003 悪夢へ誘う者

 朝霧に霞む森の中。

 朝早いせいか生き物の気配は一切なく、ただ静寂だけが漂い神秘的な雰囲気が包み込む。


 清らかで穢れない爽やかな空気が肺に染みわたり、

 少年は安堵の表情を浮かべた。

 もう一度大きく息を吸おうとして、一つの気配に気付き視線を向ける。


「もう起きたのか、早いな」

「勝手に出歩いて…… 今度は死んじゃいますよ?」


 アーティの朝は早く、今日もいつものようにアマイロ雑貨店の準備のために陽が昇る頃に起きて、しかし起きたはいいが、アルン騎士団長の様子を見に行こうとして部屋のドアを開けたらそこには誰もいなかったのだ。しばらく探してようやく見つけたのが森に入ってすぐの所だった。


「あまり休んでもいられないんだ」

「ローメンスに行くのですか?」


 アーティは心配な顔でアルンことアカディア王国第三騎士団団長を見る。彼が言うにはもう騎士団長ではないらしいが。


「言いましたよね? アルン騎士団長様。自分はもう騎士団長ではないと。行く理由はもうないんじゃありませんか?」

「そうかもな」

「……それに、アルン騎士団長様が王族に剣を向けたことが本当だとすると、そこに行くのは死にに行くようなものですよ?」


 アルンはしばらく顔を俯き、沈黙する。

 そして不意に顔を上げ、


「俺さ、今で言う……白い街フィーグエンデって呼ばれてる街の出身なんだよ」


 アーティは僅かに眉を動かし、


「禁忌の地…… でもそんなはず…… まさか生き残り、ですか?」

「ああ、恐らく唯一の、な。でもその表現はちょっと違うんだ」

「どういうことです?」

「まだ誰も死んじゃいない」


 アーティは意味がわからない、と言った困惑の表情を向け、アルンはそれを見て頷く。


「一夜にして全てが凍りついた街、今もその地を踏んだ全てのものを瞬時に凍らせる呪われし禁忌の地、白い街フィーグエンデ。だが真実なんだよ。誰も死んじゃいない、時が止まっているだけなんだ」

「ご、ごめんなさい。とても信じることは……」

「ああ、分かってる。証拠もないしな。でも、だからこそ、俺だけが助けられることを知っているからこそ、俺は騎士団に入った。騎士団の総団長になれば白い街フィーグエンデに入ることが出来るからな」

「それならなぜ、その地位を捨てて……」

「俺は迷ってたんだと思う、レーデを見るたびに決断できないでいたんだ。こいつはまだ何もしていない、なら今は手を出す必要はない。俺は、総団長になって白い街フィーグエンデに入る資格を得なきゃいけない…… そう自分に言い聞かせ続けた。だけど同時に…… こいつを見逃せばこれから先多くの人が死ぬことになる、と心の底では分かっていた。そのはずなのに俺は手を出さなかった。その迷いがウェンスを…… 近くにいた大事な、手を伸ばせば触れることのできる友を殺したんだ」

「そ、それは! アルン騎士団長様のせいでは……」

「俺が過去にこだわらなければ死ななかった、俺のせいだろ? でさ、レーデと戦う時、思いだしたんだ。俺の幼馴染に、強くなってたくさんの人を助けたいって言ってるやつがいて、で、俺は選んだんだ。過去ではなくこれから先、たくさんの人を救ってみせると。もう過去を…… 振り返らないと」


