009 愚者の言葉4 狂信者

 レゾスタの市長、ラルバ・フリンツ。

 彼自身も凄腕の術師で、記譜結晶生成の発案者である。市長就任から五年で記譜結晶をこの世に生み出したのだから研究者としても優秀であることが容易に想像できる。そして記譜結晶で得た財力がレゾスタという街をアカディア王国所属の街の中でも五本の指に入る規模に押し上げていた。それゆえに王都からの記譜結晶生成法の開示要求を跳ね除けることができているのである。


(ここが市長、ラルバの屋敷か。思ったよりも普通だな)

 一夜明けアルンはラルバ市長の屋敷の前にいた。


 レンガ造りの二階建ての一軒家で装飾などは一切なく簡素な造りである。“市長”という表札がなければ素通りしていたに違いない。

(聖十字教会の動きも気になるからな…… 少し無理するが急いだ方がいいだろう)


 アルンはドアを二度軽くノックする。

 しばらく経ち、ドアを開けて出てきたのは一人の男。

 その顔は僅かにしわを刻み、歳は50近いと聞くが随分若く見える。


「何か御用ですか?」

「私はアカディア王国第三騎士団団長アルン・フェイドです。ラルバ・フリンツ市長ですね?」


 その名を聞いた途端、ラルバは大きく目を見開き驚いた様子だ。その口は何かを言いかけ、すぐに閉じる。


「なっ…… い、一体何の」

「中を調べさせてもらう」


 アルンはそれだけ言うと入口に立つラルバを押しのけ屋敷の中に足を進める。


「い、いくら騎士団長様でもこれは、きょ、許可はあるのですか!」

「許可は出ている」

「い、いくら城からの許可とはいえ、私はアカディア王国の中の一級の権限を持っております。その権限を行使し」

「ただし今の私は城からの許可ではなく、私自身の、騎士団長の権限の一つ“裁きの剣”を行使させてもらっている。いくら一級の権限を持つラルバ市長、あなたでも止めることは出来ない」


 ラルバ市長の顔から血の気が引いていく。


「“裁きの剣”だと…… 単独でしかも強制的に執行することのできるアカディア王国最上位権限…… そ、そんなものおいそれと使ってただで済むと思っているのか!?」

「覚悟の上だ」


 アカディア王国騎士団団長のもつ権限の一つに“裁きの剣”というものがある。これは騎士団長の独自の考えに従い、必要とするならば他のどんな権限に拘束されず行動することが出来る非常に強力な力をもった、騎士団長一人で単独で使うことのできるアカディア王国最上位権限である。しかしそれは強力な故に乱発することは出来ず、一回使うだけで審理にかけられる厄介なものでもある。


 アルンはそれだけ言うとラルバの屋敷を一部屋一部屋、順に調べていく。その後をラルバは追い、時折何かを言いかけてはすぐに口を閉じる。その目は常に見開かれ、震え、

(何かを隠しているのは間違いなさそうだな)


 ◇ ◆ ◇


「な、何もありませんって。騎士団長様」


 その何十回目のラルバの言葉を無視し、アルンはひたすら屋敷の中を調べて回る。

 俺はラナの様に界素を追ったりすることは出来ないが、勘はいい方だ、と思っている。だから絶対に何かあるはずなんだ。


 アカディアの巨大結界内にも関わらず現れた斬っても倒れない男達、その時にラナが術の発現を感じたらしいので、それは恐らく高度な術によるものだろう。そしてそれが、術をある程度制限するはずの巨大結界内で行使されたという事実は国の平和に穴があることを意味しているのではないか。

(上はまだ本格的な調査に乗り出してはいないが……)


