第2話 奇妙な日記
結局もらったカップケーキを、司郎は特に何の気負いも無く食べた。
念のために毒見として、徹に無理やり一口食わせたが、あとは至って問題なく味わった。わりと美味しかった。
――――そして現在。
二つあるうちの残り一つは家へと持ち帰り、彼は英国王室御用達とかいった触れ込みのティーセットで、使用人に用意させた紅茶と共に、優雅なおやつタイムを送っていた。
夕食も済ませ、家というよりは館といった方がふさわしい鷲ノ宮邸の、絢爛豪華なだだっ広い自室で、司郎がカップに口をつけたとき。
ノックも無く、重厚な扉が勢いよく開かれた。
その無粋な登場に、シャンデリアと紅茶の水面が、同時にゆらゆらと揺れている。
「久しぶりだな、元気にしていたか息子よ」
「……親父。頼むから、帰るときは一言事前に言ってくれ」
現れた実の父親に、司郎はカップを置いて、呆れを含んだ青い瞳を向けた。
スーツ姿ということは、司郎の父・
だけどふとした折りに、征一郎は前ぶれなく帰宅して、こうして司郎の部屋へと襲撃を仕掛ける。
そしてこんな時は必ず、彼は自分の新たな『コレクション』を、息子への土産として携えてきているのだ。
「さっそくだが、お前に渡したいモノがある」
案の定、彼はそう言って、手にしたアタッシュケースをごそごそと漁り出した。
機嫌良く笑う端整な顔は、一目で親子だとわかるほど司郎にそっくりだ。
オールバックにした髪型も。デザイナーをしている母が見立てた、着こなしの難しい色合いのスーツも。程よく渋い魅力が出ていて、征一郎にはよく似合っている。
息子の自分から見てもカッコよく、やり手のわりに愛妻家で子煩悩な面もある父のことを、司郎は普通に尊敬している。
だけど彼の趣味だけは、司郎には受け入れ難いものがあった。
「まずはこれだ。見てくれ、『小人の作った靴』だぞ。小人たちが社畜もびっくりな深夜残業で制作したという、履くと自然にタップが踏みたくなる面白い代物だ。こっちは『祝福の小箱』。その昔に天使が力を封じ込めた箱らしく、開くと天使の囁きが聞こえてくるんだ。オークションで落としたんだが、父さんは実際にアニメボイスの可愛い天使の声で労わられた。どちらも紛れもない本物だ。どうだ、素晴らしいだろう!」
生き生きと語る父の手には、小汚い靴に何の変哲もない木の箱。
司郎には理解出来ない征一郎の一面……それは彼が、オカルト染みたものをこよなく愛する、珍品収集家であるということだ。
金持ちらしく金にものを言わせ、彼は謎のルートから、胡散臭い代物ばかりを集めている。母は黙認していて、司郎にはその良さはまったく分からないが、父はこの趣味に関してはひたすらに楽しそうである。今も意気揚々とアタッシュケースを引き摺り、司郎の座っていた椅子のとこまで来て、子供のように目を輝かせている。
「欲しいか? でもこれはダメだぞ。父さんのだからな。こっちは見せびらかしたかっただけだ」
「いやいらねぇよ。本当にどっから集めてくるんだこんなの……」
「お前には別の土産があるんだ。ほら」
息子の不審な目つきなど何処吹く風で、征一郎はケースから新たに何かを取り出した。
スッと司郎に差し出されたものは。
「何だこれ。日記帳?」
それは、A4サイズのノートだった。
ざらついた深緑の表紙に、英語とも仏語ともロシア語ともとれない見慣れぬ文字で、真ん中にタイトルロゴらしきものが入っている。黒い線が下部に一本引いてあり、その上に名前を記入するのだろう。
普通のノートにしては、些か古代の魔導書のような重々しい雰囲気はあるが、形状的には見たとこ普通の日記帳である。
