第6話 アルバムと謎の視線?
「うわ、まだあったのかよ、こんなもの……」
自室の壁一面の本棚から、英和辞書を探していた司郎はふと、ひっそりと収まっていた古びたアルバムに目を留めた。
この手の物は、すべて書斎の方に移したと思っていたのだが、まだ残っていたらしい。
何となく抜き出して開いてみれば、ページは色褪せていて埃臭い匂いがした。それだけでも顔を顰めていたのに、中身を確認して、司郎はさらに整った眉を寄せる。
ページを捲る度に現れるのは、幼い婚約者様の姿。
歳は11、12くらいだろうか。この頃の立華は、太っているとまではいかないものの、今のスレンダーな体型を思えば、全体的にふっくらとした体つきをしていた。
丸い頬を綻ばせて、舌足らずな口で「シローさま」と呼び、よく笑う少女だった彼女。
銀塩の中には、今よりやんちゃそうな顔をした司郎と、そんな純朴な雰囲気を持つ立華が、仲良くツーショットで存在していた。
――――そこで司郎が連鎖的に思い出したのは、数日前に初めて二人で昼を食べたとき、ふとした瞬間に彼女が見せた柔らかな笑みだ。
あれ以来、二人は成り行きで毎日昼を共にしているが(日に日に徹のニヤケ顔のウザさも増している)、今では貴重な立華の笑顔を見たのは、あれ一度きりだった。
昨日も一昨日も、安心安定の鉄仮面。何かにつけて小言を言うところもお変わりなくだ。
……まぁ、日記の中の本音では、『ランチタイム最高! 人生で一番の至福の時! なんで学校に行くかって? 司郎様とランチをするためです☆』とかいった調子で、こっちもある意味安心安定だが。
「懐かしいといえば、まぁ懐かしいな」
司郎は辞書とアルバムを一緒に机に持っていき、勉強の休憩がてらに、そのまま頬杖をついて写真を眺める。
一緒に海にいったときの水着の写真。征一郎の隠し撮りらしい並んで昼寝をしている写真。立華の弟も交えて、三人で正装をした写真。中には、司郎と立華が手を繋いで写っているものもあった。
そのどれもが、立華は穏やかであどけない顔をしている。
あの頃は素直だったのにと、時の流れの残酷さを身に沁みて感じながら、パラパラと半分までページを捲ったとき。司郎のアイスブルーの瞳は、ある一点に引き寄せられた。
幼い立華の腕に嵌められた、細い銀の鎖に、ワンポイントで金細工の華が模られたブレスレット。
華の中心には赤い石が埋め込まれており、見たところ天然石ではあるようだが、何カラットもある宝石を見慣れている司郎には、それは些か安っぽく見えた。
朧げな記憶を探ってみると、該当する思い出が一件。
確かこれは、立華と婚約が決まった際に、司郎が送った物ではなかっただろうか。
父や母に『せっかくだから何か記念に渡してあげなさい』と言われて、小さな頭でそれなりに悩んで、彼女に似合うものを司郎が選んだのだ。指輪は如何にも過ぎて気恥ずかしくて、逃げるようにブレスレットにしたとこもあるが、立華は泣くほど喜んでくれた。
それを渡してすぐに、司郎は両親と外国に立ってしまったので、思えばあれが最初で最後の、司郎から立華へのプレゼントだったのかもしれない。
今は付けているところを見ないので、彼女の氷の女王な面だけを見ていたら、捨てたのかとでも思うところだが。
「日記の中のアイツなら、神棚にでも飾ってそうだな……」
冗談交じりに呟いたわりに、司郎は笑えなかった。
マジでありそうだからだ。
スタンドライトの光の中に、複雑な感情の溜息を溶かして、司郎はアルバムを閉じる。机の端に置いた、洒落た文字盤の時計を見れば、銀の針はちょうど夜の11時半を指していた。
今日はもう勉強は止めよう、気分じゃない。
そう思い、次いで司郎が引出しから取り出したのは、例の『ホンネ日記』だ。
いまだに幾ばくかの躊躇いはあるものの、この時間になると自然に手が伸びてしまうのは、一種の呪いかもしれない。
司郎は今日も拭えない葛藤を残したまま、日記の扉を開いた。
『5月29日(木曜日) 天気・曇りのち小雨
今日も司郎様とハッピーランチタイム!
