004 北の森の探検

 木の枝をその長い手足で縦横無尽に駆けまわるいくつもの影。


 俊敏で小柄な体ながら人よりもはるかに強い力を持ち、何より怖いのはその好戦的で凶暴な性格。ツリーエイプという、北の森の中でも危険度の高い魔物だ。常に集団で行動しており、アーティも以前に出会った時は苦労させられた覚えがある。


 だが、アルンの刀は次々と襲いかかってくるツリーエイプ達をただの一閃で斬り捨てていく。

 キィキィ、という騒がしい鳴き声も次第に消えていき、ついにはなくなった。


「さすがですね。騎士団長様」

「この森ってこんなに危ないのか? 今までよく無事だったな」

「騎士団長様がそれを言っても説得力ありませんよ」


 二人が北の森に入って三十分。早速魔物の集団に襲われたが、アルンのおかげで何の問題もなく撃退できた。

 これなら目的地まで早く着きそうだ、と安堵する。なぜならこれから行くところは北の森の奥の奥、アーティでさえ行ったことのない“大地の傷”と呼ばれている所だからだ。


「で、どのくらいで着くんだ? そのなんとかの傷ってとこ」

「この分なら夜までには着けそうです」

「げ…… けっこう遠いいな」

「頑張ってください」


 しばらく歩くと目の前に大きな湖が見えてきた。


「やっぱり、一人で来るより早いですね」

「おお、すごいな。ちょうど喉乾いてたんだ」


 湖に足早に駆け寄るアルンを手で制する。


「ちょっと待ってください」


 そう言うと、手に持つコップで湖の水を汲み、それを凝視する。


「何してるんだ?」

「汚染されていないか調べてるんです。一応ですけど」

「驚いたな、そんなこともわかるのか」

「水の界素の構成に変なのが入ってないか見てるだけです」


 十分すごいだろ、とアルンは呆れた表情をする。


「ん、てことは水の汚染っていうのは、別の界素の挿入? みたいなものなのか?」

「はい。水の界素の構成は他のものより別の界素が入りやすい、と私は認識してます。証拠なんてありませんけどね」


 と、笑顔になる。


「飲んでいいですよ」

「おう、てか不思議だよな。もしこの世界が全て界素だけで出来ているのなら、物によって界素の挿入や抽出がしやすい、しにくい、出来ない、があるのっておかしいよな」


 アーティは飲んだ水を吹きそうになる。


「騎士団長様って意外にすごいとこつきますね。見た目によらず」


 最後は余計だ、と睨まれる。


「だっておかしいだろ。たとえ構成が違っていたとしても、その構成はあくまで一個一個の界素にすぎない。そこに違いがあるなんておかしいだろ」

「確かにそうです。物によっては一切、界素の構成を動かせない物もあります。でもそんなこと考えたって答えはでませんよ」

「それはそうだが」


 それよりも、とアーティはカバンから嬉しそうにサンドイッチを取り出す。


「ちょっと早いけどエネルギー補給しましょう。美味しいですよ」


 そう言って二つあるサンドイッチの内の一つをアルンに手渡す。


「ん、いいのか?」

「どうぞ」


 アルンはありがとう、とサンドイッチを受け取る。


「ミーシェル自家製のアルゴビーフのサンドイッチです。私の大好物なんですよ」

「お、うまいな」


 でしょ、とアーティも一口パクッと。

 あー美味し~、となんとも幸せそうな顔だ。


「ミーシェルだっけ、仲がいいんだな」

「はい、三年前に店を開いた時からの仲ですから」

「そう、か」


 大きな湖からさらに三時間歩いたところで辺りの様子が変わってきた。

 鮮やかな緑色の葉を一杯にしていた大木はなくなり、代わりに細く長く伸びる木が白い葉を茂らせている。


「なんだこの木、白い葉っぱって少し不気味だな」

「ここら辺は私も初めて来ました。今度調べてみたいですね」


 白い葉の木を眺めながらしばらく歩くと急に木々の連なりが途切れ、視界を遮るものがなくなった。

 目の前に広がったのは深い深い溝。

 はるか向こう側は霧が立ち籠み視界が悪いとはいえ見通すことができないぐらい広く、横幅はどこまでも続いているようで先が見えず、底は地獄まで続いているのではないかと思うほど深く暗い。


