その16

 姉の研究室に入ったら、何やら姉と巧人がオレの事について話してたらしい。しかもどっちがオレをわかっているかという事を。

 当の本人であるオレから言わせてもらえば、どっちもどっちだ。


「勝手にオレの事をわかったつもりでいるんじゃない」


 だからバッサリと巧人のセリフを切った。


「シュー子! 久しぶりだな! チョー会いたかったぜ!」


 だがそんな事はお構いなしに、巧人はオレに会えたという事実だけで、花火のようにパッと一瞬で表情が明るくなった。予想通りのリアクションではあるが、さすがに一歩引いてしまった。

 とはいえ、抱きついてこようとしたりしなかったのは、最低限の自制心が働いたのだろうか。そこは認めよう。


「史勇、私に会いに来てくれたのね~!」

「抱きつくな!」


 一方の姉は同じ様にオレを見て笑顔になったものの、自制心を効かせずオレに抱きついてきた。おかげで巧人が悔しそうな顔になったじゃないか。


「おい、二葉史勇! ン私は貴様ら姉妹のスキンシップを見るためについてきたのではないぞ!」


 わかってるわ、オレだって才音にこんな所見せるつもりじゃない。


「さ、才音!? 何でお前がシュー子と一緒なんだ!?」

「ン貴様の考えているような【プラグ・イン】ではないぞ!」

「何ぃっ!? シュー子、才音と【コネクト】したのか!?」

「してないって言ってるだろうが!!」


 この二人が顔を合わせるとすぐこれだよまったく!


「そうじゃなくて、オレは姉さんに『勝負』してもらうために来たんだ」

「『勝負』ですって?」


 姉がオレから離れて真面目な顔で聞き返してきた。ようやく話が進められる。


「そうだ。『勝負』して、巧人を連れ戻す」


 これに関しては仕方なくという考えではない。


「シュー子、そんなに俺の事を……!」

「面白い事を言うわね。も・し・か・し・て、春日井君の事が本当は好きだったの?」


「いや全然」

「あれぇーっ!?」


 変な声を出して意外だというような顔をするな、巧人。最初からわかりきってた事だろ。


「言っとくけどな、巧人。オレは今でも身体は女だろうと男のつもりだし、ずっと男に戻りたいと思ってる。だから好きになる事も恋愛として付き合う事もない。そもそもこんな事になったのは巧人と才音が原因だし、それからずっと巧人に振り回されてきたから、いなくなった時は静かになって良かったとも思っていた」


