第201話 スパゲティ・ボウル

「びっくりしたねぇ」

 喫茶店に二人を残して、莉緒と彩那は再び帰路についた。

「まさか坂元さんの彼女があの鷹ヶ峰の人だったなんて」

「私としては、あんな甲斐性無しに彼女がいただけでも驚きだけど、相手がまさか・・・」

 語尾がどんどん掠れていく。歯切れ悪く話す彩那の、途切れた部分の言葉を莉緒は察する。あの後、彼女は全く喋ることなく、無言で過ごした。二人を残して出たのはそういった理由もある。

 彼女がどういう経緯で坂元の元で働いているかは話としては知っていた。今はそうでもないが、当初は坂元と険悪だったらしい。自分に置き換えて考えて見ても、彼女はまだ理性的で我慢強い方だと思う。自分なら、意思に関係なく強制的に首環を嵌められ、これまで自由に使えていた力を封じられてしまうなんて、考えるだけで胃が痛くなる。もちろん自分が力を悪用していたのだから罰が与えられるのは仕方ないかもしれないがそれはそれ。自分を封じた相手と仲良くなるのは、難しいだろう。相手としては、そう判決を下すしかなかったとしても。

「やっぱり、どうしても気になっちゃう?」

「ん、まあ」

 正直に、彩那は心情を吐露した。

「無理もないと思うよ? 自分を有罪判決下した相手と、何事もなかったかのように振舞うってのは。だから、無理に取り作ろう必要も相手に合わせる必要もないと思うよ。接点を持つって言っても、業務上の事くらいだろうし、ほとんど関わりを持つ事もないと思う。こちらが望まなければ、向こうも嫌がる事はしないでしょうし」

「ん、まあ、それは、確かに」

 言葉を交わしたのは少しだが、それだけでも鷹ヶ峰が出来た人間だということは分かる。纏う雰囲気に余裕があるのだ。心の余裕を器と考えると、その器から零れ落ちると怒りや苛立ちが現れる。そして、その彼女の器は底が知れない。大人げない彩那の態度を無視するでもなく、苦笑しながら受け入れたのだ。嫌われていると分かっている相手を受け入れるなど、並みの神経では出来ない。相手は自分の鏡とも言う。自分が怒っていれば相手も怒る、嫌っていれば相手も嫌う。逆もまた同じ。異なる感情を抱くのはかなり難しい。彼女はそれをやすやすとやってのけた。悔しいが、認めざるを得ない傑物だった。

「それにあの人、見た目は子どもだけど器は海より広そう。だから、あの偏屈な坂元さんも部下として従ってるんだと思う」

 莉緒も同じ意見のようだ。ほとんど引きこもっている坂元は、人間関係は希薄だ。仕事の関係者以外で彼の知り合いに会ったのは、カフェのマスター以外では初めてだった。

「あ、でもこのまま行くと、会長の義姉さんになるのか・・・じゃあ関わりを断つのは難しいのかな?」

 冗談めかして言う莉緒。彼女の視線が彩那から前方へ向き、途端眉間にしわを寄せた。

「・・・どうしたの?」

 相棒になりつつある彼女の異変に気づいた彩那が声をかける。「あれ」と莉緒が指差した先の状況を確認して、彩那もまた同じく渋い顔をした。

 彼女らの目の前では、漫画のようなやり取りが繰り広げられていた。若い男が数人、女性を囲んでナンパしている分かりやすい構図だ。女性は明らかに嫌がっており、断りたいが、自分よりも大きな男数人に囲まれて断りの声すら上げれないようだ。

「しかも、うちの生徒じゃない」

 彩那が言うように、絡まれている女性は彼女たちと同じスメラギ女子の制服を着ていた。生徒会長としてこれは見過ごせない。

 仕方ない、事後報告になるが能力を使うか。

 坂元からの仕事がない時は、自分の身を守るためだけにのみ能力のしよう許可が下りている。それ以外では忌々しい首輪が絞まる。となると、男共の敵意を自分に向けさせて反撃するという名目で使うしかない。だが、あまり下手な命令も出せない。襲われている生徒が違和感を持たないよう、相手が諦めたと思わせるような命令を

「・・・ってちょっと?」

 思案する彩那の傍をすすっと気配が進み出る。言うまでもなく莉緒だ。顔は怒りのあまり無表情になっている。それもそのはず、以前の事件で彼女はああいった男連中に後輩が怪我をさせられ、自分も襲われて危うい目に遭っている。女を自分の欲のための道具みたいにしか思ってない男は大嫌いな部類だろう。

 かといって、また叩きのめしたら問題になる。思わず肩を掴むが、彼女の体はびくともせず、止まるどころか反対に彩那は引き摺られてしまう。まるでダンプカーだ。いや、ダンプカーよりも凶悪だ。

「大丈夫です。いきなり手は出しません。それは最終手段です」

「その最終手段がすぐ来そうな気配醸し出しておいて何言ってるの!?」

 しかし彩那の言葉で止まるわけがなく、軽く肩をゆすって手を外した莉緒は、男たちに近づく。

「「ちょっと!」」

 声が重なる。彩那、ではない。また別の第三者の声だ。彼女たち以外にも、この状況を見るに見かねた善意の人間がいた。

 莉緒が自分と同じセリフを放った人間の方を見る。相手も、莉緒を見た。

 莉緒の体を戦慄が駆け抜ける。相手を認めた瞬間、反射的に腕が変質しかけた。完全なる無意識だ。本能が訴えたのだ。全力で当たらねば殺される。それほどの強敵の出現を。

 彼女は自分たちとはまた別の学校の制服を着ていた。くりっとした目が印象的な、普通の今時女子高生だ。軽く化粧を施した顔に、少し明るく染めた髪は肩の辺りで先が揺れている。

