第99話 千年前のバタフライ・エフェクト

「大丈夫?」

 言葉とは裏腹に、声には相手を心配している気遣いが感じられない。

 ゆっくりと目を開けると、藁葺きの天井が見えた。そこでようやく、自分は仰向けで横になっていたことをルシフルは理解した。

 覚醒した時から、現状把握に努める。記憶を遡り、何を行っていたかを順に思い出す。

 昨日、ルシフルは劣勢を強いられている友軍の援護に向かった。功に焦ったメタトロン率いる第三軍が突出し、敵の挟撃を受けたのだ。その影響は全軍に波及し、一時撤退し体勢を整えることを余儀なくされた。

 撤退のさなか、メタトロンは味方と分断され、孤立無援の状態となった。どうして見え見えの罠にかかるかなァ! とラジエルがぼやいていたが後の祭りだ。今は被害を最小限に抑えるのが最優先。ルシフルにはメタトロン救出の命が下った。彼の率いる第一軍が最も近くにいたためだ。

 正直、メタトロンには良い感情は持っていない。我々よりも後に軍を任されるようになった彼の経歴は、かなりきな臭いものがあった。前回の戦争で、あまりにも都合よく第三軍の将が討ち取られ消滅した。後任を引き継ぐ有力な天使も相次いで消滅するか、将を辞任してきた。残ったのがメタトロンだったというわけだ。とはいえ命令は命令。素直に従い、ラジエルに軍を任せて少数で救出に向かった。

 だが、何かがおかしい。ルシフルは首を傾げた。

 経緯も手段もさておいて、メタトロンは自分を第三軍の将に任命させるよう仕向けるだけの力と智慧がある。功を焦る必要もない。すでにこの数日の戦いで充分なほどの戦果を挙げているからだ。どうして焦る必要があったのか、その方が気がかりではあった。

 答えは、すぐに思い知らされた。救援に向かった場所にはメタトロンどころか味方の影すらなかった。代わりにいたのは雲霞の如き敵の大軍だ。

 嵌められた、すぐにそう察した。乱戦のさなかにしてはあまりにもスムーズな救援要請だったことも、一番近くに自分の第一軍があることも、よくよく考えてみれば全てメタトロンの計画通りだったのだ。

 次の天使長はルシフルかメタトロンか、そう噂されているのは知っていた。

 ルシフルは特に天使長の座には興味がなかった。むしろ、こうして前線で剣を振るう方が性に合っている。それを、ラジエル達が勝手に担ぎ上げていただけだ。そんなやる気のない自分が天使長に選ばれることは無いだろう。権力闘争とは無縁だろう。

 そう、思っていたのは自分だけだったという事か。

「なるほど、私が邪魔か。メタトロン!」

 滾る怒りを剣に乗せ、目の前に迫った悪魔を切り伏せた。

 そこから先は、ただただ剣を振るい続けた。ルシフルと行動を共にしていたのは実力あるメンバーだったが、救出し即脱出という目的のために少数で動いていた。圧倒的な数の前に、一人、また一人と味方は討ち取られていった。ルシフルも追いつめられ、遂には遠距離からの凶弾が胸を貫いた。翼から力が失われ、ルシフルは落下していった。記憶はそこで途切れている。


 ゆっくりと体を起こした。鎧は脱がされている。視線を彷徨わせると、足元に無造作に積み上げられていた。

「ここは・・・」

「私の家だよ」

 独り言に返答があった。声の方を振り向くと、一人の娘が椅子に座り、藁を編んでいた。長い銀髪をした、気だるげな娘だった。目は半分くらいしか開いておらず、手元を見ているのか遠くを見ているのかよくわからない、ぼんやりとした顔をしている。

 獣人か。

 ルシフルは彼女の正体をすぐに察した。自分たちがまだこの世界に住んでいた頃、この地に住んでいた人を品種改良して創り上げた種族だ。彼女はおそらく、フェンリル種の遺伝子を組み込まれて作られた素体F‐1系統だろう。豊かな銀髪から覗く三角の耳と豊かな尻尾には、サイズの違いこそあれ見覚えがある。右手を食いちぎられかけたのも良い思い出だ。

「気づいたようで良かったね。動けるかい?」

 彼女に言われたからではないが、ルシフルは膝を立て、立ち上がった。胸の撃たれた箇所から痛みが走るが、我慢できないほどではない。もう数日もすれば塞がるだろう。動くのに支障はない。

