002 迫る影

 場所はアカディア王国、アカディア城。


 アカディア王国は中央アーフェリア大陸の最大の国であると同時に三大国の一つに数えられている。

 城下町であるアカディア王都、その外縁を囲む厚い城壁はまるまる居住区を包みこみ、その中心に王族の住む城、アカディア城がある。

 アカディア城は中央に大小異なる三つの円筒状の塔が連なりそびえ、それを中心に五角形の建物が五層にわたり塔を囲む。外側に行くほど段々に低くなる形状でそれぞれの建物はいくつかの空中回廊で架橋されているが、中央の塔だけは一つの空中回廊でしか行き来はできない。


 塔を囲む五層の建物の一角。

 一際大きな窓のある一室に少年はいた。

 黒い髪に真っ黒な眼、黒いコート、そしてその胸の辺りには太陽を模した紋章が、一杯に注ぐ陽光を反射して銀色の光を放っている。ただ、その真っ黒な眼には一切の光が灯っていないように見え、幼い顔立ちに不釣り合いな不気味さをかもしだしている。


「あー、眠い」


 そんな少年は今、体を力無く床に預け重いまぶたに屈しようとしていた。


 少年の名はアルン・フェイド。

 彼は一年前に歴代最年少でアカディア王国第三騎士団団長に任命された天才中の天才、と周りからは言われている。

 本人はあくびを一つ。自覚はほとんどないようであるが。


 窓から下を見やれば、何人もの騎士達が剣を振り修練に明け暮れている。

(こんな気持ちいい日によくやるよなー)

 再びあくびをもらす。


 とその時、背後の扉がガタガタと揺れ、次いで一瞬の間、の後ものすごい音を伴って鍵が無残にも破壊され、扉が恐ろしい勢いをもって軋み開け放たれる。

 思わず少年は全身をビクッとさせて跳ね起き、浮かぶ嫌な予感に恐る恐る背後に顔を向けた。


 そこに立っていたのは、ものすごい形相でこっちを睨む栗色の髪の少女。


「アルン!」

「ラ、ラナ!?」


 ラナと呼ばれた少女、名をラナ・フォードという。

 ラナもまたアカディア王国の騎士で、第二騎士団団長を務める。アルンよりわずかに年上で歴代最年少のアルンには負けるが彼女も天才中の天才であることに間違いはない。


「見つけたわ! アルン!」

「な、なんだよ」

「なんでアンタはいつもいつも修練に来ないのかしら!」


 アルンは修練があまり好きではないので空いている適当な部屋を見つけては、眼下に修練する騎士達を尻目によくさぼっていた。


「俺、騎士団長だぞ。なんで行かなきゃ」

「騎士団長が来ないで、誰が指揮するのよ!」


 考える間なく、指を目の前にいるラナに真っ直ぐ向ける。


「なんで私がアンタの分までやんなきゃいけないのかって言ってんの!」

「そんなにイライラすんなって、ただでさえ背が低いんだから」

「今なんて……」


 しまった! とアルンは口を抑える。

 彼女の身長はその歳の平均と比べて大分低く、子供扱いされることが多々ある。よって、


「お、おい、ラナ。手に何持ってる……」


 身長の事を言われると見境がなくなる。


「私はアンタよりも年上よー!」

「剣を振り回すなー!」


 涙を浮かべたラナの持つ剣が、避けるアルンの代わりに高そうな壺を盛大に叩き割った。


 ◇ ◆ ◇


 あれから一時間、マール侍女長にたっぷりと絞られた二人は揃って屋外の椅子に腰をかけていた。


「また、やっちゃった」


 頭を抱えうなだれるラナ。


「ホント真面目だなお前。もっと気楽に行けよ」

「ホント変わらないわねアンタは。私達これでもあの騎士団長よ」

「別に騎士団長になったからって何が変わった? 騎士団長として働いたのなんて一回やニ回ぐらいだろ」

「てかお城の騎士団なんてそんなものよ。私の方がアンタより一年早いけど、滅多に私たちが動くことはない。だいたいの事は街の自警団でなんとかなる程度だし」

「だったら」

「覚えておきなさい、アルン。私たちが動く時はイコール国の危機よ。その責任を私たちは負わねばならない」

「……わかってるよ」


 と、背後から不意に声がかかる。


「いたいた、ちょっとアンタ達」

「げ! マール侍女長!」


 背後から声をかけたのは、先ほど二人をこってりと絞ったマール侍女長だ。

 マール侍女長はこのアカディア城の清掃から雑務、騎士達の世話まで幅広くこなす侍女達の責任者で、騎士団長になったとはいえアルンやラナは、この人には一切頭が上がらなかった。


