第100話 策謀

「戻ったか」

 意識が千年前にいたルシフルを、野太い声が引き戻した。振り向くと、そこには深い皺を顔に刻んだ男性型の天使が立っていた。鷲鼻にへの字にひん曲がった口、三白眼に加え短く刈り込んだ頭は、タケルが見たらその筋の人という感想を抱くだろう。どうして同じ天使なのにここまでデザインに差異が出たのか、それこそ神のいたずらと呼べるだろうか。

「これは、メタトロン様」

 恭しく頭を垂れる。

「どうしてここまで時間がかかったのだ。たかが家畜程度、すぐに恭順させられないのか?」

「申し訳ありません。ですが、彼等にも意志があります。それを無視して強引に従わせようとすれば、必ず反感を生みます」

「素直に従わないなら、二、三匹殺せばよかろう?」

 さも当然、といった風にメタトロンは言った。なぜこんな簡単なことに気付かないのか、という侮蔑を込めて。

「そうすれば、いかに愚かな獣人どもとはいえ、創造主に逆らう気を失い、従順になるであろう」

「協力者を自分たちの手で減らす気ですか?」

「減っても奴らは勝手に増える。多少減らしても大局に影響あるまい。そこまで奴らの働きには期待しておらん。ようは我々の為の弾除けにさえなればいいのだ。獣人どもが悪魔の攻撃を受けている間に、我らは奴らを攻撃できる、ということだ」

 思わず顔を覆いたくなるような話だが、このメタトロンの物言いを「誤り」だと思っているのは自分一人だ。その他はメタトロンの考えを支持するだろう。



 今回の戦いで、獣人たちを利用しようと言い出したのは他ならぬメタトロンだった。数日前、将たちによる軍議で唐突に言い放ったのだ。

「確か、ルシフル。前の戦いで獣人の協力者を得たのだったな」

 何故知っている、と叫びそうになるのをすんでのところで堪えた。マリーとの出会いは誰にも話していない。どこから漏れたのだろうか。もしくは、何らかの方法で監視されていた? メタトロンならそれくらいやりかねない。情報は奴の武器だ。

 メタトロンの方を睨みつけると、知らないとでも思ったか、と勝ち誇った顔でこちらを見ていた。

 嫌な予感がした。自分にとって良くない展開になろうとしている。

 メタトロンが提案することは、自分への嫌がらせとしか思えない物ばかりだ。

「それが、何か?」

 警戒しながら、それでも表だって動揺も憤りも見せないよう努力した。

「報告が上がってないのだが、なぜかな?」

「お恥ずかしい話ですが、私情です。不覚を取り、部下も死なせました。自分の汚点をあまり知られたくなかったので、そのあたりのことは伏せておりました」

「何を言うか。たった数人で、雲霞の如く押し寄せる悪魔どもを抑え込み、見事に軍の撤退を援護したのではないか。それを称えこそすれ、誰が貴方を侮蔑しようか」

 とっさに隣に座っていたラジエルの腕を、誰からも見えないよう抑え込む。案の定、恐ろしいまでの力が込められており、肘掛けが彼の握力で砕けていた。参謀の癖に、こういうときにすぐに頭に血が上るのは彼の悪い所だ。戦場ではどれだけ劣勢でも冷静に指示をだし、道を切り拓けるというのに。

 そんなラジエルの様子を「ふん」と一瞥しメタトロンは続けた。

「まあ、良い。私の調べたところ、次にかの世界と合流するのは五日後、探査機の情報が正しければ、付近に獣人どもの集落がある。獣人は兵器として利用していた時もある有用な道具だ。悪魔どもも気づいている様子はない。獣人どもを利用し、挟撃させる。我らと悪魔どもの実力は全くの互角、しかし獣人という不確定要素を投入すれば、この拮抗を破ることが可能だ」

「彼らを我らの戦いに投入するというのですか?!」

 思わず立ち上がったルシフルに、他の将たちからも視線が集まる。

「何か問題があるか? 道具が道端に転がっているのだ。使うべきだろう」

「彼らは道具では・・・」

 そこでルシフルは気づく。周囲の自分を見る目の意味に。まるで理解できない物を見ているような目だ。彼らは理解していないのだ。四千年も放置していれば、獣人たちからは天使や悪魔の道具だったという記憶など欠片もないということに。彼らは彼らの意志をもち、あの世界で暮らしているのに。

 そして理解した。自分は既に彼等とは違う価値観で生きているということに。大多数に少数が勝つのは難しい。下手に反論すると、事態がさらに悪化する可能性がある。

 ならば、自分に出来る事は、少しでも獣人たちの扱いが良くなるよう、最悪戦場から逃がすことを視野に入れて行動することだ。一度、二度と深く呼吸して、思考をまとめる。

「以前獣人に逢った時、彼らは我らのことをよく知りませんでした。四千年も経っているのですから、致し方ないことかと思います。我らのように不老ではないのですから」

「それがどうした。以前のように我らが創造主であることを教え込み、支配すればいい」

「ゆくゆくはそうすればいいでしょう。けれど、彼らは愚かですからもっといい方法があります。・・・・なので、彼らを味方に引き込む件、私に任せていただけませんか」

 この申し出に、全員が驚いた。ルシフルがこうして自分から願い出ることはほとんどなかったからだ。

「ルシフル殿には、何か良い策がおありのようですねぇ」

 陰気な顔をした女性型の天使、四将の一人であるガブリエルが他の三将を見渡しながら言った。波打つ髪の隙間から覗く目は赤く妖しく輝き、口元には笑みを浮かべている。

 四将とは、ルシフルのような通常の将と少し違う、特殊な立場にある天使のことだ。階位はルシフルと同じだが、独自の裁量権をもち、自らが天使長になることはできないが、彼らの発言権は大きく、同時に天使長の罷免権も持つ。そのため天使長であっても彼等を蔑ろにすることは出来ない。

