第15話 彼女の本音
「――――なんですか、これは?」
「……それは表紙に名前を書いた奴の本音が、日記形式で見れるっていう、親父のオカルトアイテムだ。表紙にそいつの顔を思い浮かべて名を記せば、毎日一ページずつ自動的に書かれていく。お前も知っているだろ? 俺の親父の奇天烈趣味を」
「幼少の折より良く存じておりますが……何故、今これを私に?」
「そのページに書かれているのは、お前の本音だ。…………俺は最初に、お前の名前を表紙に書いたんだよ」
「え……え!?」
訝しげに日記を手にしていた立華は、司郎の説明を聞き、慌てて開かれたページに視線を走らせた。
立華は幼少時代、征一郎のオカルトトークに律儀に付き合っていた経験があるので、息子の司郎より不思議道具への理解が早いようだ。
目が文字の上を滑る度に、「そ、そんな。あの時のあれとかそれとか、ああ、こんなことまで!? ぜ、全部筒抜け!?」と動揺を露わにし、流石の彼女も冷静な態度を繕えずにいる。
司郎が偶々開いて渡した、6月6日の内容から日付を遡るように、必死にページを捲る立華。それを司郎は、バツの悪い想いを抱えたまま、やんわり止めに入った。
これ以上は、あまり彼女の精神衛生上よろしくない。
しかし、ページに添えた立華の手に、司郎の長い指先が触れた瞬間。
彼女は弾かれたように、腕を引いて口元に手を当てた――――その顔は、熟れた林檎などより余程赤い。
「し、司郎様、こ、これは、あのっ! わ、私は……その!」
「……いや、いい。もういいから。全部俺が悪かった。ほんの少しの好奇心というか、まさか効果が本物だと思わず、軽い気持ちでお前の名前を書いたんだよ。そんで、今までズルズルとお前の本音を覗き見していた。本っ当にすまん!」
本日二度目の謝罪だが、人に頭を下げるなど何年ぶりだろうか。
しかもずっと可愛くないと思っていた、婚約者様相手に。
意地っ張りでプライドの高い彼にとって、これだけでも相当の覚悟を必要とした。
立華も色々と限界だろうが、綺麗な木目の床に視線を落とす司郎の方だって、わりともういっぱいいっぱいなのだ。
だけどまだ、司郎には立華に聞きたいことがある。
それを聞いた上で、司郎にはまだつけると決めた『ケジメ』が残っていた。
こんなとこで、心折られてはいられない。
「シローさま……」
動揺のあまりか立華の喋り方は、一時的に幼い頃の拙い響きに戻っていた。
司郎はようやく頭を上げ、出来るだけ落ち着いた声を意識して話し出す。
「俺は、その日記に名前を書いた日から、お前の本音を見てきた。お前がキツイ態度の裏でずっと、俺に対して、その……強い想いを向けていたことも、日記を通して初めて知った。でも、それでも俺にはまだ分からないんだよ」
「な、何がですか……?」
「……お前が、どうして昔と変わったのか。『氷の女王』なんて呼ばれるようになるまでに、お前の内面にどんな変化があったのか」
「!」
汗ばむ手を握り、思い出すのはいつかの樹の言葉だ。
『姉さんは確かに、昔に比べてしっかり者になりましたが、同時に人に頼るということも、一切しなくなりました。弱音も不安も、表に出すことはありません。それにはきっと、何か理由や原因があるんだと思います』
これを聞いたとき、司郎は立華が変わった原因なんて、そこまで真剣に考えてはいなかった。
知ったところでどうなるものでもないと、そう思っていたのだ。
だけど今は、司郎はそれをちゃんと立華の口から聞きたかった。
「……シローさまが外国に行かれている間のことです」
暫しの静寂のあと。
立華は俯き長い髪で顔を隠したまま、ポツポツと言葉を紡ぎ出した。
「初めの頃は、急なことでショックが大きく、私は塞ぎ込んでおりました。両親や弟にも、随分心配をかけたと思います。でも、シローさまが慣れない地で頑張っているのに、私がこのままではいけないと思い……気弱な自分を変えようと、習い事を増やしたり、苦手だった社交の場にも進んで出席したりしました」
「俺の知らないとこで、そんなことしてたんだな……」
「はい。シローさまと再会するまでに、少しでも一人前の女性に近付きたくて。……ですが、シローさまが傍にいなくなり、人目に触れる場に多く出るようになったことで、次第に色んな『声』が、私の耳に入ってくるようになったんです」
「声……?」
「『あんな何も出来ないのが、大道寺家の娘なのか』と。『優秀な鷲ノ宮家の後継ぎとは、到底つり合わない婚約者だ』と」
「は……」
あまりの物言いに、司郎は青い瞳を揺らす。
「習い事で失敗したら、『家柄だけで不出来な娘』。パーティーで上手く話せなかったら、『シローさまに不似合いな婚約者』。どれも直接言われたわけではありません……でも確かに、そんな声がたくさん、私の後をついて回ったんです」
口さがない連中というのは、何処にでもいるものだ。
まして権力のある者が集えば、蹴落とし合いで貶めるような噂が飛び交うのは、もはや日常茶飯といっていい。
特に立華は、昔から何でも器用にこなす司郎と違い、不器用で要領が悪かった。それでいて性格も人見知りで引込み思案。
由緒ある大道寺家の娘がそれでは、嫉妬や悪意の矛先になるのも、仕方のないことだったのかもしれない。
「……だけどそんな中傷より、私が一番怖かったのは、シローさまに愛想を尽かされることでした。こんな私では、いつかシローさまに捨てられてしまう。それが、私には何より怖かったんです」
「お前、そんなふうに考えて……」
「このままだといずれ、婚約解消されちゃうんじゃないかとか。シローさまが別に、あ、愛人を作っちゃうんじゃないかとか」
「愛人っ!?」
なんだその発想!?
