第103話 野営地にて
「……あらかた片付いたか。まったく次から次へと……何回襲ってくればネタ切れするんだ」
歴戦の戦士でもある隊長をしてこの言葉を吐かせるほど状況は悪かった。隊長をはじめ隊員たちもう何度目の襲撃か分からなくなっていた。一時は魔物がひっきりなしに森の奥から現れ、野営地を取り囲むほどの勢いだった。
遺跡の近くに野営して二日、襲ってくる魔物の数が増えきて、もはや調査どころではなかった。彼ら調査隊は敵軍に囲まれ籠城する以外なくなった最前線の砦の防衛隊である。
「早晩、撤退しないと全滅するな……」
誰ともなく漏れ出た言葉にもはや反論するものはなく、皆やりきれない思いを胸に絶望的な状況に落胆するしかなかった。その中でも、一人自分のペースを守ることのできた男がいた。
「……さて」
一人エヴァンが手近の魔物の解体を始める。不思議そうにヒルデがその作業を見守っている。
「エヴァンくん、何をしているの?」
「ん? ああ、メシにしようと思ってな。糧食も心もとないし、手近に新鮮な肉があるのに食わないてはないかなぁなんて思ってね」
「エヴァンくん……魔物を食べるの……?」
ヒルデには信じられなかった。魔物は排除するものであっても、利用する、特に食用とすることなど彼女には思いもよらないことだった。そんなヒルデの様子を察したのか、エヴァンが珍しくきちんとした形で説明を始める。基本的に感覚派のエヴァンは何か説明するときはほとんどが擬態語や擬音語が散りばめられた説明になりがちだった。
「どの魔物でも食えるわけじゃないんだけど、比較的雑魚の魔物なら食っても問題ない。ガキんころ、クウヤんところの侍女に仕込まれたからなぁ」
「クウヤくんのところの侍女……ソティスさんから……?」
「そうそう。ソティスの姐御、昔冒険者をやっていたことがあるらしくて、クウヤと二人稽古つけてもらっていたときに合わせて教えてもらったんだ」
そう言いつつ、手際よく魔物の皮をはぎ解体するエヴァンをヒルデは引き気味に見つめる。間もなく、魔物はいくつかの肉塊となりここまでの姿になると、ヒルデにもなんとか食材として思えるレベルになった。それでも彼女が食指を伸ばすことはなかった。
エヴァンが気づくといつの間にか隊長をはじめ、隊員たちが彼を囲みはじめた。
「エヴァン、慣れたものだな。もう冒険者として一人立ちできるんじゃないか?」
「ま、仕込みが良かったんですよ。
「……おい、遠い目をするんじゃない」
隊長は冷やかし半分エヴァンの手際をほめたつもりだったが、エヴァンが遠い目をしたので大いにとまどう。やむを得ず、話題を変える隊長。
「その人に感謝するんだな。今のお前なら、一人で魔の森を踏破できるんじゃないか?」
「まさか、まさか。そんなことを言って置いていくつもりじゃないでしょうね?」
気を取り直し、話を続ける隊長だったがその言葉に若干のトゲを感じたエヴァンは疑いの目を向ける。隊長はエヴァンの疑いの目をまったく気にせず、とどめを指すような言葉を投げかける。
「クウヤが戻らないなら、それもいいか。ま、そのときは頼むぞ!」
「カンベンしてくださいよぉ……」
そのやり取りに周りを囲んだ隊員たちにいつの間にか笑みがこぼれる。ヒルデもつられて笑みを浮かべる。
過酷な状況にあっても、マイペースをつらぬけるエヴァンは今や隊のムードメーカーだった。隊長もそのことに気づき、エヴァンをイジる。
当のエヴァンはそのことにはまったく気づいておらず、
「何を呆けているの?」
「え? あ、いや、あの……な、何でもないよ、何でもない、ない」
「そう、それならいいのだけど。ヒルデがずっとエヴァンを見つめて呆けているから、戦闘中にどこか変なところを打ったのかと思って……」
「えっ……うん、だっ……大丈夫だよ?」
「本当に大丈夫? 顔赤いよ……」
ルーの言葉に赤面するヒルデ。ルーにいつもと違う自分をさらけ出していたことを指摘され、さらに恥ずかしい思いをする。ヒルデはルーに恨みがましい目を向けるがルーはヒルデの恥ずかしい姿を見てほくそ笑む。ルーはわずかにヒルデをイジる喜びを覚えていた。
「さて、次の襲撃にそなえて腹ごしらえするか。手の空いているものはエヴァンを手伝え。久しぶりに干し肉以外の肉にありつけるぞ! 見張り! 気合い入れて見張っていろよ。匂いにつられて、魔物が俺達の取り分をかっさらいに来るだろうからな」
隊長の一声に隊の士気か上がる。野営地の周囲にはささやかな饗宴にのぼることのなかった魔物の
魔物の肉を食らい、戦いに備える姿は未開の蛮族そのものであったが、今の状況では最善の姿であった。蛮族の饗宴はしばらく続いた。
――――☆――――☆――――
幸いにも日が落ちるまで、魔物の襲撃はなかった。たき火の炎を見ながら、ルーは食事を取っている。エヴァンは食後の腹ごなしとばかりに周辺の草木を根こそぎにしていた。ヒルデもたき火のそばで特に宛もなく、炎を見つめている。そんな三人に隊長が声をかける。
「もうそろそろ、おまえたちは先に休め。今夜は長丁場になりそうだ」
エヴァンは物足りなそうにしていたが、隊長の言葉に従い、就寝した。女性陣二人も自分たちの天幕に行き、床についたが何となく眠れなかった。
