月下、堕ちる剣
001 追憶 ー 月の夜 ー
一年前。
二つの月が濃紺の空に浮かび、聞こえるのは虫の微かな声、そんないつもと変わらない夜。
だがこの日は少し違った。
「アルン改めアルン騎士団長おめでとー!」
一人の騎士がオレンジ色の液体、ノーブルと呼ばれる柑橘系の果物を絞った飲み物、がなみなみ入ったグラスを手に高々と突き上げる。
「ああ、ありがとな」
少し照れた様子で手に持つノーブルジュースを勢いよく飲み干す。
「これでようやくアルンも騎士団長ね。全く、遅いっての」
「もっと素直に喜べばいいのに。本当は手放しして喜びたいぐらい嬉しいのでしょ?」
「何よ、うるさいわよウェンス!」
第三騎士団団長の任命式の夜。
この日、アルンをお祝いするために唯一の友人の二人が集まってくれた。
ただ、宿舎では迷惑がかかりそうなので城の大庭園の端っこで、だが。
「ま、何にせよ、これで後少しじゃない? 騎士団総団長になれば誰にも文句言われずあそこに入ることが出来るだろうし」
「騎士団総団長って簡単に言ってくれるな。まぁ後十年二十年でなってみせるさ」
と言って苦笑を浮かべる。
「お、言うね。てことは私を越えるってことね、一年先輩の私を」
「お前一年先輩っての強調するよな」
「これからもこき使ってやるんだから覚悟しなさい」
「おいおい」
そう言うとラナは蓋の開いていない瓶を開け、自分のグラスに注ぎ始める。
「て、そう言えば、ラナ騎士団長の飲んでるのもそうだけど、この飲み物って買ったの? なんかたくさんあるけど」
「そんなわけないだろ」
「え?」
「全部食糧庫から頂いたものだ」
「何してんの!?」
「ホントお前は生真面目だなー、もっと気楽に考えろよ」
「マール侍女長きっとカンカンだよ!?」
「その時になったら考えろ」
はぁー、と大きな溜息をつき、
全く君は、と一つこの困った騎士団長様を諭してあげようとした時だ。
「暑い!」
ビクッと突然の場違いな言葉が響き、その方向、ラナの方を向くと、
なんと着ていた服を脱ぎ始めているではないか。
「な、何してんですか! ラナ騎士団長!」
「おいおいおいおい」
二人は慌ててラナのご乱心を止めようと全力で抑えに入った。
よく見ると顔が赤く目の端が下がりまるで夢を見ているようにボーッと呆けている。
「ま、まさか!」
「おい、どうした? うお、何でこいつこんな力強いんだよ! 早く手伝ってくれ」
先ほどラナが蓋を開けた瓶を見てみると、酒だ。そう、間違いなく酒だ。
「えー…… ラナ騎士団長はお酒をお飲みになられました」
「な、なんだと!?」
「暑いって……」
アルンの腰が僅かに浮き、
「言ってんでしょ!」
見事な背負い投げが決まりアルンの腰は地面に叩きつけられた。
「ア、アルン! だ、大丈夫?」
「大丈夫じゃ、ねーよ……」
そのままラナはどこかへと走り去ってしまった。
腰を抑えながらアルンはラナが走っていった方向を向き、
「まさか酒が混じっていたとはな…… うかつだった」
「そ、そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!? 追いかけなきゃ!」
「バカ、行くな。あいつはもう誰にも止められない」
もはや大きな溜息をつくしかなかった。
◇ ◆ ◇
二人の周りには幾つもの空き瓶が転がっていた。いくつかは蓋が空いていないのもあるが、それらを飲むことはないだろう。
ベンチに座り何かを思いだすように空を見上げていた。
二つの月は変わらず神秘的な光を放ち、細かな星々がキラキラと己を主張するように光輝く。
「ラナ騎士団長もアルン、じゃなくてアルン騎士団長もすごいね。俺とあまり変わらないのにもう騎士団長なんて、さ」
「お前だってなれないわけじゃない」
「何十年後になるか、あるいは一生」
「かもな…… だけどこれだけは覚えてろよ? 俺はお前に感謝してる。もちろんラナにもな。この真っ黒な目を気にせず俺に話しかけてくれた、そうしてこんな会も開いてくれた。お前なら俺は信用して背中を任せられる」
「ハハ、そう言ってくれると少し嬉しいな」
どこかで誰かが噴水に飛び込んだような、水が弾ける音がしたがとりあえず無視することにした。
「そうか、そうだよね」
「突然どうした?」
「俺は先頭に立たなくたっていい、俺はアルンの背中に立つ。誰よりも修練して修練して、一緒に戦えるように」
「それは頼もしいな」
アルンは微笑を浮かべる。
「アルンは修練をよくさぼるからね。俺はこれから一回も休むことなく修練し続けて、そして」
―――― いつかきっと。
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