第138話 縁は異なもの味なもの、縁のお味は酒の味

「やれやれ、やっと終わったわ」

 う、んと両手を上に上げ大きく背を反らし、体を伸ばす。無断の、とは頭に付くが、良い休暇になった。空気も美味しいし料理も酒もなかなかで、久しぶりに体も動かした。ちょっと田舎に旅行に来たようなもんだ。後は十六夜にどう言い訳するかだ。

「じゃあ、クウ。手間かけて悪いんだけど、私を私の世界に戻してもらえる?」

「わかった。既にキンカッサの連中があなたを送り返す手はずは整えているようだから、それをそのまま使おう。場所が我のいたころと同じなら、この奥の部屋だ」

 クウと共に、長い廊下を歩く。なぜかお互いに黙ってしまって、妙な沈黙が漂う。

「あんたは、これからどうするの?」

 沈黙に耐え切れなくなった私は、話題を振ってみた。

「我か?」

「そうよ。あんた、キンカッサどものせいで閉じ込められてたんでしょう? あいつらが捕まって罪が明らかになったら、また研究職に返り咲けるんじゃないの?」

「そうさな。確かに、王からも戻るよう要請があった、が」

 一旦言葉を切った。

「此度のことで我は悟った。人より優れたる物を持っていると、他人の欲を刺激してしまう。キンカッサも、元は優れた学者であった。しかし、我の研究成果がヤツを変えてしまった。一度変わってしまうと、元には戻らない。知らなかったとはいえ、我のしたことは、人の人生を大きく変えてしまったのだ。そして、影響はキンカッサだけに留まらず、サジョウ殿たちにも害を出してしまった」

「それは、別にあんたのせいじゃないでしょうよ」

「そうか? だが仮に、我が凡庸な男で、キンカッサと共に長い年月をかけて術の開発を行っていたとしたら、我とヤツとの間に溝は出来ないであろうし、ヤツもただ術開発が好きなだけの、純粋な学者でいられた可能性は高いぞ?」

 否定できない。似たような事例を間近で見ているからだ。十六夜という親友もまた、ある種の天才だ。彼女の存在によって挫折し、道を諦めた人間を多く見てきた。彼女本人に誰かをどうこうする気は一切ないにもかかわらず、彼女の存在は誰かに影響を与えてしまう。彼女という才能に出会った人間は虚無感に苛まれ、自分の存在意義が揺らぐ。存在意義をなくした人間は自暴自棄になりやすく、道を踏み外しかねない。だから、彼女は人から距離をとる。壊してしまわないように、ガラス細工を扱うが如く慎重に、気も心も配る。

「はあ」

 大きなため息が出た。どうして天才なんて人種は、こんなに面倒な連中ばかりなのか。頭が良すぎるから、人のことまで気にして、考えて、悩んで。馬鹿としか言いようがない。

「クウ。私の友人にも天才がいるわ。その子も、あんたと同じように自分の周りに気を使ってばっかりいる。でもね、そんなの他人は絶対気付かない、気にもしないわよ。他人は勝手にあんたらを羨んで、妬んで、堕ちていくの。そんな有象無象の事なんかほっときなさい。あんたは、あんた自身のことだけを考えていればいいのよ。だいたい、おこがましいのよ。あんたらこれから出会う全人類のことを気にしながら生きるつもりなの? 神様かっつの」

 クウの頭を掴んで、こちらに向けさせる。

「好きに生きていいんだよ。そんで、高く高く飛べ。凡人どもが嫉妬すら沸かないほど、高く、どこまでも飛んで行け。あんたは天からそれが許されてる」

 ぽかんとこちらを見上げるクウ。気恥ずかしくなってきて、少し強引に彼の頭を突き放す。それでも彼の視線はこちらを向いたままなので、顔が赤くなってるのを見られないよう早足で先に進む。トテトテと後ろから小走りにクウが追いついてきた。

