第95話 理性と感情の狭間

 宴が終わって、夜。僕は寝かされていた家に戻った。ここがリャンシィの家だったようだ。妹のリヴはまた別のところで住んでいる。二人とも成人して一人で暮らしているとのこと。とは言っても、同じ村の中で暮らしているので離れた気がしない、と彼は苦笑した。

「しかし、お前たちは本当に尻尾も角も羽根も持たんのだな」

 リャンシィが言った。気分が高揚して眠れないという彼と、さっきまで寝ていたので眠気が来ない僕は、眠るまで話でもするか、という運びとなった。残った酒やつまみを持込み、囲炉裏に火をくべてそれを囲み、向かい合うようにして座る。ちなみにクシナダは部屋の隅で寝ている。僕の看病もしてくれていたようだから疲れも溜まっていただろうし、あまり眠れてもいなかったのだろう、横になるとすぐに寝息が聞こえてきた。彼女を起こさないようにして、僕たちは話を続ける。

「珍しい、かな?」

 僕からすればそっちの方が珍しい部類に入るのだが。

「うむ、珍しい。俺たちは生まれた時からこういう姿だったからな」

 リャンシィに、このバベルと言う村の話を聞いた。山間の盆地に作られたこの村の住民は、外界との接触がまるでなかった。僕たちが初めての外からの来訪者らしい。その割には、リヴが言っていたように警戒心は薄かった。幾ら命を救われたとはいえ、閉鎖的なところで育ったら、外部からの刺激に対してもっと神経質になってもいいと思うのだが。

「そう言われてもな。敵意むき出しでこられれば、それはこちらも警戒せざるを得ないが、お前たちは別段敵意を抱いているようには見えないし」

 ふむ、もしかしたら、彼らは相手の感情を読み取る、なんというか共感力のようなものが鋭いのかもしれない。犬や猫は、飼い主の感情が匂いとして漂っているのか見えているのかと言うくらい鋭い。落ち込んでいたら寄り添おうとするし、イライラしてたら傍目にはわからなくても逃げて離れたり、自身もイライラして吠えたりする。彼らもそういう能力が優れていて、直感的に僕たちを敵か敵ではないか判別しているのかも。

「そう言えば、リヴが言っていたけど」

「ん?」

「リャンシィは本来の力を出してない、とか」

 気になっていたのはそこだ。本気を出せば、ゾンビから逃げ惑うこともなかったと思うのだが。

「うぅん、そうだな。事実ではある。確かにあの時、俺は本来の力を出してはいない。けれど、その力を使うと、あいつらと戦う以上に厄介になっていた可能性がある」

 どういう事だろうか? 首をかしげる僕を見て「そうだな」とリャンシィは同じセリフを言って、虚空を見上げていた。話を自分の中で整理しているようだ。

「ちなみに、お前たちは変身できるのか?」

「変身?」

 変身って、あれか? 特撮ヒーローものに付き物の、あれか? 改造された肉体でイーイー叫ぶ黒タイツと戦ったりアンドロメダ星雲辺りから来て宇宙から来た怪獣と戦ったりする、あれか? 後者はこの前自分の身に起きたけどな。

「その顔を見るに、出来ないんだな」

 リャンシィが言った。

「じゃあ説明する。俺たちは、この普通の状態と、戦闘状態と俺たちが呼ぶ姿に変身することが出来る」

 戦闘状態? ますます特撮風味になって来たな。

「例えば、俺。この耳と尻尾を見てもわかる通り、俺には狼の血が流れている」

 犬と狼と狐の耳の違いが、良くわからないんだが・・・。

「良く見ろ! 全然違うだろうが。俺の耳はピンと先まで尖がって村一番と称されるほどの形だぞ!」

 造形美には疎いもので。ま、そのあたりはおいおい違いを見分けるとして、だ。

「戦闘状態になると、俺は狼になる」

 男は狼とは良く聞くが。この場合は、そのままの意味と言うことで捉えていいのか?

