第123話 古より伝わる業

「さすが我! 天才! 自分で言うのもなんだけど天才過ぎる! 実験では上手くいっていたが、本番も一発成功! ひょおおおおお!」

 術の成功に、血液が沸騰しそうなほど興奮し、気化した何かが声帯を通り奇声となって漏れ出て行く。

 岩牢から脱出するのは、何も壁を破壊するだけが術じゃない。自分の体を変化させて隙間から抜け出す方法、時間を戻して閉じ困られる前に戻す方法など、いくつかの術も平行して開発していた。その中で、物体の位置を入れ替える術も生み出されていた。ただ、今までは無機物同士の入れ替えには成功していたが、無機物と有機物の入れ替えは成功しなかった。どうにかして有機物、人に近づいてもらわなければならなかった。

「え、ええ? ちょ、どうなってんの?!」

 戸惑う声が岩牢から響いた。嬉しくて浮かれていたクウは、ようやく自分と入れ替わった旅人のことを思い出す。

「いやあ、申し訳ない、旅のお方。ちょっと我と入れ替わってもらった」

「はあっ? 何ソレ!? 訳わかんない!」

「頭の悪いやつだな。だから、我の術で、我とあなたの位置を入れ替えたのよ。くっくっく、ここまで上手く行き過ぎると、かえって怖いな。我の才能が!」

 あっはっは、とクウは高笑い。反対に、旅人は沈黙した。

「おいおい、そんなに落ち込むでない! あなたはすばらしいことをしたのだぞ! この我を、史上最高の天才を助け出し、日のあたる場所に戻したのだからな!」

「・・・騙したの?」

 低い声が隙間から這い出てきた。怒りの火薬を大量に詰め込んで爆発寸前の声だ。

「騙したなどと、人聞きの悪い。きちんと頼んだではないか。入れ替わっていてくれと。光栄に思うがいい。我を救い出した心優しきお人よ。あなたのこと、我は忘れぬぞ。一日くらいは。名誉なことぞ。我の頭は常に知識とひらめきが温泉のごとく湧き出して余計なことを覚えている暇が無いくらいなのだ。その中に一日あなたの記憶が残るのだ。どうだ、凄いこと・・・」


 ビュオッ


 クウは最後まで言葉を発することができなかった。彼の顔面の真横を、突風を伴って何かが通過していったからだ。

「・・・・・・・・・へ?」

 風が通った頬に触れる。ヌメリとした感触が帰ってきて、手に何かが付着した。見れば血が流れている。

「・・・・・・・え、血? え?」

 何が起こったかわからない。天才の頭脳をもってしても、今、自分の顔が傷つく理由なんてこれっぽっちもわからない。

「騙したのね?」

 地獄から響いてくるような、心胆寒からしめる声が、再び岩牢の隙間から流れてきた。声に実体があれば、クウの首を電球を取り替えるがごとくクルクル捻り切り、四肢をばらばらにしかねないほどの怒りが含まれている。そして何よりクウを驚嘆させたのは、その声の主の腕が外に飛び出していることだ。隙間からではない。自分があれほど苦労したにもかかわらず、微かな傷しかつけること叶わなかった岩牢の壁をぶち抜いていたからだ。

 ゆっくりと、突き出た腕が戻っていく。がらがらと壁の破片が落ちた。

 クウは動くことができなかった。

 頭が警鐘を鳴らしている。この場にとどまるのは良くない、早く逃げるべきだ、と。本能からの警告だった。

だが、走るどころか歩くことも、動くこともできない。恐怖による体の緊張、それ以上に、湧き上がる知的好奇心、探究心が、命の危機すら無視して彼をこの場に縫いとめていた。自分の術ですら破れなかった壁を、いともたやすく打ち砕いた『何か』が目の前にいる。自分の理解を超えた何かが。それを見たい、知りたい、触りたい。未知の物が目の前にあって、どうして尻尾巻いて逃げることができようか。彼は今、好奇心で殺される猫状態にあった。そして、彼を滅ぼしうる何かが、岩牢の中で動いた。


