世界の神話・異聞
叶 遼太郎
英雄譚の始まり、死にたがりの軌跡
第1話 立つ鳥は後を濁さない
燃えるゴミを出しに行って、指定された取集場所に無造作にゴミ袋を放り投げた。ボスッと力なく横たわるゴミに自分の姿を見た。
ああ、僕にそっくりだ。いや、僕があれにそっくりなのか。
深夜、レンタルビデオ屋のバイト帰りのことだ。突然後ろから声をかけられた。
「未練は無いのか」
立ち止まって振りかえる。薄暗い街灯の先に誰かがいた。街灯が照らすのはその人物の足元のみで、正体がわからない。その甲高い声と小さな靴から女か、子どもではないだろうか。ただ、聞いたことのあるような声だと思った。どこでか、は、わからないけど。
「僕に何か、用?」
と返すと、何かを含むような小さな笑い声が返ってきた。
「何笑ってやがる。用がないならもう行くぞ」
「ああ、すまない。用ならある。私は、君の願いを叶えに来たのだ」
足音を立て、人影が近づいてくる。自分より少し小柄なこの人物は、大きめのパーカーを羽織り、フードを目深にかぶっていて表情が伺えない。ただ、体格やフードのなかからこぼれおちる、ウェーブのかかった長い髪から女性だと判断する。バイト上がりの深夜二時に、見知らぬ女性に呼び止められるというレアな経験をしていた。
「女性に呼び止められるのに慣れてないもので、どう応対すればわからないんだけど。まずは身分を明かしてくれるとありがたい、かな」
「私は世界の管理者。君たちに理解しやすいように表現すると、神だ」
「へえ」
神ときたか。ビデオ屋でバイトをしているから、映画にはそれなりに詳しくなったが、パーカーにジーンズのラフな神様は今のところ見たことがない。新世界の神になろうとした男は結構ラフだったけど。
「神様が、こんな夜更けに何用だ」
「さっきも言った通り、君の願いを叶えに来た」
「僕の、願い」
思考を巡らせる。自分の願い、望み。一番の願いは、わざわざ叶えてもらわなくてもいずれ叶うものだが、早いに越したことは無い。
「迎えにでも来たのかよ。僕の寿命が尽きたから」
僕の願いは死ぬことだ。
自殺はダメだ。人に迷惑がかかる。手首を切る、首をつるなどだと大家さんやその周辺の人に、飛びおりならビルと真下の道行く人々に迷惑をかけてしまう。心霊スポットになるなんて言語道断だ。死んでも誰かに迷惑をかけるのは無責任だと思うからだ。樹海なら行けるか、と思ったが、ああいう自殺場所のメッカは巡視員が常に目を光らせていて、一度見つかってからは諦めた。自然死か、出来れば事故死が望ましい。事故死だと、加害者や警察、もしくは良心的な誰かが僕の遺体をきちんと処理してくれるだろうから。立つ鳥は後を濁さないものだ。
僕に家族はいない。唯一の肉親だった姉さんは四年前に死んでいる。姉さんみたいに素晴らしい人間なら惜しまれたり悲しまれたりするんだろうが、僕が死んで惜しむ人、悲しむ人はいない。せいぜいバイト先の店長が「くそ忙しいのに」と嘆くぐらいだろう。
「いや、違う」
神は否定した。
「僕の願いは今言った通りだ。それ以外なら必要ない。じゃあな神様」
踵を返して帰ろうとして、目の前の異常事態に思わず足を引っこめた。
その先に道は無かった。光さえなかった。真黒な壁なのか空間なのかよくわからない、闇、としか言いようがないモノが面前に広がっていた。
「神の話は最後まで聞け」
ため息交じりに神は言った。仕方なく振り向く。
「これはあんたの仕業か?」
目の前の闇を指差す。
「そうだ。とりあえず、私が神、のようなものであることは認識していただけただろうか」
嫌でもせざるを得ないものを見たのだ。文句もつけようがない。もともと、つけるつもりもなかった。気が狂ったなら狂ったで、別にどうでもよかった。
「それだけの力があるなら、僕一人を殺すくらい簡単だろう。願いを叶えると言うなら、痛みなくあっさり殺してくれ」
「必要があればそうすることもやぶさかではない、が、君の場合はダメだ」
「なぜだ?」
「必要だからだ。君の命が」
僕の命が? どういうことかさっぱり分からず、首をかしげる。
「君はいらないと言ったが、君の命を欲する人間がいる。その人間に君を渡そうと思う。その人間は別の世界にいる。君を直接殺すことはしないが、間接的に死に追いやることは可能だ」
「へえ、間接的に・・・」
「そうだ。そして最初の質問に戻る。別世界の人間に渡すのだから、君にはこの世界を捨ててもらう。帰ってくることは出来ず、異国の地で果てることになるからだ」
だから未練は無いかと聞いたのか。どうせ死ぬ身だと、そんなこと気にもならなかった。
「いくつか質問がある」
「どうぞ」
「死ぬときに痛みはあるか? あって、長時間苦しみ続けるのか? それとも一瞬か?」
「どちらかと言えば短時間ではないか、と思われる」
第一段階はクリア。どうせ死ぬなら痛みは無い方がありがたい。
「僕の死は迷惑をかけないか?」
「現時点ではかけない、と言いきれる。むしろ君の死は感謝される。立派な墓も立てられ供養されることだろう」
感謝される死、とは何だろうか。僕が聖人か稀代の大悪人ならそれはもう喜ばれるだろうが。何にせよ、気がかりは無くなった。
「なぜあんたはそんなことをする」
