第176話 紡がれる歌

 街に戻ってきた僕達を、目聡くウルスラが見つけた。鎧は既に脱ぎ、半袖の薄いシャツと、白く肉付きの良い太ももが映える黒のホットパンツを履いている。鎧の下はこんな感じか。ビールのポスターにでも使われそうなしなやかな肢体を晒している。残念ながら、その健康的な美脚には包帯が何重にも巻かれて血が染み出して汚れてしまっていた。ただまあ、本人は多少歩き辛そうにしてはいるが、杖をついて歩き回っている辺り、そんなに気にしていなさそう。顔色も、戦いが終わった後にして見れば良いし、死にそうにも無い。

「急に飛び出してって、どうかしたの?」

「なに、ちょっと化け物のお見送りをしていただけだよ」

 ティアマットとのやり取りを説明する。

「なるほど。シュマを裏で操っていた奴がいて、正体はアジ・ダハーカと同じ種類の化け物だったってことね?」

「ああ。せっかくお誘い頂いたし、ちょっと行ってくる」

「近所に買い物に行くような気軽さね。絶対罠とか待ち受けてると思うけど」

「だから何? 罠があると分かっていれば、罠の効果は半減するもんだよ」

 僕の答えに、ウルスラが呆れながら苦笑する。

「ついさっきまで化け物の腹の中にいたはずなのに、どこからそんな元気が湧いてくるのか秘訣を教えて欲しいものだわ」

「一回全てを失うことだね。そしたら疲れとか怪我とか、死ぬ事すらどうでも良くなる」

 後は、化け物を喰ったりすることかね。精力以外にも呪いとか色々つくこと請け合い。経験者は語る、だ。せっかく親切に教えたのに、ウルスラは笑いながら「それは無理ね」とすっぱり簡単に諦めた。

「私が持ってるものは、どれもこれも失いたくないものばかりだから。クルサも、街のみんなも、狩猟者や守備隊の連中も」

「そうかい」

 僕も期待はしてない。答えの分かりきっている質問だった。それに、彼女にとっては大切なものがあった方が、元気が出ると思う。

「せいぜい、その二本の腕で守るといいよ」

「ええ、頑張る」

 ふと、街の中央から上っている煙を見上げた。

「何あれ。炊き出しか何かか?」

 地面についた杖を支点にして、器用に反転したウルスラも同じように見上げ、首肯した。

「そうよ。休まず働いてる連中に、街の人間から。無事に残った食料で飯を作って振舞ってる」

 アジ・ダハーカを倒すためとはいえ、食堂ひとつ吹っ飛ばしたのは黙っていよう。

「二人も食べてく?」

 肩越しに振り返り、たずねてきた。

「ていうか、食べてけ。どうせまだ出発しないでしょ?」

「まあ、しないけど」

 準備とかしたいし、何より眠い。結局昨夜は腹を刺されたりしたから良く眠れてない。

「じゃあ決まり。決定。それに、行けば面白い物が見れるわよ」

 面白い物? 首をひねる僕達に含み笑いを返して、ウルスラはすたすたと炊き出し会場へ向かって歩いていく。僕達も後に続いた。


「「あ」」

 僕達が気づくと同時に、向こうも僕達の接近に気づいた。

「戻ってきたのか」

 そう言って何事も無かったかのようにスープの入った器を差し出してくるが、僕としては違和感しかないのだが。

「何やってんのドゥルジ」

「見て分からぬか? 給仕をしておる」

 ほれ、さっさと受け取らぬか、と器を突き出してきたので、とりあえず受け取る。脇に退くと、ドゥルジはまた寸胴鍋をよそいスープを器に入れ、並んでいた狩猟者に手渡している。狩猟者の方も特に不思議がることも怯える事もなく、むしろ嬉しそうに受け取って匙で口に流し込む。

「クルサたちに頼まれたのだ」

 スープをよそいながら、ドゥルジが喋りかけてきた。

「炊き出しをするから手伝って欲しいと。ある程度の救助が終わった後は早々に出て行くつもりだったから、我は最初断った。我のせいでこの街は破壊されてしまったのだからな。今更住民達に合わせる顔がない。だがクルサはどうしてもと言ってきかん。確かに、我としても何か贖罪のひとつふたつしていくべきかとは考えていた。だが、我が給仕などしても、怯えて誰も近寄ってこんだろうと思っていたが」

 並んだ守備兵にスープをよそう。

「実際は反対だな。大人気だ」

「そうなのだ。どうも我は、料理の才能があったらしい」

 それだけではない気がする。どんな料理であろうと、美女に用意してもらったら誰だって欲しくなる。

 おそらく、クルサは彼女を受け入れる気だ。だから多くの人と面と向かって対峙できる仕事を頼んだ。ドゥルジに対する偏見をここで解消しておくのだろう。いいタイミングだと思う。疲れたところに暖かい食い物を食べると、人の心は緩み、受容量が広くなる。味覚と満腹による多幸感によって受けた親切を通常の倍はありがたく感じる。ドゥルジからスープをよそってもらった連中は、おそらく彼女の事を人間ではないけれど良い奴と思っているに違いない。

 スープをすする。美味いが、そこまで大げさに言うほどのもんじゃない。

 だが空きっ腹に暖かいスープは本人の感想など屁の突っ張りにもならないと、途端に盛大な音を奏で始め、追加の催促をし始める。要望に応えるためにがつがつとかっ込む僕を、ドゥルジがどうだと言わんばかりの勝ち誇った笑みで見ているのが少々癪に障る。

