008 抗いの意思3 交換条件
石畳の階段を二段、三段と飛ばして降り、人のまばらな細い脇道から全速力で大通りに飛び出た。そこはいつもの、人が多く行き交うレゾスタの街の大通りだ。
アーティは背後を確認し、次いで界素に妙な動きがないことを確認する。
(誰も追ってこない、か)
教会の司祭であるディラルドは言っていた。
アカディア王国とは不可侵条約を結んでいる、だから聖十字教会内で起こったことにアカディア王国が関与する余地はない、と。だが逆に考えればそれは聖十字教会もアカディア王国内では派手に動かない、いや動けない、ということも意味している。
(教会もアカディア王国と騒ぎを起こしたくないだろうし、人通りのある所だったらひとまず安心かな。ただ…… 白い箱という言葉、それと一瞬しか見れなかったけどあのディラルドの構成していた界素は何というか、異質だった)
と、考えながら大通りを歩いていると、
「お! アーティ! なにボーッと歩いてんだ!」
聞き覚えのある男の声が聞こえたため顔を向けると、途端に頭を思いっきり強く掴まれグリグリと加減なくこねくり回される。
相変わらずのこの加減知らずの挨拶、こんなことをする人を私は一人しか知らない。
「どうした?」
男は反応のなさに不思議に思いながらも、その手はアーティの頭を力強く掴んだまま放さない。
アーティは極小さく口を動かす。
「なんだ? 聞こえないぞ」
男は頭を掴んだままに身をかがめ耳をアーティの口元まで持っていく。
するとアーティは大きく息を吸い、
「こんにちは!」
男の耳元で大音量の挨拶を返してやった。
それにはたまらず男は手を放し、石畳の大通りに盛大な尻もちをつく。周りを行き交う人の視線が一斉に向けられたが、男はその視線を気にせず苦笑いを浮かべ、尻もちでずれてしまった頭に乗ってる灰色のベレー帽を元の位置に直す。
「やるなぁ、さすがアーティだ」
「いい加減挨拶は普通にしてほしいんですけど? フロルドさん」
「いやいや、俺にとってはこれが普通だしな。しかしいい所であった。アーティ、お前俺達のとこ来いよ」
「いい所って…… それ毎回会う度に聞きますけどー」
アーティは半ばあきれて、未だ大通りの真ん中に座る男、フロルドを見る。
フロルド・シュニッツ。灰色のベレー帽がお気に入りらしく、いつもかぶっているため、それが彼のトレードマーク的なものになっている。歳は30近いと聞くがその性格は若々しく、いや悪戯好きな困った人だ。毎回挨拶の度に容赦なく頭を掴んでくるのは勘弁してもらいたい。
しかしそんな彼は商人である。つまり私と彼はよく顔を合わせる顔なじみであって、得意先だ。しかもただの得意先ではなく、なんせ彼、フロルド・シュニッツは世界の流通の70パーセントを取り仕切る超巨大商業連合ヘルメスのけっこう偉い人、らしい。聞いた話なので真偽の程は定かではないが。
商業連合ヘルメスはどの国や組織にも属さず世界の流通の70パーセントを一手に引き受ける超巨大組織である。故に大半の商人であれば商業連合ヘルメスに所属、もしくはその管理する商人名簿に登録しているはずだ。もちろん私も、あの旅商人であるウィランドも登録だけはしてある。なんせ商業連合ヘルメスなしでは商品の仕入れはもちろん販売もままならない。
「アーティの商品はけっこう評判なんだ。いいじゃん、ヘルメス来いよ~ 全国展開すれば大儲けだぞ」
この誘いはかなり名誉なことだ。世界の商業連合ヘルメスが私の商品を認め、一緒に売り出そうとしてくれてるのだ。本気になれば一夜でどのくらい稼げるのか想像もできない。
だが、
「とてもうれしいお話ですが…… ごめんなさい」
「いつも厳しいね~ でも俺はあきらめないよ、アーティ」
さすが商売人だなーと、逆に感心してしまう。
「ところでアーティは買いだしかい?」
「それなんですが、実はフロルドさんに会おうと思ってたところなんです」
途端にフロルドの顔が明るくなる。
「入る気になったかい!?」
「違います」
間のない御断りの言葉にフロルドは大きな溜息を、見せつけるようにつく。
「実は商業連合ヘルメスのお力を少しだけ貸していただきたいのです」
「別にアーティだったらいいけど…… 珍しいね、そういうことあまり言わない子だと思ってたけど」
「今は借りれる力はなんでも使いたいのです」
「……面白いね」
フロルドの目が真剣なものに変わった。
「ただし、商業連合の力を借りるってことはタダじゃできないよ?」
「わかっています」
◇ ◆ ◇
商業連合ヘルメスのレゾスタ支部。
三階建てのその建物の正面には鶏を象った紋章の刻まれた旗が掲げられている。その入口からは人が引っ切り無しに行き来しており、閉まらずの扉としても有名だ。
人の行き来の僅かな隙をつき建物の中に入ると、多くの人が書類の束を持ち忙しなく走り回っている。中には前が見えないくらい山となった書類を運ぶ者もおり、そのうち三分の一が転倒し床には常に書類が広まっている有様だ。また、通路の真ん中で倒れている人もおり死人が混じっているんじゃないかと疑いたくなる。
「アーティはここに来たことあったっけ?」
「はい。しかし相変わらずですね、ここは」
