第4章「ラン・アンド・ラン・パニック」
その12
「オリエンテーション?」
学食でうどんをすすっていたら、相席している花鈴の口から気になる単語が出てきた。
ちなみに隣では朔夜がずっとポニーテールを撫でている。一週間もずっとこの調子だが、慣れというのは恐ろしいもので既にオレは気にならなくなっていた。朔夜もなるべく邪魔にならないように位置を取って、丁寧に行為に及んでいる。
「そう、審判委員会主催の全校で行うゲームと言ってもいいわ。毎年恒例の行事みたいなものよ」
「全校とはまた規模がデカいな」
宮内新命学園は小学校に値する初等部から大学部まで存在し、在籍している生徒や学生は一万人を超えてる。
「さすがに一辺に行われるわけではないわ。初等部、中等部、高等部、大学部で分かれて行うの」
そりゃそうか。学園の敷地もかなり広いが、一万人超が一斉に動けるほどの大きさはさすがにない。
「高等部は来週の土曜日よ」
「何をやるんだ?」
「『フラッグ取り』よ。全校に点在している拠点からフラッグを取って、最終的に最も多くフラッグを手に入れた者が勝者となる、と書いてあるわ」
花鈴がケータイを操作しながら説明してくれる。学園の生徒用サイトに載っているのか。
「ルールはそれだけなのか?」
「大まかにはそうね。フラッグのある拠点の防衛は教師が行い、生徒同士での妨害も危害を加えない程度でなら可能、異能力の使用もそれに反しない限り制限がないそうよ」
「結構混乱しそうなくらい自由だな。大丈夫なのか?」
「問題ない。審判委員会があらゆる場面において適切な裁定を下す」
「ブッフォッ!?」
いきなり後ろから桐野先輩の声が聞こえて驚いてしまった。その勢いで食べていたうどんが鼻から出てきてしまったぞ、どうしてくれる。
「き、桐野先輩!?」
「どうした、鼻からうどんを出す芸の練習でもしているのか」
わかってて言ってんのか、この人は。
「――ご機嫌よう、桐野先輩」
「ご機嫌よう、雪ノ宮君。今日も少し顔が赤いようだが、体調は大丈夫か?」
「大丈夫、です。ありがとうございます、先輩」
先輩の言うとおり、花鈴の顔が少し赤い。それにさっきまでは澄ましていた表情だったのに、今はどことなく柔らかくなっている。
……これはきっとアレだな。しかし本人は周りに気付かれないようにしているみたいだから、黙っておこう。と鼻からうどんを引っ張り抜きながら空気を読むオレ、少し情けない。
「ところで君達はオリエンテーションに参加するのか?」
「あ、任意参加なんですか?」
「形式の上ではな。だが大半の生徒や学生は参加する。優勝賞品は学食の無料チケット一週間分だからな」
「随分と大盤振る舞いな!」
ここの学食は安い値段で美味しい定食が幾つもあるし、逆に高い上に名前からは想像出来ないような料理もあって興味はあるが手を出せていないものもある。
それらが一週間も無料で食べられるとなると、確かに参加したくなるのもうなずける。
「しかし、それだと運動能力が高いヤツやこういうのに向いている異能力を持ったヤツが有利じゃないですか?」
拠点間の移動も、防衛する先生達からフラッグを取るのも、例えばオレとか圧倒的に不利だ。
「運動面において不利な者は、半年後にクイズ大会を行っているからそちらに参加する事が多い」
クイズ大会までやっているのか、この学園は。外国を横断するウルトラなクイズ大会じゃないだろうな。
「大丈夫だ、シュー子! オレが優勝したらチケットをプレゼントするぜ!」
「ブッフォッ!?」
今度は巧人まで唐突に視界に入っては変な宣言をしてきた。おかげでオレは本日二度目の鼻うどんをやらかしてしまった。
「おっと、シュー子。鼻からうどんを出す芸は面白いが、シュー子がやる必要はないぞ」
誰のせいでこんな事になったと思ってる。コイツの鼻にもうどんを突っ込んでやろうか。
「その意志があるという事は、春日井は参加で決定か」
「もちろん! 今年も優勝してみせるぜ! 特に今年はシュー子がいるからな!」
