003 愚者の言葉1

 一人の少年が大きな扉の前で歩みを止める。

 細かい装飾が施されたその扉は中央に太陽の紋章が大きく描かれている。

 黒いコートに黒い髪、そんな出で立ちの少年アルンは光の灯ってない真っ黒なその瞳で自分の背の何倍もある扉の天辺を見上げ、これまで何度目だろうかという感嘆の息をもらす。


 アカディア城の正面入口の大扉だ。


「アカディア王国第三騎士団団長アルン・フェイド。只今戻りました。扉を開けてください」


 その言葉を合図に城の扉が重たい音を響かせてゆっくりと開く。

 城の中に足を踏み込む、途端にその足音は無機質なものに変わる。埃のない真っ白な床、両脇にはどれも見ただけで高価な物だとわかる調度品の数々。

 さて、誰に秘薬の事を報告すべきか…… と迷っていると、長く伸びる廊下から一人の男が歩いてきた。


「ルウァイト師匠」

「よく無事に帰ってきたな、アルン」


 落ち着いた低い声で話しかけてきたのはアカディア王国騎士団総団長ルウァイト・ランベルトだ。

 ゆったりとした服を揺らしながら歩き、その腰にある帯に刀を一振り挿している。縦に傷の入った右目は閉じられ、隻眼ではあるが彼とまともに戦える者はそうはいない。

 この人は俺の師匠でもあり、この人がいなかったら俺は騎士団長まで昇り詰めることは出来なかっただろう。

 

「なんだその格好は?」


 ルウァイトはアルンのボロボロになった服を一目見るなり、目を細めた。


「道中、馬と方位磁石を失うというハプニングがありまして城に帰るのに随分苦労しましたよ」


 分かれ道に嫌気が差し自ら方位磁石を握りつぶし、さらには分かれ道のど真ん中を全力疾走して馬から振り落とされ馬を失った。いずれも自らの行いの結果である、という事は固く口を閉じた。

 あくまでハプニング、である。


「それは大変だったな。それで秘薬の方はどうだった?」

「これです」


 アルンは小さな小瓶を渡す。


「これが…… しかし秘薬の調達はもっと時間がかかると思っていたが」

「運よく素晴らしい腕の持ち主に会う事ができました」

「なるほど、ご苦労だった」

「はい」


 ルウァイトは踵を返し、今来た道を戻っていった。


(これでひとまず落ち着いたな~ いつもの場所で睡眠でも)

 という思考は、


「アルン! 帰ってきたのね!」


 聞こえてきた声で見事に吹き飛んだ。

 アカディア王国第二騎士団団長ラナ・フォード。彼女が大きく手を振りながら走ってきた。

 その姿を見て一気に心が沈み、わざとらしく頭をガクッと項垂れてみせる。


「何よ、もっと喜びなさいよ」

「で、なんだよ」


 ラナは手の平をこっちに向けてきた。


「ん?」

「ホラ、早く」


 目の前に差しだされる手の平を数秒見つめ、次いでラナを見る。その目がキラキラと輝いている。


「ん?」

「……」


 次第にラナの目が不機嫌になっていく。


「ん? ほい」


 握手した。


 数秒の静寂が流れ……

 お土産、とものすごい小さな呟きが聞こえたような気がして直後、ラナの握る力が一気にMAXに駆け昇る。


「痛って! 待った待った。なになになに!?」

「うるさい! 死ねぇぇぇ」


 そのまま見事な背負い投げが決まり、豪快な音が辺りに響き渡った。


「そうそう、この前の斬っても倒れない男達の件だけど」

「なんなんだよいきなり…… 意味わかんねーよ」

「あの後、建物を捜索したけど何もなかったわ」

「何も、か。痛てて」


 ラナは、ただ、と付け加え、


「あの日も含め、ある人物が頻繁にこの国を訪れていた記録が残っているの」

「誰だ?」

「レゾスタの市長、ラルバ・フリンツ」

「あの市長か…… いい噂は聞かないな」

「証拠は全くないから手は出せないけど怪しいと思うんだよね」

(そういえば、斬っても倒れない男達の血は真黒だったな……)

「どうしたの? 珍しく考えちゃって」

「グリモワールの黒書と遭遇したんだ」


 ラナは目を丸め声を荒げた。


「グリモワールってあの!? ちょ、ちょっと待って。だとすると男達の真黒な血って」

「ああ、グリモワールは魔族によって創られた物、そして真黒な血は魔族の証しだ。偶然、かもしれないがそれで片付けるには危険すぎる」

「国に頻繁に出入りするレゾスタ市長、城下町に現れた真黒な血の男達、そしてグリモワールの黒書、これらが全部繋がって…… てダメね。無理やりすぎるし、何か違和感? がある気もする」

