第124話 クウヤの慟哭

「……猊下、せめて護衛の部隊を随伴させてください」


 半ばあきらめたように兵部卿がタナトスに懇願する。しかしタナトスは首を縦に振らない。


「一兵でも国の防衛に必要なこの状況で、単に私の護衛のために戦力を割くことは必要ありません」


 タナトスはきっぱりと断る。しかし兵部卿としてもそう簡単にリゾソレニアの代表者を最前線へ送るわけにもいかない。


「ならばせめて連絡員として手練の者を随伴させてください」


 タナトスに懇願する兵部卿。しかしタナトスは取り付く島もない態度できっぱり断る。


「すまないが護衛はいらない。その兵力はこの国の防衛に使うべきだ」

「しかし……」


 タナトスと兵部卿との意見は真っ向から対立し、お互いの意見を擦り合わせる余地はないようにみえる。会議室内に重苦しい空気が流れる。連合軍代わりの人間は口を挟めず、苦々しい表情でタナトスたちのやり取りを見守るしかなかった。


 その空気を突然の来訪者が断ち切る。何人かの供を従えた人物が無遠慮に部屋へ入ってくる。


「……何を言い争っておるのか? 様子を見にくれば何というていたらく。見苦しい」


 突如会議の場に響いた声に皆が注目する。そこにはヴェリタ教における最高位を示す紋章である旭日を模ったデザインを背負う外套を羽織った初老の僧がいた。


「上皇猊下……」


 兵部卿はその姿を見てかしこまる。現れたのは先の教皇、現上皇のディノブリオンだった。


「タナトスよ、何を内輪で揉めておるのか。連合軍のお歴々を前にして恥を知りなさい」

「申し訳ありません……」


 開口一番、ディノブリオンはタナトスをたしなめる。タナトスはディノブリオンに頭を下げる。連合軍の面々は目の前で繰り広げられる光景に理解が追いつかず、あっけに取られている。


 ディノブリオンは連合軍の面々をまったく無視して自分勝手に話をすすめる。


「謝罪はよい。何をもめておるか?」


 タナトスはディノブリオンに理由を話す。ディノブリオンは時折うなずき、タナトスの話を聞いている。


「話を聞けばどちらももっともな理由がある。タナトスの言い分も、兵部卿の言い分もわかる」


 ディノブリオンの言葉に兵部卿の目が輝く。上皇に自分の意見が理解されたと思ったからである。一方タナトスは腕を組んで沈黙を保っている。


「……兵部卿の懸念ももっともであるが今は緊急時、平時とは違う。ここはタナトスの考えを実行すべきであろう」


 ディノブリオンの一言に兵部卿が驚愕する。ディノブリオンはそんな兵部卿の驚きをまったく意に介さない。兵部卿は何とか上皇にもタナトスをとどめるよう説得するが上皇は態度を一向に飼えない。業を煮やした兵部卿は上皇に対し抗弁する。


「上皇猊下! それでは万が一の際、いかがすれば……」


 ディノブリオンは一瞬黒い笑みを浮かべる。


「心配はない。このわしがおるではないか。引退した身とはいえ、まだまだ衰えてはおらんぞ」


 戸惑いを隠せない兵部卿はディノブリオンの言葉をすぐには受け入れられなかった。現役で健在な教皇が目の前にいるにも関わらず、教皇に万が一があっても大丈夫と言い切ったからだ。不敬な振る舞いとしてこの場で断罪されてもおかしくないほどの極めて不遜な言動である。


 しかし、ディノブリオンはそうならない。


「しかし……」

「案ずるでない。連合軍の象徴と我が国の代表が共闘し、この国を脅かす敵を打倒すのじゃ。何の問題があろうか?」


 やや芝居がかった大げさな言い回しで兵部卿の抗弁を退け、タナトスをまっすぐ見る。


「タナトスよ、真にこの国へその身を捧げるときがきた。連合軍とともにこの国を守るのじゃ」


 この言葉により、タナトスはクウヤたちと行動をともにする事になり、護衛の部隊などは随伴させないことが既定のこととして扱われることとなった。本来なら国家元首たるタナトスに指示し、国の運営などに口を出す権限など上皇といえどもないが、会議の流れを決めたルーの発言がディノブリオンの言葉を正当化した。


