第199話 後悔
「あなたの体は、時が止まっておる」
異界の医師は、私を診断してそう告げた。
私の体は、小学六年生の時から成長が止まっている。これは、過去に起きた事件が関係している。私はその事故で重傷を追った。酷い怪我だったが、回復し、退院もできた。しかしそれ以降、身長も体重もスリーサイズも全く変わらなかった。成長期が終わったのか、と一時は悲しみにくれたが、そういうわけでもなかった。精密検査の結果、私の肉体は十五年経った今も、小学六年生時の細胞だという。前例のない後遺症に、現代医学は解明出来ないという答えを出した。現代医学で駄目なら、別の医学を頼るしかない。幸い、親友が異界で捕まえてきた(当人いわく勝手についてきただけだそうだがあまりの仲の良さにちょっと疑わしい)夫候補が向こうでは優秀な医師だったので、診察してもらうことになり、診断結果が「時が止まっている」とのことだ。
「それは、なんらかの毒か何かが体内に残っている影響、ということか?」
「半分正解で、半分不正解だ」
答えを急く私をなだめるように、医師が答える。
「こら、勿体付けてないでさっさと要点だけ、手短に、かつ分かりやすく説明しな」
隣にいた、私の秘書兼護衛を勤める親友が、医師の頭を叩いた。
「あのなあスセリよ。いつも言っておろうが。この天才の頭を気安くぽんぽん叩くでないと。我の頭は精密機械と同じで繊細なのだ。あなたのように脳ミソまで筋肉で出来ているわけではああがががが!」
「あらあらクウさん? 天才的頭脳の癖に全然学ばないようだから良く揉んでさしあげようかしら? 誰が脳筋だって?」
「や、やめ! もう揉んでってか掴んで軋みを上げっ、ちょ! があああああっ!」
医師が失神する前に止めに入る。答えを聞く前に気を失われては困る。「失ったなら、気を入れるから大丈夫なのに」となんて事ない風に答える彼女を宥め、涙目の医師に向き直る。
「それで、先生」
「うむ。話を続けよう。時が止まっているとはそのままの意味で、あなたが事件に巻き込まれたという十五年前に起因して、体は成長を止めておる。だが、体内には今あなたが言ったような毒、もしくは我が使うような術の効果は見受けられなんだ」
「では、原因は他にある、と?」
「その通り。我の見立てでは、あなたと、あなたを強く思う者。その二人の強い思い、意思が鎖のように絡みあって、あなたを過去に縛り付けている」
「人の意思が、人体にまで影響を及ぼしている、と?」
「信じられぬか?」
医師の話は、言われた通りにわかには信じられないものだった。だが、私は首を横に振った。もう何年も別世界や別次元、別法則の現象を見てきている。
「いや。そういうわけではない。そういうわけではないのだが」
「何か思い当たる事があって、そして、それをあなたご自身では『ありえない』と思っている。そんなところかな?」
医師は的確に私の懸念を見抜いた。
「もしよければ、十五年前に何が起こったか教えてくれぬか」
「それは・・・」
一瞬、言葉がつまった。それを見た親友が、再び医師の頭を叩く。
「あんたにはデリカシーってもんがないの!?」
「でりかしーが何かは良くわからぬが、患者の治療の邪魔になるようなものは我には不要」
涙目で、しかし医師は折れなかった。話さなければ治療できぬと言い張った。
「あんたねえ!」
「いや、スセリ。構わない」
自分から診察を依頼して、原因となった事件の事を話さないというのは理屈に合わない。医師の言う通りだ。治療は医師と患者、両方が協力しなければ行えない。
親友を制止し、向き合う。ゆっくりと、当時の事を話す。
「なるほど」
話を聞き終えた医師は、自分の推測が確信に変わったのか、大きく頷いた。
「あなたの時を止めている原因が分かった。それは」
「それは?」
私は、固唾を飲んで医師の口元に全意識を向けた。
「後悔だ。非常に強い、後悔と悔恨」
--------------
我が目を疑った。
ここ数ヶ月で何度か自分の目を疑うことがあり、実は現実と虚構に差などないんじゃないかと哲学的な思考に走ろうとした経験を持つ彩那にとって、おそらくこれまで史上最大の疑惑を我が目に向けた。もしくはここ最近の蓄積された疲れが一挙に目に到来したのか。ともかく、彩那は一度きつく目を瞑り、眉根を指で揉んでほぐし「いやいや何かの見間違いだ」と自分に言い聞かせて、再度同じ方向を見た。
