005 影の支配者

 ―――― 強くなってたくさんの人を助けたい。



 王族の住まう中央塔に唯一繋がる空中回廊は、上下左右が半透明で特殊な金属が使われている。空中回廊とはいえ長さ30メートル、幅が20メートルもの巨大さを誇るが他の物と異なり、人の通りは滅多にない。なぜならこの空中回廊は王族しか通ることの許されない特殊な通路だからだ。


 右を見ると中央塔の巨大な扉、左を見ると第五層の巨大な扉、前を見ると二つの月が強い光を放ち、城の中でも高い位置にあるせいか、いつもよりとても大きく見える。

 一人の少年が王族しか通ることの許されない空中回廊のちょうど中央、月の一番大きく見える位置に座っている。ただ座っているだけだ。しかしこの行為は普段なら審理にかけられる程の重大な違反行為、それでも少年は一人座り、動く気配はない。

 程なく少年から見て左、第五層と繋がる巨大な扉がゆっくりと開き始める。


「おや、これはこれは」


 第五層の巨大な扉を開け入ってきたのは一人の女性。

 腰まである真っ黒な髪、そして妖艶な笑みを浮かべている女性、レーデ・オニキスだ。


「アルン騎士団長なぜここに? ここはいるだけでも違反行為ですよ?」


 アルンはそれに応えない。


「そうそう、さっき下の方を見て来ましたが大騒ぎでしたよ? ディラルド司祭が自殺の上、まさか城の中で騎士が殺害されるなんて……」

「レーデ」

「あ、聞きましたが殺害された騎士はアルン騎士団長のご友人だとか」

「レーデ!」


 アルンはゆっくりと立ち上がり腰に下げた刀の柄を握る。


「アルン騎士団長の心の中はさぞ悲しみに溢れているのでしょうね」

「ああ、そうだな。俺は自分が許せないよ」

「救えなかったことが? ですか? その心中お察しいたし」

「違う!」


 アルンは刀を抜き、その切っ先を真っ直ぐレーデに向ける。


「なんでもっと早くお前を斬らなかったのか、だ!」 


 相変わらず妖艶な笑みを浮かべたまま立つレーデ。

 それを見たアルンの目が鋭くなり、刹那、一歩踏み込み、

 走った。

 水平に走らせた刀はレーデの首を捉える軌道、止めるつもりはない、殺すために振り抜いた。

 だが見えない壁に難なく弾かれ、


「はて、何のことかわからないのですが?」

「お前が!」


 それでも、今度は頭上から正中の軌道を描く。


「ディラルドを殺し、そしてウェンスを殺した!」


 弾かれる、がそれでも刀を振り続けた。


「ディラルド司祭は自殺でしょう? それに私が騎士を殺害したって言う証拠でもあるのですか? そうでなければ私に剣を振るという事がどういう事か分からないわけでもないでしょう?」

「証拠なんて」


 振るたびに早くなる刀に、レーデは堪らず大きく後ろに引き距離を取る。


「ねーよ!」


 一歩強く踏み込み、躊躇なく振りぬかれた刀の切っ先はレーデの頬を捉えた。 


「ふふ、私を傷つける前ならば刑は軽かったかもしれないのに。後悔することになりますよ?」


 レーデは頬から流れる一筋の血を指ですくい取り、


「確かアルン騎士団長はアカディア騎士団の最高位、総団長になるためにここまできたのでしょう? 今までの全てと、自分の夢を捨ててまで、そこまでしてでも私を斬ると? 私も随分嫌われたものです」


 舌で舐め、笑みを浮かべる。


「せっかくここまで…… 総団長でなければ入れないのでしょう? 禁忌の地、白い街フィーグエンデには」

「お前……!?」


 再びアルンは走った。

 だが、同時にレーデも一歩強く踏み込み跳躍、アルンの上空を一回転して飛び越えた。


「レーデ、お前は一体何なんだ?」

「もう一度確認しておきましょう。私は王族に最も近しい者、私を傷つけることは王族に剣を向けたことと同義。証拠も何もないにも関わらず、全てを捨てて私を斬るおつもりですか?」


 アルンは背後に立つレーデに顔だけ向け、


「前にも言ったはずだ」


 少しだけレーデは目を閉じ何かを思い出し、そして微笑を浮かべて目を開けた。


「この国に何かしたら俺が斬る…… フフ」


 アルンは思わず身構えた。

 それは意識してではなく、本能的に、反射的に。

 感じたのだ、目の前にいるのは今まで出会ったことのない、得体のしれない何かだと。


「やはりアルン騎士団長は思った通りの方ですね。あなただけは常に私を敵として見ていた。そう…… 正解ですよ、それ」

「なっ!?」


 レーデは黒いローブをなびかせながら細い腕を広げ呟く。


「月は私の右側、アルン騎士団長の左側ですね」

「それがどうした!」


 アルンは走り、レーデは一本のナイフをローブの中から取り出す。


「そんな物でどうにかなるとでも!?」


 その問いに答えず、取り出したナイフをアルン、ではなくその左方向へと投げた。

(俺を狙っていない?)