 オレが言葉を繋げていく度に巧人がどんどん落ち込んでいってるのが目に見えてわかる。そこまで落ち込んだら、さすがにこれ以上悪く言うのは可哀想だ。


「……だけどな、その考えを改めた」

「え?」

「巧人は、違っていた」


 そう、違っていたんだ。中学の時までの周りと。


「巧人はオレの『悪運』を面白いと言った。今までは哀れんだり気味悪がったりしていたのに」


 それが嫌になったのを姉が見かねてこの学園への入学を薦めた。おそらくその意図は朔夜を問題なく転入させるためだろう。


「おかげで鬱陶しいとは思ったが、陰鬱な気分にはならなかった。それに、不本意だが女になった事で、避けられるどころか寄ってくるヤツらまで出てきた」

「つ・ま・り、史勇は春日井君に感謝しているの?」


 どうだろうな。巧人に対して頭にくる事も数え切れないくらいあったから、帳消しかもしれない。だがこの場では敢えてこう言ってやる。


「そうだな、巧人のおかげで『変わった』んだ。オレの環境が」

「シュー子……!」


 いつもの表情に戻ってきたな、巧人。だが今にも飛びついてきそうな体勢になるな。朔夜に阻ませるぞ。


「だから今度はオレ自身が変わらなきゃいけない、そう思ったんだ。今は鬱陶しいと思ってる巧人への感情だって、これから変わるかもしれない」

「じゃあ、俺の事を本気で好きになる事もあり得るのか!?」

「可能性は一パーセントを切ってるけどな」


 何かの間違いであり得るかもしれない。それは今のオレにはわからない。

 だが少なくともこれまではゼロと決めつけていたのが、ゼロじゃなくなっただけ大きく変わったと言えるだろう。


「うおーーーっ!! シュー子、愛してるぜーーーっ!!」

「朔夜、止めろ!」


 ドアの外にいた朔夜が素早く部屋に入り込み、飛びかかってきた巧人をその身でガッチリと受け止めた。危ないところだった。


「あら、朔夜もいたのね」

「そうさせてるのは姉さんだろ」


 白々しいな、こっちは。


「シュー子ぉ~、ハグくらいいいじゃないか~」

「言っただろ、今は鬱陶しいと思ってるって。まだオレの感情は変わってないんだから、拒否するのは当然だ」


 そういう事ばかりされたら、また可能性がゼロに戻るぞ。


「まったく、夫婦漫才なんて見せられたら、お姉ちゃん頭に来ちゃうわ」

「夫婦漫才じゃない」


 ってか横道に逸れてしまった。本題に戻そう。


「姉さん、改めて『勝負』を受けてくれるな?」

「もし断ったらどうなるのかしら?」

「絶縁する」


 そう言った瞬間、姉が少女漫画で見たような白目を剥いて青ざめた顔になった。初めて見たぞ、こんな姉の顔。


「そ、そ・れ・は、お姉ちゃん生きていけなくなるわ……」

「いや大げさだろ、それは」

「今のだけはお姉さんの気持ちが理解できるぜ」


 巧人、お前もか。


「それが嫌なら、『勝負』を受けてくれ」

「わかったわ」

「ならばその『勝負』、審判委員会が預かる」


 姉の了承の言葉と同時に、どこからともなく桐野先輩が現れた。相変わらず神出鬼没な人だ。


「今回は二葉理子女史と二葉史勇が『勝負』を行うという事で相違ないか?」

「いや、『勝負』をするのはオレじゃない」


 姉と巧人がきょとんとしているが、オレが『勝負』したって負けるのは目に見えているからな。代役を立てさせてもらった。


「ン私が二葉理子と『勝負』する!」


 才音が高らかに宣言した。オレが才音をここまで連れてきたのは、これが理由だ。


「なるほど、そういう事だったのね」

「了解した。改めて、二葉理子女史と加賀見才音が『勝負』を行うと言う事で相違ないな」


 オレと才音がうなずくと、桐野先輩は言葉を続けた。


「それでは互いの条件を確認する。加賀見才音は『春日井巧人を二葉史勇の元に連れ戻す』で良いか?」

「私の意志ではないが、それでいい」

「では二葉理子女史はどんな条件を出す?」

「私は勝ったら現状維持でいいわ」


 オレや巧人に関する更なる条件は出してこなかったか。まあ、姉からすれば既に目的は果たしているからな。


「それでは『勝負』の内容を伝える。今回は『クロスワード早解き』だ」


 また絵面が地味な対戦だな。


「問題はこちらで用意してある。どちらも同じ問題で、埋めるワード数は全部で五十だ。時間制限は一時間、時間内に全て正解するか一時間経過後に最も多く正解した方の勝利とする」


 桐野先輩が取り出した問題用紙を二人が受け取り、テーブルに向かい合って座った。


「用意はいいな。スタート」


 合図と共に二人がシャーペンを走らせる。横から覗いてみたが、『第三回アイドリスト総選挙で第三位だったアイドル』というマニアックな芸能問題もあれば、『一から数えて二百七十五番目の素数』といった学術問題もあり、幅広い知識が必要なのだけはわかった。もちろん、オレには全然解けない。しかしそれは今関係ない。


