第121話 クウヤ出撃
「……クソっ、何もかもうまくいかん!」
公爵は港から帰る道すがら、悪態をつく。
彼の目論見は最終的にクウヤたちの関与によって破綻した。
公爵にとって不要な存在であるドウゲンの政治的抹殺は自らの企みにより成功した。そこまでは公爵の思惑通りだった。しかしドウゲンの
クウヤとドウゲンの命がけの戦いは結果として帝国臣民の心をつかみ、クウヤへの心象を上げてしまった。そのため、クウヤを政治的に追い詰め、連合軍の象徴から追い落とすことに失敗した。
のみならず、この件により連合軍のクウヤに対する感情も好意的にしてしまい、連合軍の主導権を自らのものとすることができなかった。
そのため効果的な対応策もなく受け身になってしまった。
謀を武器として帝国宰相の地位を築きあげた公爵には謀で失態をさらすことは我慢ならない恥辱である。
しかも港でカウティカの
あまりの恥辱に公爵は冷静に考えることを放棄してしまった。あるのは己の恥辱をいかに晴らすかということのみである。その目にはもはや現実の自分の立場は映らなくなっていた。
「やむを得ん……もはや選択の余地はない。この世は渾沌にまみれるだろう。その責は奴らにある。渾沌への道を開いたのは奴らだからな……我は……その渾沌を……ふふふ……ふはは……」
公爵の目にほの暗い色が宿る。
――――☆――――☆――――
カトレアがリクドーへ発って数日が過ぎた。クウヤたちは皇帝のもと、連合軍の象徴としてふさわしい振る舞いと教養を身につけるべく、勉学と訓練の日々であった。
今日もクウヤたちは訓練場で汗を流している。
「ところで聞きたいのだが……」
クウヤと共に勉学と訓練をしているエヴァンが不服そうにクウヤに尋ねる。
「なんで俺もベンキョーやら訓練やらしないといけないんだ? カンケーないだろう。そりゃ、今まで色々魔物と戦ってきたけど、軍の象徴とか俺みたいな平民がなるものじゃないだろう?」
エヴァンは自らが何の地位も責任もない平民であることを強調する。
平民出身の軍人が武功上げ、軍の幹部クラスへ引き上げられることは少ないながらもある。しかし、エヴァンはさしたる武功を上げたわけでもなく『軍の象徴』の近習として扱われ始めていた。
カウティカ代表の娘と侍女であるルーとヒルデにはそのような扱いは慣れたものでしかない。一方、特に上昇志向が強いわけでもない彼にとっては迷惑でしかなった。
形式的であっても地位があがれば当然色々と煩わしいことが増えてくる。望まないやっかみなどトラブルが向こうからやってくるようになる。そういったことから逃げたいと思っていた。
「それにヒルデやルーも一緒ってどういうことだ? 彼女らは仮にもカウティカのえらいさんだろ? 一通りできるだろう……俺みたいな平民と違って」
エヴァンは自分だけ関係ないことを主張することに引け目を感じているのか、ルーたちを巻き込もうとする。ルーはやや冷ややかな目をしていた。
「……ま、そうだな」
クウヤは特に説得もせず、あっさりエヴァンの言葉を肯定する。
思った以上に簡単にクウヤが肯定したのでエヴァンはホッとする。
その顔を見てクウヤはかすかに口角を上げる。彼は薄黒い笑みを浮かべ、おもむろに口を開く。
クウヤの何か含みのある黒い笑みが偶然エヴァンの目に入ってしまった。エヴァンの脳裏に嫌な予感がよぎる。
「……今までご苦労だったな。おつかれ。あ、そうそう、リクドーまでは自費で帰れよ」
クウヤはエヴァンの肩をたたきながら抑揚なくエヴァンへ言い放つ。
エヴァンは何を言われたのか、一瞬理解できず呆けた顔をしている。
「……ち、ちょっとまて、何もそこまで言わなくてもいいじゃないか。仲間だろう? なっ? なっ?」
やっとのこと何を言われたのか飲み込んだエヴァンはあわてふためき、なんとか取り繕おうと焦る。
「エヴァン、短い付き合いでした。今までのこと忘れません」
ルーも出てもいない涙を拭いながら、追い打ちをかけるように抑揚なくエヴァンをねぎらいの言葉をかける。
「まてまて、お前らおかしいだろう? 艱難辛苦を分かち合ってきた仲間じゃないか。だろう……? おい、ヒルデなんとか言ってくれ」
