002 雨の日の訪問者

 灰色の厚い雲に覆われた空。

 聞こえるのは雨の雫が大地を叩く音。

 それだけがただただ響く。



 少女はカウンターに頬杖をついて窓から見える景色を眺めていた。何度見ても外は相変わらずの雨、それどころか小さな窓を叩く雨音は徐々にその激しさを増していく。

 こんな天気じゃ否が応にも気分はどんよりと重くなる。


「お客さん来ないかなー」


 思わずそんな独り言がもれた。

 アマイロ雑貨店のドアノブには“OPEN”と書かれたプレートがかかってはいる、しかし開店から今まで客の到来を告げる鈴の音は沈黙を保ったままだ。

 掃除でもしようかな、とアーティが席を立ったところで不意に鈴の音が店内に響いた。


 リーン


「いらっしゃいませ」


 と、すぐに笑顔を見せ歓迎の言葉で出迎える。


「繁盛しとるかね」


 一通り店内を見回し、


「この雨では仕方ないか」

「村長? 雨の中、わざわざどうしたんですか?」


 店内に入ってきたのは村の長、ギドだ。

 その白い髭を手でいじりながら、しわの刻まれた口で笑みを見せる。


「なに、きっと暇しとるだろうと思ってな」

「ええ、もうこんな激しい雨に降られるとすっごい暇ですよ。あ、今お茶を出しますね」

「ああ、いや、いい。本当は欲しい物があって来たのでな」

「なんです?」


 ギドは店内を少し歩いて目的の物がある棚に向かう。


「これじゃこれ」


 と、墨を手に持ち会計を済ませる。


「ところでアーティ。見事、騎士団長様の依頼をこなしたようじゃの。ようやってくれた」

「いえ、騎士団長様に手伝っていただきましたから」


 ギドは少し考える様子で言葉を選びながら、


「アーティ。お前はずっとこの村にいるつもりか? そりゃ、この小さな村としては助かっているが、秘薬さえ作れるその腕…… もっと役立てようとは思わんのか? きっとその手で救える人は大勢いるだろうに」

