010 抗いの意思4 無口な同行者

 白いコートに白い肩掛けカバンの少女アーティと、商業連合ヘルメスの情報力を借りるために同行することとなった少女ヒナの二人はレゾスタの大通りを歩いていた。


「ヒナちゃんって歳いくつなの? 本部所属って言ってたけどここには来たことある? フロルドさんとは長いの?」


 ヒナは答えず視線も向ける気はないようで、ただただ無言で前を向き歩き続けている。さっきからいくら話しかけてもこの調子だ。


「ヒナちゃんって」

「どうして話しかけてくるのですか?」


 前を歩くヒナが急に立ち止まり振り向かずに疑問の声を向ける。その可愛らしい声を聞いたのはヘルメスの情報部以来、一日ぶりだ。アーティとしてはすぐにでも探しに行きたかったのだが、手続きがあるとかで結局、捜索は次の日になってしまった。


「どうしてって…… 話すのは嫌い?」

「嫌いではありません。ですが私に求められているのは話すことではなく、任務遂行能力のみですから話す時間も惜しいのです。それは早く友人を助けたいアーティさんも同じでしょう?」

「それはそうだけど」


 ですから、とヒナは言おうとして、急に何かに気付いたように走りだしたアーティに目を丸くする。


「アーティさん?」

「ヒナちゃん、こっちこっち」


 アーティが向かったのは一軒の屋台、黄色い看板に蜂の絵が可愛らしく描かれている。

 フワフワのスポンジケーキにコハク色の甘いハチミツがたっぷりとかかった一口サイズのハニーチェというお菓子の屋台だ。レゾスタのような大きな街ではごく一般的に売られておりミーシェルによくお土産として持って帰ったものだ。

 漂う甘い香りが鼻孔をくすぐり口の中が準備完了とばかりに唾液の分泌が促進される。それはヒナちゃんも同じようでいつの間にかその視線は一点を凝視し私の横を歩いているではないか。


「ヒナちゃんも好きなんだね」


 一瞬ビクッと肩が揺れ、足が止まる。


「い、いえ」

「今回の事件で聞きたい事がいろいろあるし、少しぐらいいいですよね?」


 手を合わせてお願いしてみる。

 少し考え、それなら、と小さな声でヒナは頷いた。


 ◇ ◆ ◇


「今回の件でヘルメスで分かっていることは…… 聞いているのですか?」


 アーティは口の中に丸々一個ハニーチェを入れているらしく、ひぃいていまひゅ、とよくわからない返答を返す始末。いくら一口サイズとはいえよく入るものだ、とヒナは呆れ顔だ。


「食べるのも大概にしてください」

「ヒナちゃんだって食べたくせに」


 ウッ、と言葉をつまらせ頬を僅かに赤らめる。

 とにかく、とヒナは前置きし、


「ラルバ市長が何をしているのかはわかりませんが、この街に来た旅人をさらって表には出すことの出来ない事をしているのは間違いありません。恐らくですが記譜結晶の生成法と関係があると思われます」

「アカディア城からの開示要求をことごとく拒んでるんだっけ」

「はい。ですからアーティさんには記譜結晶を実際に見てもらい、界素がどのように構成されているのかわかる範囲で見ていただきたいのです」

「てことは記譜結晶が売っているお店に向かっているのね?」

「はい、それに情報部が最後に連絡を寄こしたのが実はこの街唯一の記譜結晶の店でしたので、アーティさんのご友人がいるとすればそこだと思います。ですが一つだけ約束していただきたいことがあります。アーティさんにはまず記譜結晶を見てもらう事になると思いますが」