クウヤだけでなくルーにまで絶縁宣言されたと思ったエヴァンはヒルデに助けを求める。エヴァンはヒルデに目を合わせようとするが、ヒルデは一向に合わせようとしない。
「……エヴァンくん。やっぱり、平民階級の人は市井に暮らすのが一番だと思うの」
完全に孤立状態のエヴァンは呆然と立ち尽くす。
「お……おーい、どうしたんだよ、みんな。俺は、俺はお払い箱ってこと……?」
エヴァンの目は完全に涙目である。そんなエヴァンをみかねたのかヒルデが説明を始める。
「……エヴァンくん、気を悪くしないでね。私たちの中で貴方一人なの」
「な……何が? 何が一人なの?」
「貴方だけなのよ。自分の意思で連合軍との関わりを選べるのは」
エヴァンはまだヒルデの言いたいことが飲み込めていない。
ヒルデはさらに説明する。
「クウヤくんは当然連合軍と関わらないといけないのは分かっているわね。るーちゃんと私も立場上、
エヴァンにもそこまで言われて、なんとなく引っかかるものがあったらしい。納得はしていないが事実関係で言えば、ヒルデの言葉を肯定せざるを得なかった。
「……だから、貴方には自分の意思で選んでほしいの。これからどうするか」
ヒルデは目をうるませ、上目使いでエヴァンを見る。手を組み、祈るような仕草にエヴァンは思わずヒルデを抱きしめたい衝動にかられる。
「……わかった。お前らの気持ちはな」
エヴァンはヒルデの肩に手をかけ、神妙な顔で答える。
「でも、俺は降りないぜ。俺たち仲間だろう? これからもお前らと一緒だ!」
エヴァンは会心の笑みで答える。親指を立て、口元からわずかに見える白い歯が光る。
「……本当だな?」
クウヤがやけに深刻そうに尋ねる。エヴァンは訝しげにクウヤを見返す。
「ああ。当然だろ? 俺たちは”イチレンタクショウ“だ」
「本当にいいんだな?」
「くどい! 嘘偽りのない気持ちだ」
その言葉を待っていたかのようにクウヤが黒い笑みを浮かべる。エヴァンの額に一筋の汗が流れる。
「じゃ、もうひと踏ん張りしてもらおうか」
エヴァンの全身がほのかに光る。クウヤが魔法使った。
とたんに全身に重りを付けられたかのようにエヴァンの動きが鈍る。
「クウヤ、てめぇ何やった!」
クウヤは実に黒い笑みを浮かべ、嬉々として語り始める。
「一蓮托生って言葉、いい言葉だな。良いときも悪いときもどんなときも一緒にいて分かち合うって意味だよなぁ……エヴァン? 当然一蓮托生なら、お仲間のエヴァン君にはもっと訓練してもらわないと。いや何、ちょっと魔法で身体の動きを制限したけだから」
クウヤはただ単に訓練に文句を言うエヴァンの課題を増やしただけであった。
「クウヤ、てめぇ覚えてろぉ!」
エヴァンの叫びは訓練場に響く。
ルーは腰に手を当てふんぞり返り、ヒルデは若干涙目ですまなそうにエヴァンを見ている。
クウヤたちはまだ平和である。
――――☆―――☆――――
「陛下! 陛下!」
「何事か、騒々しい」
執務室で政務を行っている皇帝のもとを緊急の伝令が訪れる。よほどの緊急事態で報告に来たのか、皇帝の前でも息が整わない。
なんとか伝令は息を整え、皇帝に言上する。
「リゾソレニアより火急の知らせです。魔物の軍団の再侵攻が始まりました! 知らせによると未確認ですが、大魔皇帝が復活した可能性があるとのこと!」
執務室内にいた全員が凍りつく。しかしこのような状況であっても皇帝は動じない。少なくとも、驚きの表情を顕にすることはなかった。
「……公爵は何処に?」
「陛下、申し訳ありません。宰相閣下の所在は不明です。関係各所をさがしたのですが……」
伝令は皇帝に謝罪する。しかし皇帝はその謝罪を途中でさえぎる。
「よい、気に止むことはない。いないもののことをとやかく言っても仕方がない」
皇帝はそう言って公爵の件は打ち切る。そしておもむろに口を開く。
「連合軍の初陣じゃ、すぐに準備せよ。連合軍にリゾソレニア支援を命じろ。それからリゾソレニアの状況を仔細に逐一報告せよ。あとは――」
