第119話 新たな謀の始まり

「……どうして」


 試合が終わり、控室で一人膝を抱えるクウヤ。


 試合は子爵の試合続行不可能ということで、終了し形式的にはクウヤの勝ちということとなった。


 しかし、クウヤは子爵の大量出血を直接見た衝撃から立ち直れなかった。当然あの場で出血を子爵に強いたのはクウヤ以外いない。言ってみれば皇帝公認の親殺しになったのである。


 クウヤ自身この結末について薄々ではあるが予想していた。しかしそんな結末について想像したくなかったと言ったほうが良いだろう。観衆と皇帝の面前で親殺しをしなければならない苦渋から、最悪の結末について考えようとはしなかった。


 それでも、クウヤは結局親を手にかけた。


 おそらく、誰もクウヤを責めないだろう。帝国の最高権力者公認の試合上のことだからである。しかし、クウヤはそれでも自分を責めずにはいられなかった。この結果を想像できたが故に、悔やまずにはいられなかった。


 もともと名もしれぬ森の奥の寒村の生き残りであるクウヤが貴族の家の長子として跡取りになること自体異例である。言ってみれば街のスラムやゴミ溜めに巣食う浮浪児が有力貴族の跡取りになることと同じである。普通ならそんなことはありえない。社会の最底辺から引き上げ、一人の人として生きることができる階層へ引き上げたのは養父たるドウゲンだった。そんな大恩ある養父と真剣勝負とはいえ、手にかけることがいかなる大罪かこの世界の常識に照らせば明らかだった。


 この世界では貴族の家長といえばその家の絶対君主であり、神聖にして不可侵の存在である。神聖にして不可侵の存在を手にかけることがどれだけ不敬で罪深いことか、どれだけ言葉を重ねようと言い訳のしようのない大罪だった。それだけでなく、ドウゲンに拾われなければクウヤはおそらくあの暗い森の奥で野垂れ死にしていたであろう。いわば命の恩人に手をかけたのである。


 道端の小石ほどの価値もない自分がそんな大罪を犯してしまった。

 

 例えようのない自責の念が湧き上がる。自責の念がクウヤの精神こころを蝕んでいる。


「……クウヤ、大丈夫?」


 不意にかけられた言葉に反応し、声の主のほうを見る。そこには養母がいた。


「……は……は、母上」


 クウヤは自分の思いを言葉にしようとした。しかし、その言葉は口から外に出ることはなく、ただくぐもるだけだった。


「……僕は何て罪深いことを……父上を……この手で……」


 クウヤは嗚咽し、最終的には何を言っているのかわからない涙声になる。カトレアは何も言わず静かにクウヤの言葉をただ聞いている。


「……心配ないわ、クウヤ。あなたのお父さまは全てわかったうえでこの試合に出たのよ。あなたには何の罪も落ち度もない。安心しなさい」


 カトレアはやさしくクウヤを諭す。しかしクウヤにはなかなか伝わらない。クウヤの顔には明らかにカトレアの言葉に不信感を抱いている不安な表情が浮かんでいた。


「しかし……このままでは……」

「だから、大丈夫と言っているでしょう? すべてはあなたのお父さまの差配に任せれば万事問題ないわ。それとも、あなたは父上を信じられないの、クウヤ?」


 そこまで言われてクウヤは考える顔になる。クウヤが望むのは自分の行為がこれからの家の将来や家族などに悪影響を及ぼさないという保証だった。自分の養父の差配であれば……彼にとってぎりぎり信じられるものである。


 そこまで来て、クウヤは自分のうちにたまりにたまったものがこみ上げてくる。


「大丈夫よ。今ここには私とあなたしかいないわ。出すものをすべて出してしまいなさい」


 そういうとカトレアはクウヤの横にそっとすわり、優しく抱きしめる。クウヤはたまらず内に秘めたものがあふれだし、カトレアの胸にうずもれる。


「……あなたは抱え込みすぎているのよ。まだ年端も行かないのに。大丈夫よ、すべて任せなさい」


 クウヤは自分が転生者で見かけはともかく、中身は年端の行かない子供ということはないのだが、そんなことすらキレイに忘れ、カトレアにすがった。

 

「……落ち着いた。そろそろこれからの話をしないといけないのだけど」


 クウヤをなだめながら、カトレアはそう切り出した。クウヤは一抹の不安を抱えながらカトレアの話を聞いている。


「まずお父さまが不在の今、新しい当主を決めねばなりません。これはわかりますね?」


 いたく真剣な眼差しでカトレアはクウヤに問う。クウヤも真顔でうなづく。


「次期当主は……あなたの弟、ソーマとします。いいですね?」

 