 それに、白い街フィーグエンデに入れたとしても救う方法なんて思いつかないしな、とアルンは微笑した。


「だから俺はローメンスに行って戦争を止めてみせる。たとえ死んでも、だ」

「アルン騎士団長様……」

「だから俺はもう騎士団長じゃないって言って」


 その時だった。

 森の木は風もないのに揺れ、界素がざわめき、漂い始めた不穏な空気が二人の顔を強張らせた。


「よーやくよーやく見つけましたよ。しかしこれはこれは驚きだ」


 突然現れたその男は上機嫌に笑みを浮かべ、口元を隠す白い長い髭を指で遊んでいる。

 その顔には幾つも深いしわを刻み、白髪と白い髭も相まってとても高齢だとわかる。黒い燕尾服から伸びる細い腕は真っ白で、どこか不気味だった。


「む、村の人か?」

「いいえ、知りません」

「フム、初めまして餓鬼どもよ。私の名はキワヌエ。第四神位を授かる神族の一人だ」

「神族!?」


 アルンは声を荒げ目を見開く。


「そんな馬鹿な! 神族なんて」

「神族が珍しいか? 餓鬼よ。大戦ぐらい知っておろう?」

「だ、だけど、こんな突然」

「ただ単に今まで何もしなかっただけにすぎん。フン、神族の実在すら怪しくなっとるのか今の世は」


 以前に怪しいローブの男との会話で神族について話したことがあったが、神族は存在しないと言った覚えがある。そう神族は存在しない、それが一般的な見解だ。

 だからこそ、アルンは目の前の、自分を神族と名乗る老人に対してどう動くべきか判断できずに呆然と立ち尽くすことしかできないでいた。

 だがアーティは違った。


「そっちの餓鬼はあまり驚いていないようだな」

「覚悟はできてる」

「なるほどなるほど。ならばお前が呪の血族の滄溟そうめい剣姫けんきで間違いないわけだな」


 滄溟そうめい剣姫けんき、その言葉にアルンは驚きを顔に浮かべ何かを叫ぼうとして、しかし、突然にアーティの肩から真っ赤な血が吹き上がった。

 顔を苦痛に歪ませ膝を折り、真っ赤な血が地面を赤く染める。


「なら死ね」


 キワヌエは人差し指を地面にうずくまるアーティに向け、


「なんで避けない!?」


 アルンはそれだけ叫び、手に持つ刀を抜き全力で地を蹴った。

 何が起きたかはわからない。だからこそ自分に知覚不能の力、術によるものだと判断した。

 銀色に光る刃をキワヌエの指先、とアーティの間の空間に無理やり突き出し、次の瞬間、重い衝撃が刃を揺らし思わず刀を持っていかれそうになるが、なんとか堪える。

 衝撃の余韻の残るままアーティの前に滑り込み、キワヌエに相対する。


「邪魔をするな、餓鬼」

「何してんだよ!?」


 キワヌエは、やれやれ、といった様子で大きな溜息を一つもらした。


「お前もさっき聞いただろ? 覚悟はできてる、と」

「意味がわかんねーよ!」

「これだから餓鬼は…… お前からも言ってほしいな、滄溟そうめい剣姫けんき


 アルンは後ろでうずくまるアーティを視界の隅でうかがう。


「アルン騎士団長様、邪魔をしないでください」

「なっ」


 予想だにしない拒否の言葉に思わず言葉に詰まり、そして思考はより一層混乱していく。

 立ちつくすアルンを見向きもせず、アーティは痛みに顔を歪ませながら立ち上がると、アルンを避け前に歩み出る。


「何もしないでください。見るのがつらいなら消えてください」

「お、おい」

「そういうことだ、餓鬼」


 今度はアーティの膝から真っ赤な血が吹き上がった。


「あぐっ」


 短い悲鳴が漏れ、思わず地面に倒れ込む。

 それを見たアルンは一歩踏み出そうとして、


「アルン騎士団長様!」

「なんで、だよ。一体何をしてんだよ!?」

「覚悟は、出来てるんです。この力を一度でも使ったらこうなることは、わかってた。むしろもっと早く……」


「私は死ななければならなかった」


 その言葉の声音はアルンの頭に深く突き刺さり、そこにある大きな大きな決意が彼に口を開くことを許さない。刀の握る拳が小刻みに震え歯を食いしばる、アルンを見てアーティは静かに目を瞑った。