「……いいえ、私はダメですよ」


 どこか悲しげな笑顔で答える。

 でも、と付け加え、


「ずっとこの村にいることも、きっと出来ないでしょうし……」

「ん? それはどういう」


 リーン


 と、村長の言葉を切るように、また鈴が鳴った。


「アーティ、暇だから来たよー、て村長!?」

「ミーシェル!」

「おお、これは騒がしいのが来たの」


 ミーシェルがパンの入ったバスケットを片手に店内に勢いよく飛び込んできた。


「あ、村長もうちの自慢のパン、食べてくださいな~」

「いや、ワシはここでおいとまさせてもらうよ」


 えー、とミーシェルがあからさまに嫌な顔をする。


「もうワシはお前たちの話に付いていけるほど若くないのでな」


 ギドはそれだけ言うと来た時と同じ、一向に止みそうのない雨の中を傘をさして帰っていった。


「何よ、私のパンが食べられないって言うの!?」


 ミーシェルは自分の持ってきた丸い形のパンを手に取り、納得いかない、といった表情で口を大きく開けて頬張り始めた。


「村長だし、忙しいのだと思うけど」

「ま、いいわ。ねぇアーティ、隣町にはいつ行くの?」

「レゾスタですか? そうですね、そういえばそろそろ行かないと無くなっちゃう商品もあったかな」

「それじゃ、明日行かない?」

「明日、てミーシェルも何か用があるんですか?」

「久々に街に行ってみたい」

「そうですね~ わかりました。じゃあ明日行きましょうか」

「うんうん、それじゃ明日の朝8時に村の入り口ね」


 ミーシェルは楽しそうに笑顔でそう答えた。


 ◇ ◆ ◇


 ミーシェルがひとしきり話し満足した様子で帰っていくと、それから程なく。客の到来を告げる鈴が鳴った。

 今日は客が来ないと思っていたが、意外にせわしなく鈴がなる。

 そのことに驚きながら笑顔を見せて、


「いらっしゃいませ」


 訪れたのは、この村の人でなければ常連でもなかった。

 服はボロボロでずいぶんとくたびれており、ローブらしいその服はゆったりしていて体を隠し、その裾を床に引きずって歩いている。

 フードを深く被っていて顔は見えないが、僅かに見える口元が動く。


「初めまして。私は旅の者です」


 不思議な声だった。

 まるで直接頭の中に語りかけられたかのような、そんな声。


「えっと、旅の人ですか。どういったご用件です?」

「はい、この雑貨店の噂は聞いておりましたので、立ち寄らせていただきました。なんでも質のいい商品があるとか」

「そ、それはありがとうございます」

「そこでぜひ、欲しい物があるのですがよろしいでしょうか?」

「なんですか?」


 ローブの人の口が短く笑みをもらす。


「夢見の霊薬」

「夢見の霊薬、ですか。確かそれって他人の夢の中に入ることができるっていう物でしたよね。本当かどうかは知りませんけど」

「はい。調合にヨツバを使う、かの秘薬には劣るものの難易度の高い薬です。出来ますか?」

「えっと、大丈夫だと思います。ヨツバならこの前の残りがありますし、他の材料も店の在庫でなんとか…… あ、でも夢見草は採りに行かないとダメですね」

「なんと! それはすごい。すでにヨツバはあるのですか。それはそれは…… フフ」

「夢見草なら難しくはないので明日の朝一にもう一度来ていただければお渡しできますよ?」

「そうですね。それでお願いしましょうか」


 ローブの人はゆっくりとドアノブに手をかけ、一度振り返る。


「道中、十分お気をつけください」

「え、は、はい。ありがとうございます」


 顔は見えないが、笑っている気がした。


 ◇ ◆ ◇


 雨の音が響く。

 深い北の森においては頭上にある枝葉が空から落ちる雫をすくい取り、激しい雨の連続音とは異なる重い音を伴って地面に断続的な音を響かせる。それはまるで音楽を奏でるように、北の森を彩っていた。


 アーティは赤い傘を片手に北の森を歩いていた。

 手に持つ傘を回しながら鼻歌交じり、ではあるが警戒は怠らず周囲に気を配りながら。


「到着、と」


 森に入ってわずか三十分程、魔物に遭遇することもなく目的地に着く事ができた。

 雨で幾つもの波紋が広がる小さな池。そしてそれを囲むように高さが膝程ある草、夢見草が生えている。

 そこから必要な本数だけ手に採り、白いカバンに詰めていく。

 さて帰ろうかな、と踵を返した途端、アーティの視界が来た時にはなかったものを捉え、

 背筋に悪寒が走った。


 それは人のような形で四肢を揺らしながら歩いてくる何か。歩いている様子から人のような、とはいったが頭はなく、体は青い液体状で常に水のように流動しているように見える。魔物のように敵意といった感情は全くなく無機質で、ただただ不気味だ。


「なん、なの? 魔物じゃない、よね」


 アーティは目を見開き歩いてくる何か、をただ見る。

 顔はないが、笑った、ような気がした。


 青い何か、は突然にその体から無数の棘を生やし、それらを一斉にアーティへ伸ばした。


「!?」


 横の草むらに飛び込んで回避する、が左足を棘が掠め、痛みに顔をしかめる。

 左足を確認すると、まるで鋭い刃で切られたかのような傷から血が流れている。水のような見た目からは想像のつかない鋭さだ。

(何? 何なの!?)

 アーティは意味のわからないこの異常な出来事に困惑を隠せない。

 と、頭上から幾つもの棘が狙い違わずアーティに降り注ぐ。

(少しは考えさせて……よ!)

 それを地面を転がりながらなんとか避けると、地面に膝を付けた体勢から後方に大きく下がる。

 その間も青い何か、から伸びる無数の棘は容赦なくアーティを襲う。


「一体、何なのよ!」


 青い何か、に問いかけてみるが思った通り反応は一切ない。

 と、地面のぬかるみに足を取られバランスが崩れる。

(くっ)

 片手を地面に付け転倒だけは回避したが、後ろから迫る棘が真っ直ぐに殺到する。

(<地>の陽譜を形成、物理的な障壁を前方に一瞬だけでいいから展開)


「弾いて!」


 迫る棘は全てアーティの目前で、見えない障壁に阻まれ弾かれた。

 無詠唱による物理障壁術式、その中で最も簡単なものだ。

 その短い時間にアーティはヤッフェ白銀のナイフを取り出し構え、走った。


 無数に迫る棘をうまく避けながら、青い何か、との距離を徐々に縮めていく。

 五、四、三、後二メートルというところで、青い何か、は右手らしきものを鞭のようにしならせ振り下ろす。それを前方に飛び込んで回避、後ろにぬかるんだ地面を叩く重い音を聞きつつ、受け身の要領で前転して、その手に持つナイフを青い何か、の腰の部分を斬りつけ走りぬけた。

(手応えあり!)

 水よりも粘度の高いものを斬った手応えを感じ、反射的にアーティは振り返る。

 しかしアーティの目に映ったのは腰の部分が大きく裂けた青い何か、の裂けた部分がゆっくりと塞がっていく様子だった。


「再生……?」


 と、同時に大気を浮遊する界素がざわめいていることに気付いた。


「これって…… まさか何かの術式!?」


 今まで気付かなかったが、大気に浮遊している界素がざわめいている。これは何かしらの術式の行使を意味し、つまりこの青い何か、は術式に関わっているものの可能性が高い。

(だとしたら……)

 この青い何か、はその見た目通りならば水から人形を作った人形生成術式、しかも再生能力付きの超高度なもの、もしくはこれが何かの生物である場合、生物を召喚する召喚術式のいずれかによって出現したものの二つの可能性が考えられる。

 しかしそのいずれであったとしても、それらは最悪な結果に繋がっていることを意味する。

 それは、

(誰かが私を狙った?)