 子爵夫妻の実子である弟が家の跡継ぎになることにはクウヤはなんの異存もなかった。もともと廃嫡してもらってでも、自ら当主の座から降りようとしていたクウヤである。


「……当然あなたは廃嫡となります。そこまではあなたも望んでいたことだから、特に異論はないですね?」


 クウヤはただうなづくだけだった。肩の荷が下りたような一抹の開放感と得体のしれない喪失感とがクウヤの心を満たす。それと同時にまだ幼い弟の代わりに誰が家の差配をするのか気になった。


「それで、ソーマが成人するまで私が当主代行となります」


 クウヤは少し驚く。今まで決して表に立つことのなかった母が、家長としてその重責を担うと宣言したに等しいからだ。


「母上が……?」

「なんです、クウヤ? 何か問題でも?」


 訝しい顔をしているクウヤを見て、カトレアは若干不服そうに尋ねる。


「いえ……問題があるとかではないのですが……」

「何を心配しているのかわかりませんが、家のことはこの母に任せなさい。あなたにはやるべきことがあるでしょう」


 カトレアは自信有りげに微笑む。クウヤはそう言われてはじめて自分が抱えている問題を思い出す。


「……わかりました。家のこと、お願いします」


 クウヤは力なく母にお願いする。彼が取り組まなければならない問題は山積みだった。


「さ、辛気臭い顔をやめて前を見なさい。あなたは一人じゃないのよ。少なくともあそこにいるから」


 カトレアは半開きになっている扉のほうを見てから、クウヤへ微笑む。何のことかよくわからなかったクウヤは扉のほうを見る。わずかに見え隠れする黒髪を認める。よく見慣れた黒髪だった。


「行きなさい、クウヤ。もうあなたは家に縛られる存在じゃないのよ。帝国だけでなくこの世界全体を変えるかもしれない力を持っているのだから」


 カトレアに促され、クウヤは立ち上がる。


 クウヤは扉に向かい歩いていく。その後ろ姿には力強さが戻っていた。カトレアは司うかに微笑んでその後姿を見送った。


――――☆――――☆――――


「……クウヤ、大丈夫なの?」

「大丈夫って何が?」


 ルーがクウヤに尋ねる。ルーはクウヤの立ち直りが今一つ信じられなかった。


「何がって……ちっさい子が迷子になって泣きじゃくっているみたいな表情でうずくまっていたじゃない。それなのにお義母さまと話をしただけで復活するなんて……」

「ん? ま、大丈夫なものは大丈夫さ。心配かけたな」


 照れ臭そうに苦笑いするクウヤ。

 クウヤの瞳を不安げにのぞき込むルーの髪を優しくかき上げる。ルーは一瞬、目を見開きクウヤをみるがすぐにクウヤのされるがままになる。


「……もう、貴方がそんなだから私の苦労がなくならないのよ。そのことわかってますか? この埋め合わせはきっちりしてもらいますからね」

「へいへい、仰せのままに」

「なんですか、その返事は。本当にわかっているのですか? 本当に……。ん!?」


 クウヤは口うるさいルーの口を自らの指でふさぐ。優しく彼女の顔を両手でつつみ、そっと彼女の額に口づける。突然のことに、ルーは完全に意識が飛んだ。静かに離れると、明らかにルーの顔は上気し、目の焦点が合っていない。


「な……なんですか……い……いきなり……」


 ルーはかたちばかりの抗議をするが、その抗議には力がない。誰が見てもわかるほど動揺している。目は宙を彷徨い、クウヤの顔を直視できない。


「あらあら、まあまあ……仲の良いことで」


 カトレアはコロコロと笑っている。

 クウヤたちは部屋の中からの声に自分たちの置かれたシチュエーションがかなり気恥ずかしいものに気が付き、思わず背を向けあう。


「と……とりあえず、信じろ。俺は大丈夫だ」


 クウヤは自信を持って思い切って言ったつもりだった。当然それなりのリアクションがあるものと思って、ルーを見る。ルーは不思議な顔をしてこちらを見ている。クウヤのあてはハズレた。


