013 抗いの意思5 青の瞳(後)

 部屋中の界素がざわめく。

 それは界素を感じる事が出来る者ならば揺れているのではないかと錯覚するほどの…… 一体どのような高度な術を使えばここまでなる? いやどんな術であってもここまで界素がざわめくなんてありえない。

 しかしそれを使ったと思われる本人、アーティ自身に特段の変化は見られない。


「い、いや、ありえない。貴様が呪の血族で、しかも夜明の四姫の一人だと!? そうだ、そもそも証が貴様にはないではないか!」


 黒書が大きく動揺している。でもそれも分からなくはない、とヒナは思う。

 アーティが口にした言葉、滄溟そうめい剣姫けんきは調べることさえ禁忌とされる"極の夜"と呼ばれる大昔の大戦に出てくる言葉のひとつだからだ。その上、滄溟そうめい剣姫けんきは"極の夜"を終わらせたとされる暁の血族、さらに夜明けの四姫に数えられるうちの一人、禁忌に関わる言葉であるにも関わらずその名前は誰もが知るほどに有名だった。

 とはいえ、禁忌ゆえに暁の血族、そもそも"極の夜"が実在したなんて証拠は一切残っていないため、記録からではなく、言い伝えとして今に受け継がれた実態無き言葉であることは否定できない。

 しかしだからこそ実態無き言葉であるその名前が、意味の無いはずの、この時この場で出たことの衝撃は大きい。

 ただ、"銀の花"の方は確か"かの地”に咲き誇ったと言われている花を指すだけで、なぜ黒書がそこまで反応したのかは分からないが。


 アーティはヒナの方に歩み始める。


「アーティ、さん?」

「ヒナちゃん、少しだけその剣を貸してもらってもいい?」

「え…… は、はい」


 ヒナは手に握る小太刀をアーティに渡す。


「ありがと」


 するとアーティの持つ小太刀の刃の峰の辺りが光り、その光は尾を引きながら徐々に切っ先へと伸びていく。同時に光の通った跡は青く透き通っていき、光が切っ先に灯り消える頃には、小太刀の刀身全てが白銀の光沢から青く透き通る硝子のような光沢へと変わっていた。


「な……」


 黒書が驚愕の声をもらす。


「アーティさん、これって…… ぶ、物質変換」


 アーティは首を振る。


「物質を変えることなんてできないよ。これは小太刀の表面を<水>の界素で覆っているだけ」

「お、覆っているだけって…… そ、その私はそこまで界視力がいい訳じゃないですけど、こんなにはっきりと青く、それに透き通って」

「んー多分、この小太刀の界素配列の隙間にも少し入っちゃたからかな。あ! だ、大丈夫だよ、絶対に元に戻してから返すから」


 アーティは慌てた様子で苦笑し、黒書に向き直る。


「貴様、一体……」

「お前はここで消える、お前には関係ないだろ?」


 黒書は一瞬沈黙し、笑った。


「クク、そうだな。お前が何者でも消すことには変わらない。しかしわからないな。お前は何のために戦う? 何度も言っているがそれはもう助からんぞ? まさか私を倒して儀式を止めれば元に戻るなんて幻想を抱いているわけではあるまい?」

「ミーシェルは死なないよ」


 その静かな言葉は部屋に響き、

 アーティは地を力強く蹴った。


「絶対に死なせない! 絶対に!」


 アーティは言葉と共に青い剣を黒書に突き出す。

 だがその切っ先は本の手前数センチで止まる。が、すぐにアーティの口が僅かに動き、


「砕けろ」


 言葉とともに何かが割れる音。

 剣の切っ先が黒書に届く、とそこでアーティは突然に剣を持つ右手の感覚を失った。

(え!?)

 その隙に本は距離を空ける。


「さすがだ、私の物理障壁術式をいとも簡単に砕くとは」


 アーティは自分の右手を目で確認して、左右に振る。

(今一瞬、自分の右手が…… これがアルン騎士団長様が言っていた違和感?)