 その時だ、アルンはふと踏み出した足の感触とその床に違和感を覚えた。そこで立ち止まり、後ろを歩くラルバを視界の隅で確認する。

 ラルバの目が一瞬だけ今までで一番大きく見開かれ、

 確信した。


 アルンは膝をつけ片手で床を探り、僅かにへこんでいる部分を見つけ手をかける。それは何の抵抗もなく引き戸のように引かれ、出てきたのは真っ暗な地下に続く階段だ。


「入らせていただきます」


 ラルバはもはや無言で無表情。何を考えているのかわからない。


 地下への階段を降りて約十分、ようやく目の前に暗闇広がる通路が見えてきた。人の行き来は滅多にないのか辺りは明かり一つなく、周囲の壁は石を積み上げたようなゴツゴツとした雑な作りになっている。

(人為的に作った通路だな、こんな地下で一体何を)

 しばらく歩くと行く手の少し先、明かりが灯っている部屋が見えてきた。


 光に慣れていない目を細めながらその部屋に入っていく。相変わらず石を積み上げた作りの壁だが部屋は広く、何かしらの作業をするには申し分ない。


(なんだあれは?)

 大人の身長ほどはある細長い木箱が幾つも壁に立てかけられている。

 静かに木箱の蓋を僅か開け中を確認し、


「どうしました?」


 後ろを付いてきていたラルバのその声は随分落ち着いている。いや、もう隠す必要がないからか。


「ラルバ!」

「記譜結晶を知っているかね? 騎士団長様」

「そんなことはどうでもいい」


 アルンは蓋を閉じ、ラルバを睨む。


「この人は一体なんなんだ、と聞いている!」


 木箱の中にはガタイのいい屈強な男が眠るように入っていた。ただその顔には血の気がなく目は閉じられ、恐らくは生きてはいない。


「記譜結晶はある金属に譜をあらかじめ刻み、その刻んだ譜を好きな時に好きなだけ使えるという便利な物でね。まぁコストと技術的な面で大量生産は難しく、また高度な術については未だ成功はしていないが」

「何が言いたい」

「その金属に譜を刻みつける、という技術に必要なのが」


 落ち着いて聞きたまえよ、と手で制し、


「人間なのだよ」


 アルンは腰の刀に手をかけ、しかしなんとか踏みとどまる。


「さすがは騎士団長様だ、今ので斬られると思ったが」

「ここにある木箱の全てがそうなのか!」


 周りを見渡しただけで、その木箱の数は十にのぼる。


「それは違う。言っただろう? 落ちつけ、と。まだ続きがあるんだ。記譜結晶のもたらしたものはホントに素晴らしかった。富はもちろん、この私を一級の権限を持つ地位まで押し上げてくれたのだから。そのおかげで王国の記譜結晶生成法の開示要求を撥ね退けるのは実に簡単で、その上何の邪魔も入らず私は自由に研究することができた」

「研究? それが王国の結界を無効化する技術、か?」


 王国の結界の無効化、それがアルンの導きだした一つの推測だった。

 だが、

 ラルバは目を細め少し考えるそぶりを見せる。


「何を言っている?」


 アルンはふと背筋に何か冷たいものを感じた。


「一つ聞かせろ。お前はアカディアの城下町に行ったことは?」

「アカディア城? ここ三、四年行ったことなどない。私は研究に忙しいんだ、そんな暇あるわけないだろ」

(な、に!?)

「おっと、話がずれてしまったな。そうそう研究のことだ。お前らの欲しがる記譜結晶は、私の真の目的である研究の副産物に過ぎない」


 アルンは必死に頭を回転させ今までの事を思い出し整理しようとしたが、次の言葉がそれを途切れさせた。


「私の真の目的はね」


 ラルバは大きく手を広げ笑みを漏らす。


「魔族になることさ」

「まぞく、魔族?」

「ああ、そうだ。伝説に語り継がれているあの魔族、さ」

「そんなこと出来るわけ」

「私はグリモワールの黒書に会い、魔族の実在を知り、同時にその素晴らしさを知った。私は人間という愚かなものではなく魔族になるのだ。素晴らしい魔力、力、魔族こそ偉大なる者だ!」