 すぐさま鎧を身に着け始める。戦況はどうなっているのかが気になった。すぐさま本隊へと合流しなければならない。

「ちょいちょい。どこ行くんだい」

 娘が声をかけてくるが無視して鎧を装着する。

「ちょっと、さっきからあんた何無視してくれてんだい。返事くらいしたらどうだい。こちとらこんな身重の体にも拘らず、池の縁で倒れていたあんたを担いでここまで運んで看病してやったっていうのに」

「五月蠅い」

 うんざりしたように、娘に顔を向けた。彼女が身重と言っていた意味が分かった。彼女の腹は、そのスレンダーな体型からは想像できないほど大きく膨らんでいた。

 自然分娩か。その事実に少し驚く。

 ルシフル達がいた時はカプセルで人工的に培養していた。獣人にそんな機能があったことをルシフルは知らなかった。もしかしたらどこかで聞いていたかもしれないが、意味のないことを覚えておく必要はないと忘れているのかもしれない。わざわざ自然分娩などという効率の悪い方法をしなくても、次から次へと培養できていたのだ。次から次へと培養できなければ、兵器の意味がない。生みの親がそういう事を教えなかったから、てっきり彼らも繁殖できるということを知らないと思い込んでいた。ゆえに、天使の庇護を失った彼らはすでに絶滅しているというのがルシフル達の認識だった。

「お、ようやくこっちを見たね。まったく、天使はあんたみたいな礼儀知らずばかりなのかい?」

 娘のその言葉に、ルシフルは目を険しくした。我々が獣人たちの世界から姿を消したのは四千年も前の話だ。今現在の獣人が知っているとは考えにくかった。知っているとすれば、すでに自分と同じ存在に接触し、その者から知識を与えられたということになる。そして、天使側でそういった、現地の情報は入っていない。

 考えられるのは、悪魔側の手先ということになる。

「私の正体を知っているのか?」

「知っているよ。私らの先祖を生み出した、偉大な天使様だろ?」

 ルシフルからの剣呑な雰囲気にのまれることもなく、娘はあっけらかんと答えた。その彼女の喉元に、ルシフルは剣先を突きつけた。

「答えろ。貴様、悪魔の手先か?」

「おいおい、命の恩人に対して」

 すっとぼけようとした娘に更に詰め寄る。切っ先が娘の細い首に当たり、ぷっくりと血の玉が浮かんだ。

「答えろ。何故我らの存在を知っている。我らと貴様らが共にいたのは四千年も前のことだ。老いという概念のない我らに比べ、貴様らには寿命がある。長命であっても数百年。どうやって天使の存在を知った。悪魔と接触したからか?」

「正直に答えたところで、あんた、私の話を信じる程度の頭の柔らかさはあるかい?」

 命を握られている状態であっても、娘は不敵に笑って見せた。彼女の反応は、ルシフルにとって意外だった。獣人とは、天使や悪魔にとっては従順な生き物だったからだ。命令には絶対服従し、嫌な顔一つせず死地に向かう。そうしなければ廃棄されるからだ。その様はロボットよりも無機質であり、生命を感じることなどなかった。

 しかし、今目の前にいる娘はコロコロと表情を変え、こちらの正体を認識しているのに従うどころかからかってくる。剣を突きつけられてもなお、だ。

「大体天使様、私が仮に悪魔の手先だったとして、あんたを助ける理由はあるのかい? むしろとどめを刺しそうなもんだがねぇ?」

 もっともな理由にルシフルは固まる。

「とりあえず、世間知らずの天使様に恐れ多くも獣人の娘から助言だ。人に物を尋ねるときは、相手に剣を突きつけず、そこにある椅子に座って落ち着いてまず自分の名前を名乗り、「今何がどうなってどうして私はここにいるんですか、どうか教えてください」と頭を垂れるんだよ」

 ここでルシフルは「生意気な」と彼女を切り捨てることも出来た。自分に逆らう創造物など危険以外の何者でもない。だが、そうはしなかった。確かに彼女がもたらす情報は欲しかったし、助けてくれた相手を殺すなど、先ほど自分を嵌めたメタトロンと同じ行為をしたくなかった。そんなことをすれば自分の品位が下がると思い直した。

「わかった」

 ルシフルは剣をおろし、彼女が指差した椅子を引き寄せてどっかと座る。

「我が名はルシフル=シャム。天界の騎士にして一軍を預かる将だ。娘よ。どうか私に教えてくれ」

「素直でよろしい」

 からからと娘は笑った。

 娘はマリー、と名乗った。

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