皇帝は配下へ矢継ぎ早に指示を出す。指示を出すと一瞬瞑目し、何事か考え事をする皇帝。目を見開き、厳かに命じる。
「――あの小僧たちに知らせてやれ。すぐに出発だとな」
皇帝の命が下るやいなや、配下のものは各々の任務を果たすため、関係各所へ散っていく。
一人残された皇帝は窓辺に立ち、あてもなく窓の外を眺める。
「さて、いよいよくるものが来たな。あの小僧が上手く立ち回ってくれるといいが……」
皇帝は一旦思考を止め、眉間にしわを寄せる。
「あの狸もあぶり出さないとな。あの狸め、今どこで何をしているのやら……」
眉間にしわを寄せたのは窓の外からの光がまぶしかっただけではない。
「いずれにせよ、この戦いは世界の勢力分布に大きく影響する。むしろそちらのほうが我が帝国には重要だ。いかにしのぐか……」
窓の外には肉食の鳥が獲物を探し、地上を舐めるようににらみ旋回している様子が見える。何事か考える皇帝の目はその鳥と同じであった。
――――☆――――☆――――
「まったく……何の前触れもなくやってくるなんて。面倒極まりないわ」
前触れなく、リゾソレニアを襲撃している魔物の軍団が現れたことに憮然とした表情でルーがボヤく。ルーの目の前には青く光る海原が広がり、どこからともなく飛んできた海鳥たちがクウヤたちの乗る船を追いかけている。
魔物の大集団によるリゾソレニア襲撃の報を受け、クウヤたちは一路、海路でリゾソレニアへ向かう。連合軍の派遣部隊第一陣の輸送船に便乗していた。
「まあ、そう言うな。出番が回ってきたのだからせいぜい気張らないとな」
クウヤはそう言ってルーをなだめる。
クウヤは思う。魔戦士の力を示し、己の真価を世に知らしめるまたとない機会であると。が、それに仲間たちを無理に付き合わせる必要もないなとも思っていた。
「……もし……だ」
「もし……? 何でしょう、クウヤ」
ルーはクウヤのほうを振り向き、小首を傾げる。
「この戦い、無理に付き合わなくても良いって言ったらどう思う?」
伏し目がちにためらいながら聞くクウヤを蔑んだ冷たい目でルーはにらむ。
「……アホですか貴方は」
ルーは左手を腰に当て、右でクウヤを突き刺すように指差す。
「もう引き返す限界点をとっくに過ぎた状況で、そんなこと言われても意味がないと思いますが」
額に手を当て盛大にため息をつき、ルーはクウヤをののしる。
「ヘタレを通り越すのも大概にしてください。どうして貴方はこうもおマヌケなんですか?」
「……い、いや、もしもの話で実際にそういうつもりは……」
「お黙りなさいっ! もう貴方は連合軍の象徴なのです。貴方の弱気は軍の士気にかかわることをもっと自覚してください」
ルーはクウヤの反論を許さず、一方的に攻め立てる。クウヤはその勢いにたじたじになり二の句が継げない。
「クウヤ、不安なのはわかりますがもっと自分の立場を理解してください。私たち――私は《・・》いつでも貴方の味方です……何があっても私は……貴方のそばに……」
言いたいことを言うだけ言ったルーは何かを言いかけてもじもじしている。クウヤはルーの態度の急変についてけず、思考停止したままぽかんとしている。
それでも、何か言いかけたことはわかったので、クウヤはルーが言いかけたことを確認しようとルーに真顔で聞いてみる。ルーの顔は少し上気しているように見えた。
「何があっても……? 何?」
クウヤはルーに力いっぱい殴られた。クウヤはきれいに放物線を描き、甲板に転がる。
「クウヤ、いちゃついているとこわりぃがお仕事の時間だ」
エヴァンが息せき切ってクウヤのところへやってきた。
クウヤは殴られたところをさすりながら、エヴァンをみる。
「この光景を見て何故いちゃついていると……」
「細かいことはどうでもいい! 来るぞ、厄介なお客さんが大勢な!」
エヴァンにそこまで言われ、彼が指差す方向の水平線をみる。船に向かって一直線に向かってくる何者かが見える。
「やれやれ……」
クウヤはエヴァンから愛剣を受け取り構える。
「やるか!」
襲い来る魔物に刃を向けた。
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