005 グリモワールの黒書

 採ってこなければならない材料の内、ベルスコットの花とオルステアの樹液は手に入れることができた。残りはヨツバただ一つなのだが、これが最も厄介である。なんせどういう環境で生えるのか誰もわからないのだ。誰もわからなければどんな本にも載っているわけないし、探しようがない。


 二人は何の当てなく、辺りを見回しながら村へ続く道を歩いていた。


「あー、運よくそこら辺に生えてないかな」

「そんな偶然あるわけないと思いますけど」

「だよな…… おいあれ!」


 急にアルンが遠くの木の根元を指差す。


「騎士団長様、何ふざけてるんですか?」


 冷たい目で騎士団長様を突き放す。


「違う違う! あれ見てみろよ!」


 アルンの指差す方向を見てみると、そこにあったのは緑の四枚葉。

 ヨツバ、だ。


「うそ!」


 思わず驚いて叫んでしまった。


「偶然あったな」


 得意げな顔を見せるアルンにただ驚くが、どうにも喜べない。

(なんかこの感覚前に…… 私の場合この後、騎士団長様が降ってきてヨツバが潰されたのよね)

 それはすぐに来た。


 大気中の界素が急にざわめきだす。

(これは、何かの術の発現!? しかもかなり高レベルの!)


「待って、騎士団長様!」

「え!?」


 突然現れた。

 私達とヨツバの間、その空間に大きな黒い本。


「な、なんだこれ…… 本? が宙に浮いてる?」


 何百ページはあるだろう厚さの黒い本で、表紙は所々すすけており、綴られたページは経過した時の長さを象徴しているように黄ばんでいる。表紙には何の文字もなく、黒い塗料がただ塗られているだけの簡素な本だ。

 宙に浮いているその本は上下にゆっくりと揺れ、時折表紙が開き黄ばんだページがパラパラとめくれる。


「グリモワールの黒書……」


 アーティが苦々しく呟き、驚愕を顔に浮かべその本を見る。


「よく知っているな」

 

 その声は決して人間が発音出来ないような禍々しさを纏い、その本から発せられていた。


「そう、私はグリモワールの黒書のひとつ。七大魔族が創りし災いをまき散らす呪われた書だ」

「なんで、そんなものが……」

「言ったろう、災いをまき散らす、と」


 違う、ありえない。この場にそんなものがあるはずがない。

 アーティの頭に先日見た、真黒の血が一瞬思い浮かぶ。

(これは偶然……?)


「……君は誰のグリモワール?」

「ルシファー」


 その言葉を聞くや否や、今まで黙っていたアルンが走った。



 魔族、という昔話に出てくる種族がいる。

 ただそれは伝説とかそういうのではなく実在していた、と云われている。

 地下の世界に住み、術とは異なる“魔術”なるものを操ったそれは、真黒の血を流したと言われる。

 その魔族の中でも最強を誇ったとされる七つの魔族、それらが創りだした七つの本。その本は意思をもち、創った魔族の力には劣るもののすさまじい魔力が込められている。

 本自身は今現在も世界を回り災いをまき散らす。この本の存在、その事実が魔族が実在していた、という証拠になっていた。



「だぁぁぁぁああ!」


 アルンは刀を抜き、躊躇なく振り下ろす。

 が、その刀は本の数センチ手前で止まり、いくら力を入れてもそれ以上動かない。


「障壁か!」

「フム、いい太刀筋、だ!」


 その瞬間凄まじい衝撃がアルンを襲った。

 ウッという呻き声を上げたアルンはそのまま十メートルは飛び、茂みの中に体を沈めた。


 アーティの周囲に水の塊が五つ、それは次第に大きくなっていく。

(<水>で陽譜を形成…… 大気中の水を性質“動”で集める)

 さらにその水塊は細長く伸びていき、その尖端を尖らせる。

(ちょっと無理するけど、<火>の界素を追加。性質“破壊”を構成に埋め込む)



 術の発現において、五大界素を用いる時は、実際に術発動までの工程を書く譜記、言葉で工程を紡ぐ詠唱、頭の中で工程を組み立てる無詠唱に分けられるが、もちろん無詠唱が最も難しい。

