014 愚者の言葉6 狂気の行方
部屋は静けさを取り戻し、戦いの跡として残るのは床に散乱している石の破片、そして力無く横たわる聖十字教会司祭ディラルドとレゾスタ市長ラルバだけだ。
いや、残っているものは他にもある。
それはラルバ市長の狂気。
「もう、生きてはいないよな……」
アルンは部屋に並んでいる木の箱の中身をもう一度、祈るように確認する。その中には変わらず、二度と目覚めない眠りについている男が入っていた。
「絶対にこの罪は裁いてやるからな、ラルバ」
と、そこで手を叩く拍手の音が部屋に響いた。
「いやー、さすが騎士団長様はお強い!」
この頭の中に直接語りかけてくるような不思議な声は、
「レキ、なんでお前がここにいる?」
着ているボロボロのローブは石の床に垂れ、深く被るフードの隙間から見える口元は相変わらずニヤニヤと笑っている。俺に白い箱の中身、魔剣の存在を教えた怪しい男。身なりもそうだが、本人いわくその魔剣を作った、というその言動が余計この男の怪しさを助長していた。
「前にも言ったじゃないですか。私は面白い事が大好きなんです。騎士団長様が戦うなんて、こんな面白いイベントをスルーするなんてありえませんよ」
「てことはずっと見ていたのか?」
「はい。あ、ちなみに方法は秘密ですよ」
(ますます怪しい…… いや、今はこんなやつに構っている暇はないか)
「その死んでいる方達の方は、どうやら界素の配列を無茶苦茶にいじられているみたいですね。いやはや、こんなこと私でもしませんよ」
「死んでいる方達の方? どういう意味だ? それはまるで生きている人がいるみたいな言い方だな」
レキは両手を大きく広げわざとらしく驚く。
「鋭いですね。まぁ正確に言うと死んでいるとそう変わりませんが…… ラルバ市長はさらった人間を二つに分けたのです。鍛えられた屈強な人間とそうでない人間に。屈強な人間は自分が魔族になるための実験に使った、それがこの部屋にいる人間達ですね。そしてもう一方、そうでない人間は記譜結晶の材料として使われた」
「まだ死んではいないんだな? その人達はどこにいる?」
「そこの通路の先にいますよ。ただ行っても無駄です、その方達は助かりません、この世界のどんな方法を用いたとしても、ね。どっちにしろ向こうには黒書がいるようなのでどうにもなりませんが」
「黒書!? グリモワールの黒書か!?」
「おや、ご存じで。ええ、そのグリモワールの黒書です。実はそっちの戦いも気になっていたんですけど、今は騎士団長様の方に興味がありまして。しかし少し見てみたい気も」
レキは口元に手を当て、残念そうに溜息をつく。
だがレキのサラッと言い放ったその言葉にアルンは目を見開き、その意味を理解するのに数秒を要した。
「戦い、だと?」
「気付きませんでしたか? さっきものすごい界素の量が動いたはずですが…… 一体どちらが、どんな高度な術を用いたのか…… いけませんね今すぐ知りたく、いやいや! いくら私でも黒書はさすがに怖いですし」
勝手に自問自答し始めたレキに構わず、
「そんなことはどうでもいい! 誰が戦っているんだ!?」
「さぁ、そこまでは。フフ、まぁでも今回はこれ以上望むのはやめときましょう。面白いことを思いつきましたし」
と、突然にレキの手が白い箱を握った。
「なっ」
目の前に起こった不可思議な現象に思わず驚き、自分の懐を確かめる。
ここにはあるはずの物はなく、ここにあるはずの物は、目の前、レキの手に突然と握られている。
「何を、した」
「いやはや、驚きましたよ。これを持ったまま戦うなんて、普通どっかに隠すものでしょうに」
レキの出方が分からず、アルンの手は腰に下げる刀の柄を反射的に握ったまま動けないでいた。
「申し訳ありませんが気が変わりまして、これは私が持つことにしました。そもそもこれは私が作ったものですから元々の主に戻るだけ、そうでしょう? 誰も何も困りませんよ」
「ダメだ。俺はお前を信用できない、それにそれをお前が作ったという証拠もない」
「それはそうですね。ですがあなたに何が出来るのです?」
「前に言ったろ、封印すると」
「記譜結晶の技術を使って? それはつまり誰かを殺す、ということですか?」
思わず言葉に詰まる。
「聞けば記譜結晶は人間を材料とする技術のようですね。出来ますか? あなたに」
反論する言葉は一向に口から出てくることはなかった。
「ですから私が責任もって持つ、と言っているんですよ」
「それはダメだ」
レキはクク、と笑い、
「いいですね、その感情のみの言葉。ですが残念なことに、あなたは世界を知らなすぎる」
「どういう意味だ」
「この世界は、悲しみから悲しみが生まれる世界なのですよ」
言葉の意味を理解することが出来ず、口を開くことができない。
「まぁあなた、というか誰に言ったところで分かるはずもないですかね。なら…… あれですか、手っ取り早く戦ってみますか?」
レキの笑みがいっそう強くなり、途端にアルンは一歩踏みだそうとして、
「と、思いましたが、今回は私の勝ち、という事で終わりそうですね」
「何?」
レキは立てた一本の指を通路に向けた。
「逃げちゃいますよ?」
アルンは振り返る。
ディラルドは…… 変わらず倒れたまま。だがいない、一人足りない。
「ラルバ!」
後を追おうとして一瞬迷う。
「今優先すべきは、本当に存在するかどうかさえわからないこの魔剣? それとも実際に多くの人間の命を奪い、ここで逃せばこれからも自らのために多くの命を奪い続けるだろう男? どちらですか、騎士団長様?」
