第13話 彼の決意
『6月6日(金曜日) 天気・雨
最悪だ。
本当なら今日は、司郎様と一緒に踊れる最高の日になるはずだったのに。
どうして、どうしてこんなことになってしまったんだろう。
まず昨日の時点から、私の体調は良好とは言い難かった。
でも午前までは熱も咳も無く、体がちょっぴり怠い程度だったんだ。司郎様と一曲踊るくらい、余裕だと思ってた。
だけど早めに会場入りしたくらいから頭痛が増し、私はフラフラと保健室に向かう羽目に。
その途中でブレスレットの金具が外れ、嫌だな不吉だなとか、そんなことを思いながら、誰も居ない保健室のソファで休んでいた。
そして目覚めたら、ブレスレットが無くなっていて。
必死に部屋中を探したけど見当たらず、何処かに落としたのかもと考え、私は形振り構わず保健室を飛び出した。
そしたら、そう。
廊下の向こうから美しすぎる神の使いが……つまりは、タキシード姿の超絶カッコいい司郎様が現れたんだ。
ああ、うん。此処までは、熱で沸いた頭でもちゃんと覚えている。
私は取り乱しまくって、何か要らんことまで司郎様に話していた気がする。その上、だんだん頭がぼんやりしてきて、意識はブラックアウト。
気づいたら保健室の白い天井を見ていた。
だけどまだ、ブレスレットは手元に戻ってきていない。
私は重たい身体を引き摺って、とにかく心当たりのある場所を回ろうと中庭に出た。
また運悪く天気が崩れ、雨宿りついでに、司郎様との至高のランチタイムベンチ(私命名)で少し休んでいたら……今度は目覚めたら、自室の蒲団の中。
心配そうな両親と弟の顔が視界に飛び込んできた。
ここからは弟に聞いた話だが、私は中庭のベンチから保健室に運ばれ、余りにも高い熱が出ていた為、迎えが来て家に戻ったらしい。意識を失っているうちに医者にも診てもらい、絶対安静を言い渡されたのだとか。
いやこの際、そんなことは置いておこう。
それより特筆すべきことは。
私を雨の中探して、保健室に運んだのが…………他の誰でもない、司郎様だったらしいことだ。
もうもうもう!
私はどれだけ、司郎様に迷惑かけてんだって話!
結局、ブレスレットもまだ見つかってないし、ダンスも踊れなかったし、熱も下がっていない。
何より、司郎様にとんでもない醜態を晒した。
嫌だもう、泣きたい。てか泣いてる。
穴があったら入りたい。むしろ地中深く埋めてくれ。
どうして、私はこうなんだろう。
明日は学校は休みだけど、早く司郎様に会って謝りたい。ブレスレットだって、見つけに行かなくちゃいけないのに。
体調はまだまだ悪くて、月曜日も学校に行けるかすら分からない。
頭が痛い。身体が熱い。息が苦しい。
司郎様に会いたい。
でも……彼に会わす顔が無い。
だって、司郎様はきっと呆れてる。せっかく、せっかく最近は、少し司郎様との距離が縮められた気がしていたのに。
これじゃあ、昔と何も変わってないじゃないか。
不器用で鈍くさくて、司郎様に相応しくない私のまま。
ごめんなさい、司郎様。
私を探したせいで、司郎様は濡れていないかしら。風邪なんてひかせたら、私は今度こそ切腹する。
ああ、本当に……私は馬鹿だ』
「何だよ、俺に相応しくないとか……」
スタンドライトの灯に照らされた、ホンネ日記のざらつくページを摘み、司郎は自室でボソリと、苦い顔でそう零した。
黒く塗り潰された窓の外は、細い雨が無数の糸のように空から垂れ下がっている。
そんな重苦しい天気と同じ、本日の立華の日記は、今まで見たことのない鬱々とした心の内が綴られていた。
だが今日の花舞宴でのトラブルの数々を思うと、そうなるのも無理はない。
日記に書かれた通り、立華はあれほど気合を入れて準備し着飾ったにも関わらず、高熱により自宅へと強制送還されたのだから。
ちなみに司郎の方は、立華が家に帰った後、元々乗り気ではなかったが渋々花舞宴に参加した。
