その13
一週間が経ち、土曜日のオリエンテーション当日。
「これより、審判委員会主催高等部オリエンテーションの開会を宣言する」
体育館にて桐野先輩による開会宣言が行われた。
それはいいんだが、その横には何故か姉の姿がある。
「なお今回は特別ゲストとして、ロボット工学の権威であり我が校のOGでもある二葉理子女史に来てもらっている」
「よろしくね~」
にこやかに手を振っているが、オレの心はざわついている。
「どうした、シュー子? 腹でも痛いのか?」
「あの日なら休んだ方がいいわ」
「姉が何かやらかしそうで気が気でないんだよ」
それに花鈴はわざと言ってるだろ、同じ部屋に住んでて世話になった事もあるんだから。
ちなみに朔夜は修理が終わったが、今日は姉がこのオリエンテーションに参加する事を命令したらしく、オレと手を繋いでいない。
「――以上が今回のルールだ」
オレが思考を巡らせているうちにルール説明が終わったらしい。各人が準備万端と言わんばかりに殺気立っている。今から狩りでも始まるのか、フラッグを奪取しに行く様はある意味狩りだが。
「準備はいいか。スタートダッシュで怪我したりさせたりしないように注意するように」
ピタリと殺気が消える。怪我をさせたら失格だし、怪我をしたら優勝は逃す。さすが審判委員会委員長、生徒の扱いを心得ている。
「それでは――開始!」
合図と共に生徒達が一斉に体育館から校舎へと飛び出していく。普通に走って行く者もいれば、異能力を使って空を飛んでいく者もいる。
オレはというと、
「よし、行くぞシュー子!」
「ちょ、何でオレの手を掴むんだ!?」
巧人に捕まっていた。
「言ったろ、優勝したらシュー子にチケットをプレゼントするって! その一部始終を特等席で見せてやるよ!」
「そんなの頼んじゃいないから手を放せ!」
大体、その特等席がジェットコースターの最前列並みなんだが! オレは絶叫マシンが苦手なんだ!
「……そんなにオレと手を繋ぐのが嫌か?」
「は……っ?」
急に立ち止まって真面目な顔で巧人がオレに問いかけてきたから、さすがにオレも呆気にとられてしまった。
もしかして、朔夜と手を繋いでいた事をまだ気にしているのか? それとも好きだと言っている相手本人に拒否されるのが怖いのか?
姉もそうだが、時々コイツの心理も読めない。
「いや……強く引っ張られるからオレが転びそうなんだよ」
オレは言い訳のようにそう返してしまった。言った事は実際に思った事なんだが、これだと巧人が悲しそうにしているのを無視できないみたいじゃないか。
「わかった。それじゃ――」
「ちょおっ!?」
コイツ、オレを抱き上げやがった! いわゆるお姫様抱っこの格好になって恥ずかしい!
「これなら転ばないだろ?」
「オマエが転んだらどうするんだ! これじゃスピード遅くなるぞ!」
「心配無用! 俺には『
「そうだったなこのヤロウ!」
おかげで走らなくても一気に目的地まで行けるんだよな! 何て便利な異能力なんだ!
「行くぜ、シュー子のために!」
「やっぱ下ろせぇーっ!!」
オレの叫びは虚空に消えてしまった。
このオリエンテーション、絶対まともに終わる気がしない。
「――二葉理子女史、何故このオリエンテーションを見学しようと思ったのですか?」
生徒が一斉に飛び出して審判委員会と理子が残った体育館。舞台から下りた桐野が、同じく下りようとしている理子に対して質問を投げかけた。
「暇つぶし、では納得できないかしら?」
「そうですね」
卒業生とはいえ、現在この学園に在籍していない理子がオリエンテーションを見学する理由は、ただの暇つぶしくらいしか考えられない。だが理子はロボット工学における世界的権威という肩書きを持っている。そんな彼女が、潰さなければならないほどの暇を持て余しているとは考えにくい。
「そ・う・ね……春日井君が優勝したらその理由がわかるわ」
「春日井巧人が優勝したら?」
