004 旅商人は笑う

 すっかり夜の帳がおり、辺りは暗くなっていた。


 上を見上げれば木々の間から見える濃青の空、そこに浮かぶ二つの月が月光を地上にそそいでいる。昼の力強い陽光と異なり、月光はずいぶん静かで神秘的だ。

 太陽は一つなのに月が二つあるのは、なんでも大昔に空が割れて、そのせいで二つになったとかならなかったとか。そんな昔聞いた話が頭に浮かぶ、がどちらにしてもおとぎ話レベルの話である。


 周りの音に耳を傾ければ虫の音や、微かな風に揺れる草木の音が昼の森とはまた別の静寂さをかもしだす。それは夜独特の匂いとして森を包み、それがまた心地いい。


 アーティは来た道を、走ってはいないが急いで戻っていた。

(予定よりもだいぶ遅くなったなー)

 と、自分の考えの甘さを思いつつ、目の前に小さな村の明かりが見えてくると少し安心した笑みを浮かべる。


 村の入り口に差し掛かって、一つの人影が立っていることに気付いた。


「ミーシェル!?」

「こんな遅くまで何してたのよ!」


 腰に手を当て、すっごい怖い顔で睨んでいる。


「お店に行ったらアーティはいないし、待っても待っても帰ってきやしない」

「ごめんごめん」


 と、両手を合わせて謝るアーティの額を指で何度も小突く。


「ごめんごめん、じゃないでしょ!」


 赤い紐で後ろに結わえている黒髪が大きく揺れる。

 ミーシェルは気の強い活発な性格で、それでいてとても心配症だ。


「えと、でもほら。無事だから、ね」


 アーティは両手を広げ、一回転、怪我のない事をアピールする。


「ちょっと、服が汚れてるじゃない」

「だって森のちょっと深いとこまで行ってたし。あ! サンドイッチね、とても美味しかったよ」

「そ、そう」


 ミーシェルは少し頬を赤らめる。

 自分の作ったパンを褒められるのが一番喜ぶことをアーティは知っている。


「て、それで誤魔化そうとしたってダメですからね!」

「やっぱ、ダメ?」


 ダーメ、と再びミーシェルの指がアーティの額を小突き始める。

 痛い痛い、と笑いながら額をおさえるアーティ。

 うりゃうりゃ、とミーシェルも笑いながら小突く。


「あれ、私の店に来たってことは何か用事でもあった?」


 えっと、とミーシェルは一拍置いて、


「特にないけど、ロイウッドさんがアーティは北の森に行ったって言ったから」

「ああ、そっか。心配してくれてありがとう」

「う、うん。次からはちゃんと明るいうちに帰ってきてよ?」

「うん、約束する」


 ミーシェルは幼い頃に両親を亡くしたと聞いている。

 だから怖いんだろう、いなくなることが。

 二人は、自然と手をつないだ。


 ◇ ◆ ◇


 雲ひとつない青空。

 二つの月に代わって今度は太陽が力強い陽光を村にそそぐ。

 今日も快晴、さわやかな朝だ。


 時計は7時を指し、着替えも済ませて開店までの準備は全部整えてある。

 小さなキッチンで、これまた小さなフライパンで卵とカリカリになるまでベーコンを焼いて、白い皿にのせる。そこに添えるのはもちろんミーシェル自家製のパンだ。

 それをアツアツのうちに小さなテーブルに並べる。

 さて、店の開店時間までの静かな朝食を。

 と、いうのはドアを叩くけたたましい音と共に通り過ぎて行った。


「アーティちゃーん」


 ドンドン、というけたたましい音は静かになる気は一切ないようなので、ため息をつきノロノロと向かう。


「ウィランドさん、まだ開店時間前なんですけどー」


 ドア越しに一応確認してみる。


「もう、いてもたってもいられなくなってね!」


 やっぱり、と半ばあきらめてドアを開けた。


「ハハハ、ごめんね。で、どうだった?」


 ウィランドの目が待ちきれない、といった様子で輝いている。

 アーティはカウンターの下に置いてあった小さめの箱を両手で持ち、蓋を開けた。


「グルシダの葉、二十枚ですね」


 ウィランドは目を見開き、震える手でグルシダの葉が入った箱を受け取る。

(このウィランドさんの反応。やっぱり、どうしても必要なものだったんだね)

 採ってこれてよかった、とアーティは笑みをもらす。

 ウィランドは両手でそれを抱え、


「ありがとう、ありがとう」


 と、何度も何度もそう呟いた。


「それで、おいくら?」

「一枚1,000κで、全部で20,000κですね」

「うお、たっか。アーティちゃん、いろいろな街で宣伝す」

「20,000κです!」


 アーティはウィランドがいつもの調子に戻ったようなので少し安心し、胸を撫で下ろす。

 しぶしぶ払うウィランド、でもその顔は何か重みが消えたかのように晴々としていた。


「そうそう、アーティちゃんって隣の街には仕入れに行ったりするのかい?」

「隣の町? レゾスタですか? ええ、あそこには大きな市場がありますから薬の材料とか買いには行きますけど、何か?」

「最近はあまりいい噂を聞かなくてね」

「どういうことです?」

「最近あの街の市長が変わっただろ?」


 アーティは一つ相槌をうって先を促す。


「これはあくまで噂なんだが……」


 少しためらってからウィランドは口を開いた。


「その市長が人をさらって何かやってるらしいんだ」

「何か?」

「ああ、人体実験、とかそんなことを」


 少しの沈黙が流れる。


「これは噂だからさ。気を付ける、程度に頭に入れといてくれよ」

「そう、ですね。ありがとうございます」

「さて、と。それじゃ、俺はそろそろ出発しようかね」


 ウィランドは手に持つ箱を大事そうに背中の大きなリュックに入れる。


「もう行くんですか?」

「今回はちょっと遠くまで行くことになるから、しばらくは戻ってこれないと思う」

「そうなんですか」

「しばらくアーティちゃんに会えなくなるのは寂しくなるよー」

「ハイハイ」


 と、笑顔でそれを流す。

 ハハ、と一言笑ってウィランドはドアノブに手をかける。


 ドアが開き、陽光が真っ直ぐ店内に伸びる。

 そして鈴が透き通った音色を響かせる。


「ありがとうございました」


 後に残るのは少女の優しい笑顔。


 リーン

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