二人とも悶々とし、ごろごろと寝返りをうちながら時間を浪費する。
「るーちゃんもう寝た?」
「ううん、まだ起きてるよ」
ヒルデは気になっていることをルーに聞く。ヒルデは昨晩のクウヤとルーの
「……るーちゃん、昨日クウヤくんと二人で何話していたの?」
「え……?」
ヒルデの問いかけはにこやかな顔にかかわらず、なぜか冷ややかな響きがあった。悪いことに、暗がりであったためヒルデの笑みはルーには見えなかった。彼女から見ると、暗がりにほの暗い闇に包まれたヒルデが冷ややかな呪詛の言葉を投げかけているように受け取れた。ルーはとまどい、次の言葉が出てこない。明らかに動揺している。間髪入れずヒルデは更に突っ込む。
「話せないようなことを……?」
「いやいや、違うから! ぜんぜん違うから! に、任務よ、そう任務、任務の一環なのっ!」
ルーは飛び起き、必死に否定する。ヒルデは寝そべって、不思議そうな顔をルーにむける。もう少し明るければ、ルーが耳まで真っ赤になっているのをヒルデははっきり見ただろう。
「……ぷっ。ははは……」
「何よ……何がおかしいのよ」
ヒルデはあわてふためくルーの姿がおかしくて、おかしくて仕方なかった。笑われたルーは不本意なのか、ヒルデに不満を述べる。ヒルデはルーの抗議ですら好ましいもののように目を細め聞いている。
「……るーちゃん、変わったよね」
「なにを突然言うの? 私はいつも通り、変わったところはないわ」
しみじみとヒルデは感慨深げにルーに話す。何を言われているのか、よくわからないルーは首を傾げる。ヒルデは起き上がり、ルーの顔に彼女の顔を近づけ、さらにしみじみ語る。
「……変わったわよ。昔なら気持ちが表に出ることなんてなかったもん」
「そう……? 昔はそんな必要がなかったから、しなかっただけよ……」
まるで自分の妹か娘を見るような目でルーを見つめ、感慨に浸るヒルデ。さり気なく右手をルーの頬に当て、優しく撫でる。その雰囲気に恥ずかしさを感じたルーは少し語気を荒げ、ヒルデに反論する。その反論にヒルデはニヤリと意味有りげな笑みを浮かべる。
「今はその『必要』があると……? その必要って何かなぁ?」
ヒルデはニヤニヤと含みのある笑みをうかべつつ、ルーを見ている。ルーは口が滑ったような気がして、あわてふためく。ヒルデはさり気なく、エヴァンを見つめていたときにからかわれた仕返しをする。
「もー! 上げ足取らないぃ!」
そう言って、ルーはヒルデの胸を両拳でたたく。たたかれているヒルデは嬉しげである。ヒルデはルーを唐突に抱きしめる。ルーはそれ以上何もできなくなった。
「クウヤくんのおかげよねぇ。るーちゃんが普通の女の子できるようになるなんて」
しみじみと語るヒルデ。その顔は娘の成長に目を細める母親の顔だった。その雰囲気を察したルーはとたんに気恥ずかしさがこみ上げる。
「……もう。知らないっ……」
真顔でまっすぐ見つめるヒルデの視線が気恥ずかしく、ルーはプイっと目を背けることしかできなかった。
「まあまあ、いいことじゃない? 昔より、見ていて辛くないから……」
急に声を落とすのに合わせ、うつむくヒルデ。
「……クウヤくんと会う前はいつもしかめっ面で拳を握りしめていた。何かしてあげたくても何もできなかった……。でも……」
ヒルデはルーを改めて抱きしめた。
ヒルデには複雑な感情が渦巻いていた。昔なじみの親友が人間らしい感情を表現できるようになったことを喜ぶ気持ちと、それを自分の力でできなかった無力感と、特に努力する様子もなくやってのけた少年への……。
「ヒルデ……?」
ルーはヒルデの身体が細かく震えていることに気づく。
「……ヒルデ、もしかして泣いているの?」
ルーの言葉にヒルデは一瞬少し大きく震える。
「だ……大丈夫よ、大丈夫! な、泣いてなんかないわ」
ヒルデはぎこちない笑みをうかぺ、ルーの言葉を否定する。なんとか自分の心の奥底にめばえたほの暗い感情とともに恥ずかしさをごまかした。
「ほんと、変わったわよるーちゃん。クウヤくんのお陰ね。女の子らしいわ、るーちゃん!」
「もう……」
ルーはまだヒルデにからかわれているような若干違和感を感じつつも、苦笑いする。
「ん……? 何か騒がしいわね」
外の喧騒に気づいたルーは様子をうかがうために寝床にしている天幕から顔を出す。
外を見ると、隊員たちが慌ただしく野営地の中を走り回っている。名々武器を手に取り、魔物の亡骸で作った防壁に取り付いている。隊長は隊員たちの動きを見ながら、支持を出している。
「何かあったんですか?」
ルーが天幕を抜け出し、隊長に聞くと彼は何も言わず、一点を指し示す。
「あれは……」
指し示された先には魔の森のはしが見えた。そこから腹に響く重低音が押し寄せる。遠目には黒い塊が迫ってくるだけだったが、次第に近づくそれは正体をあらわにする。魔物の群れだった。大海嘯のような群れが野営地に近づいてくる。
野営地の全員が覚悟を決め、魔物を迎え撃とうと気構えていた。
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