何故桐野の質問の回答に、巧人の名前が出てくるのか。それこそ理由がわからない。しかも彼が優勝したらわかるとは、一体どういう事なのか。
「その時は、あなた達審判委員会の手を借りるわ」
更にたたみかけるように意図がわからない発言を桐野は耳にした。
審判委員会の手を借りると言う事は、何かしらのいさかいを起こすつもりなのか。しかも推測するに巧人を相手取って。
しかもその言い方だと、敢えて『勝負』をして何か目的を果たそうとしているようだ。この学園にあるルールは自分の欲望を叶えるためににあるのではない。だからこそ、公正な『勝負』が必要なのだ。
まさか理子は『勝負』に確実に勝つ自信があるというのだろうか。
理子もこの学園の卒業生である以上、異能力を持っているはずだ。もしかしたらそれが関係しているのかもしれない。
(注視しておく必要があるな)
桐野は眼鏡の位置を直して改めて理子を見据えた。
「さ・て、このオリエンテーションに実況中継はないのかしら?」
「テレビ番組ではありません」
理子は色んな意味で底知れない。
「ン造作もないっ!!」
初等部音楽室にて、才音はさながら蜘蛛男――もとい蜘蛛女のように、八本の脚を伸ばした機械を使って天井を這っていた。
その光景を目の当たりにした初等部音楽教師は、驚愕するよりもまずその奇妙な動きに生理的嫌悪感を覚えた。
「気持ち悪っ!?」
そして思わず不快さを口にしてしまった。教師が生徒に対して発してはならない言葉である。
だがそれを言われた当人は気付いていないのか、高笑いしながら天井に逆さに立てられたフラッグをいとも容易く手にした。
「ンこのフラッグは頂いていくぞ!」
天井に張り付いたまま、才音は音楽室から出て行く。
「……初めて彼女――いや、彼か。ともかくその機械を初めてこの目で見たが、凄まじいものがあるな」
才音の姿が消えた音楽室で、教師はぽつりと呟いた。
こちらが何も出来ず、というより何か行う気を起こす前に自分の目的を果たす。相手の虚を突く行動を才音は行ってきていた。それを自覚しているのか否かはわからないが、いずれにせよそういう才能を才音は持っている。
加えて才音の造り出す機械は常識の外にあるようなものばかり。もし才音がこの先これらを有効活用できるならば、それこそ今回特別ゲストとして現れた理子のような人物になれるだろう。
しかし一歩間違えれば、軌道に乗れなければ、ただのマッドサイエンティストとなるかもしれない。
「……大変だな、高等部は」
管轄こそ違えど同じ職である高等部の教師に対して、同情を覚えた。
「――フラッグ獲得。次の拠点へ向かう」
テニスコートにて、朔夜は人間離れしたスピードでフラッグを手にした。
防衛していた高等部体育教師は為す術もなく、それどころかすれ違い様に朔夜に髪型をポニーテールにされていた。
「お、おめでとう……だけど、何故僕をポニーテールにしたんだい?」
オリエンテーションではただフラッグを取るだけでいい。相手に怪我をさせたら失格、最悪学業にも影響するのだから尚更相手に触れようとする行為は避けがちだ。そんな危険を冒す必要がどこにある。
そんな疑問に対し、朔夜は全く表情を変えずに答えた。
「貴方のポニーテールが見たかった、そして触りたかった」
まるで殺し文句のような回答、だが自分も朔夜も男だ。そして自分は異性愛者だ。そんな言葉にときめく事は全くない。向こうもそれはわかっているだろう。
つまり、そんなセリフが出る理由はただ一つ。
「……誰だろうと、ポニーテールがいいと?」
朔夜は頷いた。
「次はここだーっ!」
巧人の異能力で連れて来られた次の拠点は、周りを見るにどうやら高等部第二校舎の屋上だった。
「次は春日井さんと二葉さんのアベックでしたかー。でもそう簡単には取らせませんよ?」
「志摩先生?」
そこには志摩先生が相変わらずの笑顔で、フラッグの前に立っていた。ってか、アベックじゃない。それにその「アベック」って言い方が古いんだが、志摩先生って何歳なんだ?