先程と変わらぬ光景が目に映った。
「? どうしたの会長?」
一緒に歩いていた莉緒が彩那に声をかけるが、気づけないほどのショックが彼女を襲っていた。
彼女の目線の先には、数ヶ月前に出来た兄の姿があった。彼が時折バイトに借り出されるというカフェの窓際の席に座っている。
なぜか幼い少女と。
一つ一つのパーツなら何も問題がない。
引きこもり気味であまり家から出ない兄が外に出ているのは確かに珍しい、が、ないわけではない。一応人間だ。食料を買いに良く事もある。
彩那よりも年下の少女なんてどこにでもいる。この国だけでも何万人の少女がいるのだ。日中に外出して見かけない日など皆無に近い。
しかし、三十に手が届こうかという男と少女の組み合わせは駄目だ。犯罪の匂いしかしない。兄の子ども・・・にも見えない。あんな愛らしい顔の少女が、あんなひねくれた男の遺伝子を引き継いでいるはずがない。
つまり、考えられるのは最悪の答え。誘拐未成年者略取、児童ポルノ法違反だ。
「え、ちょっと会長? どこ行くの?」
莉緒の呼び止める声を振り切って、彩那は進む。木製のドアを押すとカウベルが鳴り響き彩那の来店を知らせる。奥からこの店のオーナー、古屋ルーシーが相変わらずの完璧な微笑みを湛えて現れた。
「いらっしゃいませ。比良坂さん。手鹿さん」
通常であれば、後ろにいる莉緒のようにオーナーのご尊顔をしばし拝謁し、その幸福に浸るところだが、状況が状況だ。オーナーに断って店内に視線を巡らせ
「・・・いた」
ずかずかと、わざと足音を立てるようにして目的のテーブル席に近づく。近づくに連れ、テーブル席の会話が聞こえてくる。
「ほら、あーん」
「お前なあ・・・」
「良いじゃないか。付き合え。言う事きかないと開放せんぞ?」
「・・・くそ」
まさかの『あーん』シーンだ。パフェをスプーンで掬い取って相手に食べさせる、漫画とかで恋人同士が良くやる、実際にやってる奴は見たことないアレだ。ただでさえ痛々しいのに、それが身内だとなおさら辛い。見たくなかったものに見たくなかったものが掛け合わされ、彩那の怒りをさらに燃え上がらせた。
「そうそう、いい子だ。美味いだろう?」
「ここの飯はなんだって美味いんだよお前の功績みたいに言うんじゃ・・・ん?」
犯人と目が合った。さぞ冷たい目をしていたことだろう。幾分焦ったように坂元が口を開いた。
「お前、何でここにいぶっほぉっ!」
最後まで言わせなかった。腰の入った鋭いストレートが坂元の頬を的確に捉えたからだ。坂元は唾を撒き散らしながらテーブル席の背もたれにぶつかり、そこからゴロゴロと転がってテーブル下に落下した。
「ちょ、おまえ、いきなり何すんだ・・・」
テーブルに引っかかっているのか、中々起き上がる様子がない。
「この、犯罪者がっ」
彩那はしゃがみ込み、手を伸ばして兄の胸倉を掴んで引っ張り上げた。
「とうとうやったわね。やってくれたわねこの野郎」
「おい、待て。お前、何か勘違いを」
「言い訳するな!」
二発目は至近距離からのアッパーだった。坂元の頭が綺麗な放物線を描いて再び座席にランディングする。
「これは駄目でしょう。完全にアウトでしょう。今からでも遅くない。私が付き添うから、警察に行こう。自首しよう」
「・・・なんでいきなり犯罪者扱いされて、殴られなきゃなんないんだよ」
痛みに耐えながら、坂元が唸る。
「扱いもされるでしょうよこの状況! 見て! 客観的にこの状況良く見て!」
「てめえこそ今の僕を良く見ろ!」
「はあ!? 良く見たわよ。見たから正義の鉄槌を・・・お・・・お?」
彩那は改めて坂元の全身を良く見た。彼の体には、なぜか縄が巻き付けられ、腕を固定されている。まるで拘留中の犯罪者を移送するみたいだ。そして、その縄はテーブル下を通って、少女の方に向かっている。縄の先を追うと、案の定、少女の手に縄の先があった。
「・・・なに? もう捕まってたってこと?」
「言いたい事は、それだけか?」
さすがの彩那も、自分が何か勘違いしていたことにようやく気づいた。
「ぷ、ふ、ふは、あっはっは!」
少女の笑い声が、混迷のテーブル席に木霊する。
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