最近の私は幸せ過ぎてちょっと怖いくらい!
なぜ弁当を食べているだけで、司郎様はあんなにも眩しいのか。
好物のエビフライがあると、少しテンション上げているとことか。苦手なものを見つけると、顔をしかめながらも食べきってくれるとことか。
イケメンか! イケメンだけど!
司郎様が可愛くてカッコよくて尊くて本気で困る。
最初に私の弁当を『美味しい』って言ってくれたときは、「あれ? 私ったらついに、司郎様愛を拗らせて幻聴まで聞こえるようになった?」って、心配になったっけ。あのときは、顔がだらしなく緩むのを取り繕うのが大変だったわ。
司郎様に変な表情とか見せてないといいけど!
今日も一緒に昼を満喫出来て、天気は悪いけど良い日だったなぁ。
あ、でも。
最近少し気になるのは、なんか視線?みたいなのを感じるのよね。
司郎様は気付いてないみたいだし、どうも私の方を見てるみたい……? 花舞宴が近いから、昨年みたいにダンスの申し込みをしたい人かな。本当なら司郎様以外の人と踊りたくないけど、ちゃんと大道寺家の娘として、ある程度の対応は取らないと。
司郎様にだって、本当は私以外の女の子と踊って欲しくなんかないのに……我慢よ、我慢! ここは婚約者としての器の広さを見せるべき。
それに今年こそは、彼と踊れる可能性もあるんだし!
あーだけど。下心アリアリで司郎様に近付く奴は排除するからね!
鷲ノ宮家の地位を利用しようと企む、彼に害をなそうとする存在もやっぱり中にはいるし。あのチワワ女子みたいな、純粋な好意ならまだ許容範囲だ。
司郎様も分かってお相手は選んでるみたいだけど……司郎様を謀ろうなんて、1000年早いわ小娘どもが!
今年も彼のダンスのお相手は、ちゃんとチェックしますから。
そしてあわよくば、今年こそ私と踊ってください!
昔はダンスは苦手だったけど、今は華麗なステップをマスターしたんで!
明日も司郎様にとって、良い一日になるといいな』
読み終わって、司郎は日記を机の上に広げたまま、神妙な顔つきで腕を組んだ。
いつもはその内面と外面の差に、何とも言えない微妙な気持ちを抱く彼であったが、今日は日記の内容に少し引っかかる点がある。
「視線……?」
そんなこと、アイツは口では俺に一言も言ってなかったぞ。
何かヤバイ奴とかだったらどうするんだと、司郎は何も言わない彼女に対して、自分でも分からない妙に腹立たしい気分で、金の髪をぐしゃりと掻き上げた。
学園内で滅多なことはないだろうとは思うが、それでも得体の知れない視線を感じるなど、穏やかな話ではない。彼女の考えのように、ダンスのお誘いの機会を窺っているだけの奴ならいいが、注意するに越したことはないだろう。
仮にも婚約者だし、一応気にかけてやるか……と、司郎はまだ収まらぬ苛立ちを無理に沈めて、日記を机の中に仕舞った。
立華と今年こそ踊る云々の方は、あえて深くは考えずに。
そうこうしている内に、時計は日を跨いでいた。
ライトの明かりを消して、いい加減に寝るために司郎はベッドの方へと向かう。ふわふわの布団の上に腰を下ろし、疲れを滲ませた欠伸を司郎が零したとき。
トントンと、控えめなノックの音が部屋に響いた。
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