 兵部卿はがっくり肩を落とし、崩れるように着席した。ディノブリオンはほくそ笑む。まるで今での失地を回復したかのようである。己の目的を果たしたのか、外套を翻し、ディノブリオンはその場を足さった。


 会議は最大の懸念事項がディノブリオンの闖入ちんにゅうにより解決してしまったため、残りの調整事項は実務レベルで擦り合わせることとなり、散会となった。


 実務レベルで打ち合わせている間、クウヤたちとタナトスと話し合うことになった。


「改めてよろしくお願います。リゾソレニアの代表にして、ヴェリタ教教皇のタナトスです」

「魔戦士のクウヤです。お願いします」


 クウヤとタナトスは握手を交わす。タナトスはクウヤの顔をまじまじと見つめる。


「……何か?」

「いえ、以前どこかでお会いしませんでしたかな?」

「……さぁ? 記憶にありませんね」


 タナトスはおぼろげながら記憶の底にあるクウヤの顔を思い出し、クウヤに尋ねる。クウヤは努めて表情に出さず、答えた。クウヤとしては昔の話を蒸し返されるのは不本意だった。あの非合法な訓練所の日々を思い出し、怒りを爆発させてしまいたくはなかった。


「……そんなあやふやな昔話よりも、今後の話のほうが重要です。それにこれからの戦いを思うと不躾ですが、同格の仲間としておつきあい願いたい」


 クウヤはタナトスに少々高圧的に話をすすめる。そうしていないと、過去の怒りが爆発しそうだったからである。


 タナトスは訝しげクウヤを見るがあまりこの場で追求しても益はないと思い直し、クウヤの不遜な態度を看過し、改めて握手しクウヤの考えに従う意思を見せた。


「……昔、リクドー近くに訓練所と称する我が教団関係者が関係した施設がありましてね。その施設にいた子の中に貴方に似た雰囲気の子がいたものでつい。いや、貴方には直接関係のない昔の話です。忘れてください」


 クウヤは何も言わず、タナトスの手を握った。しかし、タナトスはいささかクウヤに対して疑念を抱く。ただ確たる証拠がなくクウヤを追求しても、現状ではリゾソレニアに益はないためその思いは彼の胸に押し留められた。


「とりあえず、準備しましょうか。あまり時間はないらしい」


――――☆――――☆――――


 事務方の話し合いは大スジで合意にいたりなんとか連合軍がリゾソレニア国内で活動できる目処がついた。クウヤたちは連合軍が支援に動く前に先行して連絡が途絶した地区へ急行することになった。一種の威力偵察をクウヤが担うことになる。


 これは連合軍の支援を知らせるのと同時にクウヤたちの力をリゾソレニアで示し、実証するためである。この段階においても連合軍内部だけでなくリゾソレニア側にもクウヤたちの力を信じていない一部勢力が存在するためどうしても実績を示さなければならなかった。


「やはり消息不明の地区は魔の森に近い地区か……」


 渡されたリゾソレニアの状況を示す地図を眺め、クウヤはため息をつく。それを受けタナトスは嘆くようにつぶやく。


「ええ。あれだけの『大海嘯』に襲われれば、消滅するのは村の一つや二つでは済まないでしょうから」


 タナトスの表情には魔物から守りきれなかった悔しさからか苦々しさが溢れていた。


「とりあえず、そのあたりから魔物を掃討しよう。魔物を駆逐できれば、住民にも安心感を与えられるはずだ」


 クウヤは当面の活動地区を定め、タナトスの同意を求めた。タナトスも拒否する理由もなく活動地区が決まる。


「ところでタナトス様、よろしいでしょうか?」


 クウヤがタナトスに声をかけた。不意に声をかけられたタナトスは不思議そうな顔をして、クウヤのほうを向く。


「……何でしょうか、クウヤ殿?」


 タナトスはクウヤに聞き返す。


「……リクドーの訓練所のことをご存知とのこと、詳しく教えてもらえませんか?」


 クウヤの問にタナトスは否応もなかった。タナトスからクウヤを見ると微かに黒いモヤのようなものに覆われており、若干の殺気を感じたからである。クウヤのまとう悪意にいささかの恐怖と興味を引かれたタナトスはリクドーに存在したヴェリタの訓練所について話し始めた。