「仕事だからだ。例えるなら古本屋、だろうか。君たちはいらない本をそこに売り、必要な人がそれを安値で買う。それの規模が世界版だ。人を本、世界を本屋、売り子を私に置き換えればいい。生き物の生死を好き勝手にいじることも出来ないことは無いが、少し面倒だ。君は死ぬことを望む、別の世界の人間は君の命を望む。互いの利害が一致しているなら、移動させた方がコストパフォーマンスが良いのだ。後は君の許可を得て、私が運ぶだけだ」
なるほど、少し遠回りだが、願いを叶えるということには変わりない。
「君の命を、有効活用させてはくれないだろうか」
僕が納得したのを感じたのだろう、神が聞いてきた。もちろん否やは無い。ただ、少しだけ時間をくれと頼んだ。明日の今と同じ時間、迎えに来てくれと。
「すぐにでも、と言うと思っていたから少々意外だな。良ければ理由を聞かせてくれないか」
「バイトを辞める連絡と、賃貸契約の解除をしたいんだ」
いなくなるなら、身辺整理をしなければならない。立つ鳥は後を濁さないものだ。
翌日、僕はバイト先や不動産、廃品回収に連絡を入れた。バイト先の店長には直接会って、適当な理由をでっちあげて辞めることを報告した。店長は来月のシフトを組んでいた最中だったようで、急な話に顔をしかめたが、バイトが一人辞める程度でガタガタ言わなかった。逆に問題だったのは不動産屋だった。賃貸契約では退室の二カ月以上前に連絡しておかなければならなかったらしい。店子が住むから利益につながる、金が絡めば人は神経質になるのは世の道理で、契約違反だということでモメかけた。なので、これまで使う理由も目的もなかったために勝手に貯まっていった貯金を下ろし、二か月分の家賃を一括で払ったら面白いくらい大人しくなった。生まれて初めて金の力を使った。
午後から廃品回収の業者がやってきた。最近の廃品回収業者はまだ使える商品を買い取ってくれるらしく、見積もりを出した結果、買い取り金額と処分にかかる金額が同じなので特に費用はかからないと言った。それで引き取ってもらうことにする。業者がどんどん物を運び出していく中、埃をかぶった小さな段ボールが出てきた。まだ中身を確認していないものだ。大したものは入ってないだろうと開けて中をのぞく。出てきたのは古いノート、カフス、万年筆、そして僕と姉さんが写っている昔の写真。カフスは姉さんからのプレゼントだ。貰った時は嬉しくて毎日つけていた。シャツを好んで着るようになったのもこのころで、何時でもつけていたかったからだ。姉さんが死んでから、どうしても思い出してしまうので外していた。ここは、幸せだったころの記憶が詰まったパンドラの箱だ。開ければ幸せだった頃の記憶が災厄になって僕に襲いかかる。心が締め付けられ、苦しい思いをさせる。神話と違うのは、希望は入って無いことだ。
「ああ、それも廃棄ですか?」
後ろから業者が尋ねてきた。廃棄、するべきなんだろう。今更こんなものを持っていたって何の役にも立たないのだから。少し逡巡してから、思い切ってゴミ袋を広げて流し込もうとする。
「ちょ、ちょっと待って!」
後ろから呼び止められた。業者の一人が僕の行為を止めようと走ってきた。
「何?」
「何、じゃないですよ。それ本当に捨てちゃうんですか?」
鈍く光るカフスを指差して業者は言った。体力がモノを言う業種で珍しく女性だ。帽子を目深にかぶっていて鼻より上が陰で伺えない。特に気にも留めず、今自分の手にある段ボールに視線を戻す。
「それ、結構なアンティークものですよ。すごい高級品ってわけじゃないけど、今ではもう取り扱いがないような。純銀製っぽいですし、もったいないですよ」
「もったいないなら、あげようか?」
差し出すと、業者は困ったように手と首を横に振った。
「遠慮します。そういうのってできる男のシャツの袖先で輝くもんですよ。お客さんなら似合うんじゃないですか?」
付けてあげますよ、と業者は返事も聞かずに、僕が着ている黒いシャツの袖口にカフスを取りつけた。黒いシャツに銀の光沢が映える。「ほら、似合う」と業者は満足げに笑った。
「おい」
「これはサービスですから、お代は頂戴しませんよ」
そういうことを言っているんじゃないのだが、いちいち注意するのも面倒なのでされるがままにカフスを両袖に付けてもらった。姉さんの形見が、僕の形見になるのもまた一興だ。そう考えれば、ノートも万年筆も持っていき、僕の墓に一緒に埋めてもらおう。それくらいのわがままは許されるはずだ。ゴミ箱にポイはやはり忍びなかったようで、僕の心が少しほっとしたのを感じた。見れば苦しむだけなのに、捨てるのも憚られる。どうにも上手くいかないな。世の中はえてしてそういうものかもしれない。
部屋から物がなくなったころ、管理人がやってきて鍵の返却を行った。そのころ僕の荷物はリュック一つにまとまっていた。中身は姉さんのノート、万年筆、ロープ、工作用のカッター、後は財布くらいだ。服装も黒のシャツとジーンズとスニーカーという軽装だった。どうせすぐ死ぬのだから、色々持っていても仕方ない。万が一、長く苦しむようなことになったら困るので、自決用のロープとカッターナイフを持っていくことにした。
約束の時間までまだ時間があった。自称神は「君に心変りは無いとは思うが、万が一、未練があって、後で駄々をこねられても困る。残った時間でよく考えろ」と言っていた。無意味だとは思うが、やり残したことがないか考えてみる。考えて考えて、無い、という結論に達した。姉さんが死んだ、殺されたあの日から、僕はこの世界に何の期待もしていない。
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