「クク、面白い人間だ」

(一体何を……)

「それは褒めてくれてるのかしら?」

「その顔が絶望に染まったらさぞ美しいだろうね」

「趣味悪いっての」


 青い剣が横に煌めき、回避されるやいなや、その勢いを殺さずに回し蹴りへとつなぐ。

 対する黒書は障壁で蹴りをはじき、その障壁を砕かれる前に、ただ単純な攻撃として自らの魔力をぶつける。


「さっきと同じではないか、人間」

「うるっさい!」


 魔力の衝撃を一歩引いてかわすと、すぐに体重を前に剣を突き出す。

 今度は障壁により軌道がずらされたが、そのままアーティと黒書は交差するように立ち位置が入れ替わり、踏みこみをせずに青い剣閃を跳ね上げる。

 障壁の死角からの斬り上げだ、これは阻まれない。

 が、急にアーティの右足が崩れ落ちた。

(また!?)

 剣の軌道は黒書に届かず、虚しく空を斬った。


「おしかったな、人間」


 今の、一瞬自分の足じゃないように感じた違和感。

 私自身と右足の感覚の差、それを違和感として感じたの?

(いや、でもちょっと違う気がする。似てるけど何かが違う。どちらかと言うと、無意識に私の体を支えているはずの足が、途中でそれをやめたような?)

 私が右足の感覚を失ったというより、そう右足が……

(そういえば、以前に黒書は…… そう、か!)


「確かお前はルシファーのグリモワールだったね」

「それが何か?」


 フー、と一呼吸置いてからアーティは左手を本に向かって突き出し、微かな言葉を紡ぎだす。


「押しつぶせ!」


 その言葉を合図に本の上空からすさまじい量の水が降り注いだ。

 これには黒書も驚いたようで、これまでのものよりも巨大で複雑な陽譜を構成、強固な障壁を頭上に展開させた。


「さすがね、その規模を無詠唱なんて」


 黒書は再び驚く。その声は目の前からだ。


「貴様!」


 青い剣閃が超近距離、絶対に外さない位置から放たれた。

 だが、その剣は届かない。

 アーティの右手は、アーティの意思と関係なく斬るのをやめた、のだ。

 しかし、アーティは笑う。


「まだよ!」


 残った左手で掌底を叩き込んだ。

 その瞬間、頭上の障壁は消え大量の水が巨大な質量をともない落下した。

 すさまじい轟音を残して。


 ◇ ◆ ◇


「あー、濡れた濡れた」


 ここまで濡れると逆に爽快よね、と髪も服もびしょびしょになったが楽しそうに笑う。


「やっと当たったね、私の攻撃」


 未だ宙に浮く黒書に話しかける。


「貴様、まさか……」

「私よりも自分の方が優れている、だから私の意思には従わない……」


 黒書は宙に浮いたまま微動だにしない。


傲慢の囁きウィスゲントワード

「素晴らしい……」

「お前を攻撃する瞬間、斬れ、という私の意思が、傲慢の囁きウィスゲントワードによって優位を与えられた右手に拒否される。つまり私の言うことを聞かなくなる。不思議よね、自分の体なのに自分じゃ動かせなくなるなんて」

