可愛くない婚約者様のホンネ日記

編乃肌

第1話 可愛くない婚約者様

「あ、あの司郎様。これ、よろしければ受け取って頂けませんか?」


 真っ赤な顔をした小動物を思わせる小柄な女生徒が、小刻みに震える手で、可愛らしくラッピングされたカップケーキを差し出した。

 それを渡された男子生徒は、黄金色に焼けた菓子を目前に、暫しの沈黙を落とす。


 彼の名は鷲ノ宮わしのみや司郎しろう

 大企業のご令嬢や政治家のご子息といった、有体に言えば金持ちが集まるこの花月学園でも、彼はトップクラスの家柄を誇る鷲ノ宮グループの長男だ。

 その家柄もさることながら、文武両道、眉目秀麗と揃い踏み。母方が外国の血を引く彼は、目を見張るほどの輝く金髪に、涼しげなアイスブルーの瞳を持ち、非常に均整の取れた顔立ちと体つきをしている。


 そんな司郎は、見た目は如何にも『王子様』といった感じだが、その漂う威厳と尊大な態度から、通称『皇帝様』と呼ばれていた。


「まぁ、貰っといてやるよ。ありがとな」


 そう言って、司郎は数秒ほどの間の後、女生徒の手からカップケーキを受け取った。ニヒルな笑みを浮かべて礼を言えば、元々赤かった女生徒の顔は、素肌の色が分からぬほどに紅潮する。


 調理実習でつくったというそれを、繁々と眺める司郎。しかし、横で女生徒とのやり取りを見守っていた司郎の友人・花笠はながさ徹とおるは、焦ったように彼の制服の袖を引いた。


「お、おい。受け取っていいのかよ。そこは断った方がいいだろ。お前には立華ちゃんが――――」



「――――司郎様」



 徹が言葉を言い切る前に、白亜の廊下によく通る凛とした声が響き渡った。

 ざわめきと共に自然に避けて行く人垣を抜けて、自分の目の前に現れた人物に、司郎は形の良い眉を思い切り顰める。


 定規でも入っているのかと思うほど、ピンと伸びた背筋に、同じく真っ直ぐに伸びた、腰まである長い黒髪。クリーム色の制服のスカートはきっちり膝丈で、佇まいには一辺の隙もない。目鼻立ちのはっきりとした美人だが、纏う厳格かつ冷ややかな空気で、何処か近寄り難い彼女の名は、大道寺だいどうじ立華りつか。


 古くから続く名家である大道寺家の一人娘で、親同士が決めた司郎の『婚約者』である。


「なんだ、お前かよ。また俺に文句でも言いに来たのか?」

「……文句など一度も言った覚えはありませんが。私はただ、いつもご忠告を申し上げているだけです。廊下の真ん中を陣取り、そのようなやり取りをするのは、他の生徒にも迷惑かと。相変わらず着崩したその制服も感心しません。もう少し鷲ノ宮家の跡継ぎとして、節度ある行動をしてください」


 表情無く淡々と述べる彼女に、司郎は「やっぱり文句じゃねぇか」と、鬱陶しそうに少し伸びた髪を掻いた。


 この二人は家柄、能力、容姿と共に釣り合った、誰もがお似合いだと認める婚約者同士であるが、その仲は決して良好とは言えなかった。顔を合わせれば小言ばかり言う立華に、司郎の不満は溜まる一方だ。

 将来伴侶になる女が、こんなキツくて可愛げのない奴で、喜ぶ旦那が居るのかと。そいつは余程のマゾ野郎だと、普段から彼は毒づいている。


 今は親の決めた婚約に従っているが、司郎は立華を自分の相手として受け入れてはいなかった。近い未来には別の相手を見つけて、両家を納得させた上で婚約を解消するのが、彼の密かな腹積もりだ。