「何を当たり前のことを言っているのです? 私はすでに信じてますが? そんなに私を信じられないのですか?」

「い、いやそういうわけでもないのだけど……」


 いらだちを隠さず言葉責めするルーに戸惑い、クウヤはうろたえる。そんな彼をルーは半ば軽蔑したような目つきで見ながらため息をつく。


「そういうところがヘタレだと言うのです。まったくその辺は全く成長しませんねクウヤは……はぁ」

「いやいや、そんな言い方ないでしょう?」


 さすがにクウヤといえどもそこまで言われれば、色々反論したくなる。しかしルーは止まらず毒を吐き続ける。


「言い方が悪いですか? それなら、タ○ナシとでも言い換えましょうか? それとも……」

「変わってないどころかひどくなっている!」


 クウヤはどうやってもルーには勝てないと頭を抱えるしかなかった。


「まあまあ、ルーさんもそのぐらいにして。照れ隠しなら、もう少し素直にね」

「お義母さま……しかし……」

「クウヤなら、大丈夫。わかった、ルーさん?」


 カトレアは微笑みながら、ルーに圧をかける。

 さすがのルーでもカトレアには勝てない。貫禄負けしたルーは矛を収めるしかなかった。


「さあさあ、遊びの時間は終わりよ。皆さんしっかり自分のやるべきことをしてね」


 カトレアは笑みを浮かべつつ、クウヤたちに活をいれた。


――――☆――――☆――――


「公爵よ、満足か?」

「何のことでございますかな、陛下?」


 試合後、公爵は皇帝と謁見していた。公爵は愛想笑いのつもりで皇帝に笑みを向ける。しかしその笑みは皇帝から見ると下卑たいつもの笑みでしかなかった。皇帝は公爵の下卑た満足げな笑みに不快感を感じ、一言言わずにはいられなかった。

 公爵は下卑た笑みを崩さず、皇帝の質問を質問で返す。皇帝を自らの企みに加担せざるを得ない立場に追い込み、目の上のコブであった子爵を表舞台から退場させたことで、公爵の企みを阻むものは当面現れそうもなかった。そのことが公爵を増長させている。


「今回のこと、満足か? 自らの手を汚さず……考えたものよな」

「臣には何のことかわかりかねますな、陛下。臣は常に帝国のことを案じる陛下の忠実な下僕しもべにございます。陛下におかれましては些事には御心を悩ませぬよう申し上げます……」


 公爵は慇懃に臣下の礼を取る。皇帝にはその姿が腹立たしく、目障り以外の何物でもなかった。うやうやしく下げた頭にはあの下卑た笑みが張り付いていることが簡単に想像できたからである。


「ところで、クロシマ家の処分いかがなさりましょうか? 当然それなりの処分を行うのでしょうな?」


 公爵は勝ち誇ったように皇帝へ尋ねる。


「クロシマ家への処分か……実はな、当のクロシマ家よりとある申し出があってな」


 皇帝は公爵に黒い笑みを向ける。公爵は皇帝の謀の気配を察する。


「クロシマ家は当主を変えると申し出てきてな。当主は次男にするそうな」

「……次男ですと? クウヤは……長男であるはずのクウヤはどうなっているのですか」


 公爵は予想外の事態にわずかながら動揺を見せる。その姿に皇帝はほのかに愉悦の笑み浮かべる。


「ヤツは自ら廃嫡を願いでおってな。その希望をかなえてやったということだ」

「……それではあの家は幼子が当主ではないですか! 誰が当主の補佐を……」


 公爵の疑問は当然だった。貴族の当主が何らかの理由で幼子になった場合、親族の有力者が後見人となり実質的な当主となることが通例だった。クロシマ家の場合、当然親族の有力者といえば公爵に声がかかるはずであった。しかしそんな話は公爵の耳には届いていない。自分の思惑が外れ、そのことが公爵には納得できなかった。


「クロシマ夫人が息子の成人まで当主代行をするとの申し出じゃ。なかなかできた娘よのぉ、公爵よ。出来の良い娘を持つと鼻高々であろう、のう?」

「……は、はぁ」


 皇帝はうっすら脂汗をひたいににじませる公爵の姿を見て愉悦に浸る。今までの謀に対するささやかな仕返しができたことに満足げな笑みを浮かべる。公爵は表立って皇帝の言葉を否定することができず、これまで築いた皇帝に対する優位が大きな音を立て崩れ落ちた感覚に陥った。


「ま、良いわ。これで今回の件についてケリもついた。お主も枕を高くして眠れるであろう、のう公爵よ。ふっはっはっはっ! 下がって良いぞ」


 皇帝は公爵にそう告げると徐に玉座から立ち上がり外套をひるがえし、謁見の間を出ていった。

 公爵の企みを笑い飛ばすような皇帝の高笑いに公爵は密かに拳を握りしめる。 


「……おのれ、カトレアめ。わしをたばかりおったな。この借りは何倍にして返してもらうぞ、覚えておれよ……!」


 公爵の苦し紛れの咆哮は誰もいなくなった謁見の間に虚しく響いた。                    

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