006 届かなくて、すり抜けて、堕ちていく
ダメだ。
あの剣を振り下ろされたら、
俺は死ぬ。
確証は無い、だが分かった。
だから血で真っ赤に濡れた右手を限界まで伸ばした。
再びの激痛、右手が痺れるほど熱く痛い。
氷の剣が床の上数センチ、アルンの手の平に深く食い込み、それでも切断される前に刃を握りこんで何とか止めることが出来た。
「二回で理解するとはなかなか優秀ですね」
レーデが振り下ろそうとしたのは床にある、月の光によって映し出された俺の影。
「影を守りながら戦った経験はありますか?」
「はぁはぁ…… ねぇよ」
氷の刃を握る手に更に力を込め、引っ張る。すると剣を持って行かれまいと力を込め始めたレーデ、のその力を利用して勢いよく立ち上がり、氷の剣を持つ右手を蹴り上げた。
氷の剣は回転しながら上空を舞い、それを視線で追ったレーデに追い打ちをかけようと構えた、が剣の落下点にあったのは俺の影だ。
「くそっ」
大きく横にステップすることで、自分の影を剣の落下点から横にずらす。
「もう十分理解したと思いますがこの術、
「そんなこと術で出来るなんて知らなかったな」
フフ、と微笑を浮かべ、
「強い本人を狙うよりも、無防備な影を狙えばこの通り。私はかすり傷程度ですが、アルン騎士団長は…… その左肩じゃあ左は使い物にならないのでは? それにその右手、相当深いみたいですけど刀は握れるのですか?」
「お前に心配されるまでもない」
近くに落ちていた刀を、表情を変えずに握った。
(長くは持ちそうにないな。いや、それよりも問題はこいつの術だ)
「やっぱお前ただの術師じゃないな。そこまでして戦争を起こそうとしているのは何でだ」
「何のことでしょうね」
「ディラルドの死で戦争回避はもう不可能だろう。ラナは偶然の連鎖と言っていたが、俺にはどうしてもそう思えない」
「どうしてです?」
「まずアカディアの城下町に現れた真黒な血を流す男達。ラルバ市長が城を訪れる記録は存在していたが、本人は行っていないと言った。あいつは研究以外に興味がホントになさそうだったからな、行っていないのは間違いないだろう。なら存在していた記録は何だ?」
レーデは笑みを浮かべたまま無言だ。
「そして、騎士団長である俺に対して下った命令、秘薬の調達、次いでラルバ市長についての調査、ありえないんだよ。前者は何カ月あるいは何年といった任務になる、秘薬なんてそうそう見つかるものじゃないしな。後者は結果的に当たりだったが、あんなもの俺らの思い付きだ。どちらも騎士団長がやるような任務じゃない」
「それで?」
「焦ったと思うぜ、何カ月もかかるだろう秘薬を探す任務がたったの数日で終わってしまったんだからな。だが、まぁすぐに次の任務を課すことが出来てホッとしたんだろ?」
「私が? ですか?」
「ああ、そうだ。記録の改ざん、秘薬の調達及びラルバ市長の調査、これら全ての根回しは王族に近いお前にしかできないことなんだよレーデ! これは憶測だが…… ラルバ市長に黒書を会わせたのもお前だな? レーデ」
「それらが全て真実であるとして…… それが戦争を起こすこととどう関係あると?」
「邪魔な俺を城から遠ざけるため」
しばらくの沈黙が空中回廊を包み込み、
それを破ったのはレーデの笑い声だ。
「フフ、アハハハハハ!」
今まで見たことのない、そのレーデの何かに酔ったように笑い続ける様子に思わず身構える。
「アハハ、ハ、すみません。久しぶりに面白くて可笑しくて」
「面白い?」
「ディラルド司祭は見ましたか? うまく自殺に見えていると思ったのですが、アルン騎士団長は本当にやりづらくてやりづらくて困りますね。でも、結果的に負けたのはアルン騎士団長の方ですよ?」
「どういうことだ?」
「ご友人を殺された騎士団長は、計画通りここに来た。全ては私の手の平の上、アルン騎士団長はここで死に、戦争は起こる、いや、私が起こす」
レーデが両手を上げ、そこに現れたのは二本の氷の槍。
「あなたのご友人は何かを嗅ぎまわっていたのでね。邪魔なゴミでも厄介なアルン騎士団長の排除の役には立ちましたか」
二本の氷の槍は真っ直ぐではない、大きく迂回し、その行きつく先は俺の影。
「アルン騎士団長、あなたは邪魔なんですよ。ここで表舞台から下りていただくことにしましょう」
「お前は絶対にここで殺す」
影は前に伸びている、引くことに意味はない。
前に全力で走った。
迂回する氷の槍よりも早く、アルンの体はレーデの目の前まで辿り着き、振り下ろされる氷の剣を右足を軸に半回転して避ける。さらにそこから回転し遠心力の乗った刀をレーデのやや右下から振り上げる。
だが当てるためではない、避けさせるためだ。
狙い通り姿勢を傾け刀を避けたレーデ、の横をすり抜け背後に立った。
「俺一人だけがお前を斬る、という選択肢を持つことが出来ていた。ここでお前を斬らなきゃウェンスに顔向けできないんだよ!」
大分遅れてやってきた氷の槍を一閃で砕く。
舞い散る氷の破片の中、レーデを中心として周りにあった氷の柱が一斉に消えていき、代わりに氷の剣が生成されていく。
「なぜ戦争を起こそうとするのか、と聞きましたね」
アルンは後ろにある自分の影を確認する。
「戦争を望んでいるからですよ!」
氷の剣が一斉にアルンに殺到する。
レーデもまたその内の一本を握り突きの姿勢だ。
「させるかよ!」
一本の剣すらも後ろに通すことは許されない。
(全て砕け!)