「志摩先生なら、相手にとって不足無し!」
周りには他に誰もいないんだけど、この場に異様な雰囲気を感じる。多分志摩先生の異能力によるものだ。
志摩先生の異能力は、『指定範囲内にいる人物に対し禁則事項を設ける事が出来、それを破った者はお仕置きを受ける』というものだ。特に名前は付けていないらしいが、敢えて付けるなら『お仕置き』らしい。
「例え春日井さんといえど、志摩先生の『お仕置き』を受けずにフラッグを取る事は出来ませんよー」
にこやかな笑顔のまま、志摩先生はゆっくりと巧人に近づいていく。傍目で見ればなんて事はない光景なのだが、オレにはどうも格闘技の間合いを計っている光景に見える。
だが、オレの予想では既に巧人は志摩先生の指定範囲内に入れられている。
根拠は、志摩先生が授業をしている間は『お仕置き』がいつでも発動できるようになっている事だ。おそらく、指定範囲は志摩先生がある程度自由に決められる。
どこまで広げられるかはわからないが、少なくとも教室全域を有効範囲に出来るくらいの広さは容易に確保できるはずだ。そして今二人の距離は教室の両端より短い。
「いや……俺が勝ふもっ!?」
巧人が動き出そうとした瞬間に、巧人の頭に妙に首の長い動物のかぶりものが被せられた。何だっけ、アレ。羊みたいにモコモコとした毛で覆われていて、一時期流行った――
「アルパカの顔がとっても似合いますよー」
そうだ、アルパカだ。
じゃなくて、やっぱり巧人でも志摩先生の『お仕置き』よりも早く行動は出来ないみたいだ。巧人の『転送』で志摩先生の裏をかいたり、志摩先生自身をどこかへ移したりする間も無かった。
「ぶはっ! さすが先生だ、俺に隙を与えてくれない」
志摩先生が『お仕置き』を解除したため、巧人のかぶりものが霧散した。しかしまた巧人が動こうとすれば、同じ様にかぶりものを出してくるだろう。
「さあどうしますか? ちなみに今日は志摩先生からフラッグを取れた子は一人もいませんよ」
何という鉄壁の防御なんだ。
おそらく朔夜なら突破できるだろう。先生の死角に回り込んだりして先生に触れられれば、異能力を無効化できる。先生は異能力は強力だけど、腕力は他の女性と変わらない。
しかし今この場に朔夜はいないし、生徒同士はライバルだ。もしかしたらオレが頼めば手助けしてくれるかもしれないが、巧人の性格からしてそれは受け入れないと思う。
「どうするんだ、巧人。オマエの異能力や身体能力じゃ、まずフラッグを取れないぞ」
当然だが、今のオレの身体能力でも無理だ。異能力も論外。
「……こんな所で立ち止まっているわけにはいかない。俺は……!」
巧人がフラッグに向かって走り出す。だけどこのままじゃさっきと同じだ。
「……なあ、シュー子」
何だ、いきなりオレを呼んで。
「もしこのオリエンテーションで優勝したら……キスしてくれ」
「この状況でいきなり何を言ってるんだ!?」
しかもその言い回しじゃ、この後死んでしまいそうだぞ、命が危険に晒されるような状況じゃないのに。
「いいだろ? そうすればオレは勝てる気がするんだ」
「オマエの優勝のために、オレが男としての尊厳を失いそうな事を約束しなきゃならない道理がまったく無いんだが」
仮に約束しても、一週間分の学食無料チケットとトレードという事になる。さっきまでの状況から考えると、オレにデメリットが増えただけだ。受け入れる理由が無い。
「相談するのは構いませんが、じっとしているだけだと何も変わりませんよ?」
志摩先生が挑発するように巧人を急かす。この件が流れてくれるならそれもありがたい。
「オレは勝つぜ、先生! 勝ってシュー子のキスをもらう!」
「確定事項にするな!」
オレのツッコミも聞かずに巧人が走り出し、フラッグに向かって思い切り手を伸ばした。
「無駄ですよ……へむっ!?」
それに反応するように志摩先生の『お仕置き』が出た……かと思った瞬間、どういうわけか先生がヤギのかぶりものを被っていた。
「あれ!?」
巧人も突然の事態に驚いているようだ。
「はっ!? な、何が起こったんだ!?」
先生の異能力の暴発か? ミスか? 何が起こったのかさっぱりわからない。
「い、いや、ともかくフラッグはゲットだぜ!」
その隙に巧人がフラッグを手にした。
その直後に先生のかぶりものが消失する。
「ちょ、あ、あの、春日井さん? 一体何をしたんですかー?」
「いや、何か先生の異能力が一瞬でもどっか行ってくれればと思って、気がついたらこんな事になってた」
異能力の対象を自分から先生に『転送』したというのか? それとも、先生の異能力を自分に『転送』した? そんな事が出来るのか?
「まさか、春日井さんの異能力が成長したのでしょうか?」
「俺にもわかりません。でも調べるならまた後でお願いします! 行くぜ、シュー子!」
「あ、お、おい!?」
オレが止める間もなく、オレ達は巧人の異能力でその場から瞬間移動した。
しかし本当に何だったんだ、さっきのは。当の本人も驚いてたが、偶然出来たのか。
いずれにせよ、調べるのはオリエンテーションが終わってからになりそうだ。今のコイツは私欲のために突っ走ってるから、オレの言葉にも耳を貸さないだろう。
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