「くそっ」
すぐに追いかけた。
きっと背後ではさぞ怪しげな笑みを浮かべていることだろう。
◇ ◆ ◇
細い通路を走る。
確かこの先では、黒書と誰かが戦っている、らしい。だがこれはレキが言ったこと、もはやあの男の言葉を真に受けることなんてできるはずもないので、さっさと忘れることにした。
「まて、もうお前は逃げられないぞ!」
前を走るラルバは脇腹を抑え足を引きずるように走り、その後には血が一筋の跡を残す。その姿は痛々しく、よく走れるものだと感心するが、やはり走れる体ではないのだろう。ラルバとの距離はあっという間に消えていく。
「おのれおのれ! 私は魔族に、魔族に! この研究は私のものだ!」
やがてラルバは通路の先、一つの部屋に出る。その瞬間に片手を上げると、振るわせながらその五指を広げる。はめている指輪が一斉に光り、ラルバの周りに形成された十本の燃え盛る火の槍が前方に無造作に打ち出された。
轟音と振動、何かが爆発する派手な音が響き渡り、ほんの少し遅れて部屋に入ってきたアルンを驚愕させた。
「何を、しているんだ」
「この研究は誰にも渡すものか! 私のものだ! 渡すくらいなら全て」
再び形成された幾つもの火の槍、記譜結晶を休みなく発動され、もはや幾つの火の槍が発現しているのかわからない程のすさまじい量が部屋中を駆け巡り全ての物を壊し、燃やしていく。
「壊してやる!」
燃え盛る紙の束、爆発する何かの機器、焼ける匂いと燃える音が時間と共に増していき、それでもラルバには一切やめようとする気配はない。
「いい加減に」
飛び出そうとして、しかし地面の揺れる嫌な音がその一歩をやめさせた。
「まさか……」
アルンは思わず天井を見上げる。
パラパラと小さな石の破片が落ちてくる。
「アルン騎士団長、あなたには私を裁くことは出来ないよ。私は私の持つ知識、技術、その全てと共にここで消えることにした」
「やめろ!」
一つ大きな振動が部屋を揺らし、次いで地震の様な凄まじい地響きが襲った。
ついに天井から大きな岩が轟音を発しながら落下すると、大きな衝撃と共にラルバへと続く道が閉ざされる。
しかし治まらない地響きとは対照的に、巨大な岩の向こうから聞こえるのは穏やかな声だ。
「早く逃げた方がいいぞ? 間もなくここは崩れ、何も残らないだろう」
アルンは岩に拳を叩きつける。
「あぁ、なりたかったなぁ。魔族」
それがラルバの最後の言葉だった。
◇ ◆ ◇
「お疲れ様です。アルン騎士団長」
胸にアカディア王国を示す太陽を模した紋章を刻んだ騎士が一つ頭を下げ自分の持ち場に戻っていった。
「ああ」
アルンは頷き眼前、中央が大きく陥没している空き地を見て顔に悔しさを浮かべる。
レゾスタ市長ラルバの起こした今回の事件の被害者は少なくとも三ケタに近い数字に及ぶ。それはあくまで最低の数字で、実際の数字を知るための書類やらなんやらはラルバの狂気と共に全てこの地面の下、である。
今現在レゾスタの市長宅、記譜結晶専門店そして聖十字教会で、多くのアカディア騎士団及び街の自警団が事後調査を行っているはずだが真相がどこまで分かるかは期待できそうにない。
この場で分かる範囲の簡単な説明は行ったが、城に戻ればもっと深く事情聴取は行われるだろう。しかし記譜結晶の生成法についてはあまり話す気にはなれない。
(人の命を材料に、か)
「アルン騎士団長様」
少し考えていた所で一人の騎士に声をかけられた。
「城からの遠話が届いています。これを」
騎士が手渡してきたのは遠話術式を構成する文字や記号が描かれた一枚の紙で、店で一般的に売られている一回使いきりの遠話スクロールと呼ばれるものだ。ちなみにその商品の90パーセントには鶏の紋章が小さく刻まれている。
遠話術式は距離に関係なく他人と会話することのできる非常に便利な術式であるが、かなり高度であるためなかなか用いられることは少なく普及することはなかった。しかし最近では譜を紙に書く譜記術を用い、さらに長年の研究からある有名な研究者が編み出した新たな譜が術式の難易度を大きく下げることに成功し、さらに商業連合ヘルメスによって爆発的に普及することとなったものだ。
「第三騎士団団長アルンです」
『ルウァイトだ。まず今回の件のことだが、よくやったと言っておこう』
紙から聞こえてきたのは王国騎士団総団長ルウァイト・ランベルトの声。
「いえ。結果的に本人は死んでしまいましたので……」
『それについては、さほど重要ではない』
「どういう事です?」
『上からはむしろ聖十字教会の動きを警戒する意見がでている』
「上…… 王族ですか? 先ほど伝えてあるはずですが聖十字教会は今回の件には直接関与してはいません。ただ何か別の企みがあるようですが、今は今回の件の真相を知ることが最優先だと思います」
『お前はすぐにその聖十字教会の司祭を連れ城に戻れ』
「待ってください。今回は三ケタに及ぶ死者が出ています。それにまだ生きている人がいるかもしれないのです。ここで指揮を執らせてくだ」
『これは命令だ、アルン』
そう言われれば黙るしかない。
「わかりました」
アルンのその言葉を合図に刻まれていた遠話術式の譜は静かに消えていった。
目を閉じ、ただ祈る。
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