目の前でまた一人、山の様に積み上げられた書類を運んでいる人が通路に倒れている人の足に引っ掛っかかり転倒、書類が宙を舞う。
それを見てただただあきれるしかない。
「人を増やしてほしいって言ってるんだけどね~ 経費削減削減ってうるさいんだ、あのヤロー」
「は、はぁ。そ、それであの」
愚痴になりそうだったので話題を逸らすことにした。
「ああ、うちの情報部だろ。案内するよ、こっち」
フロルドは一つの扉の前で止まる。
そこには“情報部”と、“関係者以外立ち入り禁止”の文字が書かれている。
「どうぞ」
アーティはフロルドに促され、そのドアに手をかけ扉を開ける。
世界の70パーセントの流通を担う商業連合ヘルメス、その情報力も半端じゃないはずだ。ここならきっとミーシェルの行方がわかる。
その部屋には窓がなく、簡素なテーブルが一つと、その上に術式用だろうか紫色や黄色の液体が入った瓶がいくつか置かれているだけだ。
そして何より人がいない。
「驚いた? 実は今ちょっと大変なことがあってね、その調査に全員が動いてるんだよ」
「大変なこと?」
フロルドは一つ頷き、席を勧めた。
「アーティの調べて欲しいことってミーシェルって子の行方だったよね?」
「はい」
「まだそれしか聞いてないけど、それってここの市長とも関係あったりする?」
アーティはわずか驚く。
「やっぱりね」
「何かご存じなのですか?」
フロルドは一拍置き、
「この街で消えたのは多分その子だけじゃない。最初はね、ここの記譜結晶の事を調べてたんだよ。明らかにおかしいじゃないか、あんなもの。たかだか一人の市長に出来る訳がない。まぁラルバ市長は優秀な術師だった、と聞くがそれでもあの記譜結晶は規格外、それ故に」
「商業連合ヘルメスとして黙って見てるわけにはいかない、と?」
「その通り。そんなものが商業連合であるヘルメスの知らない所で流通されるのは危険すぎる。そこで腕利きの情報部の数人にラルバ市長の周りを調べさせた。それと同時に以前から噂にはなっていたレゾスタで人が消える、ということも調べてみた」
「どうだったんですか?」
「情報部は誰一人連絡が取れなくなり、レゾスタに入る人数と出る人数に明らかな差があった。差があるとはいっても正確な数は分からない、なんせこの街は大きく人の行き来も多い。だからこそ人が消えても気付かれにくいんだろうけどね」
「それって」
「ああ、ラルバ市長が裏で何かやってるのは間違いはない。だがここはアカディア王国に所属する街、我々としても派手に動けない。ヒナ」
その言葉を合図に扉から音もなく一人の少女が部屋の中に入ってきた。
見た目は小柄で歳は私と同じぐらい、目つきは鋭く、黒のマフラーで口元は隠されているため表情は読みづらい。腰には刀、アルン騎士団長のものより大分短い。初めて見るがもしかするとこれが小太刀というものかもしれない。
「彼女は?」
「名前はヒナ、凄腕だよ。肩書は本部の情報部所属だがその実」
「喋りすぎだ、その似合わないベレー帽引き裂くぞ」
部屋の空気が一瞬、凍った。
響いたのはヒナと呼ばれた小柄な少女相応の可愛い声。だがその内容は、
「ひ、ひどっ」
フロルドのその声は震えており、その目は潤み今にも泣きそうだった。
「だ、だからやなんだヒナは! ずっと言ってるのになんでいつもいつもヒナを寄こすんだあいつは!」
「うるさいぞ、死にたいのか」
ひー! という悲鳴を上げフロルドはその目をじっとこちらに向ける。フロルドの体が小刻みに震えているのは気のせいではないだろう。
「えーと、いつもって事はお知り合い?」
「あいつの嫌がらせなんだ、これは! ヒナと俺は最悪に合わない! この前なんて後ろから驚かせようとしたら……」
「したら?」
「気付いたら一週間後の病院のベットの上だった…… 何が起きたかは聞かないでくれ」
聞きたくありません……
「こいつには冗談という冗談は一切通用しないんだ!」
「あー、でしたらホント合いませんね」
ヒナは私の前で軽く礼をし、
「あなたがアーティ・フェンネルですね? 短い間ですがよろしくお願いします」
「え?」
「アーティ、これが商業連合ヘルメスの力を貸す条件だ。我々は情報とそこの、ヒ、ヒナを貸し、その見返りに高い界視力を持つアーティの目を借りたい」
声が僅かに震えているのは気付かなかったことにしてあげた。
「命が危険になる事になったら私があなたを守ります。ですからその界視力で記譜結晶の正体を見破っていただきたいのです」
「危険も減るし、君にとっては悪くない条件だと思うが? というか早くヒナを連れていってくれ」
後半に本音の様なものが混じっているが、確かに悪くはない条件だ。
腕利きの情報部が帰ってこない程の危険を孕んでいるこの案件にヘルメスの情報力を好きに使え、さらにこの少女は、フロルドが言いかけたが恐らくただの情報部ではない。商業連合ヘルメスが世界の70パーセントの流通を取り仕切るに至った裏の部分、それに関わっている少女なのだろう。もし戦闘になったら私一人では心許なかったところだ。
「分かりました。よろしくお願いします」
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