第120話 公爵の失態
「……気に入らん」
公爵は不満を隠そうともしない。帝都にある施政府の執務室でただひたすら、呪詛の言葉を紡いでいた。
公爵が不機嫌なのは自らの謀がほぼ思い通りに運んだはずなのに、状況が自分の望んだ状況になっていなかったからだ。
「皇帝を丸め込んで、目障りな不良品を処分したというのに……なぜ、ヤツが居座ったままなんだ?」
確かに公爵が目障りになったドウゲンを貶め、少なくとも政治の表舞台には現れないよう追い落とすことに成功した。しかし、ドウゲンが表舞台から退場したというだけで、依然クウヤは連合軍の旗頭のまま留まり、父親の不祥事にもお咎め無しである。公爵はドウゲンと同時にクウヤの失脚を狙い、連合軍への介入の口実にしょうと企てていた矢先、クウヤの現状維持を知らされ、面白くなかった。
むしろ、公爵の謀のせいでクウヤの株は上昇してしまった。皇帝の代理人として父親と剣を交えたことで『忠君の魔戦士』というイメージを帝国全土に広げてしまった。公爵は自らの詰めの甘さを呪う代わりにクウヤをなんとしても追い落とすことに躍起になっていった。
「必ず小僧を排除してやる! 必ずなっ!」
公爵は邪な決意を新たにし、クウヤを追い落とすことに血道を上げることになる。
一方、公爵から一方的に恨まれたクウヤは悩んでいる。帝都の一角、皇帝からあてがわれた宿舎で一人悶々と自問自答を繰り返している。
「……まったく。ああは言ったものの、どうしたものか」
あてもなく頭を悩ませるクウヤであった。現状でクウヤができることは多くはなかった。
連合軍の旗頭である彼なら最前線に行けば魔物の掃討することなど朝飯前でできるだろう。しかし現状現有兵力でなんとかなっている上に大魔皇帝の復活がいつのことかわからない。現状で大魔皇帝が復活したときに彼以外にまともに対応出るものはいない。そのため、おいそれと最前線に出るわけにも行かなかった。
またその威光を利用して諸外国を回って根回しというのもクウヤの仕事では無い。その手の仕事は皇帝とその周辺の取り巻きの領分であり、また学園長と『火種と火消し』の領分でもあり、そういった謀略の素人であるクウヤがしゃしゃり出る幕はない。一番すぐ簡単にできることはただひたすら待つことであるが、その時間がクウヤには耐え難かった。
「また貴方はわけのわからないところで考えているのですか?」
聞きなれた毒のある言葉に思わず手を額あてるクウヤ。その声の主は妙に胸を張り、ビシッとクウヤを指差し、彼の前に立ちふさがる。
「あのぁ……毎度のこととはいえもう少し言いようはないのか? こっちはいろいろ抱え込んでしまってんだ」
もはや呆れる以外の反応ができなくなったクウヤは声の主に抗議する。
「何を言っているのです! こんなところでヘタれている貴方が悪いのです! いいかげんヘタれを卒業したらどうですか?」
ヘタレているクウヤを貫かんばかりに指差し、腰に手を当てながら断罪するルー。クウヤは顔に手を当て『いいかげんにしていくれ』と言わんばかりのあきれ顔を彼女に向けている。
「貴方はもう連合軍の象徴なんですよ。その象徴が悩んでどうするのです? 末端の兵たちが今の貴方を見たらなんて思うでしょうね」
「わかっているよ、そんなことはね……」
クウヤ自身もよくわかっていることを改めてはっきり言われると、イライラが募りクウヤはさらに不機嫌になる。それでもルーは口撃をやめない。
「貴方は一体何をしたいのですか? 何かあるごとにそんなにヘタれて……。魔戦士の力はただの飾りなんですか?」
ルーの容赦ない言葉にクウヤはたじろぐ。しかし、その言葉でかつて自分が口にした言葉を思い出す。父ドウゲンに詰問され吐露した言葉を。
「魔戦士の力は……魔戦士の力は、この世の歪みを正す力だ。大魔皇帝というこの世の歪みを正し、改めてやり直すんだ最初から。魔戦士の力はそのための力だ」
しぼりだすような語り口にルーは何かを納得したような満足げな
「……やっと戻ってきたね、クウヤ。クウヤはそうでないと。私のクウヤは……」
「俺が……? ……何?」
途中まで言いかけて、それ以上話すことをやめてしまう。クウヤはうまく聞き取れなかったので、ルーの顔を覗き込み続きを聞こうと待ち構えている。恥ずかしさでクウヤと目を合わせる事の出来ないルーは視線をはずすがクウヤがそうはさせないと追いかける。
「ぐはっ……」
あまりしつこく追いかけたので、クウヤはルーから一発食らった。クウヤは悶絶し、思わず腹を抱え込みうずくまる。そんなクウヤを冷ややかな目で見つめ、ルーは発破をかける。
「そんなことより、ちゃんとしてね。連合軍は貴方が頼りなんだから。大魔皇帝が復活したらそれこそ出番なんですからね」
「ああ、わかっている」