楽しむようなテンションでは無かったので、出来れば休みたいところだったが、体面上のことも考えると、司郎と立華がセットで居ないのはあまり宜しくない。
濡れたタキシードは代わりを家の者に持ってこさせ、司郎は何曲か別の子女と踊り、自分の務めは果たしてきた。
それでも矢張り、立華のことが頭を過り、気もそぞろになっていたことは否めないだろう。
そして家に帰り、日記を開いてみれば案の定。
婚約者様の体調はまだ回復していないらしく、心身共に堪えている模様だ。
それなのに、日記の中で立華は、司郎に迷惑かけただとか、司郎があげたブレスレットを探さなくちゃだとか、相変わらず司郎のことばかり。
自分が風邪をひいて参っているときに、俺の体調を気にしてどうするんだよと、司郎は酷く歯痒い気持ちになる。
風呂上りで湿った髪を苛々と掻き上げて、司郎は些か乱暴に日記を閉じた。
そこで彼はふと――――日記の使用率が今日でちょうど、半分になっていたことに気付く。
思えば自分と立華の関係は、この日記の介入によって、随分と変わってしまったものだ。
いや、きっと変わったのは二人の関係というよりは、司郎の立華に対する感情なのだろう。
あのストーカーもどきに言われた時も思ったが、司郎は立華について、本当に何も知らなかったのだ……まぁ、あんな本音を自力で知れという方が、土台無理な話ではあるが。
それでも。
「俺は……昔と変わったアイツから、逃げてただけなのかもしれねぇな」
無意識に出た言葉だったが、それは的を射ているような気もした。
結局司郎は、昔と今の立華の変化が受け入れられず、その要因を考えることもしないで、彼女を跳ね除けていただけなのかもしれない。
脳内を駆け巡るのは、冷たく小言を繰り返す可愛くない表の立華に、日記の中で司郎への溢れんばかりの愛情を示す内なる立華。そして昔の、拙い舌で自分の名を呼ぶ立華の姿だ。
並べると別人かとさえ錯覚するが、そのどれもが、司郎の婚約者である『大道寺立華』であることは確かで。
そしてどの立華も、司郎に対して何かと必死なところは変わらない。
そんなふうに彼女はいつだって、司郎のことを想っていたというのに。
日記を手に入れたことが切っ掛けでそのことを知っても、今度は司郎は、自分の感情の変化の方にハッキリとした答えを出さず、またもや逃げている。
本音を隠して素直じゃないのは、徹の言う通り、どうも立華だけでは無いようだ。
「何ていうか、カッコ悪いな、俺」
常に自信に満ちた『皇帝様』には似つかわしくない、自嘲気味な表情を浮かべて、司郎はそう独りごちた。
一旦閉じた日記をペラペラと無造作に捲れば、この日記に彼女の名前を書いたときの事が、薄らと脳裏に蘇る。
あれからページの残りが半分になった今、そろそろ逃げてきた色んなことに、司郎はいい加減決着をつけなければいけないのかもしれない。
そこまで考えて、次に司郎は日記から手を離し、机に置かれた『あるもの』を長い指先に引っ掛けた。
それは――――中心に赤い華の咲く、例のブレスレットだ。
花舞宴が終わった後、司郎はこれを取り戻すことに成功した。というより、向こうから返しにやってきたと言うべきか。
その顛末についても、司郎はこれを立華に返して、彼女とゆっくり話す必要がある。
ブレスレットと日記。
その二つの間でアイスブルーの瞳を行き来させ、司郎は一つの決意を固めた。
それから四日後。
学校が始まっても、相変わらず体調不良で休む立華に会いに、司郎は学校帰りの制服姿のまま、何年ぶりか分からぬ婚約者様の家を訪れた。
手にしたバッグに、丁寧に布で包んだブレスレットと――――――ホンネ日記を忍ばせて。
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