 しかし戦闘では無詠唱以外役に立つことは少ない、それは無詠唱ならば頭の中で術の構成を一瞬で創り上げることが可能なためである。

 このように術の発現は界素の構成を伴うので、“譜”と表現される。



「無詠唱かつ、界素混合術式か」



 五大界素には二つの意味がある。

 一つはその名の通り属性を表し、もう一つは性質である。

 <火>は“破壊”や“消失”、<木>は“意思”や“精神”、<地>は“存在”や“形”、<水>は“命”や“流動”、などを表す。


 従って、爆発させたいと思ったら、<火>の属性である火、とその性質である“破壊”を組み合わせて発現する。これは一つの界素しか使わないので比較的簡単な術式となる。

 しかし水を爆発させたい場合は、<水>の属性である水、<火>の性質である“破壊”を組み合わせて発現する。これは二つの界素を組み合わせないといけないため、ただの爆発よりも難度の高い術式となる。

 もちろんこれは大まかな部分であるため、実際は他にも様々な界素の属性や性質が複雑に組み合わさって一つの術が発現されることとなる。


 これを踏まえた上での界素の構成である譜を“陽譜”といい、陽譜で起こす事象を“術”もしくは“術式”というのである。



「貫け!」


 アーティの周囲に形成された五本の水の槍が、その声と前に突き出した手を合図に黒書に殺到する。


「だが、下らないな」


 その一言、黒書の周囲の地面から水の槍と同数の太い木の根が瞬時に伸び、迫る水の槍を次々と打ち落とす。その舞い散る水しぶきの中、アーティは踏み込んだ。

 黒書とアーティの距離は瞬時になくなり、五指を広げた右手を黒書に伸ばす。

 手が黒書を掴みかけたところで、しかし頭上から凄まじい質量を伴った木の根が降り注ぎ、それを何とか横に飛び込んで回避する。

 しかしそこに体勢を立て直す間もなく凄まじい衝撃がアーティを襲う。


「ぐっ」


 反射的に両腕で自分を守るが、その衝撃は腕を通過し脊髄を揺らしてアーティの体を大きく後方に吹き飛ばした。


「何をしようとしたのかわからないが、武器も術もなしに近づいても無駄だ」


(痛っ)

 あまりの衝撃に頭がくらくらする。


「騎士団長様生きてます?」


 その確認の問いに応えるように、すぐ近くの茂みから突き出た腕が左右に揺れていた。


「なんとかあの黒書に触れるぐらい近づきたいんですけど何とかなりません?」


 草木の茂みから上半身だけ出して頭をさするアルン。


「わかった」


 アルンは手に持つ刀を強く握り直し地を強く蹴った。


 前方から迫る木の根を僅か姿勢を下げ頭上に流す。と同時に両手で握った刀で頭上の木の根を両断する。すると横から迫る木の根を今度は垂直に跳躍してかわすと、狙い違わず眼下を駆け抜ける木の根に刀を真っ直ぐ突き刺し斬り上げた。

 太い木の根が上空を舞い大きな質量と重い音を伴って地面に叩かれ土煙を上げる。それを気に留めず、前だけ見据え片足で着地したアルンは一歩、それで黒い本は目前にあった。


「少しはやるようだな」

「それはどうも」


 と、刀を先ほどよりも強く振りぬく。

 だがそれは、やはり本の手前数センチで止まる。


「お前の剣は届かない。少しは学習したらどうだ?」


 アルンは微笑をひとつ。


「俺は術が苦手なんだ」


 その言葉と同時にアルンの後ろ、黒書の死角から一つの細い腕が伸びる。

 その腕は黒書の数センチ前にある見えない障壁に触れる、その瞬間。

 黒書の驚愕の声をかき消し、

 ガラスの割れたような鋭い音が辺りを突き抜けた。

 それと同時に阻むものがなくなったアルンの刀が何の抵抗もなく走る。そして黒書を斬り裂く。はずだったが、その刀は黒書の数センチ横を力無く、ただ空を斬っただけだった。


 アルンは目を見開き、己の刀の行く末を目で追う。

 それはアーティも同じだ。

(騎士団長様が外した!? 違う、今のを外すわけが)