ルーに殴られた場所をさすりながら、クウヤは答える。
「それはそうと、お義母さまがリクドーへ戻られるそうです。お見送りにいかなければ」
ルーはそそくさと身支度をするために自室へ戻る。クウヤは一人取り残されたが、ゆっくりと立ち上がり、自室へむかう。
「クウヤくん。大丈夫?」
「え? 何が?」
後ろから突然声をかけれられ、振り返る。そこにはヒルデが申し訳なさそうに立っていた。
「だって、るーちゃんがひどいこと言ったでしょう? るーちゃんにはいつも人には優しくしなさいって言っているんだけど……」
「いや、いつものことだからどうってことはないよ。アイツは照れ屋みたいだしね」
クウヤが白い歯を見せ、親指を立てるとその様子を見てヒルデはホッと一息つく。
「そうよねぇ、るーちゃんはもっと素直になれればいいんだけれど、なかなかなれないのよね。わがまま娘で素直じゃないけど、見捨てないでね」
「心配ご無用。見捨てたりなんてしないさ」
それだけ言うと満足したのかヒルデもルーの部屋へ向かっていく。
「……しかし、ヒルデは何が言いたかったのだろう?」
クウヤはは首を傾げるだけで、ヒルデの真意は分らない。
「おっと、急がないと」
クウヤは身支度を整えるため自室へ急ぐ。
――――☆――――☆――――
港には多くの人が集まり、船の出港を待っている。
すでにリクドー行きの船の乗客は乗船をほぼ終えている。
残るはカトレア一行のみといった状況になっている。
通常、カトレアほどの身分であれば、専用の船が用意されるものであるが立場が立場である。一時とはいえ謀反人の誹りを受けた者の伴侶に特別な配慮はない。
それゆえ一般人と同席という、貴族の立場からすれば嫌がらせともとれる扱いしかされなかった。
それでも、カトレアはそのような扱いも自ら受け入れている。少しでも自分の伴侶と労苦を分かち合いたいとでも言いたいように貴族に対し貶めるような扱いをされても少しもひるむ様子もなく、進んでその扱いを受け入れている。
そんなことは関係なくクウヤは仲間たちとカトレアの見送りに来ていた。
「……クウヤ、これから大変なことがいくらでも起こるけど負けないで。貴方なら必ず乗り越えられるわ。母はそう信じています」
カトレアはいつになく神妙な面持ちでクウヤに語り掛ける。クウヤも真剣にその言葉を受け止めている。
「おやおや、感動的な親子の別れの場面には少しお邪魔かな?」
聞き覚えのある嫌味な声にクウヤたちが振り向く。そこには公爵が嫌味な笑みを浮かべ立っていた。
「……これはこれは公爵閣下。このようなとこまでどのようなご用向きで?」
カトレアが凍りついた笑みを浮かべ慇懃に公爵を迎える。公爵はさすがに自分の実娘にそんな対応をされることを予想していなかったのか、珍しく素の苦笑いを浮かべる。
「……カトレア、親子ではないか。親子が面会するのに大義名分は必要なかろう?」
そう言われてもカトレアは凍てついた笑みを絶やさない。その様子にクウヤも反応する。
「それで、お
「親子そろってつれないな。まぁ、よい。親族の別れだ、しばし別れの雰囲気を味わってもバチは当たるまい。貴族の親子の惜別の場面に余計な茶々を入れる無粋な平民はおるまいて。少なくともこの帝都の平民ならば身の程をわきまえておるはず」
公爵はクウヤ親子の態度をものともせず、飄々とした尊大な態度を取り続ける。
「親族ですか……ま、形式的にはそうですね。今の今まで失念していましたが、確かに閣下と私は『親子』でしたね。老婆心ながら忠告いたしますが、公爵閣下の見送りとはいえあまり長引くと閣下の評判にも影響すると思いますが? あまり平民を見下さないほうが御身のためですよ」
やんわりとだがカトレアが冷たく言い放つ。カトレアにしては珍しく直球の公爵に対する批判だった。
「……相変わらずだな、カトレア。本来ならお前は路地裏で野垂れ死にしていてもおかしくない分際なんだぞ。わざわざ嫁ぎ先まで用意してやった恩を忘れたとよもやいうまいな?」
あまりにも否定的なカトレアの態度に公爵は怒りを隠さない。あからさまな脅しの言葉にクウヤたちの警戒感が最大限に高まる。
「ええ、もちろん忘れてなどいませんわ。ついでにいえばせっかく用意していただいた嫁ぎ先の
いかなる状況においても、努めて平静で温厚な態度をとってきたカトレアが公爵に対し、敵意をむき出しにする。そのさすような視線で公爵を射抜く。
温厚な性格のカトレアですらここまでの怒りを示す公爵とはいかなる人物かクウヤは改めて認識した。その思いは仲間たちも同じであった。
「……貶めたわけではない。わしは帝国宰相としてその責を果たしただけだ。そのような言われようをされる覚えはない! まったくあの男にかかわった人間はどうしてこうも反抗的で愚かなのか……」
