004 世界の分岐点
「あああ……ぁああ……」
息も絶え絶えに枯れ果てた叫び声が森にこだまする。
「もう…… もう、やめ……て」
アーティはアルンを抱き抱えたまま、その目から涙を溢れさせる。大粒の涙が血に染まっている頬を伝い、僅かな赤味を伴って瞳孔の開ききったアルンの頬に落ちる。何も出来ない自分に、巻き込んでしまった愚かな自分に顔を歪ませる。
「哀願するがいい」
一瞬だけアーティは目を見開き、そして。
「私を…… 殺してく」
「まぁ待て」
突然に響いたその声、ありえないはずのその第三者の声に驚き、反射的にアーティもキワヌエも声の主に視線を向ける。
そこにいたのは11、2歳の子供の女の子。であったが明らかにただの女の子ではないことが一目で分かる。
地面に付きそうなほど長く伸びた銀色の髪に赤い瞳、それに合わせるように優雅に着こなされた赤と銀の刺繍の施された着物、そして袖から伸びる細い手には白い扇子が握られている。
それだけでも場違い感満載の格好の女の子であったが、何よりも目を引くのは女の子の頭にある銀色の、三角形の形をした耳だ。
「慌てるでない」
そう言うと女の子は手に持つ扇子を開き仰ぎだす。
ピョコピョコと時折動く三角形の耳は女の子の髪の色と同じ銀色の、フワフワの毛に覆われたそれは明らかに人間の耳ではない、まるで狐のようだ。
「君は、誰……?」
「私はお前を知っている」
問いの答えではない返答、であるがその言葉の意味にアーティは疑問を浮かべる。
「餓鬼、お前は人間ではないな。かといって我々の様な高等な種族でもない。……獣人だな?」
「だったら何だというのだ?」
「さっさと消えるがいい、下等な種族め。何しに来たかは知らんが」
「黙るがいい。どちらが下等か教えてやろうか?」
女の子の赤い瞳が鋭くなり、そして口は笑みを浮かべる。
「獣の分際で神族である……」
キワヌエの言葉はそこで止まった。いや、止めさせられた。
尋常ではない量の界素が震え、ざわめき始めたからだ。
アーティも思わず身震いし、女の子を見上げる。女の子の様子は先ほどから扇子をパタパタと仰いでいるだけで譜記は愚か詠唱をしている様子もない、これほどの規模の術式構成を無詠唱で行っているということだ。この量の界素を用いるとなると、アーティであっても今の状態では不可能だ。
「何者だ、餓鬼……」
「ただの狐だよ。ところで相談なのだが、ここは引いてくれないかね? お前の神器はその本のようだが、それは相当疲れるものなのだろう? それに私も神族と戦うために来たのではないのでな」
キワヌエの顔が僅かに歪む。
緊張の色を浮かべたままキワヌエは女の子を睨み、女の子は笑みを浮かべたままキワヌエを見つめる。そんな沈黙が続くこと数秒。
「まぁいい。そんな餓鬼、殺すのは容易い」
キワヌエは涙を浮かべ地面に伏すアーティを一瞥し、
「次に会ったら、絶望から救ってあげますよ。死という救いでね」
それだけ言うと森の中に消えていった。
「さて、初めましてアーティ」
「君は、誰?」
アーティは先ほどと同じ質問を口にする。
「残念ながら時間がない、今はただの狐だと思ってくれ」
「どういう、こと?」
「私は世界を変えるためにここ来た」
「え……?」
「今は簡単にしか言えないが…… 今この時が大きな大きな世界の分岐点だ」
「分岐、点……?」
「このままであれば、確実にアルンは死ぬ。それが世界の流れなのだから」
その言葉にアーティは思わず叫び、咳き込む。
「そんな、これは私のせいなの!」
「慌てるでないアーティ。私はその世界の流れを変えるために来たのだ」
「なら…… 助ける方法があると、いうこと?」
「ある。だが知っておいてほしい。ここで重要なのはアーティという存在が何の影響も及ぼさないアルンという存在を助けること、その一点」
「一体何を……?」
「今はそれでいい。アーティ、お前はアルンを助けることが出来るとしたらどうする? それがとても危険な方法だとしても」
「助けます」
アーティは迷いなく即答し、それに女の子は一瞬だけ、ほんの少しだけ眉をしかめる。
「私の命は、とても軽い…… そんなもので助けられる命があるのなら…… 死んでも助けます」
「フフ、よろしい。今、アルンは悪夢に、いや正確には過去に捕らわれている。それは最も見たくない過去、それはアルンの絶望。つまり永遠に繰り返される悪夢、それがキワヌエという神族の神器の力」
「神器…… だから界素が全く反応しないのね、でもだとしたらどうすれば」
「安心しろ、手はある。お前の精神をアルンの悪夢に転移させる。悪夢とはいえ神器で作られた空間が確かに存在するはず。そしてそこでアルンを見つけ悪夢から救いだし、これを使って戻ってこい」
女の子から一枚の符が手渡される。
「だが注意しろ。多少の怪我なら問題ないが致命傷を負えば精神とはいえ死ぬ。それに神器で作られた空間は神族の領域、何が起こるかわからない。さぁ時間もない、早速行ってもらう」
「本当に君は一体」
女の子は歳相応の可愛らしい笑みを浮かべ、
「ただの狐だよ」
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