 術によって生まれたものならば、その術を行った者がいるということだ。

(私、狙われる覚えなんて…… あるわ)

 つい先日、グリモワールの黒書という超がつく危険物と戦ったばっかだという事を思い出して、大きく気を落とす。

(でも、だからといってあの本がこんなすぐ狙ってくる? なんか違う気もするけどなー)


 と、いう考えは真っ直ぐ向かってくる棘によって中断させられ、

(えーっと、再生能力を持ってるやつを倒すにはどうする?)

 それを後ろに大きく飛び退いて回避する。すぐにアーティがいた地面に幾つもの鋭い棘が嫌な音を立てて突き刺さった。

(氷化術式、はダメね。あれは触媒なしだと時間かかるし…… だとすると……)

 アーティはナイフをしまい、真っ直ぐに青い何か、を睨む。

 次いで迫る棘、を地を強く踏み跳躍して飛び越える、と界素を込め光を帯びた片足で着地、と同時に重心を前方に傾け強く踏み込む、一歩、爆発的な速度をもって一瞬という時間で青い何かの目前の地面を踏む。

 負荷により足の傷が開き血が飛び散る。が、それでもアーティは一瞬顔をしかめるだけで、

(人形か、生物か……確率は二分の一!)

 右手を伸ばした。

 ほぼ同時に青い何か、も目前のアーティ目掛け自らの体から棘を伸ばす。

 アーティの右手が一瞬早く青い何か、の内部に入る。

(人形ならば、形を構成している界素を崩してしまえば!)


 青い何か、の動きが不意に止まった。


 そして間を置かず弾け水となり、降る雨と一緒に地面に落ちていく。


 胸の辺りにわずかな痛みと少しの血が滲んでいた。

 わずかに息を上げ、今は何もいなくなった虚空を見据える。


「賭けは私の勝ちだね」


 雨に濡れて肌に張り付くダークブルーの髪を触り、自分の着ている服を確認し、未だに降り続く激しい雨を見て、

 クシュン、という可愛らしいくしゃみを一つする。


「早く帰らないと風邪引きそう」


 今の出来事はひとまず棚上げすることにして、村に急いで帰ることにした。

 その一歩を踏み出そうとして、あれ、とアーティは辺りを見回す。


「ここ、どこ?」


 ◇ ◆ ◇


 雨が降る森の中を散々迷った上、二度の魔物との遭遇を経てようやく村に着いた頃には、すでに一晩が過ぎ去り陽が昇って辺りが明るくなっていた。

 太陽の位置を見るに、時間はおそらく8時をとうの昔に過ぎているに違いなかった。

 急いで村の入り口で待っているだろう一番の仲良しの少女ミーシェルを探す。しかし彼女はどこにもいなかった。

(先に行ったの? ミーシェル?)

 次にミーシェルのパン屋に行ったがいくら呼んでもノックしても誰も出てくることはない。

(やっぱ先に行っちゃったかなー、だったら先に依頼を済ませてそれから急いでレゾスタに向かおう。急げばきっと間に合うよね)


 それから急いで自分の工房に向かい、夢見の霊薬の調合を行った。

 難度が高いと言っても、それは材料の調達の話であって、調合自体はそこまで難しいものではない。そのため難なく完成させることが出来た。

 アーティが一息つこうと工房を出た、そんな時。

 まるで調合の終了を見計らっていたかのようなタイミングで、店の鈴が鳴る。

 ローブの人が相変わらずのその長い裾を引きずって入ってきた。その顔はやはり深いフードで見ることは出来ない。


「どうですか? 夢見の霊薬は」


 昨日と同じく頭に直接語りかけてくるような不思議な声。


「この通り」


 と、小さな瓶を手渡す。


「ほぉ、さすがですね。あなたにまかせてよかったです」

「料金は材料込みで、35万κになります」

「ええ、ありがとうございます」


 ローブの人は料金を長い袖の中から手を出さずにカウンターに落とす。

(変な払い方。やっぱりこの人変わってる)


「こちらこそ、ありがとうございました」


 ローブの人は今度は振り返らずに店のドアノブに手をかける。

(あれ…… そういえば昨日)

 そのままドアノブを捻り外に出て行く。

(雨が降っていたのに、その長い裾も、通った後の床も、全く濡れていなかった!?)

 同時にアーティの頭に、青い何か、の事がよぎる。


「まって! 君は一体!」


 アーティは急いで後を追って外に出る、がそこにはすでにローブの人の姿はなかった。


「なんな……の」


 突如視界が歪み、頭痛と共に体のバランスが崩れ倒れそうになる。

(やばっ、頭がクラクラしてきた。やっぱ風邪引いた、かな)


 意識は徐々に暗くなっていき、

 そんな中で、一番の仲良しであるあの少女のことが頭に浮かんでくる。


 ミーシェル……


 意識は途切れた。

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