 アルンは隠すことなく嫌な表情を浮かべ、ラナはびしっと背を正す。


「な、なに? マール侍女長」

「そんなに身構えなくてもいいよ。ちょっと買い物を頼みたくてね」

「買い物?」

「姫様の調子が悪くてね…… 元気のでるものを作ってやりたいのさ」

「姫様って、あのティアナ王女だよな」

「調子がそんなに良くはないって聞いたけど、悪いの?」


 ティアナ王女はアカディア城の中心にある塔に住んでいて滅多に外に出ることはなく、というか驚いたことに二人とも見かけたことは一度もない。


「最近は特にね。だから買い物を頼まれてくれないかい?」


 王女のためと言われれば断る理由は思いつかなかった。


 ◇ ◆ ◇


「なんで私がアンタなんかと」

「俺だって納得してねーよ」


 アルンとラナの二人は揃ってアカディア王国城下町の大通りを歩いていた。大陸一の規模を誇る国だけあって、人は多く賑やかで、また両脇には様々な店が並び、どの店も客の呼び込みに必死に声を上げている。


「で、何買うんだって?」


 ちょっと待って、とラナはもらったメモに目を通す。


「シャートル鳥の卵とサニーアップルを…… 一箱づつ」

「げ、そんなに!? 普通に城の食糧分も入ってんじゃないか? やっぱ壺を割ったこと相当に根に持ってるな、こりゃ」

「な、何よ。私は悪くないわ。そ、それより知ってる?」


 強引な話題逸らしに冷たい目を向けてやったが、ラナは気にせず話続ける。


「街で流れてる噂なんだけど、ローグ村ってとこにすごい雑貨屋があるらしいよ」

「雑貨屋? すごいって?」

「なんでも売ってる品の質がとてもいいらしくて。私の思うところ、多分、界素の構造から手を加えてるっぽいのよねー」

「構造って、そんなの出来るわけないだろ? それぐらい俺にだってわかるぞ」

「まぁ、今のはちょっと大きく言いすぎたけど、大雑把な挿入とかは運が良ければ私にだって出来るレベルだし、それに前に来た旅商人が」


「キャアアァァ」


 突如上がった女性の悲鳴がラナの言葉を途切れさせる。

 人の賑やかなこの真昼間の大通りに場違いなその悲鳴は、前方からだ。

(前から!)


「待ちなさい、アルン」


 走り出そうとしてラナに手を掴まれた。


「なんで止める!?」

「私達は動くべきではないわ。ここには他のとこより優秀な自警団がいる」

「だからなんだ! 俺はアカディア王国の騎士だ!」


 その手を振りほどいて走る。

 ラナの舌打ちがわずかに聞こえたが、足音が付いてくるので一緒に来てくれるみたいだ。


 すぐに視界の隅に、倒れている女性とこっちに向かって走ってくる男を見つける。


「私のカバンが!」


 女性の悲痛な叫びで全てを理解する。


「どきやがれ! ガキ!」


 走ってくる男の手元が光る。

(ナイフか)


「どけって言ってんだ。死にてぇのか!」


 そう言いながら男は手に持つナイフを振り上げる。

 アルンが腰に下げている刀の柄に手をかけ。


 光が横に煌めき、一瞬の鋭い音が響く。

 空に舞う銀色の光を放つ刃。そして男は自分の手にある柄だけのナイフを見て驚愕の表情を浮かべ、思わず尻もちをついた。


「な、なんなんだ」

「おとなしくしろ」


 男は顔を上げると、突然体を強張らせた。

 男が見たのは俺の眼。


「す、すみませんでした!」


 男はカバンを放り投げ、なりふり構わず逃げて行った。

 すぐに女性が駆け寄る。


「ありがとうございました。なんとお礼を」


 女性もまた俺の眼を見て一瞬、体が強張る。


「ちょっとアルン、さっき男がすっごい顔して走ってきたから、とりあえず殴って気絶させたけど何があったの?」


 殴って気絶…… 男の不運な結末を一瞬想像して苦笑いを浮かべる。


「ラナ。今終わったとこだ」


 女性はその名前に目をわずか見開き、次いで太陽の紋章を見て驚きの声を上げる。


「アルン様とラナ様! 騎士団の方々の手を煩わせるなんて私」

「ああ、気にしなくてもいいよ。このバカが突っ走っただけだから」

「すみません。ありがとうございました」


 女性は深く頭を下げ、やがて人の雑踏の中に消えていった。


 いつもの事だ。

 と、アルンは誰にも聞こえない呟きを一人こぼす。


「てか、アルンはもうちょっと騎士団長ってことを自覚した方がいいよ」

「結果オーライってことでいいだろ?」


 いつものアルンの調子にラナがため息をついたその時。

 急にラナが辺りを見回す。


「どうしたんだ?」

「見られてる」

「え?」

「何か、遠視系の術の気配を一瞬感じたわ」

「俺は何も感じないけどな」


 すぐに辺りに目を向ける。


「それはアンタの練習不足でしょ。どんな人だって練習すれば界素は扱えるんだから」

「そりゃ、悪かったな」

「追ってみる」

「そんなこと出来るのか?」


 それには答えずラナは目を閉じ、何かしら呟くとすぐに目を開けた。


「いた! こっちよ」


 ラナは迷いなく大通りから無数に伸びる路地の一本に入って行く。

 術って便利だなー、と本人には聞こえないようにアルンは呟くと、すぐにラナの後を追いかけ路地に入って行った。


 右、右、左、右そして左。


 迷路のように入り組んだ路地を走る。

 空から届くはずの陽光は、その途中で両脇の建物の影に覆い尽くされ石畳の地面まで届かない。時刻は昼だというのにずいぶん暗く、大通りの賑やかさと異なりこの道は冷たい印象を与える。


