第9話 残り一週間


「……私も今年は、司郎様と踊るべきだとは考えておりました。婚約者としての体裁を保つためにも、私たちが組むのは必要なことかと。お誘いは有難くお受けします。当日はお互いに、羽目を外しすぎないよう気をつけましょう。それでは私は先に失礼します。司郎様も、授業には遅れぬようお戻りください」



『5月30日(金曜日) 天気・晴れ


 司郎様とダンス。

 司郎様とダンス。

 司郎様とダンス!


 ついに来ました生きてて良かった神様ありがとう!


 しかも司郎様から誘って貰えるなんて……ああヤバイ、顔がにやける。

 聞きました? 皆さん聞きました? 誰に問い掛けているのか自分でも分からないけど、とにかく聞きました?

 司郎様が私に向かって、「花舞宴は、良かったら俺と踊ってくれねぇか?」だって!


 そんなの即答YESに決まっているじゃないですか!


 ちょっと照れながらも私と視線を合わせて、誘いを口にしてくれた司郎様の眩しさよ……いよいよ目が潰れるかと思った。

 あれは司郎様、私を本気で仕留めにかかってたね。

 お弁当の件といい、最近は司郎様から私に歩み寄ってくれている? 感じがして、理由は分かんないけど嬉しいな。

 帰って弟にも報告したら、「良かったですね、姉さん」って、本当に出来た弟だわ……。


 もう最近は、幸せすぎてちょっと怖いよ!


 ああでもでも! それなのに私はまた、可愛くない返事をしやがって!

 どうして素直に、「お誘いありがとうございます」とか、「一緒に踊れるの楽しみです」とか言えないの? 昔はちゃんと言えたのに!

 舌足らずは改善したけど、今度は余計なことの喋り過ぎ……ままならない、本当にままならない。


 逃げるように去っちゃったけど、あとで司郎様にやっぱり踊りたくないとか、断られちゃったらどうしよう。

 私の捻くれた返事に、海よりも広いお心で苦笑いを返してくれた司郎様……き、嫌わないでください! あれ本心じゃないんです! 本当は飛び上がって讃美歌を歌いたいくらい、一緒に踊れてめちゃくちゃうれしいんですから!


 司郎様も、私と踊れて嬉しいって、同じ気持ちだったら良いんだけど。


 と、いうか。

 よく考えたら私、司郎様とダンスをするのよね?

 て、手とか触れるのよね!? 身体とか密着させるのよね!?

 え、ちょっとちょっと、想像したら緊張してきたんですけど!


 思えば司郎様とダンスなんて何年ぶり? 

 私がド下手くそで、司郎様の足を踏んづけまくってたのがえっと……あ、ダメだ醜態過ぎて思い出したくない。

 今年は絶対に失敗できない。こんなに踊れるようになったんですよって、司郎様にちゃんと見せなきゃ!


 ドレス選びもやり直し! 髪型も考え直し!

 そうだ、あのブレスレットを当日はつけなくちゃ。 

 司郎様は覚えているかな、あれのこと。


 私が大切にし過ぎて大事に大事に仕舞っていたら、幼い司郎様は「どうして腕につけないんだよ」って、少し不貞腐れてしまったんだっけ。

 それに私は、「ここぞという時に、つけるためにとってあるんです」って返したの。

 司郎様と踊れる花舞宴は、まさにここぞという時よね?


 この頃、まだ変な視線を感じたり、お気に入りのペンやハンカチを無くして、返ってきてなかったりするから、若干学校に持っていくのは心配だけど……あれをつけて、どうしても司郎様と踊りたい。


 午後の授業もずっと、あのブレスレットに合うドレスは何かとか、気を抜いたらそんなことばっかり考え出しそうで、先生の話に集中するのが大変だった。

 司郎様にちゃんと授業を受けるように言った手前、私が不真面目な態度を取るわけにはいかないもの。


 あーけどもう、楽しみだな花舞宴!


 ダンスのレッスンも回数増やして、爪の手入れもしなくちゃ。

 ドレスはセクシー系? 可愛い系? 司郎様はどちらの方がお好みかしら。それから、か、顔が近づく可能性もあるんだから、お化粧も手を抜けないし。


 それに司郎様も正装されるわけでしょ?

 昨年のタキシード姿も、尋常じゃないくらい輝いていた司郎様……あんな美しすぎる彼の横に並ぶんだもの。私もかつてないほど気合を入れないと。


 でも一番は健康管理かしら。ほら私って、いつも大切な行事の前に、体調を崩すタイプだから。

 幼い頃にも司郎様の誕生日の前日に、風邪を拗らせて倒れたのよね……。結局、当日にプレゼントだけ届けることになって。あのときのことも、司郎様は記憶されているかな……苦い思い出だ。

 今度はそんなことにならないよう、身体にも気をつけなきゃ。


 もうやること多すぎ! でも幸せ!