突拍子も無い単語に不意を突かれ、司郎は椅子からずり落ちかけた。
そういえば昔から、立華は些か思い込みが激しいきらいがあった気もする。
「そうならないために、私はもっともっと、自分を変える必要がありました。ダイエットとかもしたんです。シローさまの横に並んでも恥ずかしくない、綺麗な女の子になりたくて。いっぱい勉強もしました。シローさまと対等になりたくて。舌足らずも、時間をかけて治したんです。品行方正でハッキリとものが言えて、常にシローさまを支えられる……私はそんな、完璧な婚約者になりたかったんです」
「それで……今のお前になったわけか」
「はい。弱さを露呈させないために、感情を表に出すのも止めました」
ああ、だからかと、司郎はそこで納得がいった。
立華の内心でのあのはっちゃけっぷりは、感情を押し殺していた分の反動もあったのかもしれない。
「そうしていたらいつしか、私を嘲笑う声は聞こえなくなりました。これで少しは、自信を持ってシローさまの傍にいられると思ったんです。……それなのに、再会したら今度は昔みたく、シローさまと気軽に話すことすら出来なくなって」
枕元に置いたブレスレットに視線をやり、立華はきゅっと唇を噛む。
「相応しい婚約者であろうとすればするほど、シローさまとの距離が開いていくんです。な、何をやっても空回りで、お菓子もお弁当も渡せないし、ダンスだって一緒に踊れない。全部上手くいかず、下手な態度ばかりとってしまう。シローさまは私を置いて、どんどんカッコよくなっていくのに。立派な婚約者になって、ち、近付いたと思ったらまた離れて……いつまでたっても、シローさまが遠いままなんです」
小刻みに震える肩に、湿り気を帯びる声。
立華の押さえていた感情の留め具は、もう完全に外れてしまったらしい。
音もなく静かに、シーツの上に透明な雫が降った。
あの立華が泣いている――――そのことに、司郎は胸奥が抉られるような衝撃を受ける。
「やっぱり私は、シローさまに相応しくない婚約者です。シローさまが本当は私のことを、煩わしく思っていることも知っています。さらにはあんな、あられもない本音を知って……きっと幻滅されたでしょう」
「え、ま、まぁ驚きはしたが……」
「ですが、ごめんなさいシローさま。可愛くない女で、嫌われていることは理解しています。この想いが、め、迷惑なことも分かっています。それでも、それでも私はっ」
私は、シローさまの隣に居たいです。
涙に濡れた情けない顔を向け、立華は懇願するように、司郎を見据えてそう言った。
それは紛れもなく、ホンネ日記を通さずに口から出た――――大道寺立華の、揺るがない『本音』だった。
もどかしくも歯痒い、形容し難い激情の波が、司郎の内側から迫り上がってくる。
そして彼は奥歯を噛み締めて立ち上がり、張り付く喉を無理やり動かして、「嫌いなわけないだろうが!」と、叩き付けるように叫んだ。
「あークソ! もういい、分かった! お前の気持ちも考えも、全部わかった! だから次は俺の番だ!」
「し、シローさま?」
「ちょっといいから、何も言わずにその日記の表紙を見てみろ!」
強引に促せば、立華は目を白黒させながらも、司郎の勢いに押され手元の日記を引っくり返した。
彼女の瞳に映る、重厚な深緑の表紙。
司郎は固唾を呑んで、次の立華の反応を待つ。
そして、彼女は短く驚きの声をあげた。
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