 もはやどこからどう来たのかわからないほど曲がっては走り、曲がっては走ったところで、ようやくラナの足が止まり一つの建物を見上げる。

 すぐに追いついたアルンもラナの視線を追いその建物を見上げた。


「人は……住んでいないようだな」


 三階建てのその建物は、壁面をいくつもの亀裂がはしり、窓枠だけが残る窓からは陽の届かない真っ暗な室内を垣間見せ、建物の空虚さを際立たせる。


「入るわよ」


 ラナが建物のドアのノブに手をかける。

 その瞬間。


 白銀に煌めくいくつもの鋭い切っ先が、木製のドアを貫いて迫る。

 一瞬ラナは驚き、すぐに後ろに飛び退くことで回避する。


「大丈夫か、ラナ?」

「ええ、ちょっと油断してた」


 まさか城の眼下、城下町でこんな事が起こるなんて誰も予想のしようがない。


 木片となり果てたドアを押しのけ、出てきたのは四人の男。

 いずれの者も手には銀色に光る幅広の剣を携えている。


「私達はアカディア騎士団です。おとなしくその剣を捨てなさい」

「アァァァァァ」


 男達は剣を手に二人に襲いかかる。


「聞く耳なし、か。ラナ、ひとまず正当防衛ってことでいいか?」

「そうね。理由は後で考えましょ」


 アルンは腰に下げる刀をゆっくりと抜く。

 ラナは腰にある剣帯から二本の小ぶりな剣を抜いた。


「ただし、殺しちゃだめよ」


 一人の男がアルンに剣を振り下ろす。

 アルンは振り下ろされた剣の横を刀で正確に叩き軌道を逸らせると、右足を踏み込み懐に入る、と肩を当て体重を乗せて男を壁に叩きつける。

 すぐに振り返る。一瞬動きが止まった男を背に、後ろから迫っていたもう一人の男を下段から刀を振りぬき、斬り上げた。

 するとすぐに背にいた男の剣を視界の隅に捉えたため、姿勢を下げて頭上の風を斬る音を聞いてから、半回転させた肘を男の顔面に叩き込んだ。


 右から来る剣を左足を軸に半回転して避け、左から来る剣を今度は右足を軸に半回転して避ける。ラナの左右からは幾度も剣を振り下ろされるが、一度として剣は何も斬ることができないでいる。

 ついには同時に振り下ろされた剣を、一歩強く地を踏み、高い跳躍で何事もなく回避する。

 振り下ろされた剣が地面に叩きつけられる鈍い音がしてすぐ、音もなく片足で着地したラナは左右に持つ剣を回転させるように、それぞれの男を横一線に斬った。


 倒れる男達。


「殺してないでしょうね」

「ああ多分」

「さて、こんな危ない奴らはさっさと城にで、も」

「おい、ラナ」


 アルンとラナは思わず背中合わせになり、周囲の、ゆっくりと立ち上がる男達四人を見回す。

 そして二人は見た。


 男達の傷から流れる。

 真黒な血を。


「確認するが、こいつら人間だよな?」


 アルンの確認の問い。


「見てわかるでしょ。人間よ」


 アルンの問いに対する当然の答え。

 ただ、と付け加え。


「中身は自身ないわね」


 男達が剣を手に斬りかかる。

 アルンの正面から迫る剣を刀で防ぎ、足で男の腹を思いっきり強く蹴り上げ、その隙に立ち位置を入れ替えたラナが低い姿勢のままその男の腕を斬り上げた。

 真黒な血が舞いあがり、男は苦悶の表情を……上げることはなく今度は残った手で掴みかかる。


「なんなのよ!」


 掴みかかる男を回し蹴りで吹き飛ばし、右から迫る男を斬ろうとして、それはアルンの振り下ろした刀によって肩から深く裂かれる。

 だがその深い傷、本来であれば致命傷となる程の傷を負った男でさえ、まるで痛みを感じていないかのように立ち上がる。


「まるで昔話に出てくる“黄泉の人”だな」

「怖いこと言わないでよ」

「で、どうする?」

「粉々に斬る、しかないかもね」

「それこそ怖いだろ」

「しょうがないでしょ。斬っても堪えないんだから…… 待って!」


 急に周りの男達が苦しみ、うめき声を上げる。


「な、なんだ!?」

「大量の界素の流れ…… どこ!?」


 ラナは目を細め周囲を目まぐるしく見回す。


「界素って、術か!?」


 突如、うめき声を上げていた男達の体の各部分から炎が燃え上がる。

(な、に)

 その炎は次第に大きく、そして男達を飲みこんでいく。

 程なくして、あっけなく男達は灰一つ残さず燃え尽きた。


 疑問と不安を残して。

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