第137話 悪が栄えた試し無し
都に異世界の戦士が戻ってきた。
その一方を受けたキンカッサは、ギンスたちを呼び寄せた。彼らこそ、異世界からあの女を召喚し、魔王討伐を依頼した者達であり、つまりは、湖の権利を奪い取り、水に税をかけようとしている張本人でもある。
「帰ってきたということは、魔王を、サジョウのヤツを殺せたということか?」
「向こうにいる部下が遣い魔でよこした情報によれば、既に霧は消えているとの事」
「サジョウが生み出していたあの霧だな。では、間違いないのでは? キンカッサ様」
「まだだ。まだ安心は出来ん。書類がこの手に入るまではな」
彼の言う書類とは、湖の所有権に関する書類だ。小賢しくもサジョウは、毒を盛られた体で術を行使し、彼らから書類を奪い取って逃げたのだ。
うかつなことをした。書類は処分してしまえばよかったのだ。キンカッサは何度も後悔した。下手に欲をかいて強引にでも湖を奪い取とうなどと考えず、一旦退き、策を練り直せばよかった。あのまま退いても、交渉が白紙に戻っただけで、普段どおり水は使えるし、道も通れた。それが、他国へ続く交通の要所は閉ざされて交易が出来なくなるし、万が一あの書類を他の誰かに見られたらと思うと夜も眠れず、胃がキリキリと痛んだ。
サジョウが死んでも、書類が存在する限り安心は出来ない。
「部下にそのまま現地で書類を捜すように伝えろ。見つけたら報酬は倍払う。ただし、中身は見るな。もし見たとしたら、その目玉をくりぬくと伝えろ」
「承知しました」
ギンスが使い魔に言葉を吹き込んで空に放つ。鳥に似た使い魔はその両翼を羽ばたかせて富んで言った。キンカッサが言った一語一句間違いなく、使い魔は部下に届けるだろう。
「キンカッサ様。女はどうします? おそらくここに戻ってくると思いますが」
「適当に挨拶してさっさと元の世界に戻してしまえ。既に戻すための準備はしているのだろう?」
「はっ。準備は整っております」
「頭の悪そうな女だったし、問題はないとは思うが、書類のことをつつかれても報酬のことを持ち出されても面倒だ。早急にお引取り願え」
「では、すぐさま送還室へお連れし、帰ってもらうことにしましょう」
ギンスたちは一礼してから踵を返し、女の元へと向かう。
「まったく、どうして湖を我々のものにしようとしただけで、こんなに問題が起こるんだ」
八つ当たりのようにキンカッサが愚痴った。彼にとって、自分以外の人間は全て愚か。都を治める王でさえも、自分がいなければ何も出来ない赤子だ。愚かな全ての人間は自分に従うべきであり、大昔に愚かな人間が作った法が自分の目論見を妨げていることに納得がいかないのだ。これを期に、法律にも手を入れる必要がある、そんなことを考えながら、キンカッサは部下たちの報告を待って
ドシャァアアアアンッ ガラガラガラガラ
「何だ?!」
何かが壁を突き破って飛び出して、キンカッサの目の前を通過してそこらの家具をなぎ倒していった。呆気に取られながら、その何かが飛んでいった方向を見やる。ガラガラと音を立ててガラクタとなった家具や壁の一部が重力によって下に崩れ、現れたのは先ほど異世界の女を送り返してくると出て行ったギンスだった。駆け寄り、膝を付いて彼と目線を合わせる。
「ぎ、ギンス! どうした?! 何が、何が遭った!」
「キン、カッサ、様・・・お、お逃げ、くだ・・・さい」
ぱたり・・・
ギンスが完全に意識を失った。
な、何が起こっている? 人間が壁を突き抜けて飛んでくるなんて考えられない事象を前に、キンカッサの頭の中はパニック状態に陥った。何も考えられないのなら、大人しくギンスが最後の力を振り絞って伝えた「逃げろ」という言葉に素直に従えばよかった。
「こんなところにいたのね?」
こつ、こつと足音を響かせながら、それはキンカッサの元に現れた。キンカッサは、その方向へ顔を向けることが出来なかった。彼の体を包む空気が固まって、彼の体を固定してしまっているかのようだ。自分の意に反する体は動きもしないくせに汗を流し始めた。最近後退し始めた生え際から額、ぷっくりと膨らんだ頬を通過して、顎へ。ぽたぽたと水滴が床に落ち、水溜りを作っていく。彼は自分の体に何が起きているかさっぱり理解できなかった。それも仕方ない。生まれてからこれまで支配者側だった彼には縁のない物を味わっているからだ。
