004 抗いの意思1

 少女は目を覚ました。


 温かい陽の光が、閉じきっていない白いカーテンの隙間から彼女の目に入り思わずその目を細める。時折揺れるカーテンがその陽の光をなびかせ、気持ちのいい爽やかな風が頬を触れる。


 ここはどこだろう。


 半身だけ起き上り辺りを見回す。木のぬくもりの感じられる優しい色合いの壁、天井からはランプが下がり、夜になればきっと仄かな光で辺りを照らしてくれるのだろうか。


 ここは私の店じゃない。


 記憶を探す。

 寒かった、そう雨に濡れたのだ。


 その後は……


「ミーシェル!」

(そうだ私、気を失っちゃったんだ)

「目を覚ましたのねアーティちゃん」


 嬉しそうに声を弾ませながら一人の女性が木製のドアを開け入ってくる。


「エレナさん」


 そこで気付く。辺りをよくよく見渡せばここはエレナさんとラッツさんの家だ。前に数度ミーシェルとお茶に誘われた事があった。

 エレナさんとラッツさんはこの村一番の仲のいい夫婦で、エレナさんはとても大人っぽくきれいな女の人で、ラッツさんはメガネがよく似合う知的な男の人だ。その仲の良さはとてもうらやましく、見てるこっちが恥ずかしくなることさえあるぐらいだ。


「私、何がなんだか」

「うん、今教えるから」


 エレナさんはベットのすぐ脇のイスに座ると、私の額に手を当てる。


「熱はもう大丈夫みたいね、よかった」

「熱、ですか?」

「うん、すごかったのよ、39度もあったんだから。ホラ、一人暮らしでしょ? だから私達の家に連れて来ちゃったんだけど」

「そうだったんですか…… ありがとうございました」

「でも良くなってホントよかった。アーティちゃんったら店の前で倒れてて、村中の人が心配したんだから」


 エレナさんは笑顔でそう言うと、近くにあった小さなテーブルからリンゴを取り私に手渡す。ウサギの形に切られたリンゴはとても可愛く食べるのがもったいないくらいだ。


「心配かけちゃったみたいですね。その一つ聞いてもいいですか?」

「何?」

「ミーシェルはいますか?」


 その言葉を聞いた途端エレナさんの顔が曇る。


「それが……」


 エレナさんは言いずらそうに、一呼吸置き、


「帰ってこないの。街に行ったってことは分かってたから、すぐに街の方に様子を見に行って一日中探したんだけど見つからなくて。で、でもまた明日、ギド村長とロイウッドさん、ラッツ君が探しにいく予定よ」

「え…… あの私はどのくらい寝てたんですか?」

「三日よ」


 思わず顔が強張る。


「それ、どういう」


 私はその言葉の続きが見つからない。


「大丈夫よ。皆で探せばきっとすぐに」

「ダメ!」

「ど、どうしたの? アーティちゃん」


 アーティは背筋に何か…… 嫌な冷たいものを感じ、その顔を険しくする。


 ミーシェルはレゾスタで消えた。

 レゾスタといえば、旅商人のウィランドさんが言っていたあの言葉が何度も何度も脳裏をかすめる。


 市長が人をさらって……


「私、レゾスタに行ってきます」

「一体どうしたの急に、確かに心配ではあるけど」

「ミーシェルは私と行く予定だったんです。でも私は時間に間に合わなくって…… だからミーシェルのこと、きっと先に行っちゃったんです。私が一緒に行っていればこんな事にはきっとならなかった。私が……」


 エレナはそっと手をアーティの頬に添えようとして、


「それに!」


 アーティの言葉がそれを拒む。


「嫌な予感がするんです。急がないと取り返しのつかない事になりそうで……」

「そう…… わかった」


 エレナはそっと手をアーティの頬に添え、


「ギド村長の家で話しあってるはずだから行ってらっしゃい」


 アーティは無言で頷く。


「でも一つだけ約束。絶対に帰ってくるのよ、アーティちゃん。あなたはもうこの村の大事な家族の一人なんだから」

「あ、りがとう」


 私は頬が少し赤くなった気がして、それを隠すように急いで部屋を後にした。


 ◇ ◆ ◇


 村の長であるギド村長の家は、一番奥の少し離れた所にある。その家のドア付近にはギド村長が枝の一本一本その枝先まで気を配り手塩にかけて育てている盆栽が並び、訪れる客を迎えている。