 思考はそこで止まる。

 左右から挟み込むように迫る木の根、アルンはそれを視界の隅に捉えると地面に力無く落下する刀を跳ね上げ左の木の根を両断する。

 右から迫る木の根も瞬時に反応するが踏み込みが甘く、木の根の中程で刀は止まり、勢いの止まらない木の根がアルンを下から叩き上げ、弧を描いて地面に強く打ちつけられた。

 次いですぐアルンのいた、アーティのすぐ目の前の空間の温度が急激に上昇していく。


「なっ」


 思うより早くアーティの足は地を蹴り、大きく後ろに跳躍させた。


 轟音と爆風。

 それは一瞬の閃光の後に訪れた爆発だった。


 アーティは肩を大きく上下させ息を整える。

 規模は小さいとはいえ、至近で食らっていたら無事では済まなかっただろう。もし少しでも後ろに引くのが遅かったら……

 土煙舞う向こう側から禍々しい声が投げかけられる。


「触れた瞬間に障壁を崩したのか…… 貴様、何者だ」

「こっちも聞きたい事があります。刀をどうやって避けたのです!?」

「避けた? クク、外したんだろ?」


 土煙が晴れ視界が良くなる。

 そこには黒書が憎らしげに相も変わらず浮いている。その……さらに後方。


「騎士団長様!?」

「俺が外すわけないだろ!」


 黒書の後方からアルンの刀が正中の軌道を描いて振り下ろされる。


「貴様! まだ動けて」


 これで三度目、しかし刀は黒書には届かない。

 が、すぐにアルンは姿勢を低く、強く踏み込み二撃目を水平に走らせる。

 しかし、それも届かない。


「無駄な事を」


 黒書の左右に形成されるのは燃え盛る火球。


「燃えろ」


 その言葉を合図として至近にいるアルンに降り注ぐ。

(ここ、だ!)

 アルンは一歩後方に下がり右足を軸に一回転、と同時に数瞬前にアルンがいた場所を二つの火球が交差し重なったその刹那、遠心力の流れにそって手に握る刀を火球ごと斬り上げる。

 刀は重なった火球を引きずり燃える軌道を描きながら、黒書の数センチ手前の見えない障壁にぶつかり、爆発。

 轟音が辺りを一気に駆け抜け、地響きに似た衝撃を生んだ。


 続いて訪れたのは静寂。

 一陣の風が吹き、濃く立ち上る砂煙の向こうからアルンの姿が露わになる。

 そこには何もなく、アルンの静かな息遣いだけが妙に大きく聞こえた。


「やったの?」


 アーティの言葉に反応して顔を向けるが、すぐに瞼を閉じて首を横に振った。


「障壁を砕く手応えはあったが、本を斬った手応えはない」

「そうですか…… でも騎士団長様!」


 と、思わず声を荒げる。


「障壁砕いたって、今のは無茶すぎます!」

「無茶? 生きてるから問題ないだろ。それに術を破壊するんだ、あれくらいは必要だ」


 至近の爆発にも関わらず、アルンの着ている黒いコートの端が少し焼け焦げただけ、で済んでいるのは奇跡に近かった。


「なぁ、聞きたい事があるんだが」


 アルンは少し考え、口を開く。


「本を斬ろうとした一瞬、そのほんの一瞬、自分の腕に違和感を感じた。そんな術ってあるか?」

「違和感…… 残念ですけどそれだけじゃ」

「だよなー てか」


 アルンは目を丸くして近づいてくる。


「お前すごいな。術使えるのか!」

「少しですけど」

「いや~ 守りながら戦うことになるかとヒヤヒヤしちゃったよ」

「その心配には及びませんよ。自分の身ぐらい自分で守ります。それよりも」


 消えたグリモワールの黒書。


「問題はさっきの本の目的、か」

「そうですね。何かしらの目的があることは確かだと思いますが」


 しばらくの沈黙が流れる。


「やめた」

「え?」

「考えるのやめ。どうせわかんないし。次また会う事になったら斬ればいいだけだ」

「それはそうですけど」


 と、苦笑する。

 アルンは辺りを見回しながらゆっくりと歩き出す。しばらく歩いたところで不意にある一点を指差した。


「あった!」

「今の戦闘でよく無事でしたね」


 そこにあったのは木の根元に生えるヨツバ。


「これでヨツバも手に入る。秘薬の材料はこれで全部だろ」

「はい、揃いました。でも言っておきますけど成功するかどうかはまだ分かりませんからね?」

「ああ、わかってる」


 アルンに肩を軽く叩かれる。


「頼りにしてるよ」

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