第137話 ハウスフォーファー
「まったくなんて国なんでしょう……」
ルーは外国人専用宿の食堂でボヤいている。水晶宮から宿への帰り道、ルーの気が晴れることはなかった。ルーの目には上は上皇ディノブリオンから下は末端の僧侶まで、大魔皇帝の脅威が迫っているリゾソレニアの置かれた状況をまったく認識せず、己の都合の良い幻想に浸っている姿がいびつなものに見える。
こんな国と協調して事に当たるなど絶望的でリゾソレニア各地に現れたという件の戦士がクウヤだとすると、こんな壊れた国で何をしているのか皆目見当がつかないことがルーには腹立たしくて仕方がない。
彼女なら、正体を隠しこの国を内部崩壊させるべく暗躍するだろう。にもかかわらず、話を聞けば件の戦士は保護国に力添えし、魔物の脅威から住民を守るべく動いているという。
彼女には理解できなかった。
わざわざこの国に目を付けられ、自らを危険に晒しながらそんな国のために尽力している――というふうにルーは感じる。
件の戦士がクウヤならば、ますますルーには理解できなかった。そのことがルーをいら立たせる。クウヤの存在が自分の理解の範囲を超えていることにもいら立ちを感じている。彼女はクウヤは常に自分の領域の中にいてほしかったからだ。
そんなルーのいら立ちを察したヒルデが話しかける。
「とりあえず、目的は果たしたのだから嫌なことは忘れましょう。明日から色々大変だし……」
ヒルデはそう言ってルーをなだめる。
「でも、ひどくない? あそこまで事態を理解していないとは思わなかったわ。これじゃこの国が世界各国と協力して、大魔皇帝に対抗するなんて無理」
ルーの嘆きは止まらない。ヒルデは更に続ける。
「……そうね、でもまずしなきゃいけないことはクウヤくんを探すことじゃない? クウヤくんの力がきっといい方に導いてくれるはず……違う? この国のことはこの国が勝手にするわよ。それで良いんじゃない?」
ヒルデはルーを諭すように言った。ルーはヒルデの言いたいことはわかるがそれでも腹の虫をおさめることができなかった。
「わかっている、わかっているいるわよ……でも……」
「でも?」
「バカげた話だと思わない? 自分たちの国が押しつぶされかけてきしみをあげているのに見てみぬふりするなんて」
ルーは言うだけ言うと大きくため息をつく。
「それにクウヤもクウヤよ。こんな国のために戦うなんて……はぁ」
ルーのやるせない気持ちはありありと表に現れている。
「いけませんね。うら若き麗しの乙女がそんなため息をついては」
どこからともなく飄々としたバトンボイスがルーたちの耳に届く。思わず、ルーは声のしたほうへ振り向く。
そこには船の中で見たあの男が立っていた。
「貴方は……!」
「盗み聞きするつもりはなかったのですが、たまたま耳に入ってしまったので、思わず声をかけてしまいました」
にこやかにルーに挨拶するハウスフォーファーをルーは訝し気ににらむ。
「あれ? 先生! いつの間に」
エヴァンは笑みをこぼし、ハウスフォーファーに近づく。
「エヴァン君、元気そうで何より」
「先生も。ところで……」
エヴァンはあいさつもそこそこ、気になったことを聞く。
「あのタナトスって人は?」
「ああ、彼かい? 彼ならしかるべきところに案内しておいたよ」
「しかるべきところってどこですの?」
エヴァンとハウスフォーファーの会話にルーが割って入った。
「それはそれ。職業上の秘密というやつにしておいてくれないかな、お嬢さん」
意味ありげな含みのある笑みを浮かべ、はぐらかす。
「……お嬢さんではありません。ルーシディティです」
バカにされたように感じたルーは思わず語気荒く反論してしまう。
「はっはっ、そりゃ失礼。しかし、私から見ればかわいいお嬢さんには違いがないのだけどね、いや失敬、失敬」
ハウスフォーファーはルーの怒りをものともせず、笑い飛ばす。その飄々とした対応にルーは毒気を抜かれる。
「彼のことはとりあえずおいておくとして、君たちが興味がありそうな話を持ってきたのだが聞くかい?」
三人はハウスフォーファーに注目する。