「ああ。顔はこう口が前に出て完全に狼の顔になる。牙や爪は鋭く長くなり、体は全身から毛が生えてもっと大きくなる。力は何倍も強くなるし、伸びた牙や爪は簡単に岩も切り裂く。リヴの言うとおり、その姿になればあいつら程度など容易く倒せたであろう。実際に見せた方が早いんだが、そうできない理由があってな。戦闘状態になると、理性が吹っ飛ぶ」

 色んな意味で狼になるようだ。

 吹っ飛ぶは言い過ぎか、とリャンシィは訂正した。

「正確には、理性よりも感情が強くなると言うべきかな。一応思考することはできるし善悪良し悪しの分別はつくのだが、つくだけで、それ以上に自分の欲望に忠実になる。特に男の場合は血の気が多くなって非常に好戦的になる。後は人によって変わるが、俺の場合は無性に肉が食いたくなる、歯がムズムズして何かにかじりつきたくなる、などか。そして、一番厄介なのは、一度変身すると寝るまで元に戻らない」

「ということは、理性の吹っ飛んだ獣が一晩中暴れまわるわけだ」

 それは確かにたちが悪い。正気をなくした酔っ払い状態だ。

「いつだったか、羽目を外した若い衆が二人、同時に戦闘状態になったことがあってな。その時は村が半壊するほど暴れまわった。村人総出で捕らえるのに丸一日かかったのだ。幸い死人こそ出なかったが、けが人は半数にまでのぼって酷い目に遭った。そういう事があるから、むやみやたらと変身はしたくない、というわけだ」

 もちろん死んでしまっては元も子もないので、いざというときは変身するつもりだったが、と彼は締めくくった。

「ちなみに、お前らが変身できないのは特別、というわけでは」

「ないね。変身できる人間は僕の知り合いにはいなかったと思うよ。きちんと確かめたわけじゃないけど」

 あ、そういや王妃に化けてたやつがいたか。例外の一人だ。

「そうか。じゃあ変身できないのは外の世界では普通なのか」

 普通か普通でないかと言われてもはっきりと断言はできない。この世は僕の知らないことの方が知っている事よりも圧倒的に多い。彼ら以外にも角の生えた連中を見たことがあるし、魔法を使う奴にもあったし、宇宙から訪れたやつもいた。大多数いる方を普通だと言うなら、もし数えたら、彼らみたいな変身できる獣人の方が、数は多いのかもしれない。

「今度はこちらが聞いてもいいか?」

 ぐい、と盃に入っていた酒を飲みほして、リャンシィが言った。

「お前たちは、なぜ旅をしているんだ?」

 相手の目的を探ろうとか、そういう裏があるようには見えない。何故旅をするのか、それが不思議だったから聞いた、と言う感じだ。

「俺は旅をしたことは無い。この村から出たことがないからよくわからんのだが、色々と大変なことの方が多いのではないか? 村にいれば、住むところはあるし、仲間がいるし、畑もあるし水もある。生きることに苦労はしないだろう? 自分のそれまでの生活を捨ててまで旅をする理由とは、何だ?」

 今まで旅をすることが当たり前だと思っていたが、そうか、どこか一つ所に根を張っている連中からすると、僕たちに獣耳や尻尾がないこと以上に不思議なのか。

「色々あったんだよ」

 僕は、時折爆ぜる囲炉裏の火を見ながら、興味津々なリャンシィにこれまでのことを語る。違う世界から訪れた僕が、神との契約と純然たる趣味でこの世界にはびこる化け物どもと戦っていることを。

「ほお、化け物を倒す旅か。で、地図に導かれてここまで来たというのか」

 僕は頷く。

「しかし、この辺りは平穏そのものだぞ。化け物がこの近くに住んでいたら俺たちがいるはずがない。戦闘状態になって全員が戦いを挑み、全滅してる。そうでないなら最初からいないか、俺たちの祖先が倒してしまっているよ」

 そこまで言って、はたとリャンシィは何かに気付いたように中空を見つめて口をあけた。

「もしや、俺たちこそがその化け物と言うのではないだろうな」

 なるほど、確かに獣に変身する彼らの力は脅威だ。荷物から地図引っ張り出して広げて見ると、赤い印は彼らの村には出ていなかった。現在地よりも少し離れたところを示している。残念ながら地図は彼らを敵とは判断しなかったようだ。まあ、赤印が出ていても、あの生まれたての子トカゲみたいに戦うことが無かったり、赤印が出てなくても戦ったサイボーグ爺さんとかの例がある。結局この印はただの基準の目印であって、戦うかどうかは僕次第のところがある。

「あれ、ここって」

 何か思い当たったのか、リャンシィが顎に手を当てて地図を見つめる。

「どうした?」

「いや、この場所に心当たりがある。実は、今日まさに、俺はこの辺りにいて、あいつら、お前がゾンビと呼ぶ連中に襲われた」

 かなり有力な情報が飛び出してきた。なるほど、今回の敵はゾンビか。

「悪いんだけど、明日ここに案内してくれないか?」

 わかった、と快く承諾してくれたリャンシィに礼を言ったところで、流石に夜も更けてきたので今日はお開きとなった。

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