 アーティはドアを二度ノックすると、中からギド村長の声が聞こえ家の中へ案内された。

 家の中は良く言えば無駄な物がなく、悪く言えば質素、だ。村長なのだからもう少し贅沢してもいいと思うが。


「どうやら熱はもう引いたみたいだな。アーティ」


 ギド村長はそう言うと温かいお茶を差し出す。


「はい、ご心配おかけしました。それで今日は」

「ああ、分かっておる。ミーシェルのことだね」


 アーティは真剣な顔で頷く。


「まずミーシェルは間違いなくレゾスタに行っておる。これは街で直接聞いた情報なので間違いはない。彼女はレゾスタの大通りにある喫茶店で目撃され、恐らくアーティ、お前を待っていたのだろう」

「ミーシェル……」

「だが、そこから先の目撃情報はゼロ。彼女がレゾスタについて一時間ほど、それ以降、彼女がどこに行ったかはわからない」

「全くないんですか?」

「うむ」


 アーティは知らず知らず手にもつ湯呑みが揺れていることに気付き、それを見たギド村長は優しくほほ笑んだ。


「大丈夫、また明日ロイウッドとラッツと私で街に探しに行く予定だ。今でもロイウッドが街の自警団と話しあっている。私達に出来ることはもうそれぐらいで、後は無事を祈るぐらい」

「私、今からレゾスタに向かいます。嫌な予感がするんです」

「嫌な予感?」

「はい。この前、うちのお店に来てくれた旅商人の方が言っていたんです。レゾスタの市長には気を付けた方がいいって」


 ギド村長は一瞬何かを考える仕草をし、


「ラルバ市長か…… 2、3回会った事があるが…… いや、まさか」

「何か知っているんですか?」

「レゾスタの事は知っているかね?」

「え? ええ、人並みには。確か記譜結晶で有名になりましたよね」

「うむ、昔は私達の村と同じぐらいの規模だったが、今ではこの大陸でも有数の発展を遂げておる。そのスピードが異常すぎる、と我々の間ではいぶかしむ者もいる。だが、だからこそ自警団と協力した方が」

「今すぐ行かせてください。ミーシェルは私の……大事な友達だから」


 私は一瞬自分の言ったその言葉に、自分で驚いた。

(私は…… いつの間に私はミーシェルのことを……)


「……わかった。アーティは北の森にも一人で行くぐらいだから大丈夫だと思うが、ただ」

「無理はしませんから」


 アーティはほほ笑み、ギド村長の家を後にした。


 ◇ ◆ ◇


 白いコートに白い肩掛けカバン。

 小さな木がいくつも並ぶ細い小道を一人の少女が歩いている。その少女が肩から下げるカバンはいつもより膨らんでいる。

 隣街なのでそこまで時間はかからないし、この道は人の手が行き届き魔物の類は一切出ない、そのためとても安全である。なんせ馬車の通り道でもあるのだ。普段ならゆっくりと周りの景色を楽しみながら散歩気分で、といきたいがアーティの足は自然と早歩きになっていた。


 ふとアーティは前ではない、少し緑が深くなっている小さな森の方に顔を向けた。

(わずかだけど…… 界素が変)

 少し迷った末、小さな森の方へ走り始めた。


 生い茂る木の枝をいくつか避け、森の中の小さな道に出た。すると森には場違いな金属同士のぶつかる騒がしい音が耳に入り、それは徐々に大きくなっていく。

 音のする方向に顔を向けると、


「よ、鎧!?」


 騒々しい音を立てながら四つの鎧が真っ直ぐに向かってくる。その鎧達は顔がない、だけでなく手も足もなく、手があるだろう部分を起点として巨大な斧を高々と振り回していた。