「お前の勘はどうだ?」

「私の勘? 繋がってるとは思う」


 アルンは笑みを見せる。


「俺もだ」

「て、何考えてるの!? まさか行こうとしてるんじゃないでしょうね。アンタは一国の騎士団長よ? そうそう動けるわけないでしょ」

「ちゃんと許可は取るさ」

「許可が下りる訳がない」

「なら、うまく考えてくれ」


 ラナの目がキョトンとする。


「な、ななな何言ってんの!?」

「頼んだ」


 ◇ ◆ ◇


 手を伸ばす。

 その遥か先には幾つもの山々が雄大にそびえている。

 さらにその先にあるものを掴もうとして、俺は何も掴めない。


「まだ足りない」


 アカディア城を囲む五層の建物の一番外側、その屋上。

 風が吹きアルンの黒い髪がなびく。


「でも、必ず助ける」


 と、幾つもの足音と話声が近づいてくる。


「しっかし一年前に騎士団長になったアイツ、まだ子供だろ? 大丈夫なのかこの国?」

「でも剣の腕はすごいって聞くぞ」

「それだったら術も使えるラナ騎士団長の方が強いんじゃないか?」

「いや、そんなことより、俺はあの目が不気味だ」

「あー、そうだな」

「俺もダメだな。なんか怖いんだ、あの目」

「おい! 前!」


 三人の騎士たちはアルンに気付くと途端に気まずそうな顔になった。


「こ、これはアルン騎士団長…… その」

「えーっと……」

「あの……」


 彼らは何かを言おうと口を動かすが続きが出てこない。


「なんて言った? 悪い、風が強くて聞き取れないんだ。今行く」


 と、アルンは騎士たちの方へ歩き始める。


「あ、いえ。大丈夫です!」


 騎士たちはその言葉を聞いて安心した顔になり、すぐに振り向いて階下への階段を一目散に下りて行った。それをアルンは何食わぬ顔で見送って、程なく別の足音が階段を上ってくることに気付く。

 彼らと入れ替わるように屋上に来た一人の騎士にわずか笑みをもらす。


「アルン、じゃなくてアルン騎士団長」

「ウェンス!」


 ウェンスは第四騎士団所属の騎士でアルンとは同期であり、普通に話すことのできる数少ない友人の一人だ。


「聞こえてたんだろ?」

「今の聞いてたのか? 慣れてるさ、このくらい。それよりも……」


 遥か先に雄大にそびえる山々の、その先を見据える。


「まだ、諦めていないのか」


 それを無言で肯定する。


「俺はお前に聞いただけにすぎない。だけど聞く限り、あれはお前には、いや人の力では」

「アルン!」


 ラナの声がウェンスの言葉を遮った。

 階段を走って上ってきたのだろうか、ラナの息が上がっている。


「ちょっと、ラナ騎士団長。今いいこと言うとこだ、った…… ラナ騎士団長?」


 ラナの顔はとても真剣で鬼気迫るものがあった。


「どうしたラナ? やっぱ許可下りなかったか?」

「下りた」

「は?」

「下りたって言ったの!」


 ラナに襟首を掴まれ、至近でその鋭い目に睨まれる。


「絶対におかしい」

「近いって顔。で、何がおかしいんだ?」

「下りる訳がないのに下りた。しかも言って即行! この案件は騎士団長が城を離れるのよ? 普通に考えて、こんな証拠も全くない不確実な案件に騎士団長を行かせるわけがない!」

「でも下りたんだから、そうなんだろ?」

「そもそも秘薬の件もおかしいと思ってたのよ! 秘薬探しなんてどのくらい日数がかかるか分からないのに騎士団長を行かせるなんて……」


 そこでウェンスは怪訝な表情で口を開く。


「確かにそれは俺もおかしいと思ってたんだ。アルン騎士団長はこれでも騎士団長だからね」


 これでもは余計だ、という言葉を無視して、


「ラナ騎士団長、その要請が通ったのはアルン騎士団長のみ、とか?」

「じょ、条件でアルンだけならいいって……」


 ウェンスは顎に手を当て黙り込んだ。


「とにかくアルン、やっぱやめよう。何かが絶対におかしい」

「いや行くよ」

「どうして!?」

「どういう理由があれ許可が下りたんだ。当初の予定通りだろ?」

「それはそうだけど……」

「大丈夫。すぐ終わらせてすぐ帰ればいい、それだけだ」


 それでもラナは納得せず、何かを言いたげな顔で睨んでくる。


 確かに不自然ではある。


 でも、それでも俺は止まりたくはない。

 この手が届くまで。


 ◇ ◆ ◇


 アルンはアカディア王都をまるまる囲む長大な城壁、その出入り口となる一つ門の隅に腰をおろしていた。先ほどから幾つもの馬車や人がひっきりなしに往来し、アルンの目も自然とそれらを追い右に左に忙しなく動く。

 本当は馬で目的の街、レゾスタに行く予定であったが何故か馬の使用許可は下りず馬車を手配されることとなった。そのためアルンは門に着いてから三十分、こうして門の隅で待たされる羽目となったのである。許可が下りなかった理由としては、もちろん馬を一頭失くした前科があるからだ。


「しっかし相変わらず人が多いな」

「これはこれはアルン騎士団長」


 不意に女性の声がアルンの耳に届く。


「また城を出るとか。お忙しいですね」

「レーデ……」


 アルンの顔はその声を聞いたとたん険しくなった。


「何しにきた」

「ふふ、お見送りですよ」


 腰まである真っ黒な髪、同じく真っ黒な肩から足の先まで伸びるローブを優雅に揺らし、怪しくほほ笑む一人の女性。名をレーデ・オニキス。

 半年前、突然に王族お抱えの術師としてアカディア城に出入りすることとなった素性の知れない女だ。


「どうやって王族に気に入られたのか知らないが、俺はお前を信用してはいない」

「アルン騎士団長は私に厳しいですね。お城で一緒に働いてるのですから仲良くしましょうよ」

「……何を企んでいるんだ?」

「企んでるなんて…… あら、馬車が来たようですよ」

「……この国に何かしてみろ」


 アルンはレーデを睨みながら立ち上がる。


「俺がお前を斬る」


 レーデはわざとらしく笑い、


「肝に銘じておきましょう」

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