005 愚者の言葉2 白い箱

 小さな木がいくつも並ぶ細い小道に馬車がひとつ。

 青い空に白い雲、太陽はその光を大地にいるもの全てに平等に与える。つまりはこの上なくいい天気、ということである。


 一人の少年が、他には誰も乗っていない馬車から流れる景色をぼーっと眺めている。ゆっくりゆっくりと時折見える背の高い木を捉えては、溜息をもらす。

 いい天気であるにも関わらず、少年ことアルンは不機嫌だ。


「御者さーん、あとどのくらーい?」


 本日十回目の同じ質問にも関わらず、御者は背後から投げかけられた間延びした質問に笑って答える。


「もうすぐですよ、騎士団長様」

「そっか」


 少年は再び何気なく景色を眺め、急に立ち上がる。


「ちょっと止めてくれ!」

「え? は、はい」


 御者は突然の事に困惑しながらも、声音の深刻さを感じ取り馬車を止める。


「ど、どうしたんですか?」


 アルンは何も答えずにただ目を細め、ある一点を見つめる。

 そして走り始めた。


「ちょっと、騎士団長様!?」

 

 ◇ ◆ ◇


 少し緑が深くなった小さな森。

 そこにいたのは体中が傷だらけで、息も絶え絶えの30後半の男性。

 すぐにアルンが駆け寄ると、それに気付いたのか、傷だらけの男性は閉じていた目を震わせながら開き、乾ききった唇を微かに動かす。


「逃げ……ろ」

「どうした! 何があった!?」


 すると急に周りの木々が風もないのに音を上げる。

(なんだ、この感じ)

 そしてすぐに二人を中心として四方に白色の円が四つ地面に浮かびあがる。 


「術式!?」


 白い円の一点が光り、その光がゆっくりと円を縦に切るように伸びていく。同時にその線を横切るもう一つの線が伸び十字を描いた、その瞬間、白銀の鎧が円の僅か上空に音もなく姿を現した。


「鎧…… いや」


 時折その鎧は、鼓動をしているように様に僅か動き、そして顔はないのにまるで辺りを見回しているように大きく左右に揺れる。本来腕や首を通す穴から見える中身には何もない。

 次いで本来は手があるだろう位置に同じ白い円が光り、巨大な斧が現れ、それは地面に落ちることなく鎧と同様に宙を浮く。

 鎧の動きが不意に止まり、

 

「アァァァァアア!」


 悲鳴じみた叫び声と同時に宙に浮く鎧が巨大な斧を振り上げ迫ってきた。

 一瞬目を見開き、腰に下げる刀を振りぬく。しかしその刀は斧とぶつかった金属音が一瞬だけ大きく響くだけで呆気なく弾かれる。

 なんて力だ、と一瞬だけ顔をしかめ、頭上から放たれる斧を体を捻って無理やり避ける。

 再び巨大な斧がゆっくりと振り上げられ、


「隙だらけなんだよ!」

(鎧と斧は同期している、なら)


 やや斜めの軌道を描きながら走らせる刀は、ちょうど腕があるだろう虚空を斬り裂いた。

 だがそこに手応えなどなく、鎧は何事もなく巨大な斧を振り下ろす。

 舌打ちを一つ、アルンは大きく後ろに引いて、顔のない鎧を睨む。

(やっぱダメか)

 大きな質量を伴い凄まじい速度で次々と振われる斧。それを弾くのではなく、刀で上手く軌道を変えながら避けていると、そこでふとさっきの光景が頭に浮かんだ。

 円は四つ。

 すぐ背後に巨大な気配を感じ、大きく横に飛び込む。

 巨大な斧が今さっきアルンのいた地面に深くめり込んだ。


「やっぱり鎧は四つか」


 いずれの鎧も頭や足、腕はなく鎧だけが宙に浮き、手があるだろう所には巨大な斧があった。


「これも術なのか?」

(術であれば行使してるやつがいるはずだが……)


 少なくとも見える範囲には人の姿は一切ない。

 ラナだったら術に使われてる界素から追う事が出来るんだろうか、という事を考えていると、宙に浮く鎧たちは一斉に後ろ、俺とは反対の方を向き斧を振り上げる。

 そこにいるのは傷だらけの男だけだ。


「こいつら!」


 アルンは一歩、と同時に体を限界まで捻り手に握る刀を振りぬく。

 その刀は一つの鎧の背後を叩き、鈍い音を響かせ僅かにその鎧を傾かせる。


「おっら!」


 さらに力を込め、力任せに鎧を吹っ飛ばす。すると他の三つの鎧もそれに巻き込まれるように大きな音を立てて地面に土煙を上げながら盛大に倒れていった。

(鎧達の狙いはこの男……?)

 地面に力無く横たわる男に目をやると、その口が僅かに動く。


「だめ……なんだ」

「あまりしゃべらない方がいいぞ」


 傷だらけの男の声は掠れ、今にも消えそうだ。


「大丈夫だ。こいつらなら何とかなるよ」


 男は力の入らない手であたりを探り、ある物を掴んだ。


「これは……あってはならない、頼む」


 男の手は震えながら、それを差し出す。

 アルンはそれを受け取ると、男の手は力なく地面に落ちた。


「おい! 大丈夫か!?」


 その問いに対する答えは返ってこない。

 そして悔しげな表情で、拳を握り締めた。


「これは、一体……」


 縦に細長く真っ白なその箱には、読むことのできない言葉で書かれた符が何枚も何重にも貼られている。

 何かの術式か、と思ったところで鎧達が大きな音を立てて浮かび上がり、その思考を途切れさせる。その鎧達は何かを探すように左右に動き始め、ある一点を見つめるように止まった。

 この鎧達に目はない。

 しかしその視線の先は明らかに一番近くに倒れている男などではなく、

(こいつらの狙いはこの箱か!)


「アァァァァアア!」


 巨大な斧を高々と掲げ、鎧達は一斉にアルンに迫った。

 アルンは今は亡き男を一目見るが、一瞬目を伏せ、男から離れるように森の奥へと走っていく。死者をこんな所に置いたままなのは気が引けるが、真っ白な箱を自分が助かることよりも優先して、己の死を覚悟してでも託した意味、何よりも死者の近くで戦う気にはなれなかったからだ。


 いくつもの木が視界の端を流れていく。

 しばらく走ったところでアルンは振り返った。

 しかし、そこには鎧はおろか何もなかった。


「あれ……?」


 確かに途中までは鎧独特の金属の騒がしい音が聞こえていたはずだが……とアルンは首を捻っていぶかしむ。


「速く走りすぎた、か?」


 まぁいいか、とアルンは馬車の方に戻ろうと一歩踏み出し、その動きを止めた。すると急に辺りを見渡し始め、その顔から次第に血の気が引いていく。


「どこだここ!」

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