「照れずともよいぞ。スセリ。あなたの言葉、我の胸にどんど突き刺さったぞ」

「照れてねえ! ほら、さっさといくわよ」

「隠さずとも良いのに。あなたのこんな可愛いところを見れば、サジョウも少しは心が動いたやもしれんのにの」

「馬鹿なこと言うな。だいたいサジョウさん奥さんいるでしょう!」

「そうだったな。まさか、あの鎧の中に入って、ずっと夫を守り続けていたとは。確かにあの夫婦の間に入るのは無理じゃな。しかし、鎧がぱっかりと割れて、中から飛び出してきた奥方がサジョウに抱きついた時のあなたの顔、面白いくらい間抜けな顔をしておったな」

 間抜けな顔にもなるわ。あんないかつい鎧から飛び出たのがあんな輝くような美少女だったのだから。立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花を地で行くような奥さんを前にして、サジョウさんに言い寄る度胸は無かった。誰が言ったか、世の良い男には大抵良い女が嫁にいる。逆も然り。優良物件に余り無し。

「はっ、丁度いいわ。この世界の未練は全然ないし。清々するわね」

「おや、これまで共に旅をしてきた我と別れるというのに。寂しいのう」

 何だコイツ。わざとらしい拗ね顔しやがって可愛いなぁもう! 一瞬、本当に一瞬だが、心が傾きかけて、無理矢理戻して振り切った。帰るんだよ。私は、あのコンクリートジャングルに!


 ようやくたどり着いた儀式の部屋には、以前見た物と同じような模様が床に描かれていた。

「ではこれより、送還の術を開始する。スセリよ、準備はいいか?」

「ええ。さっさとやっちゃって」

「うむ、では目を閉じ、元の世界のことを、帰る場所を思い浮かべよ」

 目を閉じて思い浮かべる帰る場所は、慣れ親しんだ実家の私の部屋。ちょっとバネの弱いベッドで目覚めたい。意識が覚醒して、一階のリビングで母さんが朝食の準備して、朝の強い瀬織が私をいつまで寝てるの、なんて言って呆れながら起こしに来て・・・


「・・・さん、姉さん」

 肩を揺さぶられる。重い瞼をかろうじて開くと、目の前に妹の瀬織がいた。

「朝だよ。早く起きないと会社遅刻するよ」

「ん、んん・・・」

 起きようとして、酷い頭痛で再度枕に沈み込む。

「頭・・・痛い・・・」

「また昨日飲み過ぎたんでしょ。誕生日だからって羽目外して。もう少し節度を」

「うるさいなぁ、いいでしょ誕生日く、らい・・・?」

 誕生日? ん、ちょっと待って?

「瀬織・・・。今日、何日?」

 瀬織は呆れたように額に手を当てて

「本当、大丈夫? 姉さんの誕生日の翌日、四月二十六日よ」

「嘘でしょ!?」

 眠気が吹っ飛んだ。

「今日二十六?!」

 驚いている瀬織の両肩を掴む。寝転んだままだから彼女を抱き寄せるような形だ。目を白黒させながら彼女は頷いた。

「てか、瀬織ちゃんじゃん! てことは、戻ってきたのね!」

 今更気付く。背中に感じるのはいつものベッドの感触だ。あたりを見回せば、タンスに机に、食いかけのポテトチップスにビールの空き缶が転がった、いつもの私の部屋だ。

「戻って、きた? 姉さん、何を言ってるの? まだ寝ぼけてるの?」

「寝ぼけて・・・」

 もしかしたら、そうなのかもしれない。ずいぶんリアルな夢だったが。変な世界に呼び出されて、魔王倒せとか言われて旅して、山賊と一緒に悪代官退治したり湖の所有権巡って権力者退治したり、ずいぶんと濃厚な話だけど、全部夢だったのか。でも、それも全て昨日の酒が見せた夢か。じゃあ、まだ今日はこれからってこと? つまりは無断欠勤の悪夢も夢で、今から問題なく出勤できて十六夜に迷惑をかけることもない。

「完璧じゃないの」

「何が完璧なんだか。早く起きて」

 瀬織が布団を引き剥がす。

「いやん、瀬織ちゃんのエッチ」

 いつもならここで「何言ってんのよ」と瀬織が苦笑するパターンなのだが。今回は彼女からのリアクションがない。なんというか、そんな馬鹿なことをする心の余裕が消えてなくなっているようだ。