 “大地の傷”だ。


 大昔からあると言われ、世界地図でも中央アーフェリア大陸の北部を横断する線として描かれている。ちなみにそれより北部には何も描かれていない。

 そしてこの“大地の傷”の向こう側に“禁忌”とされる“かの地”がある、と云われている。


「しかし、すごいな。これが“大地の傷”か」

「ええ、そうですね…… 予想以上にすごいです」


 アルンが“大地の傷”の底を覗き込む。


「どんだけ深いんだこれ」


 と、アーティがカバンからロープを取り出し一番近い木にそれを強く結びつけていた。


「……何してんだ」

「準備」


 するとアーティは何気なくアルンに近寄り木に結びつけていない側のロープの先端をアルンの腰に強く結びつけた。


「おい?」

「黄色い花があると思うから頑張ってください」

「まさか……」

「ベルスコットの花は“大地の傷”の斜面のどっかに生えてるって本に書いてありました」


 アーティは自信満々な笑顔で答える。


「斜面って……」


 アルンはもう一度底の見えない底を見て、息を呑む。


「落ちたら死ぬぞ、これ」

「落ちたら地獄ですね」


 恐ろしい事を真顔で言うアーティであった。


 ◇ ◆ ◇


 ぐったりしているアルンの手には黄色い花が握られている。


「そう、それそれ。あってよかったですね」

「途中、変な怪鳥に襲われて散々つつかれた上、頭上からは石が降ってきて、ついにはロープに切れ目が…… どうやって生還したのか記憶が曖昧……」

「た、大変でしたね」


 相当恐ろしい目にあったようで、ひたすらにうつむいて唸っている。


「と、とにかく! ベルスコットの花、無事に手に入りましたね」

「お、おう……」


 アルンはその拳を悲しげに振わせながら高々と突き上げた。


 ◇ ◆ ◇


 濃青に染まった空に二つの月が浮かんでいる、そんな頃。

 神秘的な月光を頭上に、アーティとアルンの二人は来た道を戻っていた。

 見える景色は相変わらず木しかないが、白い葉はいつの間にか緑に変わっている。


「もう一つの材料は遠いのか?」

「もうすぐだと思います。ただオルステアの樹液はそれ以外にちょっと問題があって」

「問題?」

「行けばわかりますよ」


 それからしばらくして、アーティは歩みを止める。


「ここか?」


 アルンは周りを見回し怪訝な声で尋ねてきた。

 周囲に連なる木々に別段変わったものはなく、森に入った時から永遠と生えるアルデネの木が幾つもあるだけだ。


「さて、と。騎士団長様、リュックの中身を出してください」

「お、おう」


 アルンは背負うリュックから、幾つも折りたたまれた黄色い布状の物を取り出す。

 それを広げると一辺が二メートルほどの四角く厚い布であることがわかり、またその中心と各頂点には紐が付いていた。


「これは……テント?」

「はい。さぁ組み立てますよ」


 と、笑顔で答える。


 適当な木の枝に紐を結んで形を整える簡便な設計であったため、組み立てはニ十分程で終わった。


「で、どうすんだよ。周りにはアルデネの木しか生えてないみたいだが?」


 それには答えずアーティはモゾモゾとテントの中に入っていく。

 再び怪訝な表情を向けるアルン。

 アーティは黄色いテントの穴から顔だけ出しつつ、


「オルステアの樹液は陽が昇るその瞬間だけしか見つけることができないんです」

「陽が昇る瞬間?」

「はい。騎士団長様も見てわかると思いますけど周りにある木はどれも同じ形をしています。ですが私達の周りにある木のどれかが実はオルステアの木なんです。オルステアの木とそこら辺に生えているアルデネの木は見た目がほとんど一緒なので」


 と、モゾモゾとテントの中から目的の物を探し始める。

(確か、ここに)


「オイオイ、見た目が一緒、てことは全部同じ木に見えるこの中に目的の木が混じってるってことかよ」


 それは厄介だなー、と辺りの木を見回すアルン。


「そこで、これを使います」


 アーティが取り出したのは赤い液体の入った小瓶。


「オルステアの木とアルデネの木は陽が昇る瞬間にその木の幹から透明な樹液を垂らします。その樹液にこの液体を少しかると、オルステアの樹液なら液体の色が変わります。つまり液体の色が変わった樹液を垂らす木がオルステアの木、ということになります」

