第2章「ショッピング・ウィズ・タイフーン」
その5
物心がついた時、既にオレは周囲との距離を感じていた。
まだ何もかもが未熟な三歳の時、同じ組の子がジャングルジムから滑り落ちたのを、オレは目の前で見ていた。その子は命に別状はなかったものの、頭を何針も縫う怪我を負った。
この時オレは「また史勇の近くで」という言葉を聞いており、今でも鮮明に覚えている。その時はどういう意味なのかよくわからなかった。だけどそれから確実に友達が減っていったから、『悪い事』だとは幼心に理解していた。
小学校に上がった時にはオレをなじるヤツが出てきた。その時の担任教師はなじったヤツを叱っていたし、オレに慰めの言葉をかけていた。だけどそれが余計に辛かった。
それからずっと担任になった先生は、オレに対して何かと気を遣っていた。
オレが事故の現場にいたと聞けば、何か言いたそうな顔をしながらも「大丈夫だった?」と心配するような言葉をかけてきた。運動会の最中に急に天気が悪くなり、オマケに学校に落雷した時はクラスメートが一斉にオレのせいにして、先生がそれをかばうも面倒くさそうな顔をしていた。
後からわかった事なんだが、どうやら母がオレの異能力について教師陣に説明したらしい。もちろん一般的な教師ならそれを信じる事なんてしないし、最初はそうだったようだ。だけどオレの周りで色んな事が立て続けに起こって、嫌でも信じざるを得なくなっていた、と姉から聞かされた。
それを聞いてオレは凄く嫌な気分になった。他のクラスメート達と違う扱いになるように働きかけ、オレが普通じゃない事を実感させられたからだ。母も決して悪気があったわけではないのはわかっているが、それでも感情は母を許さなかった。
中学に上がったらオレは完全に孤立していた。入学当初こそ話しかけてくるクラスメートが何人かいたが、オレが『悪運』で事件に巻き込まれたらすぐにそれも無くなった。
ここでも教師はオレの事情を把握していたが、小学校の時とは逆に出来るだけ関与しないようにしていた。保身に走ったのだろうし、オレだけに構っていられないからだろう。
そんなオレの学校生活を知った両親は一層過保護になった。
オレがどこかへ出掛けようものなら、必ず母がついてきていた。学校の行事で社会見学や修学旅行に行った時でさえ同様だった。父親も同様に、安全のためと言って車で学校の送迎をするようになった。
両親の介入によってますますオレは他人との溝を深めてしまった。
三年生になった時はさすがに姉がそれに対して口出ししてくれて、過保護は終わりを迎えたものの、築き上げられなかった人間関係を取り戻す事は出来なかった。
姉は見かねてオレに宮内新命学園への進学を勧めてきた。姉は進学を「これから幸せになるための第一歩」と言っていた。同じ異能力を持つ者が集まるその学園なら、オレの『悪運』を改善する事が出来るかららしい。
オレは姉に対してもあまりいい感情が無かったが、宮内新命学園に行けば寮生活が出来ると聞いて、姉の勧め通りにした。両親や地元と距離を置くために。
姉は更に「自分が何とかしてあげる」と言っていたが、オレが受験に合格して以降は自分の仕事の都合で海外に行ってしまった。そのため、直接何かをしてきた事は今の所無い。
この学園に来れば何か変わるかもしれない。オレはわずかに期待を寄せて入学したが、入学式が終わって早々にあんな目に遭ってしまった。今までにないパターンではあるが、結局厄介事に巻き込まれた事には違いない。
――ただ、少なくとも巧人みたいにオレが引くくらいに関わってこようとしたヤツは、今までにいなかった。
「んぅ……」
オレのまどろみは、穏やかなクラシック音楽でゆっくりと消えていった。
あれ、オレこんな目覚まし使ってたっけ……?
「あ、そうか……ここは寮か……」
ここはもう自分の家じゃない。寮は二人部屋だから同居人がいる。さっきからずっと鳴ったままの目覚ましは、その同居人のものだ。オレはクラシックを聴くような高尚な趣味は持っていない。
オレはさっきまで夢の中で昔の事を追体験していたようだ。不快な気分が残っている。
その夢はこれからの事を示唆しているのだろうか。まったく、朝から嫌な気分になる。ずっと音楽も鳴ってるし――
「って、いつまで鳴らしてんだ?」
目覚ましが鳴り止む前に完全に目が覚めてしまった。ベッドの頭の所にあるレストに置いた自分のケータイで時刻を確認したら、オレがいつも起きていた時刻より少し早かった。土曜日だというのに律儀なものだ。
勝手に止めるのもどうかと思ったから、オレは一応、ベッドで夢の世界を旅したまま戻ってきていない同居人声をかけてみた。
「……おーい、起きてくれ。目覚ましがずっと鳴ってるぞ」
「あと十時間……」
随分と盛大な寝坊をするつもりだな、おい! こんな時刻に目覚ましをセットしているのに、なんで当の本人は堕落してるんだよ。
「そんなに寝るな! とにかく起きろ!」
オレは布団を思い切り引っぺがした。
中にあったのは、薄手でミルク色のネグリジェに包まれた、見た目は小学生くらいの少女が丸まっている姿。
さすがに驚いてオレの心臓は一瞬大きく跳ねた。女の子の無防備な状態、かつ本来なら見られるのはもっと先になったであろう服装は、オレを困惑させるのに十分だった。
だがその格好以上に戸惑う要素をソイツは持っていた。
人間の耳に代わって猫の耳を携えており、腰の後ろ辺りからは猫の尻尾が生えている。昨日初めて対面した時にも驚いたが、まだ覚醒しきってない頭はその記憶を引き出しにしまったままにしていたから、またしても驚いてしまった。
「……ったく、本気で猫だな」
だがさすがに二度目ともなれば驚く声は出さない。代わりにオレは、呆れ声でその姿に対する感想を口にした。
「……猫じゃないわ、『猫神族』よ」
ようやく起きたか、同居人の猫は。
「はいはい、猫神族のお嬢様。とにかく起きてくれ、朝だ」
「『
ゆっくりと上半身を起こしながら、オレを睨む花鈴。大きくてやや切れ長の眼が本当に猫に見える。目元を擦る仕草もどことなく猫っぽい。
「覚えてるよ、花鈴。人の名前を覚えるのは得意な方だ」
「ならきちんと名前で呼んで頂戴」
わがままだな、そのくらいなら構わないが。
「それじゃ、オレは着替えるから、花鈴もさっさと着替えろよ」
「着替えるのにわざわざお風呂場に向かう必要はあるのかしら?」
「男に着替えを見られるのは嫌だろ」
恋仲でも夫婦でも親子でもない、身体は女とはいえ精神的には男である同居人のオレに肌を見せるのは、普通の女の子なら拒否するはずだ。
「私は気にしないわ」
「オレは気にするんだよ」
ってか、花鈴も気にしてくれ。オレが余分に気を遣わなければならないじゃないか。
「思春期の男の子は、女の子の着替えを目の前にしたら喜ぶものじゃないの?」
「だからといって着替えを見せつけられたって困るんだよ!」
本音を言えば見たいが、かといってそれを口にしたり態度に出したりするほどオレは欲望に忠実じゃない。
「それに、何か間違いでも起こしたらどうするんだよ」
「間違いって【バキューン】とか?」
「恥ずかしげもなくそういう単語を口にするな!」
何でそんなしれっと言えるんだよ、女の子なのに!
「貴方なら間違いなんて起こらないじゃない。心は男のままでも、身体は女の子になって【竹竿】が無いのだから、【攻城】される事も無いわ」
「だから下ネタを口にするな!」
鈴を鳴らしたような綺麗な声で下品な言葉が聞こえるとか、さっきとは違う意味でショックだよ!
「まったく、いちいち細かい事」
全然細かくない。至って普通の事を言っているはずだ。
「だったら、私が実力行使するわ――」
そう言って花鈴がオレに一瞬で近づいたかと思うと、
「うわあっ!?」
一瞬でオレのパジャマを上下共に剥ぎ取った。
「それやめろって昨日も言っただろ!」
「貴方、それ男性用のインナーとボクサーパンツじゃない」
人の話を聞け、そして覚えろ。猫神族だから性格のベースもマイペースな猫だというのか。
「当たり前だろ。入学式までは身体もしっかり男だったんだから、女物の下着なんて持ってたら変態だ」
正直男の時とは違う着心地で違和感が強いが、背に腹は代えられない。
「それじゃあ、今日は貴方の服を買いに行きましょうか。貴方に似合う可愛い下着を見繕ってあげるわ」
「やめてくれ、本当に変態になってしまう」
男に戻った時に手元に女性用下着が残るとか、人として終わってしまう。それだけは何としてでも阻止したい。
「だけどいつ元に戻れるかわからないのでしょう。それに貴方が心変わりして、女のままでいるかもしれないじゃない」
「それはない」
絶対にない。
大体、女のままだとアイツがいつまでもオレにしつこくつきまとうのがわかっている以上、一刻も早く戻らないと精神的に持たない。
「それじゃあ、こう言ったらどうかしら。きちんとした下着を着けないと、乳首が浮き出して見えたりして変に男の子を刺激するわ」
「うわぁ」
男から見ればラッキーだけど、当の本人としてなる可能性があると思ったら寒気が走った。
「特に今の貴方は可愛いから、その効果は人一倍ありそうね」
「やめてくれ!」
昨日風呂に入った時に初めて今の自分の顔を確認して、自身でも可愛いとは思った。けれども、それが逆に厄介事を招く要素だと花鈴の言葉で気付かされてしまった。
「それが嫌なら買い物に行きましょう。始業式までには間に合わせてあげる」
こうしてオレはまたしても限られた選択肢を選ばされた。
これも『悪運』のせいだ。
昨日の『勝負』の後、オレは女として通うための手続きを済ませた。
その中には男子寮から女子寮へ移る事も含まれていた。最初はそんな必要はないと思ったけど、考えたら男だらけの環境に女一人というのは、いくら何でも身の危険がありすぎると思った。
だから女子寮に移る事自体はすぐに受け入れたが、寮では必ず一部屋に二人住む事が決まっていた。オレは同居人に迷惑をかけたくないからと一人になれないか相談したが、余程の問題が無い限り例外は認められないという事で、他の生徒と同様に二人部屋に住む事になった。そこで会ったのが花鈴というわけだ。
ちなみにこの同居人の花鈴、見た目は小学生だがオレと同い年だそうだ。花鈴だけが幼いが意見をしているのではなく、猫神族は誰もがそうらしい。後でクラスを聞いたらオレと同じクラスだった。
猫神族というのは、花鈴のように外見は猫の耳と尻尾を持ち、身体能力も猫を人間大にした時と同等という種族、らしい。何せオレは昨日花鈴と初めて対面し猫神族を見たのだから、詳しい事なんて全く知らない。さっきの説明も花鈴から聞いた事そのままだ。
普通なら男だったオレを拒否するか、あるいは受け入れたとしても同居するにあたって何らかの制約を設けるかすると思うんだが、花鈴は一切そうしなかった。オレを普通の女の子と変わらない扱いで受け入れた。
おかげで逆にこっちが気を遣う羽目になってしまったが、それすらも不要だと当の本人は言っている。それが困るから今朝のあのやりとりが起こったわけだが。
しかしいくら異能力を持っている人しかいない学園だからとはいえ、巧人といい花鈴といい、あっさり受け入れすぎじゃないか?
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