「遠い昔、記憶も薄れるほどの、我がまだ人であった時。おそらく我は、こういうことをしていたのだ。こういう、誰かを笑顔にする事をしていたのだと思うのだ」

 ドゥルジの視線の先には、嬉しそうにスープを飲む人々がいた。

「どうして、我は人を捨てて、化け物になったのだろうか」

 そんなの、本人にしか分からない。まあ、やつも僕に聞いたわけではないだろうけど。ただ、はっきり分かっていることはある。

「自分のことを化け物と言うけれど」

「ん?」

「残念ながら、あんたは化け物足り得ない」

 ドゥルジが視線だけ僕に向けた。

「化け物は、人の幸せなど願わない。人の幸せを願うのは、いつだって同じ人だ」

 ご馳走様、と空いた皿を彼女に返す。

「あんたが今、誰からも恐れられないのは、きっとそういうことなんだろ」

 腹の皮が張ったら目の皮が弛むってのは至言だな。眠さがもう限界だ。

「・・・そうか」

 視線を人々に戻した彼女が微笑む。

「我は人足り得るか」

「人の何が良いのか、さっぱり分からないな。人の幸せを奪う確率が最も高いのも人だってのに」

 人がそんなに良いものではないことは、僕が良く知っている。僕自身が良いものではないしね。事実に皮肉を多量に混ぜ込んで彼女に言ったつもりだが、何故か彼女は噴き出してしまった。

「何が可笑しいんだよ」

「可笑しいも可笑しくないもない。お主ほどそんな台詞が似合わぬものもおるまいて」

 今の僕のセリフのどこが可笑しいというんだ。首をひねる僕に「分からぬか?」とドゥルジは再び街の人々に目をやった。

「我は、いや、我だけではない。本体であったアジ・ダハーカも、おそらく他の欠片を持つ化け物達も勘違いをしている。人から生まれ出る恐怖、憎しみ、諦め、嘆き、悲しみ。人の負の感情が栄養になると思っておった」

「ん? 違うの?」

 僕もそう思ってたけど。

「違ったのだよ。お主がそれを証明した。そのお主が、それを否定するような事を言うから、可笑しくての」

「何だよそれ。そんな事言った覚えは無いぞ」

「だからこそ余計に可笑しいのさ。自覚がないのに・・・ん、いや、だからこそか?」

 一人で勝手に納得されても、僕は喉に物が詰まったような気持ち悪さが残るばかりで困るのだが。

「おそらく、今のお主に答えを言っても納得はすまいな。だから、お主の旅がいつか終わったら、またこの街を訪れるが良い。その時に教えてやる」

「いや、今教えろよ。判断は僕がするからさ」

「駄目だ駄目だ。いかにお主の頼みだとて、教えてやらぬ」

 いくらたずねても、それ以上は教えてくれなかった。何なんだ一体。もう知らん。さっさと寝て、忘れてしまおう。



 --------------



 イラン、ダマバンド山付近にて、古代の遺跡が発見された。多くの貴重な遺物が発掘され、中でも一冊の本が、歴史を変えかねないと関係者の注目を集めている。

 何千ページにもわたる膨大な情報を有する本の中身は、太古の人々の風習や文化が綴られるだけでなく、明らかにその時代にあるはずの無い技術が当たり前のように使われていた事を示していた。本の内容を証明するかのように、遺跡からは数々のオーパーツが発見され、中には合金よりも固くプラスチックよりも軽い謎の素材を用いた剣も見つかった。材質の解明が進めば、科学分野、製造業、金属加工業で革命が起きると期待が寄せられている。

 また、宗教関係でも定説が覆される出来事があった。

 数々の宗教に影響を与えた、最も古い一神教は、実は全て史実だったのではないか、というのだ。

 本にはこう記されている。


『かつて、邪悪な龍が街を襲った。眷属であるサソリ、カエル、トカゲを率い、人々を恐怖のどん底へと突き落とした。人々の恐怖や悲しみ、負の感情こそが、龍の栄養であった。街から溢れる負の感情を喰らい、龍はますます強くなり、人々は諦め俯いた。暗い未来が人々の前に広がった。

 だが人々が絶望に沈む中、光輝く善なる者が現れた。人々はその光に希望を見出し、奮起した。自ら絶望を振り払い、諦念を捨て、恐怖に打ち勝った。善なる者も人々から溢れる希望や誰かを守らんとする信念、救いたいという慈悲の心、あらゆる正の感情を喰らい力に変えた。人々と善なる者は力を合わせ、遂には邪悪な龍を討伐した』


 これだけであれば、まだ定説を覆すとまで話はいかなかった。善悪二元論は、子どもをしつけるための御伽噺として使われることもある。

 悪は最終的に善に負けるんですよ、だから良い行いをしましょうね、悪がはびこるとき、必ず正義が現れるものだよ、という教訓を含んだ、ひとつの寝物語だと最初は考えられていた。事実、この地域の人々は本のことを知らずとも、その物語を知っていた。親から子へ、子から孫へと受け継がれた、昔からある子守唄や御伽噺として存在する、民間伝承のひとつだった。

 だが、その伝承が問題だった。本には善なる者としか書かれていないが、子守唄ではその者の名前が存在した。それも、極東で新たに発見された遺跡にも刻まれていた名だ。物語の内容も極東の遺跡と類似点が多く、偶然と片付けることはできなかった。学者達はまた頭を抱えて、それ以上に楽しんでいる。新たな発見はいつだって人を幸せにする力があるのだ。

 学者達は子守唄を口ずさみながら、未来の子ども達の糧になると信じて真相解明に全力を注ぐ。


『今がどれほど辛くても、苦しくても、大丈夫。諦めないあなたの前に、必ず善なる者は現れる。あなたの行く道をクシナダが照らし、タケルが邪悪な敵を討つだろう。だから安心して眠りなさい。明日への希望を胸に抱いて』

                   ―子守唄『ドゥルジの歌』より抜粋―

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