002 眠れない夜

 星がよく見える。

 ローグは中央アーフェリア大陸の北部に位置し、それより北には村がない辺境に位置している。そのため滅多に旅人の寄りつくことはなく夜ともなれば人通りはなくなり明かりもほとんど見られない。しかしだからこそ、空に煌めく星々の輝きがはっきりと濃紺の空に浮かんでいるのが見えた。

 アーティはこの村に来て何度目だろうか、そんな綺麗な空に感嘆の息を漏らし、すぐ横にあるアルン騎士団長様の顔を横目に見る。

 リン、リン、と草むらから聞こえる小さな虫の声、それを聞きながら二人は小さな道を歩いていた。


「なぁ、この村って宿屋とかないのか?」

「宿屋? ありませんよ。あ、ダメですよ? アルン騎士団長様はまだ一人で歩くことも出来ていませんし、何かあったら大変なので私が近くにいないと」


 ハァ…… と大きな溜息をつくアルン騎士団長を尻目にアーティは自分の店を指差し笑みを浮かべた。


「あ、着きましたよアルン騎士団長様。て、あれ?」


 アーティは自分の営むアマイロ雑貨店こと我が家の窓から漏れる光を見て疑問の声を上げる。散歩に出かける時はまだ陽もあったためランプを点けた覚えはない。点けていないのだから消し忘れた、なんてこともないはずだが、何故か家には明かりが灯りまるで誰かいるような雰囲気を醸し出していた。


「泥棒でも出るのか? この村は」

「まさか出ませんよ。こんな小さな村に」


 アルンとアーティは顔を見合わせ、


「じゃあ、あれだな」

「あ、あれって……? ちょ、ちょっと待ってください、私こういうの苦手なんです」


 アルンは急に俯くと、重く低い声で、


「この村って大昔の戦争の舞台になった“かの地”に最も近い村だったよな」

「そ、そうですけど。ど、どうしたんです? 急に」


 若干の苦笑いを浮かべ固まるアーティを無視して、アルンは尚も低い声で続ける。


「これは前に聞いた話だが…… 大昔の戦争で亡くなった魂は黄泉の国に行くことが出来ず今もこの世を彷徨い」

「キャアアァァア!」


 悲鳴と共に振り上げられた手はアルンの頬を強打、空気の弾けるような音が響き、次いで地面に重たく落下、僅かな砂が舞い上がった。

 あっ、と正気に戻ったのか少しの驚きの声を上げたアーティは宙に静止したままの自分の手をジッと見て、そして僅か視線をずらし、その手の直線状の地面に転がっているアルンを見て、


「アハハ…… ごめん、なさい」


 全く誠意のこもっていない謝りの言葉を口にした。


「あのなぁ! 苦手なのも大概にしろよ!」


 半身だけ起き上ったアルンの目は潤み、紅葉模様に赤くなった痛々しい頬には手が添えられている。


「苦手って言ったじゃないですか。これはアルン騎士団長様が悪いです」

「今のはまだ全然怖がるところじゃねーよ!」

「そ、そうなんですか?」


 アルンの心に、アーティにやってはいけないことが一つ刻みつけられたことだろう。


「まぁ真面目な話、幽霊だったら明かりなんて点けねーよ。村の誰かだろ?」

「そ、そうですよね、そうですよ! 誰でしょうね全く」


 そう言いながらホッとした顔でアーティは自分の店、アマイロ雑貨店のドアを開けた。


「遅い!」

「え? ミーシェル!」


 ドアを開けた瞬間、目の前に仁王立ちで佇んでいたのは、村でパン屋を営むミーシェルだった。

 その頬は膨らみ明らかに怒っている、そんな表情だ。


「なんでここに? どうしたの?」

「どうしたの? じゃないわよ。せっかく差し入れ持ってきたのに誰もいないし、仕方ないから待ってる事にしたの……って! き、騎士団長様!?」


 アーティの背後でニコニコと満面の笑みを浮かべるアルンを見たミーシェルは思わず一歩下がった。


「やぁ久しぶりだね」

「ふ、二人で今までなななな何やって」

「ハイハイ、違うから。妄想はそこでストップねー」


 顔を真っ赤に今にも走り去ってしまいそうなミーシェルの頭を二、三度叩いて正気に戻させる。


「そうだ、せっかくだからミーシェルも家で食べていきなよ。昨日の食事会はダメになったから。ね?」


 ◇ ◆ ◇


「これ美味いな」


 アルンは湯気の上るクリーム色のシチューを一口含んだ途端、感嘆の声を上げた。じっくり煮込まれているのだろう、とろけるような濃厚な旨味は舌の隅々まで味覚を刺激し染みわたる。


「ルブダケっていうキノコはじっくり煮るとすごく美味しい旨味を出すんです。体にもいいんですよ」


 木製の小さなテーブルにはルブダケのクリームシチューとミーシェルが差し入れに持ってきてくれた丸いパンが並んでいる。クリームシチューから立ち上る白い湯気と美味しそうな香りが食欲をそそり、外はカリっと中はフワッなミーシェル手作りのパンがまたシチューとよく合う。

 美味い美味い、と次から次にシチューやパンを口に運ぶアルン騎士団長様をしばらく見ていたミーシェルは笑みを浮かべ、


「騎士団長様って案外普通なんですね」

「ふづう?」


 口にパンを詰め込んでいたアルンは不思議な顔で聞き返す。


「はい。騎士団長様っていうぐらいだから私達とは全然違ってもっと、何というか高貴な人なんだろうなーと思ってました」

「まぁ、こんなもんだよ。でも俺が尊敬する人は違う。あの人だけは国のためになら何でもする、多分自分の命さえ国のためになら捨てる、かな。絶対の規律、厳格さを持って剣を振るう人だ」

「すごい人ですね」

「ああ」

「あ! アルン騎士団長は食べるのそれぐらいにしてください」


 アーティはそう言ってアルンの前にあった皿を片づけ始めた。


「な、何でだ!?」

「今は薬とか治療の術式が効いてますけど、まだ傷は塞がってないんですから食べすぎはダメです。もう横になってください」

「おいおい、まだ全然足りない」


 いいからいいから、とアーティは押すようにベッドに運んでいき、文句を言いながらしぶしぶアルンはベッドに横になった。


 ◇ ◆ ◇


 アルンは目を閉じる。

 浮かぶのは血を流すウェンスと、涙を流すラナの顔だ。

 何度頭を振ってもそれは鮮明になっていくばかりで疲れているはずのアルンに寝ることを許さない。いつの間にか隣から聞こえていた二人の声は聞こえなくなり、夜は更け、静寂が漂う部屋には窓から部屋に差し込む月の光がよりいっそう際立っていた。

 目を開けた。闇の中、天井の木目が微かに見えた。


「何やってんだ、俺は……」


 誰にでもない、自分自身への問いを思わず呟いた。

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