「貴様に興味が湧いてきたよ」

「ただ、お前は所詮遊びで作られた本にすぎない。使えるのは一瞬、しかも一部位のみ」

「だが、どうする? それがわかったところで」

「こうする」


 本の周囲に水の円が瞬時に構成される。


「なっ」


 水の円が一点に収縮、そして爆発した。

 間髪入れずに水煙の中から光る剣尖が飛び出す。

 傲慢の囁きウィスゲントワードがアーティの右手に優位を与え……

 だが黒書は瞬時に理解し、言葉にならない驚愕に息を呑む。

 黒書を貫いたのは、


 に握られた青い剣。


「貴様、一体何者だ…… ただの使い手ではないな?」


 その問いを無視して、貫いた剣を真横に薙いだ。


傲慢の囁きウィスゲントワードをどの部位にかけるか、を決めるのはお前の意思だ。視界さえ遮ってしまえばいくらでもやりようはあるよ」


 黒書は何の抵抗もなく地面に落ちていった。


「倒、せた……?」


 一息つこうと、しかし。


「まだです!」


 ヒナの叫びにも似た言葉がアーティの視線を地面に落ちた黒書に向けさせる。

 地面に転がっているはずの黒書を見て驚く。

 黒書は何事もなかったかのように再生し宙に浮き始めたのだ。

 アーティは苦笑をもらし、


「ホント嫌な本」

「そろそろ私も本気でいこうか」


 黒書が急に開き、パラパラとページがめくれていく。

 アーティの視線がガクッと落ちる。

 え? とアーティが足元を見ると、足が地面に吸い込まれていた。


「弾けろ!」


 反射的に陽譜を構成し地面を破砕した。

 大きく黒書との距離を空ける。

 しかしそれを追うように何十もの炎の槍が降り注ぐ。


「グリモワールの黒書を倒せた、いや消失させたものはいない…… お前に出来るか?」


 いくつもの炎の槍をかわし、剣で弾き、それでも全てをかわしきれず所々に火傷を残していく。

 アーティは焦っていた。

 それは倒す方法がない、からではない。

(これ以上戦ったら……)

 と、考えた所で自分の覚悟のなさに苦笑した。

(そうだ。もう決めたのに……)


 ―――― 私の代わりに生きて


(ごめんなさい)


(私は大切な友達のために最後の約束を……破ります)


 黒書はふと違和感を感じる。

 それはどうでもいいようなほんの僅かなものだったが、なぜか胸騒ぎに似た嫌なものを感じさせる。

 そしてその違和感が黒書を再び驚愕させた。


「貴様」


 透き通った青い眼。


 黒書の声をかき消すほどの大質量の水が瞬時に発現し黒書を飲みこんだ。それは展開した強固な障壁を軽々と破壊し凄まじい水流を伴う高度な大規模術式だ。

 黒書が大質量の水の流れから派手な水しぶきをあげながら飛び出す。


「そ、その眼は! いつから!」


 アーティは手の平を宙に向けた、その刹那。

 黒書の周囲に凄まじい数の水の槍が出現し、間を置かずその全てが黒書に突き刺さる。そのまま黒書は未だ激しく流れる水流の中に落ちていった。

 やがて凄まじい量の水流が消え、壁際に転がっている黒書から変わりなく放たれる禍々しい声。


「まさか! まさかそうなのか!? ここでお前は殺さなければならない!」


 再び宙に浮き始めた黒書は陽譜を構成し始め、しかしそれよりも早く水の槍が黒い黒書の表紙の真ん中に突き刺さる。


「憎たら、しい…… これはもはや無詠唱などというレベルのものでは、ない」


 アーティは無言で壁に磔になっている黒書に触れる。


「だが何をしようとしても無駄だ。お前達人間では黒書を消すことなど出来は…… なっ、やめろ!」


 黒書は自らに起きている異変に悲鳴を上げる。


「これは、馬鹿な! 何をした!? ど、どうやって!?」


 硝子の割れたような音が響き、突然に黒書にひびが走った。


「消えるのよ。歴史上初めて黒書は、今ここで消えるのよ」

「ああ…… そうか、そうなのだな!? ……クク、ハハハハハハハ!」


 まるで壊れた人形の様に悲鳴じみた笑い声を上げ、


「まさか、本当に…… だが貴様は分かっているのか? もう逃げることはできないぞ?」


 徐々に黒書を走るひびは大きくなっていく。


「お前は世界に殺さ」


 黒書は言葉を言い終えることなく砕け破片は粉になり、やがて消えていった。


 ◇ ◆ ◇


「そのアーティ、さん」


 アーティの瞳は透き通った青色だ。


「ああ、この眼? うん、この力を使うといつもこうなるんだ。そのうち戻ると思う。とミーシェルを直さないとね」


 アーティはすぐにヒナから目をそらすと、傷だらけの体に構わず横たわるミーシェルの元に急いで駆け寄る。

 それはまるで触れられたくない、触れてほしくない、と暗に言っているようにも見え、


「聞きません、そして言いません。アーティさん、私はあなたが何者なのかわかりません。その瞳の意味も私にはわかりません。ですがそもそも今あったことは私の報告すべき事ではありません。だから大丈夫です」


 背を向けるアーティは、ありがとう、と静かに呟いた。

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