「それはな、表紙に名前を書いた人の本音が、日記形式で見れるという不思議なものだ。俺はまだ試したことはないが、表紙にその人の顔を思い浮かべて名を記せば、毎日一ページずつ自動的に書かれていく。ビジネスでも大いに利用できそうだろう」
「ストーカーにも有効に働きそうだがな」
これが本物であったのなら、だが。
司郎ははなから父の話など信じず、「まぁ勉強用に使えばいいか」と、形だけ礼を言って受け取っておいた。手にしてみれば意外と厚みがあり、そこそこページ数もある。
「じゃあ、俺はもう行くな。ああ、そうだ。お前、立華ちゃんとは上手くやっているか? また一緒に食事でもしようと言っておいてくれ」
「……それなりにだが。一応伝えとく」
家柄のことを抜きにしても、司郎の両親は立華のことを気に入っている。司郎は気まずい思いを覆い隠しながら、素っ気なく口だけの了承をしておいた。
その返事に満足気に唇を釣り上げて、征一郎は丁寧かつ素早く品を片づける。まだこの後にも、何処かへ出向く予定があるらしい。
去り際に「その日記は好きに使えよ」と手を振った父に、司郎はやはり気まずげに手を振り返した。
●●●
「本音が書かれる日記なぁ……」
征一郎が居なくなったあと、司郎は自室で一人、アンティーク調の机の上に日記を広げて、やる気なくページをパラパラと捲っていた。
紙が動く度に埃が舞うのは気になるが、中身もこれといって変わった点は無い。
表紙の名前欄を長い指でなぞりながら、何となく司郎の頭を過ったのは、可愛くない婚約者様の仏頂面だ。
例の廊下での件があったあとも、同じクラスで席も近い立華に、司郎はチクチクと小言を言われた。少しネクタイが緩んでいただけで「だらしない」だとか、友人と軽く騒いだだけで「鷲ノ宮の長男として自覚が足りない」だとか。お前は姑かとつい言い返せば、百倍にされて理屈攻撃で返された。
時折、監視するように自分をじっと見てくる、釣り目がちなあの大きな黒目も、司郎の精神をじわじわと苛んでくる。
本当に、あの可愛かった立華は何処へ行ったのか。
今は彼女に対して、司郎は負の感情しか抱けなくなっていた。
そしてそれは立華も同じで、家のために『婚約者』という立場を守ろうとしているだけで、きっと彼女も、司郎に親愛の情など抱いては居ないのだろう。
幼い頃の思い出など、とうに風化してしまっている。
司郎の両親も同じ政略結婚でありながら、仲睦まじくお互いを尊重しているというのに。そんな関係が立華と築けるとは、司郎にはどうしても思えなかった。
「どうせ、俺への文句しか出てこないだろうけど……」
昔の素朴な彼女の笑顔を思い出して、何処となく寂莫に似た感情が湧きあがった司郎は、それを振り払うように万年筆を取った。
そして、日記帳の表紙にペン先を走らす――――『大道寺立華』と。
「……どうだ?」
僅かばかりの緊張感を胸に、万年筆を置いてページを捲れば、そこは一文字も書かれていない白紙のままだった。
半分以上信じてはいなかったとはいえ、肩透かしを喰らった気分は拭えず、司郎は日記帳をベッドの上に乱暴に放り投げる。
親父め、パチモンを掴まされたな……と愚痴りながら、そのままごろりと布団の上に寝転がった。
むしろ立華の本音など、知らないままで良かったのだろう。これが本物であったのなら、きっと自分への罵詈雑言が載っていて、二人の間に一欠けらの愛情も無いことが、文字として証明されるだけだったに違いない。
「くだらない」と白い天井に呟いて、司郎はゆっくりと長い金糸の睫毛を閉じた。
――――しかし。
この一時間後。
目を覚まして、気紛れに再び開いたページに書かれていた内容に、司郎はあらゆる意味で息を呑むことになる。
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