「どうでしょう。メタトロン様。並びにご列席の皆さま。ルシフル殿がここまで言うのですから任せてみては」

「異議なし」

 ガブリエルの提案に短く賛同したのは、彼女の隣に座っていた同じく四将の一人、ミカエルだ。輝くような金髪に青い瞳、溌剌とした雰囲気はガブリエルとは正反対だが、意外なことに二人は仲が良い。戦場では命を預け合い、ともに轡を並べるほどに。そして、ラジエルの手回しのおかげか、ルシフルを次の天使長にと推す者たちだ。彼らとしては、自分が支持するルシフルの手柄になりそうなことは進んで応援するだろう。

 反対に、それを快く思わない者もいる。

「ルシフル殿の実力を疑う訳ではありませんが」

 そう言って立ち上がったのはウリエル。幼い子どもの容姿をしているが、四将の一人。戦となればその容姿と丁寧な物言いからは想像できないほど苛烈で、時には冷酷、残虐とも言えるほどの戦い方をする。

「ルシフル殿には、まだ悪魔どもと内通しているという嫌疑が晴れておりません。先行しようとするのも、敵と密会するためなのでは? だから、先ほどメタトロン様が仰ったように、その時のことを報告しなかったのではないのですか?」

「ウリエル様! あなたは我が将を侮辱する気ですか!」

 ラジエルが怒鳴るが、ウリエルは涼しい顔でそれを受け流す。

「そもそも、いくらルシフル殿が《明星》を冠する騎士であっても、あれほどの数の悪魔を食い止められたなど、にわかには信じがたいのです。内通していたからこそ、止められたのでは?」

「さっきから大人しく聞いてりゃてめえッ・・・!」

 ラジエルの堪忍袋が切れたらしく、ウリエルに対する敬意が言葉からも消え去った。

「ま、ま。ウリエルもラジエルも落ち着けよ」

 間に入ったのはラファエル。最後の四将の一人で、この中でも最年長だ。最初に誕生した天使の一人とされている。褐色の肌に映える稲穂の如くふさふさと生えた白い眉が細い目を覆い隠し、同じく豊かに蓄えた白い口髭が口を覆い隠している。そのため表情を読み取るのに苦労するが、どうやら中立という立場で楽しんでいるようだ。

「ラジエルよ、ウリエルがこうしてつっかかんのはな、嫉妬してんだよ。ルシフルの戦の才能にな」

「ラファエル殿、適当なことを仰らないでください」

「適当か? 本当にそうか? ルシフルが武功を上げる度に不機嫌になるってお前の部下が言ってたぞ?」

「・・・その者の名を教えなさい」

「情報提供者の身の安全の為に拒否させてもらうよ。さて、ルシフル。ウリエルの肩を持つわけじゃないが、儂も否定的なことを言わせてもらうぜ。お前、次の天使長に推薦されてんの知ってるよな?」

「ええ。ですがこれは」

 ルシフルが言い募ろうとしたところを、ラファエルは手のひらを出して制止した。

「分かってる。関係ないって言いたいんだろ? でもな。そう受け取られるってこと考えてないだろ。天使長の作戦を実行し成功させた、それがどんな簡単な策であれ、それは一定の効果を持つんだよ。点数稼ぎだと思われるわけ。それは、ウリエルみたいにお前を内通者として疑ってる連中の反発を生む。おわかり?」

 ルシフルはすぐに反論を浮かべることが出来ず、口ごもる。その様子を見てラファエルが苦笑しながら頭をかいた。

「そんなことも考えてねえのに行くってのか? それで、今の儂らを納得させられるのか?」

「口下手なもので。作戦はもっぱらラジエルに任せておりますから」

「だから自分は騙し合いや腹の探り合いは苦手です、そんなことできません、てか?」

「ええ。私としては信じてもらうほかありません。内通のことも、今回のことも」

 再びルシフルを問い詰めようとしたウリエルを押さえ、ラファエルはメタトロンを見た。

「ま、いいさ。最終的な判断は天使長様が下す。そうだろ?」

 全員の視線がメタトロンに集まる。



「ウリエルの反対を押し切って、お前に任せた私の立場も考えてもらいたいものだな」

「ご安心を。協力は取りつけましたので、明日は彼らに策を授け、その通りに動くよう指示を与えに行きます」

「ふん、無駄に時間をかけたわけではない、という事か」

「はい」

「せいぜい、奴らに芸を仕込んでやるんだな」

 そう言い捨てて、メタトロンは去っていった。ひやひやしたが、何とか切り抜けられた。嘘を吐いたのは久しぶりだ。ラジエルにはすぐばれると馬鹿にされたものだが、少し自信がついた。

「さて、後は明日、だな」

 マリーと同じ銀の髪を持つ彼は、どのような答えを用意しているだろうか。それがどのような答えであれ、ルシフルは彼らの答えを尊重するつもりだった。

 彼女との約束を守る為に。

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