恐怖と、殺意を。
「ねえ、あんたらのお願いではるばる西の湖まで行って、戻ってきたのよ? 出迎えも、感謝の言葉もねぎらいの言葉もなし?」
明るい声が、寒空の下で吹きすさぶ風のようにキンカッサの体温を奪っていく。靴音はさらに近づき、彼の顔を影が覆い隠した。
「こちらを向きなさい。でないと、力尽くで首だけこっちに向けさせるわよ?」
無茶苦茶だ、理不尽だ。キンカッサは心の中で罵倒した。動いたら殺されるかもしれないのに、動けなんて。それでも、生き残る可能性の高い方、指示に従い、彼は後ろを振り向いた。
「ようやくこっちを見たわね」
獣の威嚇のように歯をむき出して、異世界から来た女・スセリはキンカッサを睥睨していた。
「いやあ、やってくれるじゃない。この私を謀ろうだなんて。そんなに私、騙されやすそうな顔してるかしら?」
「だ、騙す? 一体何を仰っているのか分かりかねます。私どもはけして、あなたにそのような二心を持っては」
「おやおや、おぬし、昔と変わったのは体型だけか。相変わらず、性懲りも無く、嘘八百並べ立てておるのだな」
彼女の後ろから新たに現れた影が、キンカッサの言葉を遮った。その影の正体を認めた瞬間、キンカッサは顎が外れそうなくらい口を開き、眼球が転げ落ちそうなくらい目をおっぴろげた。
「な、な、な」
「感動の再会に声もでないほど喜んでいただけて嬉しいね。我も、貴様にはもう一度会いたかったよ」
ありえない、この場にいてはならない人物だった。
「なぜ、お前がここにいる!」
「なぜ? ふむ、どうもアレだな。学者にあるまじき、考える力も失ったようだな。こんな簡単なことも分からぬか? あの岩牢から脱出したから、我はここにいるのだよ。そして、貴様らに引導を渡しに来た。これに見覚えはあるかな?」
突きつけられたのは、サジョウに奪われた湖の書類だ。それをペラペラとめくり、影・クウは笑った。
「くくく、湖の所有権を持っているのはサジョウ殿と都の役人、貴様が認めたわけか。いやあ、太っ腹だね。都のみならず付近一帯を潤している水瓶を個人所有のものにするなんてね。しかも王の許可も得ていない模様。独断専行に書類偽造、仮にサジョウ殿が湖の水の供給を止めたら都は大打撃、その責任も負わされるだろうな」
「か、返せ!」
書類を奪おうと飛び掛るも、女に足を払われ、妨げられる。無様に転がるキンカッサにクウは告げる。
「返せというなら、我も貴様に返してもらいたい物が山ほどある。我から奪った研究途中の術式やそれで得た功績、名誉、金、ありとあらゆる物を返していただこうか」
「ふざけるな! お前のようなガキが持っていても、持ち腐れになるだけだ。私が世に出したからこそ認められたのだ。馬鹿なことを抜かすな。術は、私の物だ。私がもっとも上手く術を使えるのだ!」
「ほう、そうか。では、貴様がサジョウ殿に術を練りこんだ毒を飲ませたのだな?」
「そ、そうだ! 貴様が岩牢に閉じ込められている間も、私たちは術を進化させてきた。時代遅れの貴様などには理解できないだろうがな!」
「時代後れ、ねえ。じゃあ、その時代遅れに簡単に解読されるような術を作る貴様は、いわば能無しということかな? ・・・おお、丁度いいところに」
ちょいちょい、とクウが誰かを手招きした。現れた人物を見て、今度こそキンカッサは卒倒しそうになった。
「サ・・・ジョウ・・・」
あえぎながら、その人の名を口にする。クウは長年の友に声をかけるように気軽にサジョウの肩を叩いた。
「どうであった? 王との謁見は」
「はい。つつがなく終えました。口利きをしてくださったコセン様のお力添えもあり、私どもの言い分はきちんと聞き入れてもらえたように思います」
「それはなにより。・・・体の調子の方はいかがかな?」