 待っていてくださいね、司郎様。

 立華は必ず、完璧な私で貴方のお相手を果たしてみせますから!

 司郎様のタキシード姿も楽しみにしております。けどそのあまりのカッコ良さに、他の女の子を魅了しすぎてもダメですよ!


 何はともあれ、一緒に最高のパーティーにしましょうね!』




「すっげぇ長文だな……」


 時刻は夜の11時45分。

 スタンドライトの灯りに照らされた日記のページは、余白を探す方が大変なくらい、黒い文字でびっしりと埋まっていた。


 そして何よりテンションが高い。


 かつてないほどの文量とハイテンションな日記で、紙ペラ越しに立華の浮かれっぷりがこれでもかと伝わり、司郎はもう笑うしかなかった。もちろん苦笑いである。


「たかが、学校のダンスパーティーなんだがな……」


 立華と踊ることを聞いた徹には、「よくやった!」と背中を叩かれ。再び帰りに校門で遭遇した樹には、「誘えましたか?」とわざわざ確認を取られ。

 どいつもコイツも盛り上がり過ぎだ。


 だけど一番盛り上がっているのは、日記を見る限り間違いなく立華だろう。

 そんなに自分と踊れるのが嬉しいのか。

 ここまで舞い上がられると、さしもの司郎にも照れが生じる。


 さらには柄にもなく、恥を忍んで誘ってよかったなんて、一瞬でも思ってしまい、そんな自分が司郎は無性にやるせなくなった。

 ホンネ日記を手にして、可愛くない婚約者様の内面を知ってから、司郎は立華にも、己の不可解な彼女への感情の変化にも、振り回されっぱなしだ。


 心底、この日記は厄介なアイテムである。


 過去のページも無造作に捲りながら、改めてそう思い直していた司郎はふと、日記の使用率がそろそろ半分に達しそうなことに気付いた。


 そういえば最後のページまでいったら、日記の更新はどうなるのだろう。

 普通に考えれば、もうこの日記は役目を終えたことになるのだろうが……そうなれば、もう立華の本音を見ることも無くなるのか。

 いやむしろ、自分はラストの一ページまで、立華の心を覗き続けるのか?


 今さらながら、そのことに対する堪らない後ろめたさが、司郎の心に降りかかる。

 次いで襲うのは、いつか自分は、立華のこの些か熱烈過ぎる想いに、それなりの答えを示さなければいけないのではないかという、謎の使命感だ。


 以前までなら、可愛くない婚約者様の存在に嫌気が差していた司郎。

 婚約解消まで考えていたというのに……今はどうだろう。


 ――――彼女の本音を知った今の自分は。

 彼女のことを、どう思っているのだろう。


「……止めよう、寝れなくなりそうだ」


 司郎はそこで思考を打ち切り、日記を閉じて机の中に放り込んだ。

 このまま自分の感情を掘り下げていったら、何かまた厄介な事実を掘り当ててしまいそうな、そんな予感がした。


 さっさと寝てしまおうと、何かから逃げるように司郎はベッドへと向かう。

 だけどその途中で、彼はベッド横のクローゼットに目を留めた。


 今日の日記の内容にあった『あること』を思い出して、彼は銀細工の取っ手を引く。


 真っ先に視界に飛び込んでくるのは、花舞宴用に本日、司郎の母が意気揚々と準備したタキシードだ。

 生地も当然の如く一流で手触りも良いそれは、司郎のアクアブルーの瞳の中に濃厚な闇を溶かしたような、黒に近い深い青色をしている。襟にさり気なくシルバーのトリミングが入っているところが、遊び心があってこだわりを感じさせる一着だ。

 色合い的にも、司郎の瞳と髪色に綺麗にマッチするだろう。


 ただ一点だけ、それだけ質素で地味というか、全体のバランスを考えて合っていないのは、胸元に入れたポケットチーフだ。

 これだけは、母の用意したものではなく、司郎が自分で選び挿し込んだ。


 白に薄らと金糸で線が入っている、タキシードに比べると品も質も欠けるそのチーフは。

 ――――幼い頃。

 司郎の誕生日パーティー当日に、風邪で寝込んで来られなかった婚約者様が、プレゼントだけ彼宛に届けさせたものだ。


「……そんくらい、いくら俺でも覚えているっての、アホ」


 誰とも知れず悪態をつく。

 お互いに、幼少期に渡した物を身につけて花舞宴に出るとか、徹にでも知られたらまた騒がれても仕方ない話だ。


 だけど司郎は、それを胸元から抜くことはせず、部屋の灯りを落として眠りについた。




 ――――――波乱の花舞宴まで、あと一週間。  


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