 細い腕が真っ赤に濡れ、次に足、膝、頬、時間が経つごとに少女の体に傷が刻まれていく。

 地面に伏し、目は虚ろ、細い呼吸を繰り返し、流れる真っ赤な血が少女の命を削っていく。


「お前の罰はこんなものではない。苦しんで苦しんで、絶望に歪み、全てを失い死なねばならない」


 それは残酷な処刑宣告、そして同時に抗うことのできない絶対的な言葉となって地に伏すアーティに振りかかる。

 何度目だろうか、キワヌエの人差し指が、もはや動く事の出来ない少女に向けられ、

 そしてアルンは考えることをやめた。


「ふざ、けんなぁぁぁああ!」


 その結果として地を強く踏み、全力で刀を振る。


「アル、ン……騎士団長様……!」

「餓鬼が」


 キワヌエは僅かに体勢をそらし、刀は空気を斬る音だけを放つ。


「軽いな、餓鬼」


 しかしアルンはその勢いを殺すことなくさらに一歩踏み、キワヌエの懐に入ると肩を当て体重を前に強く踏み込む。キワヌエの細身の体なら大きく吹き飛ばせる、そう判断しての体当たりだ。そして得られる結果として、距離を一旦開け少しでも時間を稼ぐ、それは自分の体がまだ十分に戦闘を行う事ができないと分かっているからこその判断だ。

 だがアルンは戦慄する。

 ぶつかった衝撃は、巨大な大木そのものだった。大きく吹き飛ばせるはずの細身の体は微動だにせず、見た目からはありえない強固さを持っていた。


「神族を見た目で判断したな餓鬼。教えてやろうか」


 と、突然にアルンの姿勢が崩れ前のめりになる。


「神族は全種族中、最高の身体能力を誇る種族なんだよ」


 その声は後ろから。

 そう気付くのと背を強打されたのはほぼ同時だった。

 衝撃に顔を歪め地面を転がされ思わず咳き込む。今ので傷が開いたのか、左肩が燃えるように熱を持ち始め、同時に痺れ始める。


「これが全力か? 餓鬼」


 キワヌエはゆっくりと歩み、手の平が地面に伏すアルンに向けられ、刹那、アルンの体は大きく吹き飛ばされ木の根にぶつかり、口から血を吐きだす。


「やめ、て。私以外に手を、出さ、ないで!」

「そうは言っても今殺されそうになったのだがな。いや、フムなるほど」


 アルンを見下ろして、キワヌエは何事か呟くと、突然にその手に一冊の本が出現した。

 その本の表紙は真っ白で何も書かれてなく、それどころか何百ページはある厚さにも関わらず時折見えるどのページにも文字どころか汚れ一つなかった。


「何、を?」

「お前の絶望が何かわかったのでな」


 すると本は淡く輝き始めた。

 アーティは何かの術かと身構えるが、しかし界素は一切反応を示していないことに僅か驚き眉をひそめる。

 それを知ってか知らずか、キワヌエは微笑をもらし、


「すぐにわかるさ」


 その瞬間、アルンは悲鳴をあげた。


「ぁ……ああぁぁぁあああ!」

「アルン騎士団長様!?」


 アルンは頭を抱え痙攣を繰り返し、口を限界まで開き叫ぶ。口の端からは血の混じった涎が筋を残し、目じりからは涙が溢れ落ちる。

 尋常ではないその様子にアーティは足を引きづりアルンのもとに這い寄る。


「アルン騎士団長様!?」


 しかしアーティは何もできず、ただ手を添え、苦しむアルン騎士団長を見つめることしかできない。

 それもそのはず、アーティの目から視ても界素に異常はない、それはつまり術によるものではないことを意味する。それ故に言葉による呼びかけ以外にできることはなかった。


「アルン騎士団長様!?」

「無駄だ、無駄だよ」


 笑みを浮かべ眺めるキワヌエ、その手に持つ本は淡い光を放っている。


「何を、何をしたの!?」

終わりなき絶望の園ディーズ・イモータル

「なによ…… それ」

「その餓鬼は今、最も恐れるもの見ているのだよ」

「恐れる、もの?」

「永遠の苦しみを繰り返し、いずれ衰弱して死ぬ」


 その言葉にアーティは血の気が引くのを感じた。


「絶望したかね?」

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