 そんな司郎の思惑など知りもしない立華は、その底冷えするような瞳を、今度はカップケーキを渡した女生徒へと向ける。


「貴方も。こんな多くの生徒が行き交う廊下で、話題を生むような行動は慎んでください。良家の子女として思慮に欠けますよ」

「おいおい、それは言い過ぎだろ。歩いている俺を見つけて、必死に声をかけて来たんだぜ。人目なんて気遣う余裕も無かったんだろ。可愛いじゃねぇか、誰かさんと違って」


 ビクッと肩を跳ねさせた女生徒を、氷の眼差しから庇うように、司郎は一歩踏み出して立華と真正面から向き合った。

 徹はハラハラと、そんな一触即発な二人の間で視線を彷徨わせている。


「…………簡単に見知らぬ者から、モノを受け取るのもどうかと思いますよ。一般の方ならともかく、貴方は立場ある方なのですから」

「一服でも盛られるってか。菓子の一つも差し入れられない可愛げのない婚約者様は、さすがお考えが違う」

「何とでも。私は貴方の婚約者として、貴方を諌める立場でもあります。……それに貴方は、私が菓子を作って渡したところで、素直に受け取ってくれるのですか」

「食えるものならな。でもお前は、そんな可愛げのあることは出来ないだろ。お前、自分が何て呼ばれているか知っているか? 冷酷無情な『氷の女王様』だぜ。定番すぎて笑える」

「私はただ規律を守って行動しているに過ぎません。周囲の呼び名は自由です。とにかくそこの貴方も司郎様も、風紀を乱す軽率な言動を反省するように」


 壮絶な舌戦を繰り広げたあと、立華は「用事があるのでこれで失礼します」と、長い髪を翻して去って行った。周囲の畏敬を込めた視線を背に受けながら、凛とした姿勢を崩さず消える彼女の後ろ姿に、司郎は「風紀を乱すとか、発言がもう死語だろ」と苦々しく嘯く。


 やっと空気が緩んだところで、顔を青褪めさせた女生徒は「ご、ごめんなさい、司郎様。私のせいで……っ」と、涙目になりながら司郎に頭を下げた。婚約者がいることは分かっていても、どうしても彼に手作りのケーキを渡したかったのだろう。

 健気だなぁと、何故か徹の方が涙を誘われた。


「あー、気にすんな。あいつはあれが通常だから。お前ももう行けよ。これ、ちゃんと食っとくから」


 ずっと持っていたカップケーキを掲げ、そう言って司郎が安心させるように笑えば、少女は別の意味で泣きそうに顔を歪めた。そして再び頭を下げて、彼女も慌ただしくその場を後にする。


 それを見送ってから、徹は優男という言葉がぴったりな甘い相貌を崩し、横の親友の肩を思い切り叩いた。


「イテェな。何すんだ」

「確かに立華ちゃんの態度も悪いけどな。婚約者が居るのに、他の女の子から気軽に贈り物を受け取ったお前も悪いぞ。おまけに誑し込むような真似までして。あれじゃ、立華ちゃんが気分を悪くして当然だ」

「はぁ? あいつがそんな嫉妬みたいな、人間らしい感情を抱くわけないだろ。『氷の女王様(笑)』だぞ。あいつはただ、俺にいちゃもんをつけたいだけなんだよ」

「どうしてお前はそう……。ったく、何でそんなに仲悪いんだよ、お前ら」


 はぁと溜息をつく徹に、司郎は憮然とした表情を浮かべる。


 いつからこんな仲になったかなんて、司郎だって分からないのだ。


 立華と司郎が知り合ったのは、まだ十もいかぬ歳の時。

 何かのパーティーの際に顔合わせをして、それから度々会う機会があったのだが、その頃はまだ婚約者という立場などなく、彼女も今と違って朗らかでよく笑う少女だったと思う。

 少し舌足らずなとこがあり、自分を「シローさま」と呼ぶ拙い声が、司郎はお気に入りだった。


 それが恋愛感情だったかどうか、幼くて定かではないが、その頃の司郎は普通に立華のことが好きだったのだ。


 彼女との婚約が決まったと聞かされた時も、「立華とならいいか」と、そう自然に思った。だけど親の仕事の都合で、司郎が暫く異国の地に居て会わなかった間に、久しぶりに再会した彼女はあの通りの、取りつく島もない鉄壁女子になっていた。舌足らずだった面影など微塵も無く、よく回る口で愛想の無い言葉を吐く。

 空白の時間で何が彼女を変えたのか、今となっては司郎は知りたいとも思わない。


「本当に、俺の婚約者様は可愛くない」


 ボソッと落とされた呟きは、ちょうど鳴ったチャイムの音に掻き消された。

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