「それも、何一つ問題ありませぬ。クウ殿の処置により、この通りぴんぴんしております」
「良かった。して、もう湖の方に戻られるのか?」
「ええ。妻が六月も私の帰りを待っておりますゆえ」
「そうであったな。奥方にもよろしくお伝えくだされ」
「はい。クウ殿、そしてスセリ殿。本当にお世話になりました。このご恩は一生忘れません」
「そんなに気にしなくて良いのだ。こちらも色々と便乗させてもらったのだから。では、お元気で」
「お二人も、どうかお達者で」
サジョウは一礼して、その場を離れていった。
「とまあ、こんなわけだ」
クウがキンカッサのほうを振り返る。
「貴様らの悪事は全て明るみに出た。ほれ、聞こえるであろう、あの軍靴の音が。我にも聞き覚えがある。いわれ無き罪で投獄された、あの時にも聞いた忘れようのない音だ。今度は貴様の耳にこべりつくであろう」
耳を澄ませば、ザッザッザッザと規則正しい靴音が迫ってきている。どうにかしなければならない。つかまるわけには、こんなところで終わるわけにはいかない。しかし、国は既に自分に味方しないだろう。あたりを見回し、国に左右されない人材が目に入る。
「スセリ殿!」
キンカッサがすがりつく。
「た、助けてくれ」
「私が? どうして私を騙したあんたを救わなきゃならないの?」
「だ、騙していたわけではない。私たちの間には誤解があるようだ。きちんと説明する。だから、今は私を助け出してくれ。で、でないと、元の世界に戻れませんぞ」
スセリの目が鋭く細まった。
「そうだ。あなたとの契約はまだ続いている。魔王を、サジョウを倒すまで続いておるのです。ですが、あなたはサジョウを倒さなかった。契約は果たされていない。であれば、戻せるのは私たちだけだ!」
「そこんとこ、どうなのクウ?」
「ふむ、確かに召喚術は依頼者の頼みを叶えるか、依頼者が契約を切らねば帰ることが出来ん」
クウの答えを聞いて、キンカッサはここぞとばかりに言葉を並べる。
「そう、その通りだ。私が戻せるということは申し訳ない。言いそびれていた。だが、その男の言うとおり、私しかあなたを元の世界に戻せない。だから、私を憲兵隊から守ってくれ! 守ってくれるなら、後で私が」
「ねえ、私が好きなことって何か知ってる?」
唐突にスセリが言った。何を言っているのか、どうしていまそんなことを言っているのか理解できず固まるキンカッサに、スセリは続ける。
「球場でプロ野球観戦しながら飲むビールが好き。妹が持ってる激甘のラブコメも好きだし、夜食に食べるラーメンとか最高ね。同僚たちと一緒に大きなプロジェクト完成させて打ち上げの時の一杯なんかもう最高よ」
「食う事と飲むことばかりだな。それの失敗も多いことを忘れなければ良いのだが」
横から口を挟むクウにうるさい、と言った後、満面の笑みを浮かべて、スセリはキンカッサに言い放つ。
「でもね、それよりも何が好きかってね」
「ひ、あっ」
ずん、とスセリが一歩踏み込んだ。腹に響く低音と振動に、キンカッサは情けない声を上げる。
「悪党どもの悪巧みをぶっ潰すことが大好きなのよ。だからあんたの頼みは聞いてあげません」
「い、いい、良いのか? 私でなければ、あなたを、元の世界には!」
「貴様の頼みの綱を斬る様で悪いのだが、解決策は既にある」
藁にもすがるキンカッサの藁の先をクウが断ち切った。
「召喚された者を、こちらから元の世界に送還してやれば良いのだ。呼び寄せられるのだから、送り込むのだって可能だ」
「馬鹿な、そんなこと・・・!」
「出来るんだよ。なんたって、我は天才なのだから。貴様の一番の敗因は、天才の我を甘く見たことだ。さあ、罪を償ってくるがよい」
憲兵隊が到着し、キンカッサは両脇を抱えられながら連れて行かれた。これから彼には、彼が陥れた者達と同じ、いや、それ以上の苦難が待ち受けている。
「これにて、一件落着・・・かな?」
時代劇のフィナーレを飾る台詞を、スセリが口にした。
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