第14話 婚約者様邸にて

立華の家は、西洋の城を思わせる華美な鷲ノ宮邸とは趣が異なり、レトロ調の落ち着いた雰囲気の豪邸だ。

 司郎を迎えたのは、部活が休みで早々に帰宅していた私服姿の樹で、何も言わなくても、気の利き過ぎる彼は司郎を立華の部屋へと案内してくれた。


 シックな焦茶のドアを抜ければ、甘さ控えめなミルク色の壁が広がる。

 室内は司郎の知る幼少期の頃と然程変わらず、シンプルだが造りの良い、勉強机やクローゼット、木製のミニラックなどが静かに佇んでいる。今の立華には不似合いな、ぬいぐるみやピンク系の小物が所々に健在な事が、司郎には少し意外に思えた。


「姉さんは薬を飲んで眠ています。声を掛ければ起きると思いますよ。あと、くれぐれも俺が司郎さんを勝手に部屋に入れたことは、内密でお願いします。それでは、俺はこれで」


 そう言って、さりげなく姉のプライベートを売り払った弟は、飄々と頭を下げて退出した。

 司郎はらしくもない緊張を滲ませた面持ちで、だけど足取りはしっかりと、窓際のベッドで眠る立華へと近づく。


 そして、昔と違い呼ぶことが稀になった、彼女の名を口にしようとしたところで。


「しろう、さま?」

「……おう」


 気配を感じてか、パチリと先に立華がその大きな瞳を開いた。

 彼女は暫し、微睡む意識のまま瞬きを繰り返していたが、司郎の姿を認識して息を呑む。


 だが立華の動揺が見れたのは一瞬で、彼女は即座に上半身を起こし、乱れた髪を整え背筋を張った。案外女の子らしい桃色の寝間着姿な点を除けば、怜悧な女王様に早変わりだ。


「なぜ司郎様が此処に?」

「あー……何ていうか、その、見舞いに来たんだ。あと、色々とお前と話たいこともあってな」

「……そうですか。わざわざ、学校帰りに来てくださったのですね」

「えっと、体調はどうだ?」

「薬を飲んで、今は大分回復しました。司郎様が心配されることではありません」

「そ、そうか」

「はい」


 会話終了。

 話すことは山ほどあるのに、どう切り出すべきか分からず、司郎は次の言葉に悩み。また立華の方も、白いシーツに視線を落とし、口を閉ざしてしまった。


 普段通りに見える立華も、やはりまだ本調子ではないのか。それとも単に、動揺や恥じらいを隠そうと取り繕っているだけか。

 両方だろうな、と司郎は考える。

 きっと今バッグの中にあるホンネ日記に、彼女の内面が記されたのなら


『え、何で司郎様が私の部屋に!?

 見舞いって……いや超嬉しいけど。けどだよ?

 服は寝間着、髪はボサボサ、寝起き顔の、意中の相手に見せたくない三コンボ!