「わかりました。知る限りのことをお話しましょう」


 タナトスは知っている限りのことを包み隠さずクウヤに話す。訓練所における子どもたちの残虐な扱いについては所長であったソーンの独断であり、ヴェリタの中枢部のあずかり知らないこと、教皇になってすぐに廃止し、二度とそのようなことのないよう布告を出したことなどクウヤに説明した。


 クウヤは腕を組んで静かにタナトスの話を聞いていた。


「……それであなたは関与していたのですか?」


 クウヤはタナトスに抑揚無く低い声で尋ねる。拳を握りわずかに体を震わせ、魂のそこから湧き上がるものを押さえつけているようだった。


「……『関与していた』とは?」


 今一つクウヤの質問の意図が読めなかったタナトスが聞き返す。タナトスの表情に一抹の曇りがうかぶ。


「あの場所で行われていた蛮行に関与していたか――ということです」


 クウヤの声がまた一段低くなり、ほぼ平坦な機械的な応答になる。そこに至り、タナトスもクウヤの言わんとするところ理解した。


「私はあそこで行われていたことに関して具体的に関与していたことはありません。あの時私は一介の修行僧であり、あそこで行われていたことに関して何一つ正確な情報を知らされていませんでした」


 クウヤは腕を組み、タナトスをにらみつけている。指先は腕をたたき、クウヤのいら立ちを表している。


「それを証明するものは?」


 タナトスはクウヤの自分に対する感情を理解する。とは言うもののこれからの行動を考えればクウヤに信じてもらう以外に選択肢はない。


「……この場ですぐお見せできるものはありません。私の言葉を信じてもらう以外には」 


 クウヤの目は鋭くタナトスを射抜こうとしており、彼の言葉に納得していないことは明らかだった。


「……あの場所で行われた蛮行について本当に貴方は理解しているのですか? 幼気いたいけな子供が家畜として扱われ、屠殺されていたことを。 あそこは……あそこはこの世の地獄だった!」


 クウヤの心には訓練所の惨状がフラッシュバックした。魔法を使う家畜として飼われる孤児たち、魔法が使えないものなど役立たずと判断され、容赦なく『エサ』として屠殺された孤児たち、あるいは生きた盾として兵器化され無残に散っていった孤児たち――そんな光景がクウヤの心の中にうずまき、クウヤは冷静さを失う。感情が高ぶり、激しい口調でタナトスに言葉を投げつける。タナトスはあえて何も言わずクウヤ話を聞いている。


「クウヤ、もういいでしょう」


 クウヤとタナトスのやりとりに業を煮やしたルーが二人の話に割って入った。


「しかし……」

「いい加減にして、クウヤ。これからまだやるべきことがあるにもかかわらず、どうしようもない過去を持ち出すことが望ましいとは思えません」


 ルーは容赦なくクウヤをたしなめる。がクウヤは収まらない。


「どうしようもない過去……? ああそうだよ、もうどうしようもないよ、そのとおりさ!」


 クウヤの抑えきれなくなった憤りがほとばしる。いつもとは異なるクウヤに全員が驚きと戸惑いを隠せない。


「考えまい、考えまいとしても何かの拍子で聞こえるんだ……あそこの、あそこで起きたことが頭の中に映るんだ! 何度頭を振っても消えないんだ……消えないんだよっ!」


 クウヤの絞り出すような声に全員が絶句する。感情をむき出しにし、取り乱すクウヤにかける言葉を誰もすぐにみつけることができなかった。

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