「黒書……!?」

「そして方法は簡単だ」


 ラルバは恍惚の表情を浮かべ、その声はまるで自分にしか見えていない何かに向けて喋っているようにも聞こえる。


「人間の界素の配列を魔族の配列に変えればいい。それだけだ」

「人間の界素の配列を……? そんなの無理だ。人間の変えることのできない界素配列、不変領域があるはずだ!」

「ほぉよく知っているな、さすがは騎士団長様ってところかね。そう、絶対に変えることのできない部分、それが不変領域だ。だが、なぜそれが人間にあると思った?」

「どういう意味だ?」

「誰か試したのか? と聞いている」

「まさか……」


 ラルバは目を大きく開き、その顔を歪ませる。


「最初はどっかの森の適当な魔獣、次に人間。いづれもその血は真黒に染まり、まさに魔族のそれだった! だがどれも失敗だったよ。最初の魔獣はでかくなっただけ、次の人間はただのゾンビだ、高貴な魔族とは似ても似つかない。しかし実験を繰り返すうちに段々と分かってきてね。人間の中でも魔族への界素配列変換に耐えられるのは、そこらへんの弱い人間じゃダメなんだ」

「許されないぞ…… ラルバ!」

「例えばお前の様な…… 騎士団長、お前はいい実験素材になりそうだ」


 同時にアルンは刀を抜き走った。


 だいたい繋がってきた。

 アカディアの城下町に現れた真黒の血を流す男達は間違いなくラルバの実験体だろう。そしてそれを促したのがグリモワールの黒書。黒書がローグ村の森にいたのは恐らく、森の魔獣に行ったという実験の様子見か。

 だがラルバはアカディアの城下町に行ってないと言った。それはどういう事だ?

(まだ裏に誰かいるのか? しかし今は)


「ラルバ、ここでお前を捕える!」

「出来るものならやってみるがいい!」


 ラルバは右手を突き出し、その五指を広げた。

 その五指全てに指輪がはめられている。

(まさか!?)


「記譜結晶は初めてかな? 騎士団長様」


 その言葉と同時にラルバの周囲に氷の槍がニ十本、


「貫け!」


 その言葉を合図に氷の槍、その全てがアルンに殺到した。


「無茶苦茶だな!」


 アルンは右に大きく跳躍した。

 氷の槍が床にぶつかり砕ける凄まじい音を幾つも聞きながら大きく弧を描くように走る。それでも追尾の術式が込められているのか、迫る氷の槍を順に叩き割っていく。


「ハハ、走れ走れ!」


 ラルバの周りには二十の燃え盛る火の槍。

 そして一斉に火の槍がアルンに殺到した。

 前から迫る火の槍を姿勢を下げて避け、遅れてきたものは体を傾けてなんとか回避する。それでも残り十八本の火の槍、後ろからは今だ追ってくる氷の槍だ。

(これが記譜結晶か。単純な術ではあるがこれだけ術を同時発現されると、それは騎士団の術師とそう変わらない)

 後ろから迫る一本の氷の槍、それを体を僅か傾け通過させるその一瞬、刀の腹で氷の槍を下から叩いた。すると氷の槍の尾の部分が跳ねあがり軌道を変え、前から迫る幾つもの火の槍の中に回転しながら飛び込んだ。それは連鎖するように火の槍の爆発を生み、ラルバの顔を驚愕に染めた。


「そんなバカな、どうやって」

「考える暇はないぞ」


 その声はラルバの目の前。

 アルンは刀を振りぬく、が突然の右からの衝撃で大きく飛ばされ、痛みに顔を歪める。


「ラルバ市長、少し待ってくださってもいいでしょうに」


 アルンはこの声に聞き覚えがあった。

 痛みの中、その名を頭の中で叫ぶ。


「ディラルドか…… いいタイミングだ。助かった」


 アルンがこの部屋に降りてきた階段とは反対側の通路からゆっくりと歩いてくる、白いローブの背の高い痩身の男、聖十字教会司祭、ディラルド・レギア。


「これはアルン騎士団長。偶然ですね」

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