 彼女は、一旦目を瞑ってこめかみに指を当て「え?」と首を捻って思案ポーズした後、再度目を開いて「何で?」と天を仰ぎ、そして私を見た。その目は恐ろしいまでに冷え込み、軽蔑に満ち満ちていた。

「え、どうしたの瀬織。何でそんな目してるん?」

「姉さん・・・」

 嘘でしょ、と顔が語っている。一体何が、彼女をそこまで絶望の淵に追いやったのか。起き上がって問いただそうとして

「・・・?」

 起き上がろうとする体に負荷を感じた。そういえば布団を引っぺがされたのに妙に左側が暖かい。春先なのに湯たんぽなんか入れたっけ。何気なく熱源の方へと視線を向け

 半裸の美少年がいた。着物は前がはだけて、華奢な肩や鎖骨、胸板にへそまで見えている。

「!?!?!?!?!?!」

 絶句した。色んな言葉が湧き出てくるが、脳のシナプスが断絶したか混線したかとにかく正常なルートを電気信号が通らないから大渋滞を起こしている。巻き込まれて十キロ先まで言葉が出ません。

「んむう」

 こちらのパニックなど露ほども気にせず、美少年は艶かしい声をあげ、目元をこすっている。何だ、夢が現実となったのか?

「姉さん、これは、流石に駄目だわ。いくら妹でも庇いきれないよ。カーネルさんや交通標識の光ってるおじさんならともかく、人間お持ち帰りしたら駄目だよ。それもこんな、私と同じかそれより年下の少年を。彼氏と別れたばっかりだからってこれはないよ」

 妹の冷たい視線が刺さる。

「ち、違うの! 瀬織、コイツは違うんだって! ゆ、夢にでてきただけなんだって」

 必死で弁明しようと瀬織に詰め寄るが、彼女は私のことを汚らしいもののように伸ばした手を避けた。

「夢にまで見たような美少年だから持ち帰っちゃったの?」

「違う! 話せば長くなるんだけど・・・」

「やだ、聞きたくない。いくら謳乃姉さんが先に嫁いじゃったからって若いツバメを持ち帰っちゃった姉さんの武勇伝なんか聞きたくない」

「だから違うんだって!」

「どうしたのだ、スセリ」

 どえらいタイミングで起きやがった!

「耳元で大きな声をださんでくれ。あなたのためにかなり頑張ったのだ。もう少し、眠らせてくれ」

 しかも誤解を招くような台詞を抜かしやがった! そら、別の世界に送還するなんて大事やってのけたのだから疲れてるだろうが、このタイミングでそれは最悪だ。どこのラブコメかと問いただしたい。

 案の定、瀬織はくしゃっと顔をゆがめて

「母さーんっ! 姉さんが、スセリ姉さんが美少年連れ込んでたァっ!」

 泣きながら居間へと駆けていった。

「ちょっ、まっ」

 手を伸ばすが、もはや後の祭り。瞬く間に三蔵家に話は広まるだろう。そして、家族裁判が開催され、そこで説明責任を追及される。おそらく私にはショタコンの烙印が押されるだろう。家族内での私の立場は不安定な株価より簡単に暴落する。

 どうしてこうなった・・・

 色々と起きすぎて何がなにやらもう訳がわからない。なぜクウがここにいる。どうすれば妹の誤解が解ける。これから迫る家族会議をどう切り抜けたらいい。というかそろそろ出かける用意しないと会社に間に合わない。もういっそのこと休もう。そうしよう。いっそ全て投げ出してどこか遠くへ逃げようか。その方がいい気がしてきた。有給溜まってるし。

 隣で幸せそうに眠るクウを見ながら、私は何度目か分からないほど同じ台詞をまた口にする。


「もうお酒は飲みません。だから神様、お願いだから、ほんとお願いだから、何とかして」



 この後、家族から色々と問い詰められたり、クウ本人が何を血迷ったか我とスセリが結婚すれば全て問題解決だワハハとか寝言を言い出したり、しかもよくよく聞いてみたら十五年程閉じ込められてたから私より年上だということが判明したりそのままなし崩しに一年後に本当に結婚しちゃったり、また二人して別世界に呼び出されて大冒険したりしてなんだかんだ良い夫婦になって良い家族になったりするけど、それはまた別の話。

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