかないじゃないか。

近所の人たちが、おまえたちのことを三つ子の姉妹と言っているじゃないか。ばか!」

 3人はぽかんとしている。

それを尻目に、久夫は家の中に入った。

台所で水を飲んだが、どうも落ち着かない。

そこで、コークハイを作って一気に飲み乾した。

そうすると、やっと落ち着いてきた。

居間のソファーに座って、ほっと溜息をついていると、そこへ妻と娘たちが入ってきた。

久夫は、さっき見た夢のことや、結婚する前の由里子と娘たちがよく似ていることを話して聞かせた。

そして、少し寝惚けていたので、由美を由里子と間違えたのだと説明した。

ふたりの娘はすっかり納得したようだ。

が妻の目つきはなんだか怪しい。

その怪しい目つきを残して、妻は娘たちと夕食の準備をするためにキッチンへ立って行った。

それにしてもと久夫は思った。

夢の中では高校生だったのに、目覚めたら44歳だ。

いっぺんに年をとってしまったような気がする。

ひどく疲れたような気もする。

まるで浦島太郎だと思った。

こんな時は早く寝てしまうに限ると思った。

久夫は、夜になるのを待ちかねたように、寝室に入った。

すると、後を追うように、妻がすっと入ってきた。

久夫は一瞬ぎょっとした。

しかし、妻は木刀は持っていない。

久夫は ほっとした。

だが、それも束の間、妻が言った。

「私が双子を産んだのは、あなたが無精したせいよ」

「ぼくが無精した?」

「そうよ、あなたが二度のものを一度で済ませて、私に双子を産ませたのよ。その時の埋め合わせをしてちょうだい」

(おわり)

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無精 千里温男 @itsme

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