「妙な工作に巻き込む気じゃないでしょうね? それならお断りよ」
ルーは腕を組み、ハウスフォーファーを足先から頭まで疑わしそうに見る。
ルーは興味を惹かれながらも、ハウスフォーファーを今ひとつ信用できず、否定的な態度を取る。
「心配しなさんな。そんなことはしないから」
ハウスフォーファーは訝しげなルーを一蹴し、曖昧な笑みを浮かべる。
「貴方の目的がよくわからないのよね。一介の教師がここまで手回しがいいっておかしいと思うけど……」
警戒の姿勢崩さないルーにハウスフォーファーは微妙な笑みを浮かべたままだった。
「私が何者かは重要ではないと思いますが? 任務を達成することが最優先じゃないのかな、ルーシディティ嬢」
まるで幼子をあやすような口調で、ルーに尋ねる。その態度にルーは怒りを覚えながらも、怒ったら負けと内心言い聞かせ、ハウスフォーファーと対峙する。
「……で、私たちに何をさせようと?」
ルーはできる限り胸を張り、虚勢をはりながらハウスフォーファーに尋ねる。
「何かを『させる』つもりはない。ただ、君たちがしようとしていることの手助けになるかもしれない話をするだけさ」
ハウスフォーファーは相変わらずの飄々とした態度でルーの言葉をやんわり否定する。
ハウスフォーファーの態度が気に入らないルーは眉間にシワを寄せ、疑いの目をハウスフォーファーに向ける。ハウスフォーファーはルーの一貫した態度に苦笑する。
「じゃ、聞きましょうか。その話を」
ルーは腰に手を当て尊大な態度で言った。
「……まあいいか。君たちのお目当ての戦士はこの国の北にある保護国のとある街にいるらしい。北部はかなり魔物の侵入を許してしまったせいで街をでると魔物が跋扈する魔境と化しているとのことだ」
さすがのハウスフォーファーもこのときは真面目な顔をして茶化さず話す。
「その程度の情報では……」
ルーはハウスフォーファーの曖昧な情報を聞き、不快感を隠さなかった。ハウスフォーファーはルーの反応を内心喜んでいるのか、含みのある笑みを浮かべる。
「まあまあ。お楽しみは後に取っておくものさ。慌てる何とかはもらいが少ないってね」
ハウスフォーファーのもったいぶった態度に嫌気が指しているルーは具体的な場所をせかす。
「……で? そこはどこなの?」
「保護国の一つ、インマンにあるオルシの街だ――」
ハウスフォーファーはやけにあっさりと具体的な地名をあげる。ルーは無反応だった。
ハウスフォーファーはルーの反応に関係なく説明を続ける。
彼の説明はこうだ。
――リゾソレニアは保護国で囲まれ、外縁の保護国が犠牲になることにより外敵から本国を守っている。
その一つインマンは保護国の中でも貧しく、自然環境も厳しくお世辞にも人が住むのに適した場所ではない。
当然のごとくリゾソレニアが住人の生活環境向上に尽力するはずもなく、単なる周辺からの脅威を緩和する緩衝地帯でしかない。
となれば魔物の襲撃を受けたとしても、リゾソレニア当局が積極的に防衛するはずもなく、そこに住む住人は獣人など亜人がほとんどだったが、魔物のなすがままに蹂躙されていた。
そんなところで、魔物をなぎ倒し、無力な住人を圧倒的な力で守ったとすればどうなるか。
現地の亜人たちは戦士を神の使いのごとくあがめ、崇拝するものも出てくるだろう――
「その戦士の熱狂的な支持者が生まれてしまう。それに対してリゾソレニアの対応に反感を持つようになる。つまり件の戦士は知って知らずか、反ベリタ教・反リゾソレニアの温床を増やしているというわけさ。
となれば、リゾソレニアからの役人などが躍起になって件の戦士が登場したことによって醸し出された雰囲気を叩き潰すだろう。
そんなところへ首を突っ込むことになる」
ルーは腕を組み、胡散臭そうにハウスフォーファーの話を聞いている。
「そういう基本的なところは理解しているつもりです。私はまったくの素人というわけでもないので。そんな基本的な話をする貴方の意図はなんですか?」
ルーはハウスフォーファーに先程の説明の意図を聞く。彼女にしてみれば、ハウスフォーファーの説明はリゾソレニアに来るまでに与えられた情勢情報の焼き直しでしかなかった。