「ほー、便利だな」

「ですから朝まで待たないといけません。まだ陽が昇るまで長そうなので騎士団長様もテントの中で寝た方がいいですよ?」


 アルンは木々の間から空を見上げた。

 空に浮かぶ月はまだまだ沈む気はないようで、広い広い空で最も大きく強い光を放っている。


「バカ、俺は男だ」

「だから、なんです?」


 お前なー、とアルンは髪を掻く。


「いいから、お前は寝てろよ。俺が見張りをやってるからよ」

「見張り、ですか」

「ああ」

「わかりました。ありがとうございます」


 笑顔を見せ、テントの中に潜りこんだ。


 それから程なく。


「騎士団長様」

「なんだ、まだ寝てないのか?」

「……湖での問いですけど」

「湖での? あー、あれか。なんで物によって界素の挿入や抽出のしやすさに違いがあるのか、か?」

「はい、それです」

「でもそれは考えたって答えのでないものだって」

「実は一つの答え、いえ確証のない一つの道っていうか、考えっていうか、あるんです」

「……それはなんだ?」

「<五番目の界素>です」


 アルンはその言葉を聞いたとたん目を見開き立ち上がる。


「例えば、氷があるとします。それは時間が経てば勝手に水になりますよね? それは氷を構成する界素の中に消失しやすい、つまり非常に構成から外れやすい界素があったために、時間が経過しただけで氷の界素の構成は水の界素の構成になったんです。もちろん時間だけでなく熱などの環境にも左右されます」

「ああ、それは界素の抽出がしやすい物、てことだな」

「はい。氷から界素の抽出を行い水にする、これは非常に簡単です。界素を少しでも扱えればできるでしょう」


 しかし、と付け加え、


「氷を全く別の、例えばそこら辺に生えている木に変えようとします。どちらも界素の構成は<火><木><地><水>の四つで構成されているにすぎません。ですから、木のマテリアルゲノムを解読し界素の挿入や抽出を用いて、氷の界素の構成を木の界素の構成に作り変えれば、それは理論上可能なんです」

「それはできない」


 アルンは即答する。

 それに一つ頷き、


「はい、できません。それはつまり、氷の界素の構成には変えることが出来る部分と、絶対に変えることが出来ない部分が存在することになります。それが絶対に変えることのできない氷の不変領域」

「確かにそうだな」

「この不変領域の存在は数年前にどこかの偉い研究者が提唱したものでもあります」

「ずいぶん最近だな。まぁ界素なんて見えないもの、研究が進まないのもしょうがないのか」

「じゃあ、その界素の構成が可能な部分と不変領域の違いはなんなのか」

「それが<五番目の界素>だと?」

「絶対に変えられない不変領域。もしそれを変えることが出来たなら世界の法則は全て覆ってしまいます。だからこそ人の手に及ばない及べない、それってこの世界の変えてはいけない、絶対に触れてはいけない部分。そんな気がしませんか?」

「この世界の……」


 思わずアルンは一筋の汗をその頬に流す。


「<五番目の界素>は界素などではなく、もっと別の…… 世界の真実、いえ世界の真理であって<五番目の界素>という法則が、界素以外に作用しているのだと私は思います」


 アルンは少し考えて、首をかしげる。


「それって、結局わからないって事か?」

「はい」


 と、微笑する。


「最初に言ったじゃないですか。確証はない一つの道だって」

「……神のみぞ知るってやつか」


 ◇ ◆ ◇


 濃い青だった空が端から次第に薄れていき透き通るような水色に、そして徐々にその水色は広がっていき、ついには空一面を覆い気持ちのいい朝を迎える。

 連なる木々のせいで見えないが、きっと地平線が見えるような場所では太陽が顔を出していることだろう。


「お! 赤が黄色に変わった!」

「それです、それ!」


 二人は一本の木の前でガッツポーズを取り、パァーンとお互いの手を軽く合わせた。


 木から流れる樹液を小さな瓶に採る。


「オルステアの樹液も無事に手に入りましたね」

「ああ! なんだかんだ言っても楽勝だな」

「後はヨツバかー」


 何気なくアーティがもらした言葉に顔を青ざめ、


「それがあったか……」


 深い深いため息をもらすアルンであった。

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