 明らかに迫るアルンを狙う様子はなく、投げられたナイフの軌道はアルンから見て右側だ。

(術でもかけたか?)

 途中で曲がることも考慮しナイフの行方を追うが、曲がることもなく甲高い音と共に床にぶつかり止まった、その瞬間だ。


「がっ!」


 突然足に痛みが走り、思わずバランスを崩し床に膝を着いた。

(何だ…… 何が起きた!?)


「この空中回廊の材料って知ってます? ああ、だからここで私を待っていたのですよね。そう界素の一切を遮断する特殊金属オージアイト、外からの術による干渉を無効にし、中央塔を唯一つなぐこの空中回廊を守るためのもの。しかしそれって内部で使われた場合は想定されていないんですよね、まぁ敵の侵入なんてありえないのでしょうけど」


 アルンは痛みの走った右足を確認すると、そこには明らかにナイフで切られたかのような切り傷が刻まれていた。


「界素の一切を遮断、通さないという事は、この空中回廊の内部でいくら術を使っても外には分からない、だからここで戦う事を選んだのでしょう? 私を術師として戦う事を想定して邪魔の入らないように…… ですがその選択はアルン騎士団長が勝つことを前提としている」


(ナイフは間違いなく俺には当たらず、床に落ちた。そして落ちたナイフには血の一滴も着いていない事からこのナイフが俺を斬ったんじゃない。にも関わらずナイフで右足を斬られた……? どういう事だ? 見えないナイフでもあるのか?)


「いいでしょう、王に剣を向けた重罪人として私があなたを処刑しましょう」

(見えなくてもナイフ、身構えでもすればどうとでもなる!)


 レーデは右手をゆっくりと上げ、それを追うように床から氷の柱が生成されていく。ついにはレーデの手を飲み込みながら氷の柱は天井にまで達する。

(くそ、見たことのない術だな。だが発動させなきゃいい!)

 レーデとの距離をあっという間に縮めたアルンは勢いを殺さずに刀を振り抜いた、がそれはレーデの持つ剣によって防がれる。


「氷の、剣!?」

「綺麗でしょう?」


 レーデの右手を飲み込んでいた氷の柱はいつの間にか消え、代わりにレーデの右手に細かな装飾が施された透明な氷の剣が握られている。

(剣の生成術?)


「だが」 


 僅かに重心をずらし、レーデの剣のバランスを崩させ力一杯弾く。

 その隙に刀の柄を両手で握り直し振り下ろす。絶妙な体重移動と重力にそって振り下ろされた刀がさらに一歩踏み込み速度を上げ、その刃は狙い違わず氷の剣を両断し、砕ける派手な音を響かせた。


「さすがは総団長の弟子ですね」


 だがそれでも、氷の破片散る中で見えるレーデの表情は笑っている。


「剣で勝てると思ったか?」

「いいえ」


 レーデの目が左右を見る。

 それを追うように周りを見たアルンは絶句する。

(いつ!?)

 空中回廊のいたる所に氷の柱が生成されていたのだ。その数軽く数えただけでも十以上。


「術を使えないというのは本当の様ですね。ですがこれに気付いていないという事はただ術が使えない、と言うより界素を感じることが出来ない…… いえ、さすがにそれはないですよね?」

(いや、多いと言ってもこれらは剣の生成術にすぎない)

「まぁそんなことはどうでもいいのですけど」


 そう言うとすぐ近くにあった氷の柱に触れ、その瞬間氷の柱は剣になりレーデの右手に握られた。


「そろそろ、始めましょうか」

「始める?」

「今夜は月が綺麗ですね」


 月があるのは俺の背後、ちょうどレーデの視界からは月と俺が重なっているはずだ。


「ようこそ、影の世界へ」


 レーデは氷の剣を振り上げ、だが身構えるアルンを無視するように、


影の支配者シェイド


 その刃を床に振り下ろした。


 激痛。


「がぁっ!」


 あまりの痛みに思わず声を上げ、左肩を抑える。

 急激に上昇する熱を感じ、同時に床に流れる大量の赤い血から徐々に冷えていく冷たさを感じる。そして咄嗟に左肩を抑えた手に深く刻まれた斬り傷の存在を嫌でも知らされた。

 痛みに狭まる視界の隅、再び剣を振り上げるレーデ。


「強いからこそ、こんなに深い傷を負うのは初めてではないですか?」

「……っ 残念だが二度目、だ」

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