迫る氷の剣を踏み込みと共に両断する。硝子の割れる様な破砕音を後ろに残しさらに強く踏み込んで走った。
いくつかの迂回してきた氷の剣を視界に捉え、大きく横にステップ、追ってきた剣を刀で下から斬り上げた。が、氷の剣は砕けず外れた軌道を修正するように弧を描いて回りこむ。
(硬い)
「あなたは愚かです」
レーデの持つ氷の剣が目の前から突かれ、それを顔を僅か傾け避ける。
「過去も今も未来も、全て捨てて一体何になるというのです」
するとアルンの死角、レーデの背後から三本の氷の剣が突きだされた。
「戦争はもう仕方のないこと、ここで聖十字教会を止めておかねばより多くの人が死ぬことになるのですよ?」
「お前がいたからだろ、お前がいなければこんなことにはならなかった!」
大きく後ろに跳躍、突き出された三本の氷の剣はただの床に激突した。
「決めたんだよ、俺が剣を抜くと!」
「自分以外のために、ですか」
背後から迫る氷の剣を視界の端に捉えると、影を斬られるその直前、レーデの方向に大きく足を踏み出し、床に落ちたまま動かない三本の氷の剣を踏むと、背後へと滑らせた。影を斬るはずだった氷の剣は床を滑ってきた氷の剣にぶつかり床に触れることなく弾かれた。
「その選択によって唯一の道が閉ざされるとしても、ですか」
レーゼの背後から一斉に、何十本もの氷の剣が飛び出し、
僅かな間を持ってそれら全てがアルンに降り注いだ。
一瞬聞こえたアルンの咆哮、そしてそれをかき消す凄まじい破砕音と衝撃音、次いで訪れた地響きと衝撃波はレーデの黒いローブを派手にはためかせ、砕け散る氷の破片は空中回廊の至る所に飛び散り、一気に空中回廊内部の気温を低下させレーデの口から白い息がもれる。
◇ ◆ ◇
数秒という時間をもって露わになった光景にレーデの目が驚きに震えた。
「まさか、ここまでとは……」
氷の破片が散乱する白い床の中央、アルンは白い息の呼吸を荒くつき、それでも刀をやや下段に構えたまま立っていた。ただ体中には幾つもの傷が走り、立っているのがやっとの状態であるのは誰が見ても明らかだ。
「ですがここまでですね。致命傷は避けたようですが」
アルンは走った。
「まだ動けて…… ですがもう避けられないでしょう?」
レーデの右手が開かれ、同時に空中に現れたのは巨大な氷の塊、をまるで投げるように振ると巨大な氷の塊はさらに大きくなりながらアルンに転がり始めた。
と、アルンは走りながらそれを確認すると、迷うことなく刀を鞘に収める。
「なっ」
初めてレーデの顔から笑みが消え、
次の瞬間には巨大な氷の塊が真っ二つに斬られ、光のない真っ黒な瞳がすぐ目の前にあった。
一瞬遅れて視界に映ったのは赤い血が眼下から噴き上がる光景だ。
一歩、二歩、ふらつきながら後退するレーデ、その黒いローブの胸の辺りには赤黒く変色した一筋の線が斜めに染まっている。
「過小評価、しているつもりなんてなかったのですけど、ねぇ」
思わず膝を着き自分が生きていることを確認し、次いで目の前、刀に体を預けなんとか倒れずにいる少年を見る。
「今のは、総団長の技、ですね? ですが完全に物にしているわけではないよう、で」
「ああ、完全だったらお前を殺せてたんだが、な」
アルンは大きく息を吐き出すと顔を上げた。
「お前は言ったな? 俺のこの選択は唯一の道を閉ざす、と。だけど違うんだよ、レーデ。この選択はもう一つの道でもあるんだ。いつの間にかアイツのやりたかったことが俺のやりたかった事になってたんだよ」
一歩、二歩、ゆっくりと、
「お前の負けだ」
しかし力強く踏みしめて膝を着くレーデの元に歩き始める。
「ふふ、言ったはずですよ? 負けたのはアルン騎士団長の方です」
「まだ戦うつもり……」
止まった。
アルンは息が詰まるのを感じ、自分の感じた気配その感覚の方向を見ることが出来ない。いやしたくなかった。
「アルン……?」
その声はよく知る、
今、最も会いたくない一人の少女の声。
第五層の巨大な扉を開けて入ってきたその少女は体を震わせ立ちつくす。
アカディア王国第二騎士団団長ラナ・フォード。
「ア、アルン、なの? そ、その傷、は? それにレーデさん……?」
その声は震えている。