「記譜結晶の正体、もしも生成法が分かった場合、それを他には言うな、かな? てかヒナちゃんってその監視も任務に入っているんでしょ?」


 ヒナは少し驚いた顔で、


「分かっているのなら問題なさそうですね」


 斬られたくないからね、という言葉をアーティは静かに飲み込み、


「そうだ、関係ないんだけど聞いてもいい?」

「ヘルメスの情報力は全て貸しています。分かる範囲であればお答えいたします」

「ヒナちゃんて歳いくつなの?」

「え? な、何言ってるんですか、そんなことどうでも」


 アーティのあまりにも真剣な目にヒナは視線を外し俯き、マフラーをいつもより上げて、15、と極小さな声で呟く。


「そっか。ありがと」


 ヒナは顔を僅か傾け疑問の視線を向ける。


「ありがと?」

「やっと自分のこと話してくれたから。私はね17だからお姉さんだね」


 ヒナは目をパチパチさせ何か呟いたように見えたが、口元を隠すマフラーのせいで聞こえなかった。


「私にはね、お姉ちゃんがいたんだ。大事な大事なお姉ちゃんが」

「いた……?」

「うん、死んじゃった」


 アーティのその顔は笑っている。でもそれはとても悲しい、隠しているつもりでも隠すことが出来ない、誰が見てもわかる悲しい笑みだ。


「だからミーシェルは絶対に助ける、絶対に」

「大丈夫、です。その友人はきっと大丈夫です」


 アーティは少し驚く。


「ありがとう、ヒナちゃん」


 ◇ ◆ ◇


 記譜結晶を売っている店はここレゾスタでもたった一軒しか存在しない。しかし記譜結晶は富豪の間でそれなりに流行っているらしいので、このレゾスタの店から独自のルートで世界中にある支店へと記譜結晶が送られ流通していることになる。


 商業連合ヘルメスなしでよく流通するもんだ、と感心してしまう。まぁ誰でも簡単に術を使えるようになるのだから欲しい人は世界中にごまんといるのだろうが。


「うわ、たっか。こんな小さいので13万って」


 アーティはガラスケースの向こう側に飾られている青や赤、黄色など色とりどりの石のその値段を見て驚かずにはいられない。

 背後でヒナが私をじーっと見ているのを感じ、わかっていますよ、と記譜結晶の界素の解析を始める。


「これはお客様、いらっしゃいませ」


 店の奥から出てきたのは、太っている小柄な老人だ。ツヤツヤと光り輝く脂ぎった顔に嫌な笑みを浮かべ、お世辞にも似合っていない全身高級ブランドのスーツを自慢げに決めている。一目でお金持ちだとわかる風貌だ。


「少し見せてもらっても?」

「はい、構いませんよ。ただ、そちらの品は初期の物でして性能は良くありません。こちらの方が最新式でして、あぁ値段も一級品ですが」


 店主は私達二人を交互に見て、


「あなた達でしたらそちらの初期の品でいいかもしれませんな、クフフ」


 ではごゆっくり、と店主は店の奥に戻って行った。


「あれが接客の態度なの?」

「それよりアーティさん、好都合です。今のうちに」


 わかってる、と少し不機嫌な顔でアーティは記譜結晶の一つを凝視し始めた。

 約二分ほど、アーティは視線をそらさず見つめていたが、突然息を深くつく。


「どうですか?」

「うん、この石自体は別にこれといった変な所はないし、刻まれている術の方は何の変哲もない一般的な構成だった。けど」

「けど?」

「術ってさ、使ったらどうなる?」


 アーティの突然の問いかけにヒナは首をかしげる。


「例えば術で水を出したら、その水って発動してしばらく経ったら消えるよね? 術の種類にもよるけどずっと存在することはできない」

「そう、ですね」


 未だヒナはその問いの意味が分からず首をかしげている。


「それについてはさ、今二つの仮説が考えられてるんだ。術を構成する界素配列が元のただの一個一個の界素に戻っちゃうっていうバラバラになる説と、一度構成に使った界素はこの世界から消えちゃうって説。ただどちらにしても術で現れた全ての事象は、絶対にその界素の構成ごと消えるんだけど……」


 アーティは記譜結晶を見て、今度は自分が首をかしげ、


「この記譜結晶に刻まれている構成は普通でごく一般的な物、これじゃあ一回使っただけで刻まれた譜は消えてただの石に戻っちゃう。だからこそ何回でも使えるこの記譜結晶は変、だと言える」

「アーティさんにも見えない、もしくは分からない構成が刻まれている可能性は?」

「ありえる。でも術自体の界素の構成に変なところはない、これは保証します」

「そうですか、ありがとうございました。少しアーティさんは待っていてください」

「え?」


 それだけ言うとヒナは店の奥に一人入って行く。

 五分ほど、アーティは店の記譜結晶を見ていると、

 ヒナが戻ってきた。


「おまたせしました」

「どうしたの?」

「店の奥に地下へと続く階段を見つけましたので、恐らくそこに私達の求める記譜結晶の生成法と、アーティさんのご友人がいると思われます」


 アーティは走りだそうとして、


「ヒナちゃん、店の奥の地下階段って…… 途中で店主には会わなかったの? 話声も物音も全く聞こえなかったけど…… まさか」

「それが私の存在意義です。店主はどこかの強盗に殺されたのでしょう」


 戻って来た時の、彼女の表情に何の変化もなかった。これが彼女、ヒナの日常なのだろうか……

 アーティはその胸が強く締め付けられるのを感じ、そして同時に嫌なものを思いだしそうになり、

 頭を一回振っただけで店の奥へと歩みを進めた。

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