「須佐の型そのはじめ、崩穿華」


 岩牢の上半分がパァンと破裂した。さながら熟した鳳仙花の果実が割れて種を飛ばすように、岩は粉微塵に砕け、放たれた拳が巻き起こす風に吹かれて、消えた。後に残るは僅かな砂塵と岩牢の下半分と、そして

「あなたの身の上を聞かせてもらったから、お返しに私の身の上も話してあげる」

 突き上げていた拳をゆっくりと下ろす。煌々と狂気に染まる、ギラついた赤い目が、自らを陥れようとした輩を睥睨する。

「私の家は歴史がかなり古くて、嘘か真か神話の時代まで遡るの。だから、ご先祖様から色々と受け継いでる。常人よりも強い肉体に、それに見合った殲滅術、戦闘術じゃないのがミソね、も受け継がれているのよ。誰が言ったか知らないけど、上手いこと言うもんだわ。戦時中ご先祖様は単身敵軍に攻め込み、戦車をぶん投げて戦闘機落としたらしいし。そりゃ、こんな技使えば人の群れなんて殲滅しちゃうわよね。で、私もその業を受け継いでいるわけ。わかる? この程度の岩は紙屑同然、藁のお家みたいなものよ。前置きが長くなったけど、私があなたに何が言いたいのかというと」

 ズン、とクウの腹が下から振動で突き上げられた。旅人が力をこめて一歩踏み出し、大地にくもの巣のようなひび割れを起こした。その振動が伝わったのだ。

 いまやクウの命は風前の灯だった。振り返り背を向けて逃げ出すことができない。背を向けた瞬間殺される、彼は今、逃れられぬ死を覚悟した。その間も、ズン、ズンと足音を響かせて旅人は近づく。

「私はね、人が食後の楽しみに取っておいたプリンを勝手に食べられることも嫌いなら、見てない映画のあらすじを先に言われるのも大嫌い、世話のかかった妹が私より先に嫁いで幸せなのはまだ許そう、家族がそれに余計な気を使って見合い話やら知り合いの男やら紹介したり私が居間に表れた途端、意識して恋愛とか結婚の話を止めたりされるのは逆に心に凍みるわ。だけどね、それ以上に」

 ぐわしぃっ

 旅人の手が、クウの頭を鷲づかみにした。ぎりぎりと力が加えられ、頭蓋骨が割れるか割れないかの微妙な力加減で彼をけして気を失うことのできない、丁度辛い痛みを与え続ける。悲鳴すら上げられずじたばたともがくが、手は一向に緩まず、そのまま持ち上げられた。

「男に騙されるのが心底嫌いなのよ。それもちょっといいなと思ったイケメンに騙されたりするのは特に腹が立つ。何が「スセリさんは俺には勿体無いよ」だ。なめとんのか。その翌日から後輩と付き合い始めるってどういう神経してやがるあの節操なしが。最初から別れる前提じゃねえの。別れたけりゃ最初からそう言え」

 クウの身に覚えの無い恨み節がつらつらと旅人の口から瘴気みたいに漏れ出る。

「ねえ、クウさん? 私はどうしたらいいかな? このままもう少し力をこめると、西瓜の様にテメエの頭を割ることが出来る。どうしよっか。もし、言い訳があるなら聞いてあげるけど?」

 口元に聖母のような笑みを浮かべ、瞳は般若のごとく血走っている。

「い、一体、あなたは・・・・何者・・・!」

 痛みに苦しみながら、その正体を突き止めんとクウがたずねる。

「ああ、そういえば自己紹介もしてなかったわね。私は三蔵みくらスセリ。三蔵家の長女で昨日二十七歳の誕生日をめでたく独り身で迎えたOLよ」

 って何言わせんだコラ、と僅かにスセリが力むと、限界を超えた痛みにクウは気を失った。

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