 ヤバイ帰りたい。実家に帰りたい。実家此処だけど。

 おい、誰だ勝手に司郎様を部屋に入れたの。平静を装ってるけど、わりとそこの窓から飛び降りたい気分なんだがどうしてくれる。

 それに……会うのはあの倒れた時以来で、すっごい気まずい。言いたいことはいっぱいあるのに。

 どう会話すればいいの、もう!』


 ……まぁ、おおよそこんなとこだろう。

 司郎にも簡単に内容が想像出来てしまい、何だかなぁとは思いつつも、このまま沈黙が続くのは辛い。


 意を決して、司郎はまず『こちら』から切り込むことにした。

 側にあった椅子を引き寄せ腰掛け、彼はバッグから例のブレスレットを取り出す。


「! それは……どうして、司郎様が」


 驚く立華の眼前に掲げれば、カーテン越しに差し込む茜色の陽を受け、金細工の華がキラリと光った。


 ――――事の顛末は、明かされてみれば何てことはない。

 犯人は……まだ司郎がホンネ日記を手にする前、いつぞや司郎にカップケーキを渡した、あの『チワワ女子』だった。

 動機だって言ってしまえば簡単で、浅はかな出来心と、立華に対するささやかな復讐だ。

 あのカップケーキの件で、彼女は立華に対して、ずっとわだかまりを抱えていたらしい。

 それで偶々、大事そうにブレスレットを持ち保健室に入って行く立華を見咎め、つい過ちを犯してしまったと。


 ほんの少し困らせたかっただけで、すぐに返すつもりだったんです。

 ただちょっと、あの時の意趣返しがしたくて。

 でもまさかこのブレスレットに、あそこまで大道寺さんが必死になるなんて思いもしなくて……。

 本当に、本当にごめんなさい。


 そう言って、チワワ女子は花舞宴が終わった後に、司郎に泣きながら返しに来たのだ。


「謝るなら俺にじゃなく、直接立華にしとけって言えば、あの子は頷いていたから、たぶんそのうちお前の方にも謝りに来ると思う。ブレスレットだけは俺が預かっといた。それで許すかどうか、あとはお前次第だが……ただ、その」


 そこで司郎は一旦言葉を切り、気まずげに視線を逸らす。


「俺も、悪かったな」

「え……」

「あのときお前が言ったように、俺がもっと色々配慮して対応しとけば、こんな大事にはならなかったかな、とも思ったんだよ」


 チワワ女子のしたことは、それこそ『良家の子女として思慮に欠ける』、愚かな行いであったことは間違いない。

 その軽率な行動のせいで、立華は結果的に倒れる大事に至ったのだから。


 だけどその原因を辿れば、司郎は自分にも責任があるのではないかと思い直した。

 言い方がキツくあの時は反発してしまったが、立華の言うことは尤もだったのではないかと。


「私は謝りに来るのでしたら、これ以上騒ぎ立てるつもりはありません。……ブレスレットの壊れた金具、直してくださったのは司郎様ですか?」

「……いや、俺は何もしてない。それはたぶんあの子だろ」

「そうですか……私は、これが返ってきたならもういいです。それに」


 ブレスレットを受け取って、立華はぎゅっと手の中に握り込んだ。

 伏せられた睫毛に暗い影が落ちる。


「司郎様が謝ることもありません。それを言うなら、私の態度や言い方にも問題がありました。…………本当に、私は空回ってばかりですね」

「立華……?」


 広い室内に溶けて消えた、立華の独白。

 それが聞いたことも無いような、弱々しい響きを伴っていたことに、司郎は自分の耳を疑った。


「原因を作ったのは、どちらかといえば私です。それなのに私は、あんなに取り乱して、司郎様に多大な迷惑をおかけしました。あれほど司郎様に注意してきた当の私が、みっともない姿ばかり。情けない。不甲斐ないです」

「べ、別にそこまで……」


 身体が弱ると思考も後ろ向きにるというが、立華はまだ花舞宴のときのことを気にしているらしい。『氷の女王』らしからぬ、弱気な想いが口を衝いて出ていく。


「どうして、私はこうなんでしょう。ダメなとこが昔と何も変わらない。馬鹿みたいです。こんな私では……司郎様に、相応しくありません」


『どうして、私はこうなんだろう』

『これじゃあ、昔と何も変わってないじゃないか。

 不器用で鈍くさくて、司郎様に相応しくない私のまま』

『ああ、本当に……私は馬鹿だ』


 つい最近覗いた日記の本音と、今しがた吐露した彼女の弱音。

 その二つが頭の中で重なり合い、司郎は目を見開いた。


 ハッと我に返った立華の方は、また何でも無い体ていを装い表情を消す。


「……すみません、可笑しなことを口走りました。どうか忘れてください。まだ私も全快ではないようですし、熱がうつる前に、司郎様はもうお帰りになった方が良いかと」

「いや……帰らねぇ」

「司郎様?」

「まだ俺は、肝心なことを何にもお前に話せていないんだよ」


 ここで帰ったら男が廃る。

 彼女の心の内を垣間見た、今しかこれを明かすチャンスはないはずだ。


 そう自分を叱咤し、司郎は再びバッグに手を突っ込んだ。


「俺は今日、お前と『本音』で話しに来たんだ」


 そして勢いのまま、取り出した古いノート――――『ホンネ日記』を無造作にバッと開き、強張る腕で立華へと差し出した。

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