聞こえは良いが、当の本人であるオレは複雑な気分だ。ってか、前にも優勝した事があるのか。
しかしチケットを受け取る事をしなくても、コイツの参加を止める理由自体はない。施しを受けないためにオレが優勝するというのも、現実的じゃないしな。
「春日井君の顔を見て思いだしたけれど、シュー子のお姉さんが来るの、もうすぐではなかったかしら?」
「ああ、さっきメールで着いたと来ていた。とりあえず大学の友人に会ってから来るらしい」
大人しくしててくれるといいんだが、絶対にそうはいかないだろう。
「二葉君のお姉さんというと、二葉理子女史か」
さすがに桐野先輩は知っていたか。
「先輩、知り合いなのか?」
巧人は知らなそうだな。この前メールを送った時も特に姉について言及する事は無かったし。
「知らないのか、春日井。ロボット工学の権威で、そこにいる菱川君も二葉理子女史の開発したアンドロイドだ」
「朔夜を造ったってのは知ってたが、そんな偉い人だったのか!」
弟のオレからすれば、肩書きもそれに見合った実績もあるが、性格はそこまで凄くはないという印象を昔から抱き続けている。
「シュー子のお姉さんだから会って挨拶したいとは思ってたけどな、それだったら菓子折の一つでも持っていった方がいいか?」
「別にそんな事しなくていい。ってか挨拶って何のだよ」
「もちろんシュー子と付き合ってるって事を!」
「やめろ」
オマエとは付き合ってないし、姉が本気にしたらオレが困る。
そして朔夜。
「オマエはいつまでオレのポニーテールを触っていれば気が済むんだ」
「少なくとも放課後になるまで触っていれば、明日の登校までのポニーテール成分は十分に補填できる」
「ポニーテール成分って何だよ!?」
新しい物質が勝手に作られたぞ!
「ふぅ……」
今日も疲れた。巧人はもちろん、新たに加わった朔夜のポニーテール狂いもあしらわなければならなくなったから、疲労感は今までの二倍以上になっている気がする。
さっさと宿題を終わらせて、今日も部屋でゆっくりしたい。
そう思って部屋のドアを開けた、次の瞬間だった。
「お帰りなさ~い!」
「うぷっ!?」
突然オレは甘ったるい声が耳に入ったと同時に視界と気道を塞がれた。正確に言えば、豊かな胸に強制的に顔をうずめられた。
このスキンシップの仕方は心当たりがある、というか一人しかいない。
「ああん、画像でも可愛いって思ってたけど、実物はもっと可愛いわぁ~」
「ちょ、や、やめろ、姉さん!」
犯人である相手から何とかわずかでも距離を取り、抵抗と抗議を試みた。
しかし頭を両手でホールドされ、更に今は女になってるせいで力が弱く、脱出が困難になっている。
傍から見ればうらやましい状況とか言われそうだが、これを幼い頃からずっとやられてる身としては若干トラウマになっている。おかげで巨乳は嫌だ。
こういうのもあるから、姉は苦手なんだ。
「あ、貴方達、玄関で何をしているの?」
このタイミングで部屋に帰ってきた花鈴。これで助かったのか、こんな様相を見られて気まずくなったのか、今のオレには判断できない。
「あ・ら、もしかして史勇のお友達?」
「え、ええ。二葉理子さんですか?」
「そうよ。弟、いいえ、妹の史勇がお世話になっています」
そこを訂正するな、姉よ。そしていい加減オレを放せ。
「こちらこそ……。あの、シュー子……史勇が苦しそうにしているから、放してあげてください」
「う~ん、お姉ちゃんとしてはもっと史勇分を補給したい所なんだけれど、仕方ないわ」
ようやく解放された。ってか、姉まで新しい成分を作り出していやがった。
「会う度会う度オレが窒息するくらい抱き締めるな!」
「で・も、姉妹の愛情表現のハグくらいくらいいいじゃない」
「ハグじゃなくてもはやヘッドロックだ! あとオレは男だ!」
肉親にまで女扱いされるのは耐えられない。
「そんな可愛い姿になってたら、誰だって抱きたくなるわ。あ、この抱きたいというのは【肌色プロレス】という意味でもあるわ」
「気持ち悪い事言うんじゃねえーーー!!」
恋人どころか姉にそんな事言われて喜ぶ弟がいるか!!