公爵は話しながらふとクウヤたちのほうを見る。見ればカトレアだけでなく、クウヤをはじめとする仲間たち全員が公爵を批判するような目で見つめていた。言葉にこそ出していないが、公爵に対していい感情を持っていないことがあからさまにわかるような目をしている。
「公爵閣下、差し出がましいでしょうが一言よろしいでしょうか?」
ルーが公爵に願い出る。公爵は怪訝な目でルーを見ている。
「カウティカの姫君か。貴国は内政だけでなく家族の問題にも口を出す習慣でもあるのかね? 家族の問題に口を挟まないでいただきたい」
公爵が不遜な態度でルーの申し出を断る。しかしそれさえ予想の範囲内だったのか、ルーは公爵の言葉を無視して話を続ける。
「……今回のことの真相は帝国のものでない私ではわからないかもしれません」
いったん言葉を切ったルー。公爵は『あたりまえだろう』という顔をしている。
「しかしわかることもあります。公爵閣下、貴方は帝国のために動いていない。私の目から見れば、主君に謀を仕掛け仇なす奸臣に見えます」
ルーの指摘に内心動揺したが面子もあり、表情に表すのは達なんとか耐える公爵。
「な、なにをバカなことを……いくら姫君とはいえ言っていいことと言ってはいけないことがあることぐらいお判りでしょうな。一国の宰相に対し、いささか礼を欠いたお言葉ではないかな?」
外交的に問題にならないよう言葉は選んでいたが、公爵はルーに対し怒気を隠さなかった。
「ではなぜ申し訳程度の申し開きの機会しか与えず、すぐさま処分について陛下に上奏されたのはいかなる理由か教えていただきたい。まるで最初から罪状に関わらず処分することを前提に考えていたように見えるのですが」
ルーは公爵を追求する。公爵は無表情のまま、ルーを睨む。
「……わしは帝国の
公爵は話をすり替え、ルーが追求しにくい方向へ誘導しようと図った。わざわざルーのことを『カウティカ第三公女』と呼んだのもこれ以上むやみに追求するなら、外交問題にするぞという暗黙の警告だった。
「皆さん落ち着いて!」
一触即発の剣呑な雰囲気をヒルデの一言が断ち切る。
「ルーシディティ様、それ以上は内政干渉になります。おやめください」
ヒルデの一言に納得いかないルーは憮然とする。特にかなり格式ばった状況でないと使うことのない呼び方をされたことが納得がいかない。
一方公爵は自分の主張の援護者が現れたと思い嫌味な笑みを浮かべる。
「それから公爵閣下、子供の戯言をいちいち真に受けるとは何事ですか。それとも我が姫君の指摘が的を射ていたということですか?」
続けられたヒルデの一言に今度は公爵が憮然とし、顔を紅潮させる。公爵もバカではない。ここで声を荒らげればルーの指摘を事実と認めてしまうことをよく分かっており、拳を握り喉まで出かけた罵声をなんとか飲み込んだ。
「ま……まさか……そ、そんなはずあるまい。いささか
公爵はそそくさとその場を退場する。
その光景を目の当たりにしたクウヤと仲間たちは全員目を丸くしている。いつも控えめな彼女が大胆な行動に出たからである。
「……ヒルデさん、ありがとう……」
カトレアはなぜか感謝を意を述べる。他のメンバーは何が何だか分からず戸惑うばかりだった。
「……い、いや……出過ぎたマネしました。すいません……」
あれだけ公爵に対し強気な態度を見せたヒルデはいつもの控えめな彼女に戻っていた。
「お義母さまどういうことでしょう? 今のやり取りに納得がいかないのですが」
ルーが憮然とした表情で目の前で起きたことの説明を求める。
「簡単なことですよ。私も貴女も感情的になって、公爵を追求していたじゃないですか。あのままだったらどうなったと思う、ルーさん?」
カトレアにそう言われ、考える目をするルー。
「……あのままだと……公爵は外交問題化し……国交断絶……いや、戦争の可能性も……!」
さすがにカウティカの第三公女である。そのあたりの察しはいい。
「そういうことです。ヒルデさんの機転がなければ引くに引けないとこまで行くところでした。当然私も帝国に弓引く者としての処分が待っていたでしょう」
カトレアは改めてヒルデの手を握り礼を言う。カトレアの説明にルーは改めて自分の迂闊さに唇を噛む。
「私も迂闊でした。でもあの人のことで感情を抑えられませんでした。貴女の一言が私とルーさんを危機から救ったのです」
「い、いえそんな……私はただるーちゃんが危ないと思ったから……」
「それでもいいの。ありがとう、貴女のその想いが危機から救ってくれたのだから」
カトレアの最大限の謝辞に恐縮するだけのヒルデだった。
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