ルーはハウスフォーファーにバカにされているのかと疑念をますます深める。
「……信じる、信じないは勝手だけどね。世間知らずのお嬢様がおいそれと手を出せる案件でもないし」
ハウスフォーファーはルーの質問をはぐらかすだけでなく、彼女を挑発する。
ルーはハウスフォーファーの挑発に眉をしかめる。次第に険悪な空気が流れ出す。
その空気を断ち切るようにエヴァンが口を開く。
「何からはじめる、戦士探し?」
ルーとハウスフォーファーのやり取りに割って入るように、エヴァンが本論を切り出す。
「……そうね。まずはその保護国を目指しましょう」
ルーの一言で予定が決まる。
「疑っている割には素直に話を聞くんだな」
ハウスフォーファーがまた元の曖昧な笑みを浮かべ、ルーをからかうような口調で話しかける。
「……べ、別にアンタのことを信じたわけじゃないわよ。情報がない中、とりあえずアタリをつけるためだけよ」
ヒルデがルーに追い打ちをかける。
「そうよね、るーちゃんは早くクウヤくんに会いたいだけだもんね」
ヒルデは少女とは思えないような下卑た目をして笑う。
「……! べ、別にそんなことはないわよ! た、ただ単にやることちゃちゃっと済ませたいだけだから。それだけだから」
慌てふためくルーを生暖かく見守るヒルデ。一時ではあるがいつもの彼女らがそこにいた。
「……若さか。いいものだな」
遠い目をするハウスフォーファーにエヴァンが突っ込む。
「先生、ジジ臭いですよ……」
胡乱な目で見るエヴァンに気づき、ハウスフォーファーは咳払いをする。
「……それから今後君たちに役に立つことを教えておこう。この国いる限り実行して損はないことだ」
ハウスフォーファーは思い出したようにルーたちに忠告する。
「……体制批判に聞こえるようなことをそんな大声で話すもんじゃない……例の戦士を探すならなおさらだ。その理由は……わかるな?」
いつになくハウスフォーファーの目は真剣そのものだった。
「ま、この国の全てが敵対する可能性があると考えておけ。水晶宮でわかったとおり、外の世界の常識はこの国では通用しない。この国は『異世界』なんだ。そのことを常に忘れるな」
ハウスフォーファーはルーたち一人一人を見る。
「だとしたら、この宿も危ないんじゃないの?」
ルーがハウスフォーファーに聞く。
「そのとおり。だが――」
「――この宿の主は古い知人でな。私から一言言ってあるので少々のことは大丈夫」
ちょいワル親父はウインクした。ルーはハウスフォーファーの手回しの良さと顔の広さに驚愕し、尚一層彼への疑念を深める。
「本当に貴方は教師なんですか?」
ルーは真顔でハウスフォーファーに聞く。彼を見る視線は鋭い。
「世の中は広い。中にはこんな教師もいるさ」
ハウスフォーファーはそう言って笑う。
「ただ年を押すが発言行動にはくれぐれも注意しろよ。下手をすると憲兵がやってきてブタ箱直行ということになりかねない」
ハウスフォーファーに疑念を抱くルーだが、彼の言いたいことについては十分理解している。
「そこまで念を押されなくても大丈夫です。エヴァンはともかく私とヒルデはそんなところでそだってきたのですから」
そう言って胸を張るルー。ハウスフォーファーはその言葉を聞き、安心したかのように目を細め、ルーを見つめる。
「……何か?」
「いや、たいしたことではない……」
わずかにハウスフォーファーの視線がルーのボディーラインをたどるような動きをする。
「経験は十分そうだが……体型はまだ発展途上だな」
「な……!」
ハウスフォーファーの言葉に、ルーは赤面し、胸を反射的に隠す。
「いやいや失敬、失敬」
そう言ってハウスフォーファーはその場から離れていった。
残されたルーたちは狐につままれように呆けている。
「……明日は早いからもう寝ましょうか」
ルーの一言に他の二人も同意する。
そして、夜が明けルーたちは一路インマンを目指し宿を離れた。
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