だがそれも無理はない。ラナの目に映るのは、深い切り傷を負い膝を床に着けたまま笑みを浮かべるレーデ、に刀を向ける体中が血だらけのアルンだ。一目見たらアルンがレーデを殺そうとしている場面だろう、実際にそうなのだが。
「い、一体何をしているの……?」
アルンは手に握る刀が震えていることに気付いた。
同時に頬に一筋の汗が伝ったことを感じ、それでもラナの方を見れないでいた。
「ラナ騎士団長、騎士ウェンスを殺したのはこのアルン騎士団長です」
「なっ」
「さらに王族をも手にかけようとこの空中回廊に。私は偶然にも通りかかったため、その阻止に動いておりました。しかしさすがは騎士団長、私では手に負えません。しかしラナ騎士団長がここに来ていただけるとはなんたる偶然」
ラナは絶句し、その両手が大きく震え始めていた。
「レーデ!!」
アルンは叫び刀を振り上げた。
だが、その刀はレーデを斬る前に銀色に輝く一本の剣にぶつかり甲高い金属音を響かせただけだ。
「ラナ……」
「アルン……」
アルンの顔は険しく、ラナの顔は悲しげだ。
「そこをどいてくれ」
「どけない、私は騎士団長だから」
「説明はする。今はどいてくれ」
「レーデさんに剣を向けることは王に剣を向けることと同じ…… 何で」
ラナの目が潤み、一滴の涙が頬を伝って落ちた。
「何でこんなことしてんのよ! ウェンスは死んだわ! 死んだのよ!? 殺したってどういう事よ! 王族に手をかけようとしてるってどういう事よ! 一体何してんのよ!」
「違う、それはこいつが勝手に。それに少し落ちつけ、らしくないぞ」
「落ち着けって!? こんなんでどう落ちつけって言うのよ!」
(ダメだ、今の混乱してるこいつに何を言っても。しかし何でここにラナが……)
ラナの肩越しに見えるレーデは相変わらずの笑みを浮かべ、しかし何かを呟いていることに気付く。
私 が 彼 女 を 呼 び ま し た 。
一瞬頭が真っ白になり、次いで怒りがこみ上げてきた。
「お前はどこまでも! どれだけ騙せば気が済むんだ!」
悪い、と一言謝り、未だ混乱しているラナを蹴りで吹き飛ばす。
(ここで絶対に殺さなければ、殺さなきゃならない!)
刀の刃はレーデの首までもう数センチ、
キィン!
という所で甲高い音が上がり、再び銀色の刃がそれを阻止する。
「思いっきり吹き飛ばしたんだけどな」
「私に距離は関係ないわ、知っているでしょう!?」
アルンは刀を下げ、数歩後ろに引く。
「お願いアルン、剣を捨てて! これには何か事情があるんでしょう? 私が掛け合うから、絶対に極刑は免れるようにするから! その傷だって早く手当てしないと!」
それは無理だよ、ラナ。
「お願いだから! アルン!」
無理なんだよ。
「そうか、俺は初めから負けてたわけか」
(この状況…… レーデを殺すのはおろか、近付くことすらもう無理だな)
アルンは刀を鞘に収め、
その刹那。
瞬間、という時間に振り抜かれた刀は床に銀色の輝きを閃かせた。
「なっ、アルン!?」
床に入った亀裂は、アルンが強く踏み込む事で大きなものへと変わっていき、ついには人一人が通れるほどの大きな穴となる。
「ごめんな」
「なんで」
そう言うと、アルンは空中回廊から飛び降りた。
「謝ってんのよ!」
ラナは手を伸ばし飛び出した。
しかしそれは、何も掴めないまま床に力無く落ちただけだ。
それでも顔を上げ、床に開いた穴に身を乗り出す。冷たい風と肌に触れる冷たい空気が城の外が月の浮かぶ夜であることを示し、夜の闇に包まれた城外では掴みたかったその姿を確認することが出来ない。
「なんてことを、ここは八階でしたよね、ラナ騎士団長」
「あのバカ!」
ラナは顔を伏せ、握りこんだ拳を床に叩きつける。
「これでは助かりませんね。おや、どこに行かれるのです?」
「申し訳ありませんがレーデさんはお一人で医務室に向かってください。私はアルン、アルン騎士団長の捜索に向かいます」
それだけ言うとラナは全速力で第五層に走り込んでいった。
一人になったレーデは、思わず笑みを浮かべ空中回廊から眼下を見下ろす。
「アルン騎士団長、あなたは最大で最後のチャンスを失ったのです」
顔を上げ月を見る。
「もうお会いすることも、きっとないのでしょうね」
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