「なんで!?」


 あまりの場違いな光景にアーティは一瞬困惑するが、すぐに腰を下げ身構える。


「アァアアアア!」


 言葉になっていない咆哮をあげ、先頭を走る鎧はためらいなく手に持つ斧をアーティに振り下ろした。


 頭上に迫る振り下された斧を大きく避け、大きな風圧が耳を掠める。次いでその鎧の後方から飛び出てきた二つ目の鎧の斧が弧を描く軌道で払われ、それを後方にステップしてかわすと、すぐに二歩、三歩、と距離を開けた。


「何が何やら……」


 後方を走る鎧達は急に止まれず盛大な音を立てて先頭を走る、ついさっき私に斧を振り下ろした鎧にぶつかり、バラバラになりながら地面に崩れ落ちる。しかし数秒で何もなかったかのようにバラバラだった鎧達は元に戻り、アーティを囲むように移動すると巨大な斧の切っ先を一斉に向けた。


 よく分からないけど、と誰にも聞こえない声で呟き、


「私には時間がないんだよ」


 一歩踏み出す。

 一番前にいる鎧はまるで驚いたかのように一瞬だけ動きが止まるがすぐに斧を振り下ろす、がアーティは細い腕を伸ばし、その指先を斧に向け、それを難なく弾いた。


 それは指先と斧がぶつかる瞬間だけ発動させた物理障壁術式によるもので、発動は一瞬だけだがそれ故に複雑な構成を必要としないため無詠唱、すなわち即時発動が可能だ。


 巨大な斧は大きく上空に投げ出され、それを確認することもなくアーティはさらに一歩踏み出し無防備となった鎧の腹の部分に触れる、

(術により操られてるだけなら、その術の構成を壊す)

 その一瞬で宙に浮いていた鎧は糸が切れたかのようにバラバラになり地面に崩れさると今度は元に戻ることはない。

(そうすれば、それはもうただの鎧だよね)


 すぐに背後から金属の騒がしい音が近づいてくる。

 それに振り向くことなく片手を上空に向け手の平を開く。すると間もなく回転しながら落ちてくる斧、その柄の部分を正確に掴むとその重さに顔をしかめるが、しかしその重さに逆らわず、ただ落下の方向を変えるように無理やり鎧の音のする方に刃の部分を振り下ろした。

 アーティは思わず体のバランスを崩し地面に倒れるが、斧を振り下ろされた鎧は肩の部分から腰の辺りまで深く斧が食い込み、地面に倒れたまま立ち上がれないでいる。

 その裂け目から見える内部はやはり何もない、空洞だ。


「ホント、気味が悪い」


 アーティの指先が、倒れ、未だもがく鎧に触れる。するとそれは動かなくなり鎧はバラバラに地面に転がった。

(あと二つ)

 容赦なく振り下ろされる斧を地面を転がるように避け、急いで立ち上がる。すると待ち構えていたかのようにもう一つの鎧の斧が横に払われた。それはアーティの頬に僅か傷を作るだけでなんとか回避する。

(結構高度な思考が組み込まれてるのかな)

 今までの鎧達の行動からそんな事を思い、

 大きく隙ができた鎧の懐に入り指先で触れる。今度はその鎧の崩れ落ちる所は見ずに振り返り、地面を這う軌道で振われた斧を跳躍してかわすと、そのまま飛びこむように残った鎧に触れる。

 二つの鎧はほぼ同時に動かなくなり地面に崩れ落ちた。


 アーティは溜息を一つもらし、愚痴の一つでも言おうと口を開きかけたところで視界の隅、遠くに人影を見た。

(あれって…… 人が倒れてる?)


 急いで倒れている人のもとに向かい、確認する。がしかしアーティは思わず目を伏せる。

 そこにいたのは傷だらけの30後半の男性。もう生きてはいない。


「さっきの鎧達にやられたの……?」


 その問いに対する答えは返ってこない。

 そこでアーティは男の首に下げられた銀色のペンダントに気付き、その形でこの男が何者かに思い当った。

 銀色の十字の紋章、


「聖十字教会」

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