どうにか落ち着いたオレは改めて部屋に入って姉と対峙した。
花鈴は紅茶とお茶菓子を用意している。
「ってか、オレも花鈴もいなかったのに何で部屋に入れたんだ?」
「寮長さんにお願いしたの。私が通っていた頃と同じ寮長さんだったから、すぐに話が通ったわ」
確かに寮長さんは年配の人だし長く勤めているとは聞いていたが、OBやOGならあっさり通していいのか。
「まあ、それはいいとして、朔夜の事だけど」
「そうね。後で朔夜ちゃんを呼んで状態を確認するけれど、損傷次第ではすぐに直せると思うわ。大学部の研究室を借りられるから」
こういう時の姉は頼りになる。世界的権威だから顔も広いし、出身校である学園となれば尚更だ。
「助かるよ、姉さん」
「朔夜ちゃんはあなたのために造ったのだから、当然の事よ。で・も、感謝してくれるなら――」
目を細めて笑みを浮かべる姉。こういう時は大概何かを企んでいる。それもオレが困る方面で。
「お姉ちゃんと一緒にお風呂入りましょう」
「絶対にノー!!」
「ああん、即答なんてつれないわぁ」
当たり前だ。今は肉体的に女同士だから倫理的な問題は無いとしても、風呂場で必ずオレの事を触りまくるに違いない。身の危険がわかっていてそれを了承できるほどオレは甘くない。
「私とは一緒に入ったのだから、お姉さんとも入ってあげたらどうかしら?」
「話がややこしくなるから黙っててくれ!」
あの時は花鈴がオレを無理やり大浴場まで連れて行ったんだ。おかげでオレは目のやり場に困ったし、どういうわけか他の女の子達がやたら話しかけてきて、のぼせる寸前までいってしまった。
だから大浴場には二度と行きたくない。ましてや姉となんかもっての外だ。
「お姉さん、どうぞ。シュー子も」
「ありがとう、花鈴ちゃん」
「ああ、サンキュー」
オレ達の前に置かれる紅茶の香りが唯一の癒やしだ。もしかしたら花鈴はわかっててこのタイミングで出してきたのかもしれないが。
「それより、朔夜はいつ元通りになるんだ?」
「講演やら何やらあるから、その合間に修理をする事になるわ。早くても一週間後かしら」
「わかった」
オレに対してはどうしようもない姉だが、それでも世界的権威なのには変わりないし、オレもそれはわかっている。だから時間がかかるのは仕方ないし、むしろ一週間で直るのなら文句はない。
「そんなに菱川君と手を繋ぎたかったの?」
「オレの『悪運』を打ち消したいんだ」
わざと言ってるだろ、花鈴は。
「そ・れ・じゃ、そろそろお姉ちゃんはホテルに戻るわ」
「もうこんな時間なのか」
時計を見たらもうすぐ夕飯の時刻だった。日もすっかり落ちている。
「もっと史勇とお話したかったけれど、明日の講演の準備があるの」
公私混同をするほど姉は愚かじゃない。そんな事をしていたら、姉はとっくに学会や世間から干されている。
「朔夜の事もよろしくな」
「わかっているわ。あ、そ・れ・と――」
「まだ何かあるのか?」
「噂の春日井君に、近々会える事を楽しみにしてるって言っておいてね」
そういえば、姉が学園に来た目的の一つに巧人が絡んでいたんだった。
「巧人に変な事はするなよ」
「しないわよ。た・だ――」
そこで言葉が途切れた。
「ん、どうしたんだ?」
「ううん、何でもないわ。それじゃあね、史勇」
結局さっきの言葉の続きは聞けず、姉は去っていった。一体何を言おうとしていたのか、後でメッセンジャーで聞いてみても多分答えてくれないだろう。
その事がオレの心に一抹の不安を生んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます