第3話【区切】

 長く、決して易くはなかった行いの日々が、終わった。

 私はその二ヶ月間の間に、様々な人々と出会い、そして別れてきた様に思う。

 ただ不思議な事に、そこで出会った人々は皆、悪意や憎しみとは無縁であった。

 皆何かしらの思うところがあって、時に楽しく、時に真面目に取り組んでいた。

 勿論私も同様に、であるが。

 誰かが何か分からない事があれば誰かが教え、誰かが重荷に耐えきれなくなれば、それを代わりに手にした。

 そこに居る誰もが苦しみを押し付ける事なく、また僅かな苦労の差に負の思いを抱く事もなく、そして劣った誰かを貶す事も無かったのだ。

 ただ、私はそういった周囲の環境ではない別の理由によって苦しんでいたのだが……。

 熱に身体を凍えさせられ、腹痛による苦しみで狂気の淵に脚を着けた。

 その一分一秒は、暗鬱たるあの「ぼんやりとした不安」よりも遥かに形がハッキリとして、私の意識を曇らせる程に、私の思考を鈍らせる程に、明確なる生の確証を教えてくれた。

 ひょっとすると少し前に御世話になった精神科の先生が「あんたはまともだよ。トロい事以外はネ」と仰られたあの言葉もあっての事かもしれない。

 何にせよ私は今、病も治り、自由の身となったのだ、これを祝わずして何としようか……と言いたいところであったのだが、残念な事に私の内臓はまだ病み上がりであり、無茶な食事は全く出来ない。

 実家に帰れば他所から私のモノとは別の風邪を貰って寝込んでいる兄弟が待っている。

 まあ、数日寝正月でもして、余韻に浸る事としたい。

 そして、嗚呼、今私は外を歩いている。

 夜道だ。

 見上げたそこに、月が輝いているのだ。

 眩しい程に、薄い白金色に光る月だ。

 此れ程迄に美しい黄金の金剛石は然し、惜しい事に技師が磨き過ぎたのか、歪な形をしている。

 上半分が楕円形になってしまっている。

 正しく、現世に完璧など限りなく存在し得ない事の体現であるかの様に!

 だが……それ故に人の世は美しいのかもしれない。

 私は生きられているのかもしれない。

 久遠に手に入らない月さえも不完全である様に、

 我々は生の苦痛に喘ぐあまり、楽園の幻を見るのだ。

 だが、それもこの数日はナシだ。

 それ故に夢は消え、荒廃した虚無の中を猿じみた動物達が俯きながら後ろ脚だけで器用にそして奇妙にいそいそと早歩く、この不気味で、おぞましい世界を直視する。

 否。

 それが見えているのは、もしかすると君と私だけかもしれない。

 どうだい。こんなイカれた事があると思うか?

 だけどこの怪奇な世界さえも、私は愛おしく思いたいよ。

 何故なら私も君も、この気持ち悪い生き物の一匹でしかないからだ。

 そして、こんな捻くれ者の格好付けみたいな事は、何時までも出来る事ではないからだ。

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