 綺麗な子だった。女子から見ても羨む、いや、女子の方が憧れるタイプの顔だ。もちろん男も好きだろう。だが、そんな彼女を莉緒は最大級の脅威と認識した。見た目は確かに普通の、可愛いだけの女子高生だ。だが、それにしては気配が薄すぎる。意図的に気配を消しているかのようだ。おそらく莉緒でさえ、意識しなければ何も気づかずにそのまま過ごせたであろう。だが、一度認識してしまえば判明するのは全く逆の事。彼女の佇まいから、仕草から、息遣いからですら感じ取れてしまう。歴戦の猛者の空気を。

 相手もまた、莉緒を凝視していた。

 気づいたのだ。莉緒が戦う者であるという事に。戦いに身を置きながらそれを隠している人間には特有の癖がある。戦っている事を悟らせないように癖を抜く癖だ。気配を発しない事もその一つだ。おそらく彼女も、莉緒と道端ですれ違っただけでは気づかなかったに違いない。

 気づかなければ、互いに平和なままでいられた。だが、馬鹿な連中のせいで、互いに気づいてしまった。

「せ、先輩」

 男たちが莉緒たちに気をとられた隙に、囲まれていた女子生徒が莉緒の背後に回った。彩那が「もう大丈夫」と声をかけている。

「ちょっと、何なのあんたら」

 ナンパを邪魔された男たちが不機嫌な顔で、しかし新たな獲物を発見した喜びを隠そうともしない下卑た笑みを浮かべて、莉緒たちに近づく。

 莉緒は、後輩にも、目の前の男たちにも意識を向けない。向けられない。それ以上の脅威が目の前にあるのに、どうしてたかが人間程度の脅威を気にしていられる?

「あんたらもどう? 一緒に」

「そっちの彼女も可愛いじゃん。遊ぼうよ。な?」

 そっちの彼女も、男たちの声など無視して、静かに莉緒に近づく。周りで男たちや、不審に思った彩那の声も、莉緒には届かない。完全に二人の世界だ。

「おい。何無視してんだよ」

 どれほどの呼びかけにも応じない彼女らに業を煮やしたのか、男の一人が彼女らの視線の間に割って入ろうとした。

「聞こえてますかァ? おー・・・」

 彼女らの目の前でスマートフォンをちらつかせるように持った手を振る。臨戦体勢の彼女らの前で、あまりにも不用意な行為だった。


 パガッ


 振っていたはずの男の手が止まる。彼女らの丁度中間地点で。

「え?」

 男は自分の手からスマートフォンが消えたため、驚いて手を止めたのだ。落としたのか、いや、落下音はしていない。ではどこに。

「・・・え」

 見つけた。幸いにも、不幸にも。

 男のスマートフォンは、彼女『ら』の手の中に会った。正確には、ぶつかり合った拳と拳の間に挟まれていた。ショック吸収タイプのケースに包まれた精密機械は、液晶画面がクモの巣よりも細かなひびが入り、ただでさえ薄い横幅がさらに薄くなっていた。

「え・・・え?」

 戸惑う男。ようやく、自分たちの間に入り込んだ異物に気づいた彼女らは、ゆっくりと拳を離す。破片を撒き散らしながら、スマートフォンだったものが今度こそ落下する。四つんばいになりながら拾う男を、そんな仲間を呆然と見守る男たちを、彼女たちは全く意に介さない。路傍の石と同じ扱いだ。さすがの男たちにも、これは関わっては『生けない』相手だと悟ったらしく、一目散に逃げていった。

「あなた、あっちの?」

 彼女の短い問いかけの真意を、莉緒はすぐに察した。

「ええ。そちらも、ですよね?」

 汗が伝い、目に入っても、反射的に目を瞑ることもぬぐうことも出来ないまま質問を返す。一応は、と彼女は答えた。

「無許可、無認可、じゃない?」

 無許可で滞在していたり、無認可で力を行使していたりしないか、という質問だ。以前の莉緒は無認可で行使した事があるが、昔の話。

「認可をとったのは最近です。今は坂元辰真という指導員免許を持った方の元でお世話になっています」

「ん? 辰真さんの?」

 途端に彼女から警戒が解かれた。

「あ、じゃああなたが、最近辰真さんの元で更生中の人?」

 そして、おそらくこちらが素であろう、朗らかな話し方に変わった。

「坂元さんとお知り合い、ですか?」

 幾分肩の力を抜くことを許された莉緒が尋ねる。

「知り合いも何も、うちの姉の友達で、私やもう一人の姉の家庭教師を引き受けてくれた人。見るも無残だった成績の姉を、彼氏と同じ大学に行かせた恩人よ」

 なあんだ、そっかー、と完全に打ち解けモードになっている。

「あの、どちら様?」

 展開に全くついて行けない彩那がようやく口を挟めた。絡まれていた女子生徒の姿はとうになかったので、彩那が帰らせたらしい。

「あ、ごめんごめん。自己紹介もせず勝手に盛り上がっちゃって」

 ごほん、と咳払いを一つし、彼女は居住まいを正した。

「私は三蔵瀬織。あっち関係の人には三蔵家の三女、と言った方が分かりやすいかな?」

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