 オレは朔夜にアイコンタクトで行動を促す。朔夜はうなずき、目にも留まらない素早さで姉の後ろに回り込んだ。


「朔夜、ストップ」


 だが姉はそれを見越していたかのように朔夜に命令を出し、動きを止めさせた。


「朔夜に私の異能力を無効化させるつもりだったのでしょうけれど、残念。朔夜はいかなる状況でも私の命令を最優先するようになっているの」


 手の動きを止めずに語り出す姉。さすがに読まれていたか。


「ンおい、どういう事だ!? 話が違うではないか!」


 クロスワードを解きながら才音が文句をつけてきた。


「悪いな、才音。目論見が外れた」


 半分くらい嘘を込めてオレは謝った。もしかしたらこれで上手く行くかもしれないと少しは思っていたが、元からそこまで期待していなかった。


「ンそれでは貴様との取引はどうなる!」

「そのまま勝てれば約束は果たすさ」


 才音には悪いが、才音が勝てるとは思っていない。だから取引は成立しない。


「お、おいシュー子、取引って何だ?」


 巧人が心配そうに聞いてきた。どうせ結果はわかりきってるし、教えてやるか。


「ああ、才音に『勝負』してもらうために約束したんだ。才音が勝ったらオレを実験台にしていいと」

「な、何だって!? もし才音が勝ったら――」

「はい、解き終わったわ」

「ンなあっ!?」


 巧人が声を荒げた直後、姉がクロスワードを終えた。才音の方はまだ解いている最中だ。


「……全問正解だ。この『勝負』、二葉女史の勝利だ」

「ンのおぉぉぉぉぉっ!!」


 才音が絶叫して部屋から走り去っていった。あまりの悔しさからの奇行なのか、それとも何か別の思惑があったのか。いずれにせよ、才音の出番はこれでお終いだ。


「お姉ちゃんはそう簡単に負けたりしないわ」


 そうだろうな。異能力も知識もあるんだから、まず負ける理由がない。

 だけど、オレだって打算無しでここに来たわけじゃない。


「――姉さん、次は巧人と『勝負』してくれ」

「えっ?」

「俺ー!?」


 指名した巧人も驚いている。当然だろう、連れ戻す当の本人に『勝負』をさせるなんて普通は考えない。


「出来るよな、桐野先輩?」

「合意が得られるならば、可能だ」


 よし、桐野先輩からのお墨付きだ。


「受けてくれるよな、巧人?」

「……ああ、シュー子の頼みなら何だって聞くぜ! 相手が超絶ツイてるお姉さんでもな」


 言ってくれると思った。こういう事ならコイツの行動は読みやすい。


「面白い事をするわね、史勇。だ・け・ど、春日井君は一度私に負けているのよ」

「そんな事はわかっている。姉さんの異能力相手だと普通は勝ち目がないのもな」


 まともに『勝負』したって、同じ結果になるのは目に見えている。


「互いの条件は、先程と同じか?」


 桐野先輩の確認にオレも姉もうなずく。


「それでは『勝負』の内容を伝える。今回は――」


 一体何が来るのか。内容次第ではオレの打算が無駄になる可能性があるが……。


「『じゃんけん』だ」

「随分とシンプルなものが来たな」


 知力も体力も必要ない。使うのはただ一つ、運だけだ。姉の異能力を知っていれば、どう考えても姉が勝つ結果しか考えられない。

 だがそれでも桐野先輩がじゃんけんを選んだのは、それが公平な勝負になると考えたから……のはずだ。


「出せる手はグー・チョキ・パーの三つのみ。それ以外を出した場合や後出しは自動的に敗北とする。一度手を出した後に変更するのも負けと見なす。勝負は一回、待ったなしだ」


 決め事も至ってシンプルだった。

 だけどこれなら、オレの打算は上手くいけば十二分に成功するはずだ。


「準備はいいか?」

「ちょっと待ってくれ」


 桐野先輩が『勝負』を始めようとしたので、オレはそれを止めて巧人に条件を出した。


「巧人、絶対に勝てよ」

「ああ、わかってるさ!」

「もし勝ったら――」


 言葉が詰まる。だけど言わなければ勝ち目はゼロだ。覚悟しろ、オレ。


「――キス、してやる。この前のオリエンテーションの優勝賞品だ」

「マジで!!?」


 巧人が目をくわっと見開いた。今にも襲いかかってきそうで怖いぞ。


「勝ったら、だ。勝たなかったらキスは無しだ」

「うおーー!! 燃えてきたーー!!」


 思い切りテンションが上がってる巧人。漫画だったら背景に炎が描かれてる勢いだ。


「春日井君の事、好きじゃないんじゃなかったの、史勇?」


 オレの宣言の意図が読めないようで、姉が質問してきた。そりゃあわからないだろうさ。これが効果的だろうという事は、巧人自身はわからないが、おそらくオレしか気づいていない。


「好きじゃないさ。だけど嫌いでもない。それにキスを大事にとっておくほど純情なつもりもないからな。キス一つで姉さんに勝てるなら、安いものだ」

「言うわね」


 嘘だ、これは強がり。正直巧人に限らず男相手にキスするとか今は嫌な気分にしかならないが、これを我慢しなければ巧人を連れ戻す事は出来ない。


「改めて、準備はいいか?」


 桐野先輩の言葉に意気揚々と拳を掲げる巧人、そして自分の勝利を確信している姉。

 これから行うのはじゃんけんだというのに、二人から妙な気迫を感じる。


「いくぜ、お姉さん!」

「来なさい、春日井君」


 だからやるのはじゃんけんだろ? そんな今から殴り合うみたいなやりとりする必要はないんじゃないか。


「じゃん!」

「けん――!?」


 一瞬姉の顔がこわばった瞬間、


「ぽん!!」


 二人の手が同時に出た。


 結果は、巧人がグー、姉がチョキだった。


「なっ……!?」

「~~~~~~ぃよっしゃあ!! お姉さんに勝ったぞ!!」

(よし、勝ってくれたか)


 飛び跳ねて全身で悦びを表す巧人を見て、オレは安堵した。

 絶対に負ける戦いを、負ける可能性はあるけどどうにか勝てるかも知れない戦いにまで持って来られた。だがオレの目論見が上手くいくかは正直賭けだった。


「ど、どういう事かしら……?」

「巧人の異能力だよ」


 これはこの前のオリエンテーションで偶発的に起きたものを、たまたまオレが目にしていたから思いついた。


 巧人の異能力は物体を別の場所に瞬間移動させるという効果がある。だけどその対象が物体だけでなく目に見えないもの――異能力も含められたとしたら?

 オレはそれをオリエンテーションで志摩先生と対峙した時に、一瞬だが垣間見た。あの時志摩先生は、巧人によって異能力を移動させられて使えなかったんだ。その次の日には普通に使っていたし特に何も言ってなかったから、おそらく移動していたのはあの一瞬だけだったのだろう。


「道理で、じゃんけんした時に私の一部がどこかに飛んでいったような感覚があったわけだわ」

「志摩先生もそんな事を言ってたな」


 志摩先生のその言葉があったからこそ、巧人の異能力によるものだと思えたわけだ。

 しかし正直に言うと確信はなかったし、その発動条件もはっきりしていないから上手くいくかなんてわからなかった。

 だからさっき可能な限り条件をあの時に近づけるために、『巧人にオレのために戦うと強烈に意識させる』事をした。そうしたら見事目論見が成功したわけだ。


「――作戦とも言えない、むしろギャンブルね」


 オレが一通り種明かしをしたら、姉からこんな感想を言われた。確かにギャンブルだな、俺のキスというベットで巧人の処遇を得ようとしたギャンブルだ。


「ある意味、巧人と姉さんの『勝負』は、オレにとっても『勝負』だったんだよ」


 そして、オレと巧人はその『勝負』に勝った。勝ち目が無いだろうからと常に避けていた俺が、まさか『勝負』をするとはな。


「シュー子!」

「うおあっ!? いきなり何だ!」


 急にデカい声で呼ばれたから、心臓が飛び出るかと思ったじゃないか。


「約束通り、キスしてくれ!」

「は――こ、ここでか!?」

「もちろんだ!」


 忘れていたわけじゃなかったし、約束は果たすつもりだった。だけどここでするというのはさすがに想定していなかった。


「ちょ、ちょっと待て。さすがに巧人も疲れてるだろうし、落ち着いた時にでいいだろ?」

「じゃんけんしただけだから疲れてなんていないぜ!」


 そうだったな! 漫画ならこういう時は大抵全力を尽くして戦ったからまともに動けない状態になってたりするけど、さっき巧人がやってたのはただのじゃんけんだからな、疲れてるわけがない!

 まずい、自分で言った事とはいえ後悔が襲いかかってきた。


「男の子でしょう、覚悟を決めなさい、史勇」

「こういう時だけ男扱いするなよ! それに姉さんはオレが巧人にキスするシーンが見たいのか!?」

「私の可愛い史勇を寝取られるみたいで、吐き気がするわ」


 笑顔で言う事じゃないだろ、それ!


「さ、朔夜も、桐野先輩も……」

「史勇が言ったコトだから、約束が果たされるように見守る」

「私は見ていても一向に構わないのだろう?」


 わけがわからないコメントをありがとうな、二人とも!

 くっ、こうなったらオレも男だ、やってやる!


「わかった、わかったから、とりあえず目をつぶれ」

「応!」


 本当にこういう時は素直だな。これでオレが逃げたらどうするんだ、逃げるつもりはないが。

 いいか、落ち着くんだ、オレ。ただアイツにキスするだけだ。キスする場所はオレが自由に決められるんだから――


「あ、するなら口にしてくれると嬉しいぞ」

「リクエストするな!」


 絶対に口と口はしない。してやるものか。

 だったら無難に頬にでもするか――


「ン貴様らぁっ! 何をラブラブしとるかあっ!!」

「さ、才音!?」


 突然、部屋に怒声が入り込んできた。声の主は先程出て行ったはずの才音だ。しかもいつものより二回りほど大きな装置を背負ってきている。これは嫌な予感しかしない。


「この私を噛ませ犬にしたあげく、これから二人で【組体操】するなど……ンンどこまで私を侮辱する気だあっ!!?」

「しねえよ!?」


 何でこの状況でそこまで話を飛躍させられるんだ!?


「おのれ……まだ慈悲を見せて、外見には影響を及ぼさない実験を施すだけで済まそうと思っていたのに。ン侮辱されたとあらば、外見が名状しがたきものになりかねない実験を施してやろう!」

「どんなホラーにするつもりだ!?」

「問答無用!」


 久しぶりに才音の装置が変形するところを見てしまったが、やっぱり物理法則を無視している気がするぞ! 元のサイズよりも明らかに大きな機械の腕が二本現れた!


「よし、逃げるぞシュー子!」

「あ、ああ!」


 ここは巧人に任せた方がいい。そう思ってオレは巧人と手を繋ぎ、そして部屋から瞬間移動をした。

 